随筆かも知れない

平成26年1月1日

新しい一日をいただいて、あけましておめでとうと声をかける人も居ませんので、寒いけれども朝のお勤めをと本堂へ行きました。朝はお内陣でお勤めをさせて頂くのですが、祖師前に座ると、横には「お文」の入った漆塗りの箱があります。

お寺の仕事を若い人にまかせて何年になるのか忘れそうですけど、このところ私は出来るだけ手出し・口出しをしないことを心がけているのですが、お文箱にたまったホコリが気になるのです。

今朝は、数日前に若い人が掃除をした後の箱にたまっているホコリを指先でちょっと払った跡がいやに目につきまして、口ではお勤めをしながら、頭の中にはいろいろな思いが浮かんできました。

本当に任せたのならそういうことも気にしないはずなのに気になるわけで、「まかせる」ということは、特に「人」に任せるということは出来ないことだ、難しいことだとか、諸々の思いです。

若い人がなかなかお寺の仕事に身の入らない姿は、今の私自身そのものではないか、しかも、小姑のようなことをしているくらいなら、自分が掃除すればよいではないか。

口は器用なもので、お経の本を見ないでいても「お勤め」をしています、それがお勤めと言えるなら。それひとつをとっても、お文箱にホコリがたまっているのをそのままにしているのと同じことです。では、たまっているホコリを指で少し払ったのは、何なんでしょう。

すべてが鏡に映されています。


「おまかせする」ということは、決してどこかの誰かにということではないのですよね。一面から言えば、それは「ひきうける」と同じ意味のことなのでしょう。

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