随筆かも知れない

自覚

平成24年2月5日

唯識と言われる大乗の仏教では、心というものを心(芯)・意・識という3層から成り立つものと考えるようですね?

唯識などというのはまったく分かりもしないのですが、「心」を心(芯)・意・識と区別すると、自覚に種類が二つあることになるのではないかと思います。

図式的に言えることでもないのでしょうが、意と心(芯)との交際から生まれる自覚と、意と識との交際から生まれる自覚の二種類です。我々が普通に自覚という時には後者を言っているのではないでしょうか。

ここに書いたように、「自覚こそが大切だというのなら、お念仏もうすということは、極言してしまえば、なくてもよいことになるのではないかと考えます」というようなことを私は言っていて、ここで言っている自覚も意と識との交際にあるものです。

他所のお寺の方のサイトやブログなどに見受けられる自覚という言葉も、殆どすべて識による意での自覚であるように思われ、そんなもの(こと?)は少しも大切ではないと私は思うわけです。

大切なのは、心(芯)に呼び覚まされたところに、自覚に先立って(自覚の有無にかかわらず)もうさせていただくお念仏であって、心(芯)と意との交際に生まれる自覚だと思います。法蔵菩薩さまのおはたらきであるからです。


心(芯)に呼び覚まされたことを意は常に遅れて、後になって自覚するのでしょう。これは比べるようなことではないのですが、たとえば「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」は常に自覚に先立つのですから、心(芯)と意との交際に生まれる自覚も、やはりお念仏もうすことより大切だとは言えないですね。

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