随筆かも知れない

仮想現実

9月25日

「前世を占う」ということをする、ある意味でものすごい人がいるようです。私などは「前世」ということにも「占う」ということにも擬議し、「前世を占う」となるともう全くどういうことなのか分からなくなるのですが、「前世は戦国時代の武将だった」と言われてよろこんでいる人は「後世」が気にならないのでしょうか。どうせ「占い」ということをしてもらうのであれば過去でなく現在か未来を占ってもらえばいいと思うのですが、「ものすごい人」は過去専門なのでしょうか。

さて、例えば「あなたの前世はかの有名なオーストリアの作曲家シューベルトだった」と言われた人がいるとして、けれど、その人は「未完成交響曲」の第3楽章以下を完成できるでしょうか。また例えばアインシュタインを父とする子供が産まれてくるとして、その子は「オギャー」と言わずに一般相対性理論を口走りながら産まれてくるのでしょうか。

文化と文明を区別する場合、文化は伝承され文明は蓄積されるという言い方が可能になるように思います。蓄積されるものは世代を経るに従って豊富になり、発展し、高度にもなるのでしょうが、伝承されるものはそうはいかない。発展し高度になるどころか踏襲されるかどうかも危ぶまれるものがあるわけです。

「こんにちものは豊富になったが心は少しも豊かになっていない」という人がいますが、精神文化と物質文明の特徴をふまえれば当たり前であって、受けとめ方によっては的外れなことを言っていることになるのではないでしょうか。

ところで、産まれるなり七歩歩んで「天上天下唯我独尊」と言われた(「説」や「話」を我々の現実にあてはめるのは間違いです、我々の現実を「説」や「話」ととらえるとどうなるかを考えたら分かるように)というお釈迦様は霊肉二元論を廃されたということですが、これを霊肉一元論を説かれたというように受けとめると間違うように思います。精神文化と物質文明とを分けて考えることをせず、しかも二つを統合して一般的に用いられる意味での「文化」も想定しないとすると、どういうことになるのでしょう。

 1で、です。1×で、×です。(1×で(×です。1×で、2×で、(1×です。0という「概念」はインドでつくられ、これのもとになったものを字で表すと「空」となるらしいです。1も2も3も「色」で、0は「空」です。「色」と「色」を足してもかけても、1になろうが2になろうが3になろうが、「色」は「色」です。ところがこの「色」がひとたび0に乗じると0になる、「色」がどんなものであっても0をかければ0、すなわち「空」になる。「乗じる」とは本来乗り物に乗るということですが、大乗と言い小乗と言うように、実に意味深い言葉です。「色」が「空」に乗じると「空」になる。二元論を廃し、また一元論を説かれたのでもない。それでは何を説かれたのかというとこれを説かれたのではないのでしょうか。私には「色即是空」ということはよく分からないのですが、次に必ず「空即是色」が来なければ本来の意味を失ってしまうはずです。つまり「色即是空」だけでは「空」は「無」と区別できなくなる、「空即是色」が次に来てはじめて「空」は「空」としての意味を持つわけです。

余談になりますが、この「空」と「無」ということについて思いを致すとき、先年亡くなられた埴谷雄高氏の未完の大作のなかの釈迦と大雄の論争の場面を思い出します。全肯定の釈迦が全否定の大雄に屈するはずのない「論証」で敗れるのですが、漆黒の闇の中にかすかに見えていた大雄の姿が、論争の終わったときに砂が崩れるようにして消えてなくなる。これは全否定の「無」を説く大雄にたいして、全肯定の「空」を説く釈迦が「身証」において勝っていることを象徴的に表現したものではないかと思うわけです。

我々は万物の「空性」を身証できるほどの智恵を持ち得ません。我々にとって1は1であり、2は2であるわけですから、「色」は「空」ではないのです。そういう我々の「現実」とはいったい何なのでしょう。先に「説」や「話」を我々の現実にあてはめるのは間違いだと書きました。我々はややもすると産まれるなり歩く、言葉を発するなどということは現実にはあり得ないから嘘だと思ってしまうのですから、よほど現実というものを信用しているらしいのですが、その現実とは実際のところ何なのでしょう。

バーチャル・リアリティという言葉を耳にします。仮想現実ということのようです。もしかするとこれは二次的現実と想定すべきものではなく三次的現実と想定しなければならないのではないでしょうか。既に心理学の先生でもありエッセイストでもある岸田秀氏は「史的唯物論」に対して「史的唯幻論」を唱え(学術的論証をしているのではありません)ています。少なくとも、我々は副次的現実のなかにあって本来あるべき自己を見失っているということは、確かに言えるのではないでしょうか。


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