随筆かも知れない

掌を合わす

1月11日

例えば私は親鸞聖人の教えを、お念仏の教えを頂かせてもらいたいと願っています。ですから「私の宗教」というものはありえません。あるのはご開山聖人が生涯をかけて求められた道であり、お念仏の智慧を宗とする教えです。私が主体となる私の宗教があれば、それは邪道に他なりません。

「あなたの宗教は何ですか」という問いは、あなたが信ずる教えは何であるのかを尋ねるのでしょうが、この問いには答えようがありません。強いて言うならば、ただお念仏を申させていただきたいと願うものですとなるのでしょうが、問いかけをした人にとってはこれは答えでないばかりではなく、宗教の否定であるのでしょう。私が主体となって信じるのが宗教であると考えるところに「あなたの宗教は何ですか」という問いがあるのでしょうから。

個の宗教ということが言われます。これは致し方なくこの言い方になったものの筈です。例えば家(家族)を単位とした宗教という「制度」ではないことを便宜的にこう言ったものなのでしょう。これを普通に解釈して個人がそれぞれに信仰するところの宗教ということにしてしまうと問題ができてきます。その一つが私が主体となって私が信じるということです。

片方の手を冷水にでも浸けていた後でもない限り、普通であれば、掌を合わせるとそれぞれがそれぞれの「ぬくもり」を感じる、どちらかが他方の「つめたさ」を感じるのでもなく、それぞれが触れている「感触」だけを感じるのではない。これは不思議なことではないのでしょうか。

信心そのものが他力のご廻向であるとお示し下されたご開山聖人のお言葉をあらためていただくとき、お念仏の智慧の働きのはかり知ることのできない不思議のなかに、如来も、凡夫である私も居る。如来の「ぬくもり」に触れて私は私が悪人であると知らせていただき、悪人である私を如来は「ぬくもり」としてそのままに摂取して下さる。今現在説法である。


欧米の人たちが日本人は無宗教であると言うのは大体の場合間違った理解をしているのだと思います。しかし、欧米の人たちが日本人の「信心深い」人がしていることを指してそれは宗教ではないと言うのは、深刻に受けとめなくてはならない事実だと思います。

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