随筆かも知れない

離れる

3月19日

「バラバラ」という言葉は「奇異」であることを表す言葉ではないのでしょうか。少なくとも聞いて快く感じる種類の言葉ではないと私は思います。

本来一つであるもの、一体であるもの、統制が取れているものが本来の姿を離れて分離分散した状態を指し、それが奇異であることをある種の不快感をもって表現したものであるように思います。

神戸で起こった少年による「奇異な」犯罪のために奇異な印象を持つのではありません。もっとも、「バラバラ」という言葉を思い出させるのはあの事件だけではなく、過去の数々の「事件」がこの言葉を思い出させます。

さらに、そのような「事件」だけがその言葉を思い出させるのではありません。私が「バラバラ」という言葉を思い出したのは、今回の「お寺の掲示板」の言葉を見たからだったのです。

思い出したのは「バラバラ」だけではないのですが、正直に申しまして、その一連の言葉の意味するところが私には分からないのです。分からないことについて云々することはしません。

縁あって生をうけた私たちですが、生をうけることは同時に「区別」をすること、「終わる」ととらえることの始まりでもあるのではないでしょうか。自己があるから他者があり、自己の命であるから終わるということになるのでしょう。

我執を離れ生死を離れる智慧がお念仏であり、この働きによらなければ自縛を繰り返しついに一歩も歩めないままで、「ちがい」を「ちがい」としか見ることのできない「間違い」だらけの「私」のままで「終わる」のでしょう。

「私」というものが実は間違いだらけであるということに気づかせて下さるのも、お念仏の智慧であります。

この「私」というものが間違いだらけでしかないならばいっそのこと棄てればよいのですが、さて私は「私」を棄てることができるのか。お念仏は「私」を棄てられない私の愚かな姿を照らし知らせて下さいます。

さらに、そもそも「私」を棄てようとする私は間違いのない私なのかが問題になりますが、お念仏は「私」を棄てようとする私の愚も照らして下さいます。

お念仏の智慧に照らされる「私」を本当に観させていただくときに私は「私」を離れる。離れるということは距離ではありません。一歩二歩百歩という距離はその時すでににありませんから一歩あゆむのに例えば一年、三歩あゆむのに例えば千年という時間もない。

お念仏は「即」の仏道であります。


「『私』を棄てよ」というのと「『私』を離れよ」というのには大きな違いがあります。それはあるいは「苦行」と「難行」の違いかも知れないと思います。また、「即」ということが「神通」といわれているのかも知れないと、これは「ぼんやりと」思います。

最新の掲載へ  101回からの掲載へ

以前の掲載一覧
100 自燈明
99 (無題)
98 (無題)
97 不信にあらずや
96 大地
95 教訓
94 名宛人不明
93 具体
92 益・無益
91 大自覚
90 出来た人
89 お講の風景
88 いわずもがな
87 放言-3
86 放言-2
85 放言
84 宿業
83 不可思議
82 不思議
81 自我と我執
80 慚愧
79 報謝
78 感想文
77 余計なお世話
76 ある確認-3
75 ある確認-2
74 ある確認-1
73 (無題)
72 今にある歴史
71 とわれるもの(2)
70 問われるもの
69 証道の歴史
68 そのうえの念仏
67 中中おろかなり
66 大悲無蓋
65 無生の生、往生
64 「おめでとう」
63 称名
62 救い
61 いのちである言葉
60 信楽受持甚以難
59 家族の真宗
58 詮ずるに愚痴
57 無碍光如来
56 光明無量
55 非行非善
54 仏法聞き難し
53 (無題)
52 さるべき縁
51 いそぎ仏になりて
50 遺伝
49 無生
48 構造
47 迷い
46 (転載)
45 奇妙な反省文
44 現在
43 念仏、お念仏
42 (無題)
41 お聞かせ
40 謝すべし
39 相続
38 自縄
37 我が身
36 立所
35 心の向かうところ
34 不可説
33 個性
32 癒し
31 (無題)
30 ただ称える
29 輝く
28 有量
27 光と闇
26 深い闇
25 ただ一つ
24 離れる
23 意味の奥底
22 梅の花が
21 念ずる方向
20 穴の中
19 罰があたった
18 掌を合わす
17 悪人たる所以
16 極点に立つべし
15 大海
14 奇妙な酔っぱらい
13 ばあちゃんの避難訓練
12 無智
11 芸術の秋
10 仮想現実
日本教
ベクトルでもない
転んだら立ち上がれば...
京都の五山の送り火は
今回は関西弁で


「じねん」と読むらしいです
HEAVYってどういうこと?

かも知れない検索
(別窓で開きます)