随筆かも知れない

深い闇

4月26日

「例えば段ボール箱いっぱいのお金と段ボール箱いっぱいのお菓子のどちらかをあげると言ったとして、お菓子の方をほしがるのは何歳くらいまでなのでしょう」。

こういう類の問いには大きな前提があるわけですが、それを抜きにして問いかけ、それを抜きにしてつい答えてしまうということは、如何に「日常性」の持つ力が大きいかを示しているといえるでしょう。

あるいは貧弱なる想像力、矮小なる世界観と言った方がよいのかもしれませんが、それはそれで結構なことであり、また致し方のないことだと思います。

それはそれで結構、致し方ないと言っていられなくなるのは、その大きな前提が、その一部でもが取り払われたときです。

他によい例えがあるのでしょうが、凡人は凡人ながら一握りの「慈悲」を持ち合わせていて、例えば先の震災の時に生のお米を被災地に送るのです、被災者の方たちのお腹を満たすご飯を炊く水も火も釜もないのに。

自己満足している私は、教えていただくまで分かりません。生のお米でもありがたいのだけれど、それだけではお腹は満足させられないのだということを教えていただかなかったら、自己満足だったということも分からないままです。

実は私のような凡人が「信心」という言葉に出会うのはまさにそのときなのです。そして自分が信じる信心ではなく賜りたる信心だったと気づかせてくださるのは、性懲りもなく貧弱な想像力で小さな世界を構築している愚かな自身の姿を照らし出してくださる光の外にありません。その光がなければ何も見えないほど私の無智蒙昧の闇は深いのです。

日常性とは、虚構の中に組み立てられた虚構のことであり、例えば自分の命が自分のものだと思っている私にはそこを離れることが非常に危険である、だから恐れるのです。


「感情」の中でももっとも原初のものであるといわれるのは「恐怖」です。「恐怖」の感情が(肉体的)生命をまず護るのですが、同時にそれが(精神的)生命を傷つけもするのだそうです。もっともこれは肉体的・精神的とばっさりと命を二つに切るという荒技を施しての話ですが。学問によっては私は決して「救われ」ないということははっきりと分かります。

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