随筆かも知れない

心の向かうところ

11月2日

「親鸞」と、いわば呼び捨てにするのは「研究者」であろう。あるいは、人がそう言うのをきいて真意を知らずに倣うだけの人であろう。

「親鸞がこう言った、いや言わなかった」といい、果てには「親鸞が世に出なかったとしても本願は顕彰されたのである」といい出す。

それが今日的な「仏教」であるなら、誰も「仏教」には出会わなくてもよい。それが言い過ぎであるなら、私は「仏教」に出会いたくないと言うにとどめる。

例えば「心戒上人四国修行のあいだ、或百姓の家の壁に書き付けて云、念仏者ならで、念仏申して往生をとぐべし、云々。」と『一言芳談抄』に書かれている。そこにどのような時代の心を読みとるのか。

親鸞聖人が世に出られたのはそのわずか後のことである。法然上人との邂逅の前に親鸞聖人は間違いなくお念仏とお出会いになっている。親鸞聖人のご生涯についていまさら、しかも私などの説明は必要ないであろう。

私はお念仏に出会わせていただきたい。「仏教」に出会えなくてもよい。親鸞聖人が明らかにして下さったお念仏に出会わせていただきたい。

道路脇のお地蔵様の小さな祠の前に年老いたご婦人が座り、手を合わせ、確かにお念仏申された。車に乗っている私にはその声は聞こえないのだが確かに「なまんだぶつ」であった。

次から次に走り来て走り去る車も、通りかかる人も関係ない。一心にというのでもない。無心である。無心にただお念仏される。その目と鼻の先には立派な真宗の「お寺」の本堂が見えている。


蛇足ながら、私はいわゆる「無教会主義」などとは無縁です。そもそも「主義」と名の付くものは性に合いません。「運動」と名の付くものとも肌が合わないようです。

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転んだら立ち上がれば...
京都の五山の送り火は
今回は関西弁で


「じねん」と読むらしいです
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