随筆かも知れない

立所

11月10日

真っ白な球体を渡されて、例えばこれが地球で、あなたのいる位置を示せといわれたとする。

さて、どう応えるのか。

「それは不可能です」という、これにも一理はある。けれども字の通り「理屈」、「理論」でものを考えている。現に自分はいるはずなのにそれを示し得ない。

不思議なことに、例えば地軸であるとか、経度緯度であるとか、現にあるわけではないもの、便宜上の仮設をもとにすると現にあるはずの自分の位置を示し得るようになる。

思うがままに指先を好きなところにとんと置き、「はい、ここです」ということもできる。「思うがまま」に思うとき緯度も経度も何も妨げにはならない。ここにいるのだと示すそこに自分がいる。

この「思うがまま」がお念仏の教えであり、思うがままに置けるのがお念仏の智慧のはたらきであり、それによってはじめて私が示される。指先を置いたその場所は決して偶然に選ばれたのではない。

「思うがまま」が「私が思うがまま」であれば、けっしてどこにも指は置けないだろう。そこでもないここでもないと迷い続けるに違いない、あるいは少しの知識があれば「できない」というに違いない、それなのにとんと一点を指し示した。これが「縁」であり、縁は偶然ではない。



(ここからは蛇足です)

球体だけとは限らないが、もっとも完成された「形」は球体であろうから今仮に球体と限定して、さて紙に描きなさいといわれたとする。

立体を平面におさめとることは不可能であって、しかもそれは「理屈」、「理論」で不可能なのではない。描かれたものが円になるのは「道理」である。

さて、とにかく紙に「球体」を描いて(それは円になっている)みて、先ほどとんと指を置いたところはどこか示しなさいといわれたとする。

どう応えるのか。

円の中のどこでもよいからどこか一点を示してもよいが、しかし今度はできません、不可能ですというのが「道理」ではないのか。紙に書かれた円全体を示しても、紙にあるのは円であって球ではないのだ。

法について言えば球体の中心がお念仏であり、球体そのものがお念仏のはたらきである。機について言えば円がお念仏である。我々にしてみればその紙に書かれたものが円であるといえば円であり、球であるといえば球である。

紙に描かれた円だとばかり思っていた我々にそれが球体なのだと、厚みのある立体なのだと初めて明らかにお教え下さったのはどなたであったのか。


「例示」には無理がある。すべてを例えきれる例などはない。「言葉」にも無理がある。真実は寡黙にしてはたらくものである。ただ、というべきか、だから、というべきか、我々は「南無阿弥陀仏」をいただくのである。お念仏が「ある」のである。

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