随筆かも知れない

現在

5月4日

私が生まれる前から「南無阿弥陀仏」はあり、いま賜った命を生きるすべての人が生まれる前から「南無阿弥陀仏」はあったのです。

その「南無阿弥陀仏」と、いま私が出逢い、いま私に産まれて下さる「南無阿弥陀仏」とが別の「南無阿弥陀仏」であるのではありません。

「我」は過去・未来を実体として分かち造り、その間に現在を仮設します。過去と未来という二つの輪転機に同時にかけられる現在という一枚の紙に印刷されるのが生死です。

その一枚の紙を私が見据えるとき、分からないと私が言います。事は深刻かつ重大です。しかし同時にどこか滑稽ではありませんか。分からなくしていているのも私、分からないことにまたとらわれているのも私です。

一如真実の、ただ「南無阿弥陀仏」だけの偏満する世界です。実に生じたと見ずる他にない凡夫の廻心とは、「南無阿弥陀仏」の世界にありながらそれを離れていた心が「南無阿弥陀仏」の故郷に帰るということです。

私たちの側から言えばいまにして出逢わせていただいたお念仏と故郷であるお念仏と、時にすれば二つの時であっても、体は一つのお念仏です。体が一つであれば、いわばお念仏の側から言えば、常に現在という一時です。

生死を造り、現在に苦しむ私です。しかし、光明寿命の無量の世界、すべてよしとうなづける世界が私にあるとすれば、実は「今現在説法」の現在に、常に現在するお念仏によって私が我を離れさせていただく現在にこそあらねばなりません。


「自我」というのは絶対者を「主我」とするところにある概念なのではないでしょうか。詳しくもなくよく分かりもしないのですが、そういうことになるのではないかと思います。仏教で言う「我」とは別のものであるはずだと思います。

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