随筆かも知れない

構造

7月4日

サルの群には「ボス」がいて、そこには立派な「社会」ができあがっているという説を否定する見解が出されたのは最近のことだったと記憶している。

ボス的な位置にあるサルがいることには違いがないが、彼は群の「長」ではなく、集団で行っているように見える行動は、実は模倣の結果なのだそうである。

今日、私たちは発展した文明や継承された文化を享受している。享受するということはそれを相互に担うことでもあり、同時になお一層の発展、さらなる踏襲を義務づけられるということでもある。

そこにあるのは、当然のことながら自縛の構造である。時として生きること自体に息苦しさを感じさせるその構造から「逃れる」方法として容易に考えられるのは、文明・文化の「適度な」否定、廃棄であろう。

例えば都会を離れて寒村に転居し、稲を育て木を切る人が感じるのは、だから「適度な」解放、自由といったものである。完全な解放、自由など人間である限りない。

自縛の構造から逃れようとしてはいけない。また一つ自分を縛ることになる。そもそも逃れられるはずがないのだ。皮肉なことかも知れないが、実は私たち人間を「真実」に目覚めさせてくれるのも、結果的に人間が作り上げたその「構造」なのだ。

本来の解釈からははずれるのだろうが、自由という言葉がうまく説明してくれるかも知れない。「みずから」を由とするのでなく、「おのずから」を由とすればよい。「おのずから」が由である智慧をいただけばよい。人間は人間を、自分は自分を縛るものだと気づかせてもらえばよい。

「お猿さん」たちの群に社会があろうがなかろうが彼らは生き、彼らは死ぬ。人間が、例えばサルの意識に生があり死があるのかを問おうとする。逃れられないものから逃れようともがくのも人間である。

信のないところに説がいくらあっても、うまれるのが迷ばかりであるのは科学の世界だけではない。真実の信がなければ仏説も迷信をうむ。


お猿さんの群が人里にやってきて畑を荒らし、家の中にまで入り込んで悪さをするような田舎では、村の人たちは考えられるあらゆる手を尽くして、けれど最後には「猿のために畑つくってますねん、猿が残してくれたら私らが食べさしてもらいます」といって笑っています。もちろん、ほほえましいなどとは言っていられない困った問題ですが。

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