随筆かも知れない

さるべき縁

9月1日

少し自分の話をすることをお許しいただきたいと存じます。心臓が急に苦しくなり体を動かすことはおろか立ってもいられなくなるということを経験したのは確か21歳の時が初めてでした。

以来何十回とそういうことを繰り返し、その度にもうだめかと思うのですが不思議にもまだ「死」というご縁はいただきません。次の瞬間に心臓が動くのをやめたら死ぬんだなと実感することがついこの間もありました。

今こうして愚にもつかない文章を書いているのですから私は死んではいないのでしょう。こんなことは言うのもおかしなことですが、考えの上で、生きていることと死んでしまっていることの区別があるものかないものかが分からなくなってきています。

相変わらず死は怖いのです。できれば死にたくないに違いない、けれどもうずくまって動けないでいる時はとにかくその苦しさから逃れたいだけで、死にたくない生きていたいと思うこともありません。心臓が止まれば楽になるかと思うくらいです。

お医者へ行くこともできないし、行けたとしてもその時には「特効薬」はもう口に入れていますから何かしていただけるとしたら心臓が止まった後のマッサージくらいだと思います。死なない手だてはもう何もないわけです。それは気がつけば平生でも同じことです。

ご縁ということの意味も仏恩ということも知らない私でした。今も分かっているのか分かっていないのか自分でも分かりません。生かされて今あることは不思議だと思いますが、正直に言いましてそれが歓びであるかというと決してそうではありません。

「お念仏いただかせてもらうと・・・」という話をよくお聞きしますが、そういうお話から推すと私はお念仏をいただいていません。急に心臓が苦しくなるということは、後からお医者へ行ったりもしますが「病気」だとも思いません、ご縁です。慣れということも手伝ってか、だんだんと「苦」ではなくなってきています。実際に苦しいときには確かにいまだに「苦」ですが、そういうことが起こることは「苦」ではなくなってきています。

苦ではなくなってきていますが決して「歓び」ではありません。苦でもなく歓びでもなく、いただくばかりのご縁です。色々なことから最近思いますのは、例えばお念仏いただかせてもらうと病気も有り難いものになって生かされてある今が歓びになるというようなことは、そういうことは私も言っていることなのですが、生死を分断した概念が言わせる戯言ではないか。実の生も実の死もないということを忘れて「実に生きている」と思いこみたがるものへの迎合ではないかということです。

実には不生不死であり、縁に生まれ縁に死する。あるのは縁であり、だから実にはただ一つお念仏があるのであって他に実に生まれ実に死するものなどないということが仏法であって、例えば「歓喜光」を説くのは仏法だけれど「生まれた意義」・「生きる喜び」は畢竟して人情ではないか。自信教人信は仏法のお働きであって決して人間が主体としてできることではない、それを意図するなどというのは傲りに他ならないのではないか。根拠もなく、ふと思うのです。

人間は個々の経験などによってお念仏をも自分なりに解釈しがちです。いわばお念仏の私物化の素地がすでにあるわけで、普通にお聞きしているのではむしろ自分の念仏を作ることが多く、仏法をお聞かせいただくということは私的な所有がなくなることでもあるはずなのに、仏法そのものを私有化しています。仏法に私が同化されるということが仏法を私に同化させることと同じでない、この自明の理は、しかし現実には非常に曖昧になっているように思います。そしてその原因は意識せずしてか「我」の実在を仮定しているところにあると思います。

まとまりもなく思いつくことをそのまま文章にしてしまいました。申し訳なく、お許し願い上げます。


御同朋・御同行ということもおかしなことになっているのではないかと思う。一人の人間が仏法に治め摂られていくいわば一対一の関係の並列のところに同朋があり、だから「御」である。同行ということは、これは仏法が即ちお念仏であるということで、だからまた「御」である。いったい百人がそろってお念仏して百人に共通のお念仏を談合して百人が私有化するところに「御」ということがあるのか。百人皆ともにとはそんな百人を言われるのではなく、談合もまたしかり。

言うところの「同朋会運動」はさらに百年経っても実を結ばないであろう。あるいは発行する新聞の一つの連載ものの記事にだけすべての漢字にカナが振られていることをもって結実とすべきなのであろうか、私には分からない。

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