随筆かも知れない

(無題)

9月10日

ご縁によって今をいただく。今現在と分断されて過去(過去世、前世)・未来((未)来世)が自性してある道理はない。今現在わたしがこのようにある、それについてはどのような今現在を今までにいただいてきたのか。そのように思いをめぐらすところに感得せられるのは何か。

「私」というものが自存し「私の過去」があるものとすれば過去(過去世、前世)・未来((未)来世)は実体を持ち、仏教の非仏教化が始まる。縁起せざるものがなく、わたしは因縁生である。「私の過去」というものなど時空のどこにもないと思い至れば、そこにあるのは「いのちの歴史」である。それを「浄土」と言ってもよいのではないか。

「私の過去」としていたものの真実の姿は「いのちの歴史」であり、それは大悲とともにある。如来の大悲とともにあって、如来の智慧のお働きの場であるからこそ「私の過去」・「私の生」を突き破って下さる。仮設された未来((未)来世)という実体を今現在説法のご縁にあう今という事実の場に引き戻してくださる。

言辞を弄するのではなく、そこにこそ我々の未来がある。初めての、あるいは再度の我が身の自覚による初一念、または乃至十念のお念仏を申さんと思いたつこころを誕生させて下さるお働きは現在のなかにこそ兆すのである。「私」を突き破る「いのちの歴史」を思えば、いわば未来の歴史もまた大悲とともにあるのだから、わたしにはお念仏が未来である。それを「浄土」と言ってもよいのではないか。

お聖教には三世(あるいは前世など)という言葉がたくさん見られる。「死後の世界はあるのか」と問われた釈尊は「人間の知恵で知ることのできないことを思議してはいけない」と仰有ったとお聞きしている。私はお聖教の三世の意味を知らない。ものを言いたがる私が根拠もなく言ってしまえば、三世は現在の一にして異なる純粋自覚の空なる世界である。確信だけで言ってしまえば、お浄土を穢土にしているのはまぎれもなく「私」である。


過去世・前世の業により今の苦がある、往生極楽は未来にあって今はないもの。今は苦ばかりの世界、極楽は文字通り楽の極みで、死んだ後。それは真宗でないばかりか、宗教でもないのではないか。一般には逆に理解されているようだが、悪因苦果・善因楽果とするのは倫理・道徳であって、自業自得とするのが仏教であろう。

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転んだら立ち上がれば...
京都の五山の送り火は
今回は関西弁で


「じねん」と読むらしいです
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