随筆かも知れない

仏法聞き難し

9月15日

釈尊は我々と同様の肉体をもった人であった。この人は悟りを得られた人であった。このことはしっかりと認識されなければならない。

ご開山は釈尊を「釈迦如来」とも言っておられる。それは釈尊が悟りを得られ、「仏陀」となられたことをご開山がまた我々にお示し下さっているということでもある。

釈迦の教法ましませど
修すべき有情のなきゆえに
さとりうるもの末法に
一人もあらじとときたもう

(正像末和讃 大派聖典505)

ご開山のいただかれ方は、だからお念仏しかないということ以外にないはずである。お念仏だけが末法に生きる有情の真実報土の正因である。

真実報土の正因を
二尊のみことにたまわりて
正定聚に住すれば
かならず滅土をさとるなり

(正像末和讃 大派聖典504)

正定聚に住すればかならず滅土を「さとるなり」と仰有っている、「滅土にいたる」ではなく滅土を「さとる」と。さて、このようなことをふまえて、非常に大ざっぱではあるけれど少し確認してみたいことがある。

「三世」という言葉はお聖教のなかにもたくさん見られる言葉で、また「前世」という言葉も出て来る。いったいこの三世(前世・現世・来世)ということはどういうことであるのか。お聖教に書かれていることだからそれは有るものなのだろうと漠然と思っているのでは無明のままである。

三世が実体として時間的順序をもって「有る」ものとするならば、肉体が滅しても「我というべきもの」(以下「我」と言う)があってそれが前現来の世に伝わってゆくということを前提としていることになり、実体としての「来世」を生きる時、「我」にはそれが「現世」であるから次に「来世」があるのであって、それは三世に止まらず無始より永劫に伝わらねばならないのが道理となる。このような自性する「我」が「有る」とすれば、「縁起せざるものあらゆることなけん」と言えない。縁起の法に背反する別の法があることになる。釈尊出世の当時からインドにある独自の法がこれであろう。それはいまも「カースト制度」の根拠となっている。バラモンはバラモンたる「我」があり、次の世にもバラモンとして生まれるというのである。

「サンガ」という言葉があるが、これは「カースト」をこえて釈尊のもとに集った出家僧によって構成されていた。釈尊は「縁起の法」により三世に渡って伝わる「我」を否定し、したがって「カースト制度」を否定した。「我」はなく、すべては縁起するという知見が仏教の興りである。三法印の一つは「諸法無我」であり、これは実体としての「三世」を否定するのものでもある。釈尊は「生まれによってバラモンとなるのでない、行いによって卑しい人ともなるのである」と「身分」を表す言葉を用いながらその「身分」が「我」に依るのでなく行いによることを明言し、「身分制度」を否定されたのだが、それは同時に実体としての「三世」の否定である。

自性する「実の生」などないのであって、あるのは「因縁生」である。けれども「私」は「私」が生まれ「私」が生きていると思う。つまり「我」があるとするのであって、そこに煩悩を産み、「生」が苦である。わたしは因縁により生じている、大海のなかに縁あって一つの波となったものであると知見すれば、「生」は苦でなくその「生」に苦であるものはない。老・病・死もまたご縁である。「我」がないわたしは、ではどこから来生したのか。わたしはご縁の世界から来生しご縁のままに生かされてある。

ご縁の世界といってもつかみ所がない。ご縁とは何なのか。山をして山であらしめている法、一本の鉛筆をして一本の鉛筆であらしめている法、人間をして人間たらしめている法、あらゆる物事をしてそれをそのようであらしめている法、その法の働きがご縁であろう。その法とは因果の法である。純然と因から果を生ずる法であり、仏・菩薩の境界の法であり、いわば浄土の法であり、自然の法と言ってもよい。わたしはそこから来生したのである。

自然の法の働きであるご縁により、わたしがわたしであり得ている。そのわたしが因果を尋ねるときには現在のわたしという果からわたしをわたしであらしめている因を智慧の眼で知見させていただく他にない。わたしは仏の境界の法である因から果の因果の法のお働きであるご縁によってわたしであり得ている。いわばご縁の子供である。親はご縁、因果の法である。だから果から因を尋ねる。そうして親がご縁であり、因果の法であることを知らせていただく。もとよりわたしに親を知見する眼などない。智慧の眼をまたご縁によっていただいて知らせていただく。末法の五濁悪世の凡夫であるわたしがいただける智慧の眼とは何か。お念仏であって、お念仏の他にない。

実体である「前世」があるとすればその前世が現世であるときの「前世」があることになる。無始までさかのぼってもまだ実体たる「前世」がある。無始からまた永劫をさかのぼってもまだ「前世」がある、最初の「前世」の一つ前にまた「前世」がある。これは理不尽である。ところがそこにこそ凡夫にも知れる事実がある。凡夫でなければ知れない事実といってもよい。

今の今までお念仏に出逢わない凡夫であったのだというこの身の今の事実。今も智慧の眼をいただかせてもらっていないという今のこの身の事実、今も「私の前世」をつくっているというこの身の今の事実がそれである。阿弥陀仏の本願は未だ一念帰命のない凡夫にも「前世」ではないこの「過去世」とでも言うべき純粋自覚の世界を回向され、お念仏に依らなければ往生成仏はないのであってお念仏だけが凡夫道を出離するはずもないものの往生の正因であることを知らしめるのである。

「過去世」とでも言うべきものは今この現在にいただく純粋自覚の世界である。それは「我」のない世界であるからすでに「私」としているものを突き破っている。業の自覚と言ってもよい。自業自得の道理の自覚と言ってもよい。これこそが我々凡夫のあらゆる「前世」の悪業煩悩を破する利剣との出会いを必然とするものである。このように書くと「前世」があって「前世に作った悪業煩悩」と思われるかも知れないが、そうではない。標題の「仏法聞き難し」もまた私自身が今まで思っていた意味とは別の意味である。また、我々の未来は今現在のいのちの次に吸う息のところにまさに兆さんとするものであり、今この現在にいただく実体でない「過去世」とでも言うべきものにつかず離れず初一念があり、この一念帰命に往生が定められるのであるから、平生に往生の業の成就する未来もまた「過去世」とでも言うべき純粋自覚のところにあるのである。

不思議にも不可思議にもお念仏遇うた我々は「過去世」とでも言うべきものを現在に自覚し、お念仏に今を生かされ、今に往生をいただく平生業成のひと時ひと時を生かされるのである。「時」としていただくのは「今現在」ばかりであり、それはご縁によりお念仏に生かされる時としていただくのである。今を往生の時としていただき、正定聚に住し滅度をさとる業の成るのは常に今現在であり、未来という今現在にまさに兆さんとする次の一息のところである。未だ来ない「時」をどうして今現在にいただけようか。今現在にいただけないものが「未来」という未だ来ない時にいただける必然がどこにあるのか。あるいはその必然があるとしても、我々凡夫にどうしてそれが知見できるのか。凡夫であればこそ平生業成でなければならない。誤解を恐れずに書くと、今現在に「さとるなり」でなければならないのは我々が凡夫だからである。

我々をいわゆる「未来往生」に止まらせているのは実体化された「三世」である。「三世」を「実体のあるもの」とする我々自身である。未来もまた「実体」としてあるのでない。「三世」なく、今がある。今現在に迷えばまた「三世」がある。すると往生もまた「未来往生」である。


浄土の法のお働きの子供がお念仏によって浄土往生を遂げさせていただく。我々が依って来たったお浄土に往生する。無量の光が無量のいのちである仏のみもとに生まれさせていただく。機が無量の光、無量のいのちに一体となる。子が親のもとに還る。純粋自覚の世界であればこそそれが道理であるのである。

なお、今回のこの「かも知れない随筆」は私がROMさせていただいているある掲示板への皆さんの書き込みに触発されたものであり、そこででは申し上げませんがここにお礼申し上げます。ありがとうございます。

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