随筆かも知れない

無碍光如来

10月11日

「自力」だからいけないということはないわけです。そもそも親鸞聖人に教えていただかなかったら、「他力廻向の信心」などということは、私が気づくなどということはなかったに違いありません。

仏ならぬ人間は、皆それぞれに欠けたところのあるものだと思われます。欲というと何か汚れたもののように受け取りがちですが、欲そのものとしては、ないものを補う、欠けているところを満たすということであって、願うということであるわけです。英語でも want といえば不足、欠乏、必要であって、だから欲しいと思う、願うということになるのだと聞いたことがあります。

人間は、ですから本能的に満たそうとし、欲を起こすものだということになると思います。求道ということも例外ではないと思います、つまり何かしらの「苦」に直面したときに興るとしてもそれは「縁」であって、その「因」は「欲」にあってすべての人間が本能的に持っているものであるのではないのでしょうか。

大乗ということは、逆からいえばだから成り立つのであり、また本願ということはすでに生をいただき今に生をいただき当に生をいただかんとするあらゆる人間の欲、即ち願であると言うことが出来るのではないでしょうか。

自力だ他力だと二つ別にあるのではないようです。他力のなかに「私」が自力を造る。「私」を信じて自力を尽くすところも実は他力のなかである。「私」を知らしめ、自力無効を徹底的に知らせて下さるのも他力である。

いったい「私」にとどまらない純粋自覚の「過去世」に何があるか、あるのはあらゆる「悪」ではないのか。「過去世」が見えない私であれば今を、今の私も見えない私であればまわりを見ればよい。自力で背負えるものがひとつでもあるのか。だからご本願が南無阿弥陀仏と顕れていて下さる。もとよりあるのは本願力ご廻向の南無阿弥陀仏ただ一つである。

人間の世界は他力ご廻向のお念仏の世界です。「自力」だからいけないということではなく、「自力」で救われようのない私だから自力ではいけないのです。あらゆる「私」の正体を明らかにお見通し(光明無量)であり、あらゆる「私」のいのちが根底に持つ願いを成就なさって下さった(寿命無量)無碍光如来のお働きである「お念仏」に依らなければならないのです。他のところに「安心」はあり得ないではないですか。


仏教(あるいは真宗)は今日的課題に応えていないではないかという批判は多くあるようです。日常生活のなかにも仏教の言葉がしみこんでいるこの国で、仏教がいままた非仏教化しているという批判として受けとめなければならないと思います。

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