随筆かも知れない

詮ずるに愚痴ですが

10月16日

どこかのお寺の掲示板に、インドを旅してこられた方が「仏教遺跡はひどい状態だ」というようなことを書いておかれました。そして、イスラム教徒は大乗仏教だけを破壊したのだろうかというようなことも書いておかれました。

いったいイスラム教徒に大乗・小乗の別、ヒンズー教と仏教の別があったのでしょうか。そもそもインドの仏教はイスラム教徒によって滅ぼされたのでしょうか。伽藍、仏像などのかたち有るものはいざ知らず、「教え」というものは「外部」から滅びるものなのでしょうか。

いつかも書いたように思うのですが、「教え」というものが滅びるのは常に「内部」からであると思います。小乗仏教は小乗であるがゆえに滅ぼされも滅びもしなかった。対して大乗仏教は滅ぼされたのではなく、内部から変質し、仏教でなくなった。つまり今のインドの宗教の主流であるヒンズー教に吸収されたというのが本当のところではないのでしょうか。

私は真宗門徒ですから今は道元禅師のことはさておかせていただいて、親鸞聖人以前のこの国の仏教はおよそ釈尊の仏教とはほど遠いものであったわけで、しかし今また親鸞聖人の教えを離れて非仏教化(非真宗化)している、しかも多くは「今日的課題に応えんがために」であると言えなくはないでしょうか。

「今日的課題に応えよう」とするときもどのような時も絶対にひと時も忘れてはいけないのはお念仏です。釈尊の本来の仏教は、ですから真宗は、すでにあらゆる「今日的課題」に根本的に応えているのであり、そこに起こる批判は非仏教化した仏教こそが仏教であるとするものであるわけです。お念仏の教えをいただく「私」が、お念仏に依るのでなく「私」の主観で応えようとするところに、真宗もまた非仏教化していきます。

大風呂敷を広げるようですが、この国は希有な国であるはずなのです。親鸞聖人、道元禅師を産んだ国なのです。その希有な国民性が失われて行くのと同時進行的にさまざまな問題が起こってきているように思われます。お念仏の教えにすでに解決を見ている(今日的)諸問題に対し、お念仏を離れて応えようとすれば、解決を得られないだけでなく、仏教が仏教でなくなると思われます。


後に「諸行無常」ということを「無常観」または「無常感」、「諸法無我」を例えば「無我の境地」などと消化吸収するような「仏教」の受け入れ方をしていった根底には、八百万の神をいただいている「純粋感情」があったのではないでしょうか。それが「仏教」を受け入れるに際して、いわば「既存の仏教的民族感情」として働いたのではないでしょうか。

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