随筆かも知れない

いのちである言葉

11月5日

「如来大悲の恩徳」という言葉は親鸞聖人にあっては確かに生きていた言葉です。我が身を振り返るとき、その言葉は喉にあてがわれた剣のようです。消えてなくなりたいような気がする一方、しかし、だからお念仏させていただく他にないのだと思うと安心も感じられます。不思議なことだと思います。

恩徳讃の「べし」は、あれはご開山は「意志・決意」で仰有ったのだろうか、ご自分に対して「命令」なさったのかもしれない。他力ご廻向ならばこそ「可能」であって「身を粉にしても報ずることができる」と解釈できなくもないけれど無理がある。

けれども間違いなく私にはご開山からの「命令」だろう。それはそれで有り難いことだと、いろいろと思いをめぐらします。そうしていると、お念仏というのは本当にただただありがたいと、また気づかせてもらいます。つまり例えば「如来大悲の恩徳」という言葉は私にあっては「瀕死語」なのであって、普通の言葉はそれを用いる人によって生きたりも死んだりもするのでしょう。

けれど、お念仏はまさに「お念仏」なのですが、言葉としてどうであるかといえば、誰のところにも生きてでて下さる。それ自体にいのちが宿っていて、そのいのちは人を選ばずいつも生きてでて下さる。その人のいのちになって人を生かして下さる。だから単に言葉ではない「お念仏」なのだ。そう思うと、本当にただただありがたいと思えてくるのです。


「恩徳讃」をいったいどれだけの人が我がこととしておられるのだろうかというようなことを不遜にも思ったりするのですが、その自分の無恥に、私はまたただお念仏させていただく他ないのです。

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