随筆かも知れない

称名

11月28日

自坊の報恩講で、晨朝勤行の後の「ご法話」を座談のかたちにしたのは先代住職の時で、三十年くらい前になると思います。今年は講師がご都合で出席されず、代役の私は座談が始まる前から冷や汗がたらりと背中を流れるような状態でした。おぼえている範囲で、今までにでた質問のなかで私が答えるとして最も答えに窮するに違いないのは、「アーラヤ識というのはどういうものですか」というのものです。

普段見慣れている顔だったからでしょうか、難しいことを尋ねてもダメだと分かっていて下さるからでしょうか、私とご門徒の方の話よりもご門徒の方どうしでの話がいつもより多かったように思います。座談のきっかけとして講師のご法話を一応ふまえた話を私が少ししたのですが、その内容だけに止まらないのは例年のことです。

今日のお講さんでは報恩講の「お浚い」をしました。報恩講の座談の続きのような話をしましたので、少し紹介いたします。

お念仏というレールを走る電車には「お浄土」行きと行き先が書いてある、その電車が駅に入ってきた。「お浄土行き」ということが分からない私に「その電車に乗りなさい」と教えて下さる方がおられて、乗りこんだ。教えて下さる方があるというのは本当にありがたいことです。

「『聞』と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを『聞』と曰うなり」。電車に乗ったのはいいけれど、乗った電車のなかでこの電車は何処へ行くのかと詮議し、不安になったりしているのが私ではないでしょうか。それでも電車は間違いなくお浄土へ着くのですから、そうするとその詮議・不安はいったい何なのでしょう。

私というものは、自分の足で歩いてお浄土へ行けません。その私がいる今ここがいつでもどこでもその電車の駅で、電車は来ていて下さる。さらにいえば私はもうその電車に乗せていただいている。詮議・不安は我執、電車のなかにいて落ちつきなくあちこちに目を奪われ、時には進行方向の反対側を向いてい歩き出しているのが私です。

仏さまの智慧のなかにありながら、見えるものだけがあるものだと思っているから自分の闇にとまどう私です。疑心といわないまでも不安があるのなら、吐く息の時に「なまんだぶつ」と称名念仏させていただくことです。そうすれば吸う息があることの不思議に自然と安心もいただけるのではないでしょうか。


疑心あることなければ、乗ったか乗っていないか、乗ったとしたらいつ乗ったのか、お浄土が終点か乗せていただいた電車がお浄土かは問題にはならないでしょう。称名念仏ということの意味を問い直さなければならないように思います。

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