随筆かも知れない

問われるもの

平成12年4月26日

「人間の歴史は『我(我執・我所執)』の歴史である。仮設された『私』のままに生きる私の現に離れられない我執・我所執の歴史であり、無始以来『穢土』を流転し続ける私の歴史であり、私の宿業である。」と、これは前回に書いたことです。

例えば、ものを言いたがる私の常として感情やあるいは理知によって他者を批判しますが、その時に問われているのは他者を批判する私です。私が問われるからこそ、私が批判しようとする他者によって私が批判されるわけで、そこでお育てをいただくのです。

あの時代の中であんなことを言っている人が、この時代の中でこんなことを考えている私を知らせて下さる。あの風土の中であんなことを考えた人が、この風土の中でこんなことを言っている私を知らせて下さる。「感応」というのはそういうことではないでしょうか。

私が問われ、私を知らせていただくことなくして、時間や空間を隔ててなお「感応」するということはないでしょうし、「感応」することがないのであれば恐らく人間の歴史に私の宿業を観ることはない。「穢土」が穢土ですらなくなると、そこにあるのは「地獄」ということになのでしょうか。

私の他のすべてが私にとって仏(諸仏)であり、諸仏のすべてが阿弥陀仏のみ名を称えておられる。そうして南無阿弥陀仏が現に今ここにあらわれて下さる。それは法爾であるのでしょう。私が問われることによって私の宿業を知らせていただく機のところにすでにはたらいていて下さる宿縁であったのです。そもそもが、この私一人を救わんがための阿弥陀様のご本願であるのです。


聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよえるを、おもいしらせんがためにてそうらいけり。(歎異抄、抄出)

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京都の五山の送り火は
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「じねん」と読むらしいです
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