随筆かも知れない

とわれるもの(2)

平成12年5月23日

「人間の歴史は『我(我執・我所執)』の歴史である。仮設された『私』のままに生きる私の現に離れられない我執・我所執の歴史であり、無始以来『穢土』を流転し続ける私の歴史であり、私の宿業である。それはつまりとりもなおさず如来の大悲の歴史であり、念仏の歴史である。」と、これは前々回に書いたことです。

いわゆる「過去・現在・未来」というふうに時間的順序で繋がれる三つの「時」を区別するのは確かに便利な方法なのでしょうが、例えば「わたしの未来は過去にある」と言わざるをえないようなことも起こってくるように思われます。

お念仏によって「私」を知らされる私にあるのは現在です。その現在のなかに歴史があります。歴史とは現在に顕現するいわゆる過去であり、また現在に収束していくいわゆる未来です。

その歴史にある一大事実とは何かと言えばご本願の成就です。だから別の言い方をすれば阿弥陀さまが南無阿弥陀仏なされるのが歴史であるということです。

「私」を知らされない「私」のままの私にとって、例えば歴史は教科書に書かれた文字であり、だから例えば「宿業」は個にとどまるのでしょうが、個にある宿業とは個にとどまるというそのことだけであり、宿業とは本来「私のままの私」を知らされるところに自覚させられる救われようもないすべての「私」の身の事実です。私が私のままでは決して救われることがないという事実を放擲したままに、いったいどれだけの時間・空間を空過した「私」が今現在にこの私となっているのでしょう。

阿弥陀さまが南無阿弥陀仏なされる歴史というものは、その救われようもない私のままの私をこそ捨てずに救いとって下さる事実の積み重ねです。いまだ救われない「私のままの私」の自覚からいえばどこまでも罪悪甚重煩悩熾盛ですからそれこそ救われないのですが、罪悪甚重煩悩熾盛と口には言いながら心で救いを計量するようなこの私一人をめあてにして下さるのが阿弥陀さまの大悲であり、それは私にとっては宿縁であって弘誓の強縁です。

自力根性を捨てられない私ですが、お念仏させていただくときすでにそのままの私でありながらそのままの私ではありません。現在のなかに歴史があり(宿業)、実には歴史のなかに現在がある(宿縁)のです。そもそも本来の宿業に行き着かない私に阿弥陀さまが呼びかけて下さっていたのです。


乃至一念に、もはや自力・他力の別はないのではないでしょうか。区別なく一如に帰するのが他力の他力たるお働きです。それでもなお自力だ他力だと論ずるのが凡夫の凡夫たる所以で、また過去・現在・未来と区別する未来のどこに不退の楽土があり得るのでしょう。

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