随筆かも知れない

今にある歴史

平成12年6月11日

阿弥陀さまは十劫の昔に正覚をとられ成仏なされたのであるが、理屈を言えば、法蔵菩薩さまの誓願は、この私一人が「救われない」ままでは成就しないものである。ご本願が成就しないならば法蔵菩薩さまは法蔵菩薩さまのままで阿弥陀さまではない。西暦で言えば2000年の今月今日のこの私が救われないならば、阿弥陀さまは私にはおられないものである。

阿弥陀さまの大慈悲は、ご縁をご縁とも知らず、お陰様をお陰様とも知らず、私のままでいる私を回思向道してくださり、法蔵菩薩さまの難行は私の口を割ってお念仏を申させてくださる。その一念のお念仏のところに、実はすでにして法蔵菩薩さまの五劫兆載永劫のご苦労があり、阿弥陀さまの十劫正覚の歴史があった。

機である私にとって、阿弥陀さまと南無阿弥陀仏(お念仏)との関係もまた「相依相待」である。阿弥陀さまがおられて南無阿弥陀仏がないということがなく、南無阿弥陀仏があって阿弥陀さまがおられないことがない。

私がお念仏申させていただくということは、阿弥陀さまが私の身を介して南無阿弥陀仏なさってくださるのであり、南無阿弥陀仏が阿弥陀さまの十劫正覚の歴史を証明する今現在のその一念に私が摂取され、いわば私が私ながらに私ではなく証道の歴史とならせていただくのである。

阿弥陀さまの救いは往生成仏、しかしながら私にあってはお念仏こそが救いであり、それは恵みであって詮議の要などなく、いただくばかりのものである。阿弥陀さまが南無阿弥陀仏なされる証道の歴史のなかに摂取され、私はお念仏を恵みとしていただくばかりなのである。


私が救われるのはお念仏させていただく「今」というときのほかにありません。その一念の度に、五劫兆載永劫のご苦労、十劫正覚の歴史が私にうまれてくださるのです。お念仏させていただく今に証道の歴史が展開し、だから現生不退であるのです。

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京都の五山の送り火は
今回は関西弁で


「じねん」と読むらしいです
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