随筆かも知れない

(無題)

平成12年7月3日

「乃至一念に、もはや自力・他力の別はないのではないでしょうか。区別なく一如に帰するのが他力の他力たるお働きです。それでもなお自力だ他力だと論ずるのが凡夫の凡夫たる所以で、また過去・現在・未来と区別する未来のどこに不退の楽土があり得るのでしょう」。これは平成12年5月23日に書いたことです。

そもそも「私」というものは他との関係性のなかで「縁起」しているに過ぎません。「私」があるのは因により縁によりあるのであって、因・縁によらずにある「私」はないのです。

例えば学校のテストでよい点数を取ろうと努力する。会社のなかでよいポストを得ようと努力する。商売の売り上げを伸ばそうと努力する。私たちがさまざまに為す「努力」ということも、実は「私」が私によって為し得ているのではありません。

努力に応じた結果が得られるとは限らないことを思えば、私が行う努力も私によって為し得ているのではないことは明らかでしょう。すべてご縁によって為し、ご縁によって為さない。努力をすることは尊いのですが、私によって為したと思えばたちまち傲りになります。

ご開山が「自力無効」と仰有るのは、何も仏道だけの話ではないはずです。そもそも「私」というものが因によってありご縁によってあるという自己認識でもあるのです。ご縁によってある私が私によって為すことは何一つなく、ご縁によって為すことは為し、為さないことは為さない。

すべてがご縁に値遇してのことであると気づかせていただくところに、生活が仏道になり、また仏道が生活になります。仏道のいかなる自力修行もご縁なくしては行えません。ご開山が仰有る「ただ念仏」ということは決して理屈ではないのでしょうが、お念仏のなかにすでにすべての自力修行も円満されてあると言うこともできます。


仮設である「私」にとっては虚仮である世間が「現実」であって、いまだかつて我々が満足したことのないそこは、やはり戦いの場であり争いの場であります。その「戦争」で我々が持つ「武器」が言葉であり、それによって組み立てられた理屈、理論です。あまりに重装備になると動きがとれなくなります。

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