随筆かも知れない

ある確認 第2回

平成12年8月16日

「ご縁のままにしか生きられない」ということは、私というものの本来の有り様を表す正確な言葉です。

ご縁のままにしか生きられないということを、自分の思うとおりに生きられないのなら何をしても無駄だということに結びつけるのは、自性する私を仮設する我執と我所執のままの「私」です。無自覚な私ということができるかも知れません。自分の思うとおりに生きられるのは無自覚であるからです。

ご縁のままにしか生きられない私というもの、本来の私の有り様を教えて下さるのが仏法でありお念仏です。しかしながら、お念仏申させていただいても、私がいるのはやはり虚仮といわれる世間です。その世間には世間なりの共通認識があります。「世間虚仮、唯仏是真」ということも世間の共通認識の一つである「言葉」によって語られています。

私が凡夫である所以の一つは、例えば「世間虚仮、唯仏是真」ということを世間の共通認識の範囲でとらえるということです。

私の知恵(=この場合、世間の共通認識)で仏法を解釈しようとすることは、虚仮の中から真実を選び取ろうとするようなものですから、選び取ったものは必ず虚仮なのですが、私の知恵で仏法を解釈することが間違いだとは思わないで「世間虚仮、唯仏是真」が間違っているとする(例えば、「仏法は生きる足しにならない」と思う)のです。

蛇足ながら付け加えると、私が虚仮を証人に真実の真実たることを証明しようとするとき、まず問われるのは証人が虚仮であるのか真実であるのかということで、現前する世間の正義は虚仮なのですから必ずそれが第一の問題となります。仏教の教えに導かれて社会的行動をとることは間違いではないでしょうが、社会的行動をとることが仏教の教えであると考えるのは間違いです。

ご縁のままにしか生きられないということは、つまりまったくの自力無効ということです。本願他力に生かされているということです。

自覚のない私がいかに自力ではからおうとも、いかに善悪正邪を分別しようとも、それがまた自力無効を私に自覚させて下さるのが絶対である他力、他力本願の摂取に与ればご縁のままにしか生きられない私ながらにまたご縁のままに生かされます。


「空」ということを説かれた龍樹菩薩が世俗諦・勝義諦ということを仰有った背景に何があったのかは学問もしていないので知りませんが、こういったことが説かれなければならない状況があったということは推し量ることができます。

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