随筆かも知れない

感想文

平成12年10月11日

宇宙と言うと大げさですから世界と言うことにしますが、私が認識できる世界があるがままの世界、世界そのものでないのと同様に私が認識できる私もあるがままの私、私そのものではありません。

私が私を認識するときに私というフィルターを通しているという自覚は、私が世界を認識するときに私というフィルターを通しているという自覚ほどには強くないように思います。主観の私と客観の私とのあいだには、名付けるべき適当な名前のない何かがあります。先人がすでに名付けておかれるのを、私が知らないだけのことでしょう。ともかくも、私が世界を知らない以上に私は私自身を知らないということは確かだと思います。

回され帰されるべき私が私であって、その私が知り得ない私を私とは言わないのでしょうが、他力とは、私が私の知り得ない私へ回帰しようとする働きであり、本願とは私の裡にある私の知り得ない私に還りたいという、私が私である以前からの私の願いである。―――こんな事は私のペテンが作り上げた妄想なのですが、「真宗の眼目」を読み、ようやく三度目の掲載にかかった今の私の感想がこんなようなものであるのは事実で、それをここに書き留めておくのもおもしろいかと思うまでのことです。他に意図などはありません。

私(または人間、あるいは衆生。以下同じ)は実にはそこから法が抽出されるところの「諸行」というあり方で法とともに法のままにあるもののひとつであるわけで、「諸行無常」ということは「諸行」と別にあるのでなく、「諸行」のなかからあきらかになったことであり、「諸行」をあるがままに観ることのできる智慧によって初めて語られたことです。

教主世尊は、教主として世に出ましたのでなく人間ゴーダマとして誕生され、正覚を開き仏陀となられたところがまず教主なのであり、仏陀シッダールタ(=目的を達成したもの)となられるについてはやはり修定・苦行の否定という転入(というべきこと)があったようですが、正覚を得た時すでに「仏像」のような姿形に変わっていたということもなく、まして世界が変わったのでもありませんでした。ものごとのあるがままの姿、あり方のそのまま、そのもののそのものたる所以(因というべきか?)があきらかになったということです。

それは阿弥陀仏が南無阿弥陀仏なされるのと相似形です。阿弥陀仏は衆生の救われるべき法を成就して下された、そこをもって救主と申し上げるのでしょうが、他ならない阿弥陀仏も南無阿弥陀仏によって仏である。法蔵菩薩としての難行は、すでに他力としてはたらいていて下さる南無阿弥陀仏を衆生に自覚させんがためのものであったのですが、自身が南無阿弥陀仏のなかに転入されたところに本願成就があり、転入というダイナミズムの終極が本願成就であるとも言えます。

浄土真宗(教え。以下同じ)は親鸞聖人が開かれた、いや、法然上人が開かれたといろいろに議論されますが、誰によっても開かれていません。浄土真宗は南無阿弥陀仏の歴史を浄土真宗と言うのであって、私が私の知り得ない私に回帰していくところにすでに開かれていたものです。親鸞聖人が聖人ご自身知り得なかったご自身に還られたとき、親鸞聖人にあってはご自身の(三願)転入を経て第十八の願に帰されたとき、すでに法然上人をはじめとする七高僧、釈尊、法蔵菩薩が浄土真宗を証明なさっていました。あらゆる衆生が、五逆・謗法の人までが、むしろ五逆・謗法の人こそが証明していました。

浄土真宗は、お念仏をいただくということです。お念仏いただくとは、私の裡にある私の知り得ない私に還りたいという、私が私である以前からの私の願いによって、私が私の知り得ない私に回帰し、願いそのものに還るということです。すでにして南無阿弥陀仏によってある私が南無阿弥陀仏の歴史になるということです。


浄土真宗は浄土真宗自体の裡に(三願)転入の歴史を持ち、すでに第十八願に帰しているところが浄土真宗であるという洞察が親鸞聖人によって初めて為されたことをもって浄土真宗は親鸞聖人が開かれたと言うこともできます。つまり、なるほど私には宗派だ自力だ他力だという区別も分別もあって、それがしばしば議論の対象にもなるのですが、念仏は、念仏としては他力の発遣の外になく、他力の回向が念仏のすべてである、そのことを感得されたのが親鸞聖人であったという事実を重くみるなら浄土真宗は親鸞聖人が開かれたと言うべきだとは思います。他ならない親鸞聖人ご自身は南無阿弥陀仏の歴史を浄土真宗とされています。

最新の掲載へ  101回からの掲載へ

以前の掲載一覧
100 自燈明
99 (無題)
98 (無題)
97 不信にあらずや
96 大地
95 教訓
94 名宛人不明
93 具体
92 益・無益
91 大自覚
90 出来た人
89 お講の風景
88 いわずもがな
87 放言-3
86 放言-2
85 放言
84 宿業
83 不可思議
82 不思議
81 自我と我執
80 慚愧
79 報謝
78 感想文
77 余計なお世話
76 ある確認-3
75 ある確認-2
74 ある確認-1
73 (無題)
72 今にある歴史
71 とわれるもの(2)
70 問われるもの
69 証道の歴史
68 そのうえの念仏
67 中中おろかなり
66 大悲無蓋
65 無生の生、往生
64 「おめでとう」
63 称名
62 救い
61 いのちである言葉
60 信楽受持甚以難
59 家族の真宗
58 詮ずるに愚痴
57 無碍光如来
56 光明無量
55 非行非善
54 仏法聞き難し
53 (無題)
52 さるべき縁
51 いそぎ仏になりて
50 遺伝
49 無生
48 構造
47 迷い
46 (転載)
45 奇妙な反省文
44 現在
43 念仏、お念仏
42 (無題)
41 お聞かせ
40 謝すべし
39 相続
38 自縄
37 我が身
36 立所
35 心の向かうところ
34 不可説
33 個性
32 癒し
31 (無題)
30 ただ称える
29 輝く
28 有量
27 光と闇
26 深い闇
25 ただ一つ
24 離れる
23 意味の奥底
22 梅の花が
21 念ずる方向
20 穴の中
19 罰があたった
18 掌を合わす
17 悪人たる所以
16 極点に立つべし
15 大海
14 奇妙な酔っぱらい
13 ばあちゃんの避難訓練
12 無智
11 芸術の秋
10 仮想現実
日本教
ベクトルでもない
転んだら立ち上がれば...
京都の五山の送り火は
今回は関西弁で


「じねん」と読むらしいです
HEAVYってどういうこと?

かも知れない検索
(別窓で開きます)