随筆かも知れない

報謝

平成12年11月5日

清浄なる仏願が、いわば親の元を離れて彷徨う私のこの今に成就しないものであれば、「仏恩」とは、「報恩」とはどういう意味を持つのでしょう。真宗が「仏恩報謝」ということをいうのは、どういう理由からになるのでしょう。

死後に実体としての「浄土」を夢見ていて、今のことはあきらめるけれども、せめて死んだらお浄土へ連れていっていただきたいと思っているのであれば、生きている今、「仏恩」とは実に曖昧なものであり、「報恩」とは口で言うだけのものになりはしないでしょうか。

お念仏申す者を死後にお浄土へ連れていって下さる。それが仏さまのお約束であって、そこに私たちの報ずべき恩がある。そのお約束を確かなものと信じることがいわゆる信仰なのでしょうか。人間というものは、いまだいただかない果をご恩とし、そのご恩に報いようとするものなのでしょうか。覚者たる法蔵菩薩の人間をみる眼は鋭く厳しいものであったのではないでしょうか。

決して死後の浄土を夢見ているとは思っていない私も、さて、いったい「仏恩」ということ、「報恩」ということ、「仏恩報謝」ということが分かっているのか、まったくあやしいものです。それが謙遜などでない証拠は、いくらでも思い当たる節があります。

「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたまえり」とは救われた者にしてはじめて言えることであり、同様に報恩ということ、仏恩報謝ということも、救われた者が救われてあるがゆえに日々の暮らしのなかのすべてが自ずから報恩であり仏恩報謝であるということなのでしょう。

「一生の間に一度でよいから円まっこい念仏が称えてみたい」という意味のことを曽我先生は「真宗の眼目」のなかで仰有っておられました。この円まっこい念仏と仰有っているのがご恩報尽の念仏、仏恩報謝の念仏ということなのでしょう。

いつになっても念仏はもうされません、その私をこそ救わずにおかないとお誓い下さる仏さまのお救いがお念仏で、救われたところにあるのもまたお念仏です。円まっこい念仏とそうでない直線的な念仏があるのではなく、念仏はすべてが円まっこいのですが、私がお念仏すれば直線的になるだけのことです。そういう私がすでに円まっこい念仏のなかにおさめ摂っていただいているということに気づかせて下さるのも、お念仏の外にありはしません。


生かされてある今に救われる道を指し示して下さるのが真宗です。だから、仏恩報謝ということもまた具体的なるお念仏のほかにありはしません。まったくとりとめのない文章になってしまいましたが、確かめたかったのはだいたいそういうことです。

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