随筆かも知れない

宿業

平成13年2月16日

善が善として悪が悪としてあるのであれば、あるいは私たちも善と悪とを知ることができるのかも知れません。しかしながら、ご縁の世界で生起する物事はすべて本来的にそのもの、そのこととしてあるわけではないのです。ですから、善悪は私たちにとってまったく知り得ないものです。

例えば最近の新聞記事を読んで「善悪の判断ができない人間が増えている」と嘆く人は、道徳や社会通念での判断を言っているわけで、その人に向かって「善悪は私たちにとってまったく知り得ないものだ」と言ってみても話はかみ合いません。では、宗教的善悪と道徳的・社会通念的善悪は区別されるべきだということになるのでしょうか。


区別されるべきであるとするのは19願、区別されるべきでないとするのは20願、18願はどう仰有るかといえば「善悪は宿業であり、私たちにとってまったく知り得ないものだ。」と仰有る。ややこしい話は別としてだいたいにおいて、こんなふうに思っているのです。

「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」
(歎異抄13、抄出)

宿業のままの私であるという自覚がなければ第18の願は「自力」としかいただけない。善悪の宿業たる自覚をもって初めて「他力」の発見があり、その善悪の宿業たる自覚を促すのもまた「他力」であったのである。「本願・他力」に値遇するのも宿業によってであればこそ、宿業のままの私としてあるすべてのものがご本願、他力ご回向に救い摂られる。それを宿縁という。

宿業ということは自業自得の道理である。自果から自因を見いだす道理である。道理とは自覚の有無にかかわらず働いていてくださるもの、だから宿業のままの私が機であって、ただもう「本願を信じて念仏もうさば仏になる」、「他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」。


「一生のあいだ南無阿弥陀仏の一称もなかった人も救われるのか」という問いの何と愚かなことでしょう。そんなことを問うていた私に、それこそが本願を疑う愚かなことだったと思わせてくれたのは「宿業」という言葉であったわけです。それにもまして愚かなことは数知れず行っている私であるのですが、お念仏に帰らせていただいているのです。まったくお陰様、加えて曽我先生、ありがとうございます。「本能」という言葉の意味も教えていただけたように思っています。

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