随筆かも知れない

具体

平成13年9月4日

遇い難い仏法、お念仏の教えに値遇し、お念仏申させていただく。その一称一念のお念仏も私の称える念仏ではない。阿弥陀さまの具体的現行が南無阿弥陀仏、称名念仏であり、その一称、その一念が具体的なものである。それだけが真実であり、その真実が私に生まれてくださり、その用によるところに、はじめて自覚がある。無明のなかに生きる私であり、虚仮を虚仮と知らない私の自覚である。そこに機たるわたしがいる。

こういったことを私たちの方から言う時、我が身の事実を知らせていただく一称一念に阿弥陀仏が体を具し、浄土が体を具すると言うことになるのだろうが、それは本願念仏を抜きにした阿弥陀仏、浄土ということと常に紙一重であるように思える。如来回向の本願念仏を抜きにすると、お念仏の教えは所謂付きの「具体的」になり、分かり易い。

私たちが「具体的」と言っているものは、虚仮の中で体を具するのであり、当然の事ながら「私の作る虚仮の世界」の公倍数とでも言うべき現実のなかでは理解しやすく効も用も大きい。それがどうのこうのというのではない。ただ、真実だけが虚仮を虚仮と知らせて下さるのであり、私たちは私自身が虚仮不実の身であることをどこまでも深く知らせて下さる真実の教えに遇い難くして値遇したのではなかったのだろうか。

仏法(あるいは「お聖教」)とそれに値遇した私の自身に対する自覚が持つ意味と、それらが一味であると判断するのも別であると判断するのもどちらも間違いである。「具体」ということを考えていて、そんなことを思った。


盂蘭盆経を読んだことはありませんが、倒懸ということは、あるいは目連尊者ご自身の心の有り様の象徴ではないかと思ったりします。少なくとも、虚仮の世界に身を置く私自身の思いのすべては「逆さま」に違いないのであって、だからお勤めするときも、ついつい頭の中にうろ覚えたお聖教のお言葉を経本を見て確かめるようなお勤めをしているんでしょう。



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