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このカテゴリに掲載しました文章は、一部管理人の「感想」のようなものをまじえたものがありますが、すべて曾我量深師講述記においてある『真宗の眼目』『行信之道』『親鸞の仏教史観』からの抜粋です。

曾我先生の言葉をたどりたいと思われる方は曾我量深師講述記をご覧下さるのがよいかと思います。

第2講関連「金子大榮師挨拶」-6 (9/28)

ここに壇に立ちました私は先生の教化の恩には、おそらく最も長くお世話になった者でありましょう。そうして先生の心境が解らないということにおいても、悲しいことでありますけれども、その最も解らずやの一人なんであります。そのために先生をして不遇の位置にいたらしめたという罪を犯しはいたしましたけれども、まだこれで先生の恩を報じたというだけの、何ものをもしておらないのであります。しかしそういう因縁で今日も、私はこの会に対告衆(たいごうしゅう)阿難として、列席させていただくことを得たことになったのであります。その対告衆阿難という心持ちにおいて、こうやって多勢御来会くださいましたみなさんに、心から感謝を致します。遠いところは北海道より九州の方からおいでくださいました。また近いところでも出悪いところを出てくださいまして、この先生のお話を私どもまのあたりに聴かしていただくことになったということは、ひとえにみなさんのご熱心のしからしむるところと、まずもってご来会のみなさんに深く感謝致します。

そうして先生に対しましては、今日お集まりの方はみな少しも外の心はない、ただ純粋に真の道を聴きたいという、それだけの心をもって集まっておられる方ばかりであるということを対告衆の格をもって申し上げて、心置きなく、顧慮するところなく、思うままにそのご会得なされておられるところの仏教史観についてお話くださることをお願いいたす次第であります。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶おわり)

第2講関連「金子大榮師挨拶」-5 (9/27)

仏教には変易生死と分段生死という言葉がありますが、あの二種の生死という言葉はどうも解りませんかったのですが、今度先生の開会のご挨拶をするということについてふと思いついたのであります。平凡な人間はなるほど分段生死で、あの人は生まれた、そうしていろいろなことをやって死んだ、というよりほかに一生涯はないのである。変易生死はその思想の展開するごとに、その体験の展開するたびごとに、この肉の命は終わらなくてもその人の本当の意味の生というものが何遍も変わって行くということでないであろうか。で、その多くの変易生死のうちにおいて六十年というものが一期をなして、六十年がその前期であり、六十年以後がその後期であるということは、古今東西の思想的な生活をせられた、精神的の生活をせられた人の跡を見ても、大抵そういう風になっているようであります。そうしてその前六十年が六十年以後の生活の準備をなし、そうして六十年以前のものがさらに洗練され純化せられて現れて、殊に間違いのないものが六十年以後に現れているようであります。

先生は非常に健康でおいでになりまするし、元気はますます旺盛でおいでになりまするからして、いわゆるこれからお入りになります第二生の誕生に当たって、ここに先生の獅子吼を願って、われわれはみな前生、すなわち前六十年の宿世の善友として、さらに第二生の御説法を聴こうという心持ちでこの会を開いたのであります。

で、時代はいろいろの意味において、本当に導くところの人を要求しているのであります。われわれはみんな戸惑いをしており、どうしてよいか解らないのであります。この際、第二生に入ろうとせられまする先生をわずらわせまして、そうしてここでさらに勢至菩薩的な大獅子吼をしていただき、思うままにお考えを発表していただいて、そうしてわれわれ冥闇の道を開いていただきたいという考えから、この会を開いた次第なんであります。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)

第2講関連「金子大榮師挨拶」-4 (9/26)

『観無量寿経』を読んでみますと、勢至菩薩が行じ給う時には大千震動すということでありますが、今日までの先生の歩み方を見ますと一歩一歩が時代を動かし、そうして時代を作ってこられたのであります。いったい先生のようにあまり世に知られない、そうして社会大衆に歓迎されない人を捉えて時代を動かしてきたというようなことを言うのはあるいは異様に感ぜられるかも知れませんけれども、古往今来本当に時代を作り時代を動かした人というものは、決して世に時めいた人でなかったはずである。決して大衆を踊らした人でなかったはずである。むしろ世に容れられなかった人が事実としてその時代を作り時代を動かしてきているのであります。それと同じ歩み方を先生がしてこられたことは、おそらく少し眼を転じて物の裏を見ることのできる人であるならば、まさしく明瞭な事実であるということを承認せられるであろうと思うのであります。今日、教界においてものを言うている人がみな信順を因とし疑謗を縁として、信順の形であるか疑謗の形であるか、何かの形において先生の考え方の影響を受けておらぬ人間はいないと言うて差し支えないでありましょう。そういう点は少し見えない方面を見、現れない方面を見る眼を開けば、殊に明瞭なことである、と私は思うのであります。

で、私個人としましても大変に教えの恩によっておりますし、また教界といたしましてもそういう意味におきまして、巨人の歩みをしてこられましたこの先生の還暦に当たりまして、ここで思い改めて長い間の恩を感謝するということがまず第一にこの会の趣意であるのであります。しかしそれだけならばまだ別の方法もあったでありましょう。けれども、こうやって会を開いて、そうして先生のお話を聴こうということになりましたのは、単に過去の先生の恩を感謝するというだけでなしに、私どもがこれからの先生の未来を期待して...大体東洋におきましても西洋におきましても、偉大な人はこの人生を大抵二生、もしくは三生を経ておられるようである。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)

第2講関連「金子大榮師挨拶」-3 (9/25)

きょう私は記念会であるということによって、あえて先生の徳を数え上げようとは思いません。いたずらに美徳を並べるということは、並べる方では尊敬するつもりであっても、事実としてはかえって貶∧おと∨すことになるおそれがあるでありましょう。私は先生の人格は世の中の人々が様々に言うている、そのあらゆる見方がみな本当のものであるようなお方である、こう思うのであります。ここにおられる方(先生)は最も謙遜なお方であると同時に、最も自ら高い誇りをもっておられる方であります。最も情熱の強い人であって、同時に最も理性の鋭い人であります。先生の眼から見れば、あらゆる思想家はみな理知に捉えられているに過ぎないのであります。先生の情熱から見れば、多くの人の感情は要するところ感傷に過ぎないのであります。それだけ情熱が強く、それだけ理性も高く、一面から言えば超常識的であり、そうして極めて常識的である。またある意味におきましては極めて内観的であり、それでいて、また、世の中のことを、社会のことを本当に明らかに知っておられるということは、この人に接した大抵の人は皆知っておられることであると思うのであります。

かつて先生の書かれました文章の中に思い出した言葉があります。宗教的人格論というものを書かれまして、その中に、宗教的人格というものは「足は無間の底を踏まえて頭は非想非々想の上に出づる」という言葉があります。それは今日から考えてみると、おそらく先生の自画像であったのでしょう。だからして世の中の人は無間の釜を踏まえている足下だけを見て、先生は随分やんちゃな人だ、というようなことを言う人もありましょう。時には非想非々想の上に出ている方ばかり見て、どうも思想の深遠な人である、というようなことを言うでありましょう。けれども何にせよそういう巨人なんですから、われわれはそれを一括してこういう人であると言うことはできない。しかしながら決してそれは複雑ということでなくて、極めて単純な、極めて素朴な精神に統一されて、それだけの生活とそれだけの性格とをもって体験されたものが、われわれに与えられているのであります。

で、その今日まで歩いてこられました相を思いますというと、私はいつでも勢至を思うのであります。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)

第2講関連「金子大榮師挨拶」-2 (9/24)

そうすればそれを裏返しにいたしますれば、本当に自分を教え、自分の行くべき道を指し示してくださるところの人に出遇った、そういう人のおられる時に生まれ合わせたということは、われわれにとって最上無上の喜びでなければならんのであります。今日記念会を開きましてお話をお聴きしようと思っております先生は、私にとってはそういう意味のある先生である。それは来会の皆さまにとっても同じ感じをもっておいでになることであろうと思うのであります。

もし先生がお出にならなかったならば、われわれは本当に仏教というものを理解することができたかどうか、本当に浄土真宗というものを自分の身につけることができたかどうかということを思ってみますと、もし今日生まれ合わなかったならば、おそらく私どもはこの長い間の仏教の本当の伝統の精神をただ因襲のままで受け取っているか、あるいはどうしても受け取ることができなくて迷うているか、どちらかに終わったであろうと思うのであります。それが仏祖の精神というものを本当にその一分でも受け取ることができるようになったということは、これは何と申しましても先生が出られました同じ時代に生まれたところの私どもの幸福でありましょう。

その伝統の仏教的思想は申すまでもなく先生の体験によって明らかにせられたものである。「伝承と己証」という題目はしばしば先生のお口から聴いたことでありますが、その伝承の伝統的精神は、先生の己証を通して、体験を通して私どもに伝えられたのであります。その体験というものも、言葉で申しますればただ体験でありますけれども、おそらく体験という言葉は、先生御自身にとっては一生涯の心血であり、ただ口や言葉で言い表したのとは全く内容の違ったものであるに違いないのであります。つまり先生の人格、生活というものをもって聖典を読んで伝えてくだされたのでありますが、その生活、あるいは人格というものは一体どんなものであったであろうか。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)

第2講関連「金子大榮師挨拶」-1 (9/23)

発起者の一人として後来会のみなさま方に挨拶のお言葉を申させていただきます。

この記念会を開きました趣意は、世間一般の常識であります還暦の祝賀ということに事寄せまして、私どもが長い間お世話になりました先生のご恩を改めてここで感謝致し、同時にこれから私どもの進み行く道について、さらに一層の教訓を仰ぎたいという考えからにほかならんのであります。

私どもがこの世に生を受けまして、よい時代に生まれ合わせたという言葉を使うことができるとしますれば、そういう時代は必ずしも四海波静かにして、春は花、秋は紅葉と享楽することのできる時節に生まれたということではありません。また教育が普及し交通機関が便利になりまして、いわゆる文化的の施設を思うがままに受け得るということでもありません。そういうことも私どもがよい世の中に生まれたということの中に数えることはできるのでありましょうけれども、しかしながらいずれ五濁雑乱の世であり、悩みの多いこの世界におきましては、そういうことだけで心の底から本当によい時代に生まれたということはできないのであります。

ただ私どもが本当に心の底からよい時代に生まれ合わすことができたということができるとしますれば、それは本当に自分を教えてくださるところの明師に出遇うたということ以外にないのであります。この喜びはおそらく人間が経験し得る限りの最上の喜びであります。そういうことは、もしそうでなかったならばということを思ってみればすぐ解ることであります。釈尊がお生まれになりました時に、阿私蛇仙人がその生まれられたばかりの悉達多太子を拝したてまつりて涙を流した。浄飯王がなぜに泣くのであるかと尋ねられました時に、このお児さんは大きくなられたら世を教ゆるところの法王になられるのである。しかし自分はその年まで生きていることはできない、せっかく人間の導師である方の出世に出遇いながら、その教えを聴かずして先立って死ななければならないということを考えますと、とても悲しいことである、と申し上げたということであります。おそらく人間が経験し得る悲しみの中でこれ以上の深刻な悲しみはないでありましょう。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)

親鸞の仏教史観 第5講-16 (9/22)

だからこの自性唯心と定散の自心という二つを二人の人に分けて見るという見方も一応道理であるけれども、私はむしろそれを一人の人について見たならばどうであろうか。これは自分の一つの見解であるのであります。自性唯心と定散自心というのは二つ別の方向に傾いているのだとも言われるし、また一人の人の自分の信念というものの一つの内省においてその二つというものが同時に成立する。そういうことが考えられるのでなかろうかと思うのであります。

かくのごとくして親鸞は、行巻の上に名号展開の歴史的事業、その歴史的事業というものにおいて、直ちに自分の信念の歴程、自分の己証の安心の歴程というものを示したのがすなわち信巻というものであると思うのであります。

親鸞によりますと、われわれの真の仏道の自覚は念仏の歴史の中にあって、しかもこの事業に参加していくことであるが、歴史の中にあるもののみが本当に歴史に参加し得る。こういうことが親鸞の歴史観、すなわち親鸞の『教行信証』の安心である。つまり象徴荘厳成就の南無阿弥陀仏の中に純一無雑の願心の南無阿弥陀仏を見い出してきた。南無阿弥陀仏の法の歴史の中において、南無阿弥陀仏の超歴史的己心の安心を見い出した。

おもうに念仏を正信するということは念仏伝統の歴史より生まれて、念仏の世界において、念仏の歴史を超えて、かえって念仏の歴史を作り、念仏の歴史の不滅の法燈を証明する事業であります。観仏三昧の称名のごとく、本願成就と没交渉に、単に完成せる名号を詠嘆することではないのであります。

まことに南無帰命の如来招喚の勅命に、連綿たる念仏伝統の歴史を超えしめられ、それは法爾自然に否定せられて、私どもはまさに法蔵菩薩発願の初一念に立たしめられ、ここに新たなる真実の念仏の歴史はまさに創(はじ)められる。かくしてわれらは凡夫のままに不退の位に入り、諸仏の家に生まれたのである。かくしてわれらはやがて念仏伝統の歴史の諸仏の一位を占めることになる。真実に流れを汲まんものはすべからくその本源を尋ねなければならない。ここに初めて正信の自証がある。

もはやまったくお話ができないほどに疲労を感じますので、これでこの講演を終わらせていただきます。講演を終わりますに当たりまして、私はこの会を主催してくださいました興法学園の諸々の同人諸君、ならびに興法学園同人諸君の企画に賛同してそうしてこの会を成立して、同人諸君の志願を満足してくだされまして、三日間、はなはだ散漫な講演を始終静かにご静聴くださいましたことを深く感謝いたしまして、この講演を終わることにいたします。

(親鸞の仏教史観 全講おわり)

親鸞の仏教史観 第5講-15 (9/21)

こういう具合に述べまして、それからしてその当時、その時代の人々の安心というものが諸仏伝統の道というものを無視して、ただ、自性唯心、すなわちいわゆる独断論独我論、伝統の歴史的必然というものを無視したところの、ただ個人勝手の小我論的自見的な己証であります。そういう勝手突飛な己証の安心を自性唯心というのであります。自性唯心というのは、独りよがりであり、独我的独断論である。独我論というものはいかにも自分にはめでたくおさまっているようだけれども、そこに何か知らないが落ち着きがない。つまりその人自身が非常に驕慢得意になっている。得意になっているようだけれども、公平謙虚の求道心を欠乏するために、深い自覚的確証なく、何となくそわそわとして若存若亡(にゃくぞんにゃくもう)である。すなわち「定散
の自心に迷うて金剛の真心に昏し」と、この「自性唯心に沈んで浄土の真証を貶(へん)す」と、これが二種の別の人だと解釈するのも一つの方法である。

古来みなそのように見られていたけれども、思いますに、これは一人の人の上にもまたこの二つが同時に成り立つものでなかろうか。その人の主観的自覚におきましては自性唯心である。独りよがりであり、独断論であり、独断的信仰である。証において独断的自証は、信の立場から見ればただ一つの定散の自心である。独りよがりはふらふらである。ふらふらであるから独りよがりをしなければならない。ふらふらでない者に独りよがりをしなければならない必要がない。だから独りよがりができるということはいかにも偉そうではあるけれども、独りよがりをしなければならない必要がある。そういう要求をするということは、その人自身において心がふらついているためでなければならない。すなわち、定心と散心との間にふらふらした未決のところがある。いわゆる若存若亡である。定心というのは若存であるがごとく、散心というのは若亡でなきがごとし。信仰があるようにもあり、ないようにもある。独りよがりができるということから言えば、信念があるようである。独りよがりをしなければならないということから見れば、信念がないようである。それを定散の自心と名づけるのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-14 (9/20)

ひるがえって行巻の結論、諸仏称名の願の最後の証明たる『正信偈』には、冒頭、

帰命無量寿如来  南無不可思議光

と。これすなわち伝統の歴史である。伝統の歴史の宗要であり、それの全体である。仏教歴史の体であるとともに、それがそのまま親鸞の安心の表明である。すなわち親鸞の安心の帰依体である。すなわち正信念仏ということは、正信し念仏するとも言い、あるいは念仏を正信するとも言う。だから、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」こう寿命と光明、この二つの名号を掲げました、そこに伝統の歴史の体を掲ぐるとともにそれがそのまま親鸞の己証の安心、安心の体をそのまま掲げたのである。こういう具合に、たった一行の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と、言葉に二つの意義をもたせているのであります。

そうして親鸞は、

法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、

と、ずっと述べまして、そうして、『大無量寿経』によって『大無量寿経』の大綱を掲げまして、それから『大無量寿経』流伝の歴史というものを七祖の伝統というものに求めまして、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空、七人の祖師方の教えというものをずっと半分に述べて、一番最後に、

道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし、

「唯可信斯高僧説」、このように行巻を結んで、そうして直ちに第十八願によって真実信の巻というものを開顕しまして、そこにさらに信巻特別の序分というものを掲げてあります。これは親鸞が行巻に並べたところの伝統の歴史というものは、そのまま親鸞の救いの己証である。そういう意義を明らかにしまして、その七祖伝統の歴史に即して親鸞自身の己証を深く掘り下げ、そこに深重なる因位法蔵菩薩の願心を明らかにし、信楽開発の淵源を明らかにするものはすなわち信巻である。だから親鸞は信巻というものを開顕しますところの理由を明らかにするために、その信巻の初めにおいて別序というものを掲げているのであります。

それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。

と、こういう具合に述べてあるのでありまして、この如来選択の願心、行巻において三経七祖の伝統というものを聴聞して、それにおいて如来選択の願心というものを明らかにした、その歴史的体験の意義というものは何であるか、かくして彼は如来選択の願心の内面を描き出そうと企てたのであります。そこにわれらの正信、それの正信たるゆえんの原理を決定せしめられるのである。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-13 (9/19)

諸仏の称名は水に画ける文字でなく、金剛に彫刻せられたる不磨の文字である。如来の本願をして永遠に生命あらしむるゆえんの無上の方便である。常に名号をもって衆生を招喚し、信心を開発せしめて光明海中に摂取したまう。これ六字名号の歴史的意義であります。単なる阿弥陀仏には歴史がない、南無阿弥陀仏において歴史がある。まことに六字名号には、南無を主とすれば法蔵菩薩の発願修行の因位を摂し、阿弥陀仏を主とすれば十劫正覚以後釈尊七高僧伝統の果上の歴史を摂し尽くす。それは単なる阿弥陀仏の観想でなく、遍法界(へんほっかい)の歴史が一時に現在して称名の叫びをあげる。しかしながら第十七願は主とするところは果上の歴史である。さらに一層深く名号の淵源、本願の秘奥としての形なく因位を開顕するは、まさしく第十八の王本願に帰入しなければならない。第十七願開顕の行巻は善導大師の六字釈のごとく、如来因位の深重なる発願回向の願心を念ずるによって、「即是其行」の果上体験を示すを目的とするが、第十八願を開顕する信巻は、善導大師の『観経』三心釈(さんじんしゃく)によって、名号の体験を通じて、深無底の法蔵菩薩因位の先験的心境を思念推理せられたのである。今特に先験的心境と言うけれども、もちろん果上体験によって映し出された境地である。

まことに第十八念仏往生の本願を念ずれば、

たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。

(『聖典』十八頁)


この世には、初産の妊婦が切にいまだ見ない胎児を真実にわが真実の家の子として、絶対完全に産み出そうとおもう切なる祈りの心境をもって、いささかこの本願の一端を推知し得るであろうか。けだし法蔵菩薩は十方衆生を妊(はら)める南無の位であり、阿弥陀如来はそれをまさに産みたる阿弥陀仏の位である。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-12 (9/18)

単なる果上の阿弥陀仏、四字名号は自性唯心の観仏の個人行にすぎず、因願をまっとうしたる因願酬報(いんがんしゅうほう)の真身の阿弥陀仏は南無阿弥陀仏の本願念仏の大行によってのみ体験せしめられる。真実果上の阿弥陀仏を見んとするならば、すべからく従果向因して因位本願を内観しなければならない。因位の本願は帰命の一念において本願招喚の勅命を聞かねばならない。この帰命の招喚に接することは、まさに因位の六字名号を先験せしめたまうことによって、ここに直ちに果上の阿弥陀仏を明証する。これすなわち願成就の経文に「聞其名号信心歓喜」の信心成就の一念に、本願の欲生心を成就するがゆえに、「即得往生住不退転」の現証を得ると説きたまえるゆえんであります。

『教行信証』行巻は、ゆえに単なる観仏的称名でなくして、真の如来本願を憶念するところの念仏的称名である。真実の本願酬報の尽十方無碍光如来の名を称するのである。ここに六字名号がある。ここに「即是其行」がある。ここに「聞其名号信心歓喜」がある。ここに「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、能く速やかに功徳大宝海を満足せしむ」がある。ここに「彼仏今現在成仏、当知本誓重願不虚、衆生称名必得往生」がある。したがって、それは単なる所信の行ではなく、まさしく所証の大行であり、正信念仏をもってその帰結とするのであります。これが六十行の正信念仏偈をもって行巻が満了するゆえんである。存覚上人によれば、正信念仏とは「所行の法に就(つい)て能信の名を挙ぐ」と釈した。まことに卓見と言うべきである。けだし、所行の名号の伝統の歴史において、信ぜざるを得ずして信じ得るの道理を明らかにするのが正信念仏の意義であり、第十七願の諸仏称名の願はここ正信偈百二十句の完成によって願成就を証験せられたのであろう。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-11 (9/17)

私は昨日、『大無量寿経』に先立って本願あり、本願に先立ってすでに名号があると申したのでありますが、これはすなわち「阿弥陀仏即是其行」の道理を表明したのであります。「即是其行」の其の文字は源、本願成就の文の「聞其名号」の其の字が流れ来たったものである。「聞其名号」の其は直ぐ次上の経文の無量寿仏の威神力(いじんりき)である。威神力とは本願力の威神である。すなわち『大無量寿経』には「威神力故本願力故」といって、この威神力は本願力の功徳にほかならない。したがって、この「即是其行」の其の文字も南無の超越的意義なる発願回向、すなわち如来平等の発願回向のお心である。かくして「阿弥陀仏即是其行」とは、阿弥陀仏は単なる孤独的観念の四字名号でなく、それは南無を具足し、また南無に具足せる阿弥陀仏である。四字名号の開顕する境地は自性唯心の独我論懈慢(けまん)の界である。南無阿弥陀仏の六字こそは真実大行すなわち念仏三昧にして三宝円満の浄土の真証の境地である。六字名号の開顕する浄土こそは歴史の浄土、大行の浄土である。

われわれはいたずらに漠然たる今の果上の阿弥陀仏を所信の対象としていないか。単なる所信は観念境にすぎない。真実信の対象は単なる所信でなく、それは所行であり所帰でなければならない。真宗従来の講者は漠然として所信所行を口にし、また所行能行を対立的に考えた。所信とか能行とかいうことは単なる観念主義者の用語でしかない。所行という語にのみ重大なる現実的意義を有する。あるいは乗(じょう)(のりもの)とも、法とも、道とも、理とも、命とも、業とも、教とも申します。それは単なる個人的の行ではなく、信をもって真実信ならしめる客観的原理根拠、信がそれにおいて現行(げんぎょう)する依処である。

したがって、まさしく所行の名号において、すでに能信の信の根源がある。その信の根源において、そこに念仏の大行の本願がある。「本願招喚の勅命なり」とはまさに所行のところにおいて能信の機を発見し、「発願回向と言うは、如来すでに発願して、衆生の行(ぎょう)を回施(えせ)したまうの心なり」とは能信の端的において、因位の名号、南無阿弥陀仏の本願の原理を先験したのである。この因位先験の南無阿弥陀仏において、そこに果上の南無阿弥陀仏を体験したる境地が「阿弥陀仏即是其行」であります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-10 (9/16)

この欲生心の招喚によって、久遠以来まったく具体化の縁を欠いていました純一の願作仏心、それは本性純一のゆえに、われわれ衆生にあっては到底自力をもって具体化する機なきゆえに、それは常に邪定(じゃじょう)の機に動乱せされ、久遠以来常に迷信邪教に陥入(かんにゅう)しつつあった。ここに如来選択の善巧の妙機は発動して、ついにわれわれ衆生の久遠一如の信楽、真実の願作仏心を初めて具体化せしめたもうたのであります。

親鸞がかくして第十八願の王本願を証験せられました端緒は、願成就の文の中心眼目たる至心回向、「至心に回向したまえり」の真言においてまさしく本願の欲生我国の願心の成就を感得し、善導大師の「彼仏今現在成仏」の叫びにいまさらに驚かれたことによるのである。まことに彼は寂然不動清浄無相の信楽をあるがままに内観するところの慧眼(えげん)として、それの中心として欲生心が回向されてあるを証得せられた。この証得がすなわち現生不退である。これによって彼は善導大師の名号釈の「言南無者即是帰命」の、あの即是の二字に注意して、衆生の帰命信順において現に動く如来の願心に触れて、主観的帰命を超越して、客観的である本願招喚の勅命と直観せられた。このような釈は、おそらくは即是帰命の即是の二字に触れてのことでありましょう。

かくて彼はこの帰命の勅命を通して深く遠く広大無辺なる如来の願心を念じました。ここに映じ出されるのは願心の所為なる衆生の煩悩罪業の深重の事実であった。これを痛感する時、「阿弥陀仏即是其行」、「即是其行と言うは、すなわち選択本願これなり」。帰命の当体に天地万物ことごとく南無阿弥陀仏と転ずるのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-9 (9/15)

かくて、親鸞はこの行巻において、第十七願・諸仏称名の精神によって、特に善導・法然二師の釈義の精要を開顕し、古今の迷謬(めいびゅう)たる単なる阿弥陀仏四字名号主義の念仏を楷定(かいじょう)し、毅然(きぜん)として如来の選択本願の正意、六字名号の仏意を宣明せられました。『歎異抄』によれば、親鸞は法然上人から「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」の仰せを受けられた。この「ただ」こそは一面には易行の大道を示すとともに、その易行なるところには如来選択の願心によることを顕し、極難信の道を表明したのである。まことに弥陀永劫のご辛労(しんろう)、釈尊七祖の深重のお骨折りは、単に念仏ということではなく、この「ただ」の二字のためであった。「ただ」は選択である。一心をもって一行を選び取り、他の一切を選び捨てる大信心である。これまさしく一心による一向である。

親鸞は弥陀の王本願、第十八の念仏往生の誓願を拝誦するに当たって、その乃至十念の念仏の行を第十七願・諸仏称名の願の念仏伝統の歴史において発見するとともに、その至心信楽欲生の心を、願成就の文の「聞其名号信心歓喜乃至一念」の衆生の信楽開発(しんぎょうかいほつ)の一念の機、すなわち正定の現在時において発見せられました。歴史的伝統において念仏は称名である。それは称名は念仏の形相であるからであります。

しかしながら、真実の念仏は称名によって象徴荘厳せられつつ、それの本性は常に称名を超越して、直ちに如来選択の願心を回向表現する。如来の選択の願心はまさしく本願三心中の第三の欲生我国であって、善導大師は二河譬(にがひ)において、これを西岸上の招喚の声とし、もって本願象徴の原理とされました。すなわち、親鸞はこれによって欲生をもって如来の回向心とし、まさしく欲生我国を直観して「如来、諸有の群生を招喚したまう勅命なり」と解釈されました。この欲生こそは、如来がまさしく現に無明に迷惑しつつあるわれら衆生を招喚覚醒せしめたまう善巧方便の至極、浄土荘厳の根本原理、信楽開発の契機であります。この欲生我国の願文こそは、如来本願力の尖端であります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-8 (9/14)

この七高僧の伝統、南無阿弥陀仏の歴史、南無阿弥陀仏が内には本願自らを成就し、外にはそれの正機衆生を摂取する、外に衆生を救うということが、直ちに内に自らを成就するゆえんである。こういう具合に三国七祖の伝統というものの根源を第十七願というものの上に見い出してきた。してみると、諸仏というのはまず少なくともこの七人の仏、七仏である。親鸞から見れば七人の祖師はすなわち過去の七仏である。釈尊にも過去の七仏があった。親鸞にもまた過去の七仏がある。そんなことをいうと調子を合わせて何か言うているようであるけれども、偶然か必然か知らないが、その偶然において必然を観ることができるでありましょう。釈尊の過去の七仏に対して親鸞に過去の七高僧がある。過去の七高僧は過去の七仏である。ここに仏の問題が存在する。

全体仏とは何であるか。仏というものは如来の本願展開の歴史の中より誕生して、その歴史の流れの中に帰入した人である。歴史の中に寂滅したのはすなわち化仏である、寂滅しているものは法身仏である、歴史において永遠に生きているところの人は、すなわち報身仏である、こういう具合に言うことができるでありましょう。七高僧はこの念仏の歴史において死んだ、念仏の歴史の大地において骨を埋めた。そういう意味においては七高僧は過去の七高僧である、過去の七仏である。しかして、その七高僧を通して念仏の道が永遠に生きている限りは、念仏の声が永遠に生きている限りは、七高僧は本願念仏の大地において現に今日生きており、また永遠に生きているのである。こういう具合に言うことができるのでなかろうかと思うのであります。

かくのごとき意義を第十七願というものをもって親鸞が証明しているのであります。これはまことに古今独歩の証明であります。

この行巻は、第十七願・諸仏称名の願に始まって『正信念仏偈』に終わっている。あの正信念仏偈というのはただ単なる念仏ということではない、念仏の歴史である。念仏の歴史全体を念仏というのであります。南無阿弥陀仏というは、われわれが称えることによって初めて南無阿弥陀仏が成立するのではない。親鸞によれば、仏教二千年の歴史全体が南無阿弥陀仏であった。念仏というはただわれら個々の念仏ではない。念仏はその本願の歴史にある。その歴史を無視した個人の念仏を自力念仏と申すのであります。本願念仏というのは歴史の中にある念仏、歴史の中に流れている念仏、歴史を統一するところの念仏である。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-7 (9/13)

そこで親鸞の『教行信証』の行巻というものは何であるか、これはご承知のとおり、第十七願・諸仏称名の願というものによって浄土真宗の伝統を明らかにしたもの。すなわち第十七願・諸仏称名の願というものによって三国七祖の伝統というものの根源を明らかにした。伝統の根源は第十七願である。その第十七願というのはつまり浄土教の歴史の事実原理である。仏教の歴史の事実原理である。この親鸞の仏教史観というものは、まず第一に第十七願・諸仏称名の願に事実的原理を見い出された。

たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ。
(『聖典』十八頁)


この願文は昨日すでに一応の意義を申し述べましたが、きょうは正しくこの願文の本義を明らかにしたいと思います。これは昨日も話しましたように、十方無量の諸仏といえば何か天の星座でも指して言ったのでないか、というふうに、私どもは長いあいだ思っていたのであります。しかし、そうでないのでありまして、この地上におけるところの教主釈尊の興世、続いて連綿たる三国七祖伝統の歴史、インドにおけるところの龍樹・天親、中国におけるところの曇鸞・道綽・善導、日本におけるところの源信・源空、この三国の七高僧の伝統の歴史であります。その伝統の歴史の根源、伝統の歴史の事実原理、それを第十七願の上に見い出す。こういう具合に親鸞は浄土教の歴史というものの根源、浄土教というものの歴史の発端(ほったん)はどういうところにあるかということ、ただいつでも私のはからいというものを交えないというところが非常に注意を要することでありましょう。

それだからして行ということは何であるか。行ということは南無阿弥陀仏の伝統、南無阿弥陀仏の流伝である。南無阿弥陀仏が流行する。行とは流行です。これを歴史的に言えば南無阿弥陀仏の名号の流行、流れ行われることである。その南無阿弥陀仏の名号の流行、それを七祖の伝統という一つの事実の上に見い出した。七祖というものも、これはその時代時代の多くの民衆、その時代時代の時代精神、時代思想というものを背景として、あるいはそれを契機として、その機に応じて阿弥陀の本願というものが流行した。流行するということはすなわち名号の精神をさらにさらに明らかにして、そうして民衆というものに名号を高く掲げて、内には深く法を興し外には広く迷える衆生を利する、これがすなわち七高僧というものの使命であります。それゆえに七高僧に代表せられる、七高僧とは七人でありますけれども、その七人の高僧の背後には、その時代の無量無数の民衆というものがある、その無量無数の民衆を代表しているところの七高僧である。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-6 (9/12)

われわれは頭で考えるというようなことは、相当天分がなければならないことであろう。けれども、頭で考えるのは自由であって、そういう頭で考えるというようなことだけであるならば、そういう者には必然の歴史というものの必要はなく、したがってそれは歴史に参加する資格はないのであります。必然の歴史というものはただ実践実行のみがそれに参加するのである。それゆえに『高僧和讃』などで親鸞は、例えば龍樹の『智度論』(ちどろん)のある文章を引用するにつきましても、『智度論』からして直ちに引用しないで、中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の『安楽集』という書物の中に、「龍樹の智度論に曰く」として『智度論』の文を引用している。その道綽禅師の感銘をとおして、龍樹の『智度論』の生きた精神を『高僧和讃』の龍樹讃の中に歌っている。だから『高僧和讃』に、

智度論にのたまわく 如来は無上法皇なり
菩薩は法臣としたまいて 尊重すべきは世尊なり
          (『聖典』四九十頁)

特に「智度論にのたまわく」と言ったのはどういうわけであるか。これはわれわれはぼんやり読んでいるけれども、それは、龍樹は『智度論』を書いているから「智度論にのたまわく」と言ったのであるという具合に多くの人は考えている。けれども、そうではないのである。しからばそれはどういうわけかといえば、道綽(どうしゃく)禅師が『安楽集』の中に『智度論』を引いて

『大智度論』によるに、三番の解釈あり。第一には、仏はこれ無上法王なり。菩薩は法臣となす。尊ぶところ重くするところ、ただ仏・世尊なり。このゆえに、まさに常に念仏すべきなり。

こういう具合に書いてある。親鸞はその道綽禅師を通して『智度論』を聞いたのでありますから、特に「智度論にのたまわく」という言葉を揚げてあるのであります。如来は無上法皇、菩薩は法臣として尊重すべきは世尊である、龍樹の『智度論』にそう書いてある。それをそのまま言わずにそれが道綽禅師まで移っていって、道綽禅師へどういう具合に移ってきたか、龍樹の言葉というものが道綽にいかに影響してきたか、それがつまり伝統、伝統的精神、そういうものを明らかにするということであります。

だからしてまた七高僧の第二番目の天親菩薩の『浄土論』というものを引用するにしても、それを中国の曇鸞大師の、『浄土論』の注釈であるところの『往生論註』に移し、その曇鸞大師の『論註』をもって『浄土論』だとしておられる。ゆえに親鸞は「浄土論に曰く」と言いながら平然と、天親菩薩の『浄土論』の文(もん)を引用せず、その註釈たる曇鸞大師の『論註』を引用しておられる。何も親鸞の頭がどうかして、考え違いをして、『浄土論』の本論と曇鸞の『論註』とその二つを混同して、曇鸞註釈の言葉を天親菩薩の本論の言葉だと間違って、「浄土論に曰く」として中国の曇鸞大師の註釈の言葉を引用したというわけではないのである。この天親菩薩の言葉の精神というものが曇鸞に伝統されている。ゆえに当然、曇鸞大師を通じてこそ真実に天親菩薩の言葉の生命に直接して行く。そこに行というものがある。単なる道理、単なる理屈というものであるならば、何も曇鸞大師を通さんでも解っている。だからしてすべてそういう具合に『教行信証』の引用というものを見るというと非常に注意すべきことがたくさんにあるのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-5 (9/11)

親鸞によれば、今の科学的研究というものからは二束三文のものだということになるようでありますが、しかしながら、親鸞があの『楞伽経』懸記の伝説というものを信じて、そういう不確実なる伝説をそのまま受け入れて、そうして『正信偈』の中にもそれを引いているし、また『高僧和讃』龍樹章の第二首第三首におきましてもこの『楞伽経』懸記の文というものをもってこの龍樹の仏教史上におけるところの位置、使命というものを述べておるということは、一概に親鸞が歴史ということに暗いためにああいう不確実な伝説というものをそのまま盲信したものであると、そういう具合に観るということはいかがなものであろうか、と私は思うのであります。

親鸞は『教行信証』の中にいろいろの経典の文字を引用するにしましても、経典から直接にそれを引用するということをせずに、むしろその経典が他の著書に引用された、その引用文を通じて経典を引いている。これは親鸞は直接に経典が手に入らず、またそれを読む機会がなかったから孫引をしたと、あるいは今日の人々はそういう具合にいうかも知れないが、それはそのままにしてそれを認めて差し支えない。しかしながらそれを認めるとともに、ただいたずらに原典を読まなかった、読む煩いを避けてただ孫引した、ということだけではないと思うのであります。

親鸞におきましては、教法の伝統、教法流伝ということを非常に重大な事実としてこれを認めておいでになったのでありましょう。かりに、その人の頭にどんな深遠(じんのん)な道理を考えても、それが単なる空理であるならば何の価値もないのである。だから、いかなる真理というものも、それを裏づけるところの行が大切であります。この実行実践というものがないならば何の価値もない。実践実行のないところにおいては歴史がないのである。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-4 (9/10)

親鸞はこの龍樹出世の使命というものを『楞伽経(りょうがきょう)』の懸記(けんき)の文(もん)というものによって述べているのでありまして、仏滅後七百年南天竺に比丘あり、龍樹と名づけるのである、有無の邪見を破して大乗無上の法を宣説(せんぜつ)し、歓喜地(かんぎじ)を証して安楽に生まれるであろう。こういう『楞伽経』の予言がある。これも批判家によって見ると、やはり『楞伽経』にそういうことを書いたのは龍樹が死んだ後にそういう言葉を入れたに違いない、予言に仮りて仏教史上におけるところの龍樹の位置を高からしめんがために、龍樹の門弟かあるいは何か龍樹に深い関係のある人人が後から経中に附加したに相違ない、こんなふうに説明するのであります。

あるいはそういうふうな意義も必ずしもないというわけではないでありましょう。しかしながら、そうであるからといって、ただそれだけのことだと決めることはできないと思う。それならやはり私は思いますに、龍樹というような人間がそういう一大仏教史上において第二の釈尊、第二の教主である。第一の教主釈尊というものは、昨日申しましたように大乗仏教の経典において、深い遠いところの背景をもって、そうして釈尊というものをそこに見い出されたのである。

したがって第二の教主たるところの龍樹というものも、またおそらくはさまざまの伝説、つまり時代の思想及び生活の堕落、あるいは人間の弱さ、それを泣き悲しみ、自分の宿業というものを深く痛感して、一切衆生の救いというものを念ずるところの願い、その願いが龍樹というものを生み出した使命に違いない。そういう意義が龍樹の『楞伽経』(りょうがきょう)の懸記というような文字として、かりにそれが龍樹以後にそういう言葉として具体化されたものであるにしましても、そういうことが一般民衆に信ぜられるということだけを考えてみましても、この第二の教主たるところの龍樹というものがこの世界に顕現する、仏教の歴史の中に生まれて新しく仏教の歴史というものを荘厳したところのこの龍樹というものの現れてくるということは、決して一朝一夕のことではない。つまり偶然のことではない。単なるただいささかの縁というもので生まれてくるのではないのでありまして、それはやはり久遠劫の深き誓願の約束というものからして、如来の誓願というものを後盾にして、そうして龍樹というものが現れてきたものでなければならない。

そういう一つの感じ、そういう意義をば具体化し象徴化したものが、『楞伽経』の懸記の文というものになったのでなかろうかと思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-3 (9/9)

それらのことを昨日あたり一つ明らかにしようとしていたのであります。そうでなければ単に教理というものだけが発展する、そんなようなことはないはずである。教理が発展した、教理発展として見ればそういうこともだいたいあったに違いないでありましょう。しかしながら、その教理というものは、裏には行あり、行の歴史あり、行の歴史的展開というものを内容とし、それを背景として、そうしてこの教理の発展というようなものが、証明せられることであります。この証明によってのみ教理発展ということが成立するでありましょう。それでなければただ単に教理の発展、そういうところにはなんら歴史というものはないものだと思うのであります。単に教理の発展というものはいかにももっともらしく聞こえるのだけれども、それはやはり行信の実践という背景の根拠がなければ、発展ということは単に紙の上に書いたところの模様にすぎないのではないかと思うのであります。

そんなことをいまさららしく申す必要すらないことでありましょう。だからして親鸞は『教行信証』の化身土巻(けしんどのまき)の中ごろに、

聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。

と、記されてあります。

それは親鸞によりますと、この『教行信証』の行巻(ぎょうのまき)を披いて見ますというと、インド・中国・日本の三国の七高僧の伝統というものを明らかにしておられるのであります。龍樹以前というものはまったくなんら浄土教の教法というものについての、形のある記録は一つも出ておらない。ただ求道者は黙々として念仏し、寂々として静かに如来の本願を念じ、如来の浄土を念じて、静かに称名念仏していたのに過ぎないのであります。しかるに、初めて文献の上に現れて、そうして阿弥陀の本願というものを開顕したものはだれであるか、すなわちこの龍樹であります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-2 (9/8)

いわゆる正法五百年といわれる、まさしくその大半は部派仏教のいたずらな争いであるが、その争いの中にもそこに静かに仏教を求め、静かに仏道を体験しておられますところの隠れた人々、隠れた修道者、隠れた求道者、隠れた聖者、そういう人々はおそらくはその当時に黙々として、いわゆる何等ことあげをせずして、静かに仏道修行に精進しておられたのではなかったか。またそうでなければならないと思うのであります。もしそれがないならば、もう仏教の伝統というものはまったく終わりを告げているはずであります。

釈尊の入滅とともに真実の仏道の伝統というものはそこに消えてしまっている、仏道は死んでしまっている。仏道は死ぬということはないのだけれども、もし仏滅後の部派仏教の時代というものが単なる部派仏教時代であるならば、仏道の精神というものはそこに死んでいる、消えているというべきであります。一度死んだ仏道というものが再び生きるということは考えられない。そういうことはあるべからざること。綿々として仏道の歴史のうちに、つまり民衆の胸を貫いて、それの大地、それの足、それの行、それの生活というものをとおして、そこに仏道の精神というものは伝統していたに違いない。

それが部派仏教の堕落、部派仏教の争いというものを契機として、ついに龍樹とか馬鳴(めみょう)とか、そういう人々によってはじめて真実の大乗仏教運動というものが起こされようとした。この道の歴史というものを考えてみればだいたいそういうことになっているのであります。いたがって、例えば『華厳経』にしましても、『華厳経』のあのもろもろの偈文(げもん)というようなもの、偈文は詩でありますが、そういうものはおそらくずっっと以前から民衆の言葉として、民衆の口から口へ伝わっていたものである。あの素朴なあの原始的な偈文というものはそういうものでなければならないでありましょう。『大無量寿経』の本願というようなものも、もちろんある所では二十四願と伝えられていたかも知れないし、あるいは一願とか二願とか三願とか、何か一つを中心として民衆の口から口へと伝わってきていたに違いないでありましょう。そういうものが一つ背景的なものとなって、完成したものとなって現れたのはいつ頃であったか。それらのことはあるいは今日の新しい仏教の研究というものによって決定されるべきことであるに違いないのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第5講-1 (9/7)

昨日は、浄土真宗というのは親鸞の仏教史観である、ということを話してきたのであります。すなわち親鸞によりますと、二千年の仏教史の根幹は何であるか、二千年の仏教史の根幹はすなわち『大無量寿経』伝統の歴史である。それはすなわち念仏流伝の歴史であり、如来の本願展開の歴史である。こういうような意義をだんだん話をしてきたのであります。

それで、仏教の歴史というものはその時代というものを三つか五つかに区別している。昔から正法、像法、末法というようにして、正・像・末の三時というような区別が行われています。昔から、親鸞が伝えておりますところによりますと、正法は教法と、それの如説修行と、行による教法の証得と、この教・行・証の三つの法が完備している。仏滅後五百年間はだいたいにおいて三法完備の正法時代である。それに続いて次の一千年のあいだを像法といいまして、その時代におきましては、教と行との二法はあるけれども、その行を満足することができない。すなわち証を得ることができない。またその次の末法万年という時代は、ただ教えという教法だけはあるけれども・・・・・教法はあれどもこれを教えのごとく如実に修行しようとするものすらない。したがって教法の精神を体験するということは末法においては必然にないのである。こういう具合に伝えられているのであります。それが新しいところの仏教研究のの方法なんかにしても、仏教の年代というものをいろいろに区別しておられるでありましょう。

だから、そういうふうに年代をだいたいにおいて区別するということは、別に間違いはないと言っても差し支えないでありましょう。しかし、そうであるからといっても、仏教の大精神というものは淳一に相続しまして、むしろ形式の上においては、だんだん仏教というものは堕落し衰微し破滅する。教団の形というものは日に日に乱れる。それにもかかわらず仏教の大精神というものはむしろ逆に、これを縁としこれを契機として、いよいよ深く深く展開されていく。きょうはそのことをだんだん考えて話したいと思うのであります。けれども、仏教の精神はそういう具合になっていく。

昨日ははなはだ乱暴な言い方をしましたけれども、例えば、仏滅後三百年なり四百年なりのあいだにおきましては、この仏教々団というものが小乗二十部というような部派に分裂して互いに争った。そう言う争いというものは畢竟ずるに、名を教えの真理というものにかりて、その実は僧侶たちが権力の争奪ということをほしいままにしているのである。こういう具合に申したのでありますが、しかしそう言ったからといって、私は単にいたずらにその当時の僧侶たちが権力の争奪ということばかりにふけっていたと、そう一概に言うのではないのであります。

むしろそれは、法の方から言えば概念化、道徳的にいえば律法化している、そういう形式を破って、いよいよ深く深く法の精神を深める契機である。そういう深き意味をもったものとして観るならば、この小乗二十部の争いというものも、また単にいたずらなるその当時の僧侶たちの争いであると観るべきでなくして、それらの争いというものを契機として、真実の仏教の精神、仏教の本当の根本精神というものがいよいよ発揚されてきたのでありましょう。したがってこの仏教の根幹、根幹の仏道というものはずっと二千年を一貫して変わらないものである。

(親鸞の仏教史観 第5講より)

親鸞の仏教史観 第4講-17 (9/6)

つまり仏教三千年の歴史は『大無量寿経』流伝の歴史である。『大無量寿経』流伝の歴史というのはすなわち念仏流伝の歴史である。念仏の歴史の中に『大無量寿経』というものがだんだん完成して来たったのである。『大無量寿経』というものは念仏の歴史、念仏の方が『大無量寿経』よりもさらに根本的である。初めに名号があった。すなわち『大無量寿経』に先立って如来の本願があった。本願に先立って名号があった。まず名号があって、そうして本願があって、そうして『大無量寿経』があった。『大無量寿経』は忽然として出たのではない。『大無量寿経』はその本願念仏の歴史の中に完成し来たったのである。歴史の中に『大無量寿経』が成長したのである。歴史的事実の中に成長したのが『大無量寿経』である。

それで言語として伝説としての『大無量寿経』はすでに久遠の仏道の歴史の初めからあったのでありまして、『大無量寿経』というものがだんだん完成してきたのでありましょう。そうしてある完成の時期において、すなわちある段階において文字というものに書き表されたのでありましょう。それが文字に書き表されているというとだいたいにおいては固定するもの。だいたい固定するけれども、しかしながら単に固定しておらない。それがまた文化というものにしたがって成長してきたに違いない。『大無量寿経』は成長せる経典である。経典の成長というようなことを私は思うのであります。経典は成長するものである。

物語は成長する。成長せる物語。文学は成長する、そういう具合に聞いております。文学は歴史の母胎の中にだんだん成長している。やはりこの経典というものもそういう具合に成長するのでなかろうか。『大無量寿経』の文字はもう今日すでに固定している。また固定しても差し支えない。けれども『大無量寿経』の内容は幾らでも無限無量無辺に内に深められる。深められるものはそれは自身自ら深まっていくのでありまして、われわれが深めていくのじゃない。われわれは『大無量寿経』が深まっていくところの一つの機縁、一つの動機、機というものでしかないでありましょう。

思いますに、本願と念仏、この問題はさらに明らかにしていかなければならないのであります。本願と念仏というような問題がここに出てくるでありましょう。とにかく本願念仏の歴史、つまり如来の本願展開の歴史、本願が自ら展開したところの歴史、その本願展開の歴史の中にわれわれが呱々の声をあげ、そこにわれわれは生き、そこにおいて呼吸し、そこにおいてわれわれは骨となってもとの土に還る、こういう歴史であります。それがずっと伝統してきているということは、これは私は非常に不可思議の感に堪えないのであります。

もっとその問題についてお話するとよいと思うのでありますが、少し疲労したようでありますから、きょうはこれだけで御免こうむっておこうと思うのであります。自分が疲労して話をするということは、みなさんを疲労せしめるのであります。私が疲労を忘れている時はみなさんも疲労を忘れている、私が疲労を感じた時はみなさんもご同様疲労を感ぜられるだろうと思いますから、途中で止めるようでありますけれども、きょうはこれだけで。

(親鸞の仏教史観 第4講終わり)

親鸞の仏教史観 第4講-16 (9/5)

今の迷信は自然科学のロジックと同じ形式のロジックでありますから、お前は親を苦しめたことがあろう、お前はいつかご飯食べるのに小言を言ったことがあろう、容易にありそうなことを百箇条ぐらいあげると、たいがいの箇条はほとんど当たるに違いない。そんなことで遂に頭を下げるでしょう。お前は電車に乗った時に只(ただ)乗りしたことがあるだろう、いやあったに違いないぞ。そう言われて、なるほど考えてみると、只乗りするつもりはなかったけれども、あまり混雑してとうとう切符が買えないものだから、遂に切符を買わないまま人に押されて電車を降りた。その時は切符を買わないでしまった、そういうことはもちろん善いことではないが、大した悪いことだと思っていなかった。それはおそろしい罪だと責められると大抵ぎくりとする。これは天理に背いている、人道に背いている、かくのごとくして天理・人道がこのごろはびこってきた。

つまり言ってみると、私どもは学問の方法というものを、もっと真面目に考えていかねばならない。そういう学問の方法というものは本当のものか、またそういうものは駄目なものか。思うに、それは説明の方法であって証明の方法ではないと。人々は説明を証明だと考えている。そんな学問をすればいくらしたって人格は同じこと、もとの木阿弥。そういうことはわれわれの人格の向上というものに関係ない。人格に触れないものは説明であって証明でない。証明というものはその人格に響かなければならない。本当に人格に喰い入らなければならない、人格を目覚めさせなければならない。これをもってたいがい一端を推し量るべきものでありましょう。

それでこの親鸞の道というものは自証の道である。そういう説明式の天理・人道の教えと違う。親鸞の道は弥陀の本願の道、本願展開の久遠現行の歴史の中に交錯している。その歴史の中に生まれ、その歴史の中に生き、その歴史の中に死んだ。歴史の中に生きた、それが現生正定聚であります。歴史の中に死んだ、それが無上涅槃である。この阿弥陀の本願の歴史において生きた、生きたがゆえにすなわち彼は現代において生きて正定聚不退転である。またしたがって彼はこの歴史において静かな骨となって眠ることができる、それはすなわち必至滅度(ひっしめつど)である。それは観念ではない、事実である。こういうことでありましょう。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-15 (9/4)

静かに私は『大無量寿経』を拝誦(はいじゅ)いたします時に、仏教の根源は深く厚い、仏教の起源は悠久であり広遠である。その深き自覚の歴史の中に、それ全体を統一したお方が釈尊であらせられる。されば釈尊を通して釈尊以前の世界というものがそこに煌々として照らし出された。釈尊によって照らし出されたところの久遠の純粋の世界というものは、それはもともと釈尊を照らし出したところの久遠の光である。釈尊が久遠の光に照らされたということそのことが、すなわち久遠の光を照らし出したということであります。そういうようにして釈尊からして初めて、明らかなるところの仏教の歴史というものが、そこに開けてきたのであります。

かくのごとくして、釈尊の時代においては何も記録はないのであるし、また釈尊の自覚において、また釈尊の言葉をとおして出てきたところのものはどういうものであったかというと、それは想像することさえできない。いったいこの四十八願という、そういう形のものがあったのかないのか、それはわからない。またそういうものがある必要はない。それはなくとも可なり、またあっても邪魔にならない。とにかく何か知らないけれども、原始的な素朴な一つの伝説というものが長い間続いてきた。

昔の人は記憶がよかったという、それは記憶がよいのは当たり前である。昔の人は記憶がよかったが今の人は記憶が悪いという、しかしながら今の人だってみな記憶が悪いのではないと思います。今の人だって昔の人と同じ深い記憶というものをもっている人があるはずだと思います。昔の人は何も記録せずに言葉から言葉へ伝えてきた、まさしくまったく自証の世界、昔の歴史は自証の歴史であった。それがだんだん人間の機根が衰えてきて、それを何か文字経典の形に結集しないと消え去ってしまうであろう、そういう要求から文字経典というものが完備してきたのでありましょう。文字が生まれ、そうしてまた経典というものが完成してきたのでありましょう。文字が完全になってきたから、そういうものを書き取る便利がよくなったのであろうと思われます。つまり長い間伝説として伝わっておりましたところの伝説的経典というものが文字に書き表され編纂されまして、そうして一つの文字経典というものができたのでありましょう。

そういう意味において、今の『大無量寿経』は仏滅後何百年ごろできたであろう。そういうようなことを考えるということもまた可能であるし、またそういうことを言っても、だいたい間違いないと言っても差し支えないのであります。しかし、それは単に一つの説明である、証明でも何でもない。何の自証もない説明であります。説明であるからして、そういうものは必然性をもたない偶然的蓋然的のものにすぎない。われわれはたいがい何か一つか二つ理由をあげるというと、十分に反省もせずに直ちにそれをもってものを説明しようとする。何か一つのことから考えて直ちに結論を作る。

このごろ、例えば病気でもすると、直ちに天理教とか人の道教団とかいうものの訪問を受ける。しかして彼らは、お前のうちに病人があるそうだが、だいたい病気というものは天理に背き、または人道を踏みはずしたことをするから出てくるという。そう言われると絶対に天理に背き人の道を踏みはずさないと自惚れえる人間は世界に一人もないはずですから、どんな人間でもぎくっとくる。そう言われると思い当たることがいくらもある。お前は人に迷惑かけたことはないか、お前は親に不幸したことはないかと問われると、なるほどなるほどとみなうなずく。それから強制的な説教を始める、しかしてみんなすぐにふらふらと引っかけられる。つまりそれはどういうわけであるかといいますと、そういうふうに現今の学問、すなわち自然科学的研究法と同じ考え方にちゃんと合っている。今の時代の指導者たちは、学問すると迷信に陥らないと言うけれども、事実は反対で、学問すればするほど迷信に陥る。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-14 (9/3)

天上の純粋無形の理想界というものは、そのままに地上においてその純粋なる形相(ぎょうそう)に象徴されるから、地かえって形なく天かえって形ありて、天地畢竟一体になる。天は地にかたどってあり、地は天にかたどってある。そこに「是より西方十万億の仏土を過ぎて世界あり」、そういう言葉が生み出されてきているのでありましょう。ただ沈思冥想して、この世界そのものが駄目なのではない。煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)によって火宅無常の世界があるのである。われわれは自己の煩悩を忘れて、いたずらに火宅無常の世界を口にしないのか。自己の煩悩を自覚せずに、いたずらにこの世界をそのまま肯定して浄土とし、そこに仏に成られると、こんなふうに考えたらこれは間違いでありましょう。

しかしながら、単純にこの世界は火宅無常にして絶対的に駄目だと独断して、それを唯一の事由として、遠い所に浄土というものがあってそこで仏に成れるのだろう、そんなふうに考えたならば、まったく現実と没交渉なところで仏に成ることであって、それは何のための仏でありましょう。そんなところで仏に成ったっていっこう仏の精神というものは死んでしまうであろう。そういうことをわれわれは本当に静かに念じて、浄土の問題を真剣に取り扱わねばならない。いい加減のことを言ってお茶を濁したって、それは彼等自身は浄土教のための殉教者だと思われるけれども、そういう人間が浄土教を叩き潰しているのでなかろうか。

こういうように、私は一種の暗示的なような言葉を申しておりますけれども、とにかくわれわれの祖先の歩みという、つまりこれは物質的である。歩みは物である。しかしながら、その物によって形而上心がかたどられる。物によって心が象徴される。物は心の象徴である。物は心の形相である。物は心の具体化である。物に対抗して心という特別の存在があるのではなくて、形のある物において形なき心が回向表現する。物によって心がかたどられ荘厳される。物にかたどられて心がある。したがって心の本性は物に象徴せられつつ、すなわち物を否定しそれを超えて心は常恒(じょうこう)に形がない、真心は常に無形である。物を超えて常に無形のゆえによく物にかたどられて、形ある物において形なき心が初めて真実に表現回向するのである。物によりしかも物を否定して、そうして物において永遠に一切の形相を超えたる心それ自身の面目が表現回向せられるのである。私の浄土観は浄土史観にほかならないのであります。

さきほどからいろいろと混雑したことを申しているけれども、畢竟ずるに、阿弥陀如来の本願によって釈尊がある。釈迦という一箇の大人物があったかないか、そういうことは問題の中心ではない。釈尊という仏陀があったということは、釈尊をして直ちに仏陀如来たらしめている歴史的背景の問題であります。釈迦という単なる人格、そういう問題ではない。釈迦という人格をあらしめた仏道の問題。釈迦をして真実の釈尊たらしめ、釈迦をして本当の仏陀たらしめ、釈迦をして真実の如来たらしむるところ、そこに本当の仏法の歴史があり、弥陀弘誓の歴史というものがある。仏道の歴史の中に釈尊は誕生したもうたのでありまして、誕生したということはすなわち成仏するゆえんである。すなわち釈尊は実在にして同時に釈迦は阿弥陀仏の応化身(おうけしん)である。弥陀本願の応化身としてのみ釈尊の出現の大使命があるのであります。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-13 (9/2)

ただこの大地に足で立って、われわれはこの足をもって大地をふんでみる。どういう音がするか。自分で生きているかいないかということは、足をもって大地をふんで見れば解ります。大地に足跡がくっつくかくっつかないか。自分の現在ということは、ただ足をもって大地をふんでみるということによって証明されるのである。親鸞は十方無量の諸仏というものは、みな大地をふんでいるものだということが見えてきた。

親鸞の念仏、親鸞におきましては真実仏教歴史のことごとくすべてがみな大地に関係し、みな大地を歩いた記録でなければならない。こういうふうに真の歴史においてのみこの大地はわれらの祖先がそこに骨を埋め、われらの祖先がそれにおいて呱々の声をあげ、われらの祖先がそれにおいて血を流したのである。われらの祖先の骨も血もみな大地から出たものである。大地から見い出されたものである。そういうことを親鸞ははっきりと認める。あの大乗経典というのはすなわちそれを示すものであって、ただ天上の空想を書いてあるのでなしに、まことに無碍自在に天上のことを語っているのも、それこそ地上に深厚の関係をもっているからである。真実に大地において天の理想の血肉を観たからである。地というものに関係のない天というものは何の意味もないのである。こういうことで一たび地というものに眼を開けば、初めて本当の天、天はすなわち現在せる未来であり、地は現在せる過去である、したがって過去未来であるけれども、しかしながら、それはこの現在刹那というものの内容である。したがって現在の過去、現在の未来である。現在の現在刹那という機微に触れて、現在せる未来と現在せる過去というものを、われわれは初めて証明することを得しめられるであろう。

全体浄土に形相があるとかないとか、方向があるとかないとか、形のある浄土、形のない浄土、そんな浄土に二つあることのないことは申すまでもないのであります。浄土などということも、すなわち形のある浄土と形のない浄土というものが一つだということ、それは説明ではなくて、それは現在の自分の歩み、すなわち行というものが証明するのである。そのほか何もない。だから私はさきほど申しましたように、おそらく法蔵菩薩の歩みというものは地上の歩みであろう。この地上に深く深く、この地の中心、すなわち底つ岩根にしっかり足を踏み込んで、そうして一歩一歩歩き来たった記録が、すなわちこの法蔵菩薩の五劫兆載永劫(ちょうさいようごう)の本願修行の伝説の記録である。だからしておそらくは、われらの祖先として阿弥陀仏というものはほとんど眼に見えないような光であろう。それは、太陽の光は何人も眼に仰ぐ光であるけれども阿弥陀如来の光明は眼に見えない光であろう。そういう光に包まれつつわれらの祖先は一歩一歩体験の旅を続けてきた。そうしてインドのある所においてわれらの祖先は足を留めてそこに悉達多(シッダッタ)太子というものが生まれた、そういうことでなかろうか。だからして突然として西方十万億の彼方の浄土と聞けば、われら民族の生活と没交渉のように感ぜられるであろうが、祖先の伝統の中に生まれたる感銘満てる私には、何か知らない体験の記録として地上に深き歴史的根拠をもっている、地上に必然の根拠をもっている記録に違いないと決定いたします。その地上の根拠をわれらは自覚の眼を開く時に初めて大胆率直に天上というのである。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-12 (9/1)

第十七願というものは十方諸仏が我が名を称せずんば正覚を取らぬ、天にまします無量十方諸仏、私は長い間そういうものを瞑想しておりました。天地東西南北四維(ゆい)上下、そこに充ち満つるところの十方恒沙(ごうじゃ)の神仏たち、というように瞑想して観念しましても、何だか知らないけれども、それはただ単なる妙な一種の神秘的な感情に触れるだけで、それは大千世界に震動する生きた叫びになってこないのでありました。

かつて村上専精という偉大なる仏教学者がおられましたが、この村上専精先生が一代の名著『仏教統一論』の、何冊目だか知らないけれど「十方恒沙の諸仏よ」と言って序文に書いてありました。けれども、私は何を放言しているのだと冷笑して読んでおりました。おそらく村上先生は天の星座を仰いで十方諸仏と言われたらしい。私も以前はそんなふうに思っていた。そんなものでないということは、親鸞の現生不退、平生業成、現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)の道というものをたどっていくと、単に天を仰いで十方恒沙の諸仏というがごとき神秘主義や観仏三昧でなかった。親鸞はあそこにおいて念仏三昧を見い出しているのである。こういう具合に知らせていただきました。この「十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ」というのは、それは単なる天上の観念でなく、まさしく地上の大行としての諸仏である。単なる天上の自性唯心の諸仏ではなくて、十方、東西南北四錐上下、こう申しますけれども、東西南北四錐上下というのは全体みな地上の歴史を組織する仏である。現在に地上に立脚しているところの仏である。まことにはっきりと親鸞はこの大事実を認められたのであるということを、私は今こそ明らかに知りました。

だからして十方世界の無量の諸仏というと、人々は何か天の四方八方を仰いでどこか遙かなる所にいるようにいたずらに要望しているのであろうけれども、今こそ私は歴然としてもろもろの仏菩薩はこの地上を歩いている。われらが足をもって歩むこの地上に諸仏は現に生きて同じく足をもって歩いていることを、歴史が語っているのであります。すなわち日蓮上人の言葉をかりて言えば地涌(ぢゆう)菩薩、地から湧き出たところの菩薩であります。いわゆるインテリなどというものは、たいがい久遠の地涌の菩薩ではなくて、突然として天から降ってきたものであります。それは下駄を履いて歩いているけれども足が宙に浮いているのがインテリであります。それはやがて個々に滅亡すべき階級である。本当に永遠に生きる者は地から涌いた地涌菩薩でなければならない。その地涌菩薩でおられるもの、それがやがて仏と成る。

これらのことはまだ明瞭にしなければならないのであるが、ひるがえって、あの阿弥陀の四十八願というものも、おそらくは親鸞以前の多くの人々は、あれはみんな過去の何か旧暦のような、何か神秘的な世界を語るものとして、考えられていた。それが親鸞においては、まさしく今日の地上の歴史を語っている。およそ大地にあるものはみな現在である。過去も現在であり、未来も現在であり、かくて現在が真実に現在である。大地というものに基礎を置かないものは現在も過去であり、また未来であって現在ではない。いわんや過去いよいよ過去の過去であり、未来もいよいよ未来である。大地のないところに現在はない。大地に足を立てているところに久遠永劫の現在が刹那にある。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-11 (8/31)

永遠に死ぬということが永遠に生きるゆえんの機縁だからして、骨のある所が本廟であるのは、永遠に彼がそこにおいて寂滅していることを象徴し、また、ご真影奉安の殿堂が本廟であるのは、彼が永遠にそこにおいて興法利生の仏事に生きておられることを象徴する。死ぬも生きるも、死を得しめ生を得しめる畢竟依処があるからである。死ぬと生きるとは外観からすれば正反対であるけれども、それにおいて自由無碍に生を得しめ死を得しめる、その場所は一つである。その根拠は一つである。その根拠は何であるか。すなわち如来の本願念仏である、その如来の本願の歴史である、如来の本願の展開の歴史である。そこにおいて親鸞は前念命終(ぜんねんみょうじゅう)された、同時に親鸞は後念即生(ごねんそくしょう)せられた。金剛の真信はまことに前念命終の心境であり、即得往生はまさしく後念即生の境界である。こういう具合にあの二つの本廟が手を握ってそうして即便微笑して語っているのでなかろうか、こういう具合に私は申したいのであります。

今申したのはもろもろの仏、あのもろもろの仏というのはたいがいみな過去の墓場であります。薬師如来だの大日如来だの、どこのお薬師さま、どこの大日さま、それはそういうことを言ってはなりませんけれども、まあ多くの仏というのはたいがいみな過去の何か先住民族の墓の墓印である、墓銘である、墓に彫ってあるところの墓印である。

こういう具合に考えてきますと、いろいろの諸仏が昔のわれらの祖先の何か知らないけれども、すでに滅亡した種族の魂の墓が大蔵経の中にたくさんのこっている。記録されてのこっている。けれどもそれがすでに滅びた異民族の伝説である。それが阿弥陀の久遠本願の歴史というものに帰入統一せられることにより、新たに永遠不滅の生命を得る。こういうことになるのでなかろうか。すなわち第十七願の諸仏称名の願のある一面はまさしくこれを語るものでります。第十七願こそは古来中外の一切の宗教哲学の帰一を証誠宣言するものである。すなわち第十七願の諸仏称名の願を『大無量寿経』に宣言して、

たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ。
(『聖典』十八頁)


と。これについては前から考えていることがあります。こういう堂々たる本願...堂々たる本願といって、こういうふうな言葉に書き表されるようになったのは、それはおそらくはよほど後世のことだと思います。いったい文字ができたのはどこの国でもよほど後代のことだろうからして、あんなぎこちない文字で書かれてあると、現代のわれわれが見るとずいぶん古典的だ。けれどもこれを書いた人間の時代には極めて新しい言葉であったに違いないと思う。親鸞の時代にはこういう言葉はすでに古典的になっていた。古典的で死んだ文字である。死んだ文字であるが、親鸞はそれにおいて新しい生命、精神をそこに汲み取った。親鸞においてはそれが生きた事実であった。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-10 (8/30)

私はそう思うのでありますが、それで廟(びょう)というようなお話、伊勢の大廟とか、また親鸞の本廟というようなお話がある。私は東山のあの五条坂の所へ行きますと、大谷本廟という石の大きな標が立っている。なるほど大谷の本廟にてましますかと思う。ところがまた私は東六条のあの本願寺の山門を仰ぎ見るというと、真宗本廟という額が高くかかっている。真宗の本廟にてましますかと思います。東山の大谷本廟を仰げば本廟はお墓のことかと思う。ところがまた東六条の真宗本廟は墓のないところにも本廟がある、おもしろい本廟。本廟ということもおもしろいことになる。廟に二義あり、一つには骨を埋める墓、二つにはご真影(しんねい)を安置する殿堂。この中どちらが根本であって、どちらが枝末的のものであろう。その二つは二にして不二、二にして不二なるところに本廟というものがある。

こういうように考えてくると、東西両本願寺というものの争いは根本的に止むのでなかろうか。西本願寺は東山大谷に大谷本廟という石碑を建てているし、東本願寺は東六条の大師堂(御影堂)の正面(山門の上)に真宗本廟という額をかけている。われわれは両本願寺から本廟の二つの意義を教えていただいた。この二つをよく憶念してみると本廟の意義が何か知らないけれども、自然にはっきりしてくるのでなかろうか。そういうことは今はくわしく申しませんが、それは一つの問題でありましょう。これは謹んで両本願寺の学生達に一つの問題として提出しておくのであります。

とにかくこの廟というのは墓、廟塔、塔はすなわち廟。塔廟というのは東寺などの五重の塔、あれらは仏の一つの廟である、そこは永遠に死なないところの魂のある所である、こういう具合に考える。また、それはもうまったく死んで骨になってしまった所が廟というものだ。親鸞が、自分が死んだら屍を鴨川に流してくれと遺命されたにもかかわらず、その骨を奉安した所を本廟という、まことにごもっともである。すなわち本廟とは親鸞がこれにおいて寂滅しておられる所が本廟であると同時に、親鸞がこれにおいて永遠に現在説法しておられる所が本廟である。彼が永遠に死んで行かれた所が本廟であると共に、彼が永遠に生きておられる所が本廟である。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-9 (8/29)

こういうようなことをはっきり今申すことはできないのでありますが、とにかく、私は思いますに、親鸞によれば『大無量寿経』の法蔵菩薩の伝説、これが釈尊を生み出したところの純粋の背景でなかったであろうか。まことにしかり、かく自問自答する。自らあろうかあろうかと問えば、すなわちあるあると応じる。そういう具合に、さらにさらに限りなく問う、限りなく問うところに、限りなくしかりしかり、如是如是と答えているのであります。自問自答はまさしく感応道交である。おそらくこの釈尊の伝説の背景、正当純粋の伝統というものは阿弥陀如来より受けている。阿弥陀如来という仏はつまり釈尊を包摂せる祖先、釈尊は阿弥陀如来の光の中に摂(おさ)められたる子孫なのであります。

もう一つ申しますれば、いったい阿弥陀如来というのは全歴史を包めるわれわれ民族の祖先、われわれは阿弥陀仏光明海中の子孫なのであります。しからば阿弥陀如来はやはり子孫をもっておりますかといえば、私はしかりと答えるのである。あの釈尊のもろもろの伝統は生滅無常の風に吹かれて、あるがごとくなきがごとく、若存若亡(にゃくぞんにゃくもう)の形をもって...それがまた若存若亡であるということが面白いのでありまして、ある時には弥勒(みろく)が現れ、ある時には阿*(あしゅく)とか大日(だいにち)とか、いろいろの仏が現れている。薬師の十二の大願(だいがん)、そういうものはどこから飛び出したか、妙なところから飛び出してきたのでありましょう。そういうものは幻のごとくに消えてしまった。つまり仏教の歴史の流れの中心から消えてしまって、ただあるものは古紙のような経典に文字が残った。文字が残ったけれどもその生命はなくなってしまった。薬師さまは何か知らないけれどもわれわれの祖先、何か知らないけれどもわれわれの祖先の、何か一つの故郷(ふるさと)に違いない。

(本文中の*はUNICODE U+95A6の「しゅく」という字です)

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-8 (8/28)

話がすぐ枝葉の方へ行くようですけれども、枝葉に行くということはすなわち自分においては自分の本源に帰るべきゆえんでありまして、いま申しますのは、釈尊が真の偉大ということは釈尊の背景が偉大である。釈尊から背景を取ってしまえば、釈尊というのは単なる卓越せる一道学者に過ぎない。その証も自性唯心の深大なるものにほかならない。仏教というものは一種の道徳教にほかならない。たいがい中国の老子の『道徳経』などというものと大差ないものであろうと思います。苦・集(じゅう)・滅・道の四諦(したい)という、単にそういう法門だけを考えて釈尊の思想というものを組み立ててみたところで、極めて抽象的なものでありまして、単なる一つの観念主義にほかならない。そういうものはいわゆる独我論的自性唯心というものでありましょう。それは単なる阿羅漢であって、諸仏如来に成ることではないと思います。

例えば苦聖諦(くしょうたい)について、人生は苦なりということは、それは単なる自分個人の問題であってはならない。そこに苦なりと自証感応せしめられるところの内在的根源がなければならない。しからば根源の事実というものは何であるか、すなわち歴史的内面的背景である。歴史背景がそれを証誠している。苦なりということはこういうことであります。真実に人生は苦なりと感応道交したら、もうそこには何か知らぬけれども、苦・集・滅・道の四諦と言っているけれども、本当はこの苦諦一つでたくさんなんであって、一諦でよいのである。一諦一諦みな全体である。苦・集・滅・道と四つ寄せて初めて釈尊の自覚ができる、そんなものではないのであって、苦なりというところにもう全体がある。集なり、道なり、滅なり、こういうこと一々にみな全体がある。

それはそれとしておいて、四諦・十二因縁・六波羅密等もろもろの法門はみな歴史的事実として、歴史的事実そのものが釈尊をして語らしめている。釈尊が独我論的に語っておられるのでない。釈尊は語らざるを得ずして語っておられる。釈尊をして語らしめるところにおいてそれが証というものになる。釈尊がそういう道理を考えて語ったのでは説明になる。一切の説明は畢竟独我論を出でない。語らざるを得なかった、語らしめられたるところに自証がある。この語らしめられるところに、そこに本当に語らしめる真理の力そのものがある。かくて過去は厳然として永遠に現在し、したがってそれに裏づけられる現在は永遠に滅せないであろう。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-7 (8/27)

その五十三の仏というものは外観はまことに微(かす)かなる光であり、単なる唯物的論証から見れば、それは物の数にもはいらないものであったでありましょう。しかし、現在釈尊自身の自内証の光をもって照らしてみると、照らされる方は広大無辺であり、照らすものは蛍の光である。第三者から見れば五十三仏の光は蛍の光であり、釈尊の光は太陽の光である、と讃嘆したのでありましょうけれども、釈尊自身から言えば自身の光は蛍の光であり、照らされたところの五十三仏は太陽の光のごとく耀いている。それに照らされて自分というものはそこにある。こういう具合に釈尊は念ぜられ、その念ぜられたままを語られたのであろうと思うのであります。

これは釈尊に限ることではなく何人もそうであるのでありまして、親鸞は(これはまあ後に話をせんならんのだけれども)よき人法然上人の教えを蒙って信ずる外に別の子細なし、自分なんかほとんど問題でないほど小さなもの、法然上人こそ絶大のお光である。法然上人が太陽であれば、これに比(くら)ぶれば自分は蛍の光に過ぎない。親鸞の自証の表面においてそういうように耀いた。そう耀く時に、そう自覚するときに、太陽の法然上人の光、それがそのままに全体自分の光となるのであります。法然上人を讃嘆している。

歴史的事実としては、歴史の世界においては、それがそのまま親鸞の光としてあるのである。これは民族の歴史の世界であります。単なる独我論なる自性唯心の世界においては、自分が偉大ならんがためには他の偉大なる師友たる人を讃めると損になる。他人を讃めると自分の存在がなくなってくる。ところが人生の歴史の世界においては、本当に自分の師たるところの法然上人の偉大さに打たれれば打たれるほど、親鸞の偉大さが耀き出されてくる。こういう一つの境地というものに眼を開くのが救いの世界、それがすなわち宗教的自覚の世界というものである。こういうような境地を少しばかりでもお話しさせてもらいたいというのがこの講壇上に立ちましたところの自分の願いであります。

それは自分の願いにほかならないのでありますけれども、その願いというも事実に裏づけられた願いがあるのだからして、その願いがあるという願いそのものは事実を証明して...願いはすなわち事実に証明せられてある。それがまた事実を証明するのである。これは仏教学の上において種子生現行現行薫種子三法展転因果同時、そういう具合に述べてあるのであります。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-6 (8/26)

釈尊までの間に五十三の光、釈尊の伝統というものは五十三、伝統の歴史というものに五十三の光がある。こう書いてある。過去七仏というようなところがだいたい釈迦種族の純粋本来の伝統であったものと見えますから、それがいろいろの種族の伝統と結婚することにより、このように広遠長久の伝統を映し出して、五十三仏の光明が現れてきたものと見える。もとより五十三仏というものはやはり七仏と同じものである。しかしながら、現れた光景はまったく別種であって、錠光如来、燃燈如来というものが『大無量寿経』の五十三仏においては一番新しい。まず過去の、いまは昔の長い自分の伝統の世界というものを静かに反省内観すると、まずその長い年代において、そこにまず直接に最初に見い出されたものは錠光如来である。そうすると錠光如来といえば一番新しい近い仏に違いない。

こう申しますのは、これは私は『大経』のいろいろの現在伝わっているところのもろもろの訳というものを全体見て、そういう具合に解釈する。そういう具合に解釈するのは当然のことである。その次その次とだんだん上にさかのぼってくる。これは当然である。その次その次というのはすなわちその前のこと。まことにあれは内観の世界、すなわち久遠伝統の歴史の世界を事実のままに照らすというと、最初は一番近く新しい、第二は次で新しい、第三はまた次に新しい、こういう具合にまったく順序を顛倒して読める世界、内的伝統の境界が展開せられるであろう。すなわち「次」というは次第に新より古にかえるのでありまして、そうして一番最古の仏、すなわち世自在王如来という一番古い仏の光に照らされて、そこにおいて法蔵菩薩というものを見い出した。こういう具合に記されている。

私はそういう具合に『大無量寿経』を聴聞する。こういう具合に開顕する一つの論証の世界というものがある。阿弥陀という久遠の仏の相、そういうものがそういうところにしのばれる。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-5 (8/25)

お釈迦さまの眉間の白毫相、まず外のお経のことは学問がないから一々挙げられませんが、『観経』のことは知っております。『観経』・『大経』はお手のものですから、『観経』・『大経』であったら間違いない。葦提希夫人(いだいけぶにん)がお釈迦さまに向かって、どうか私に本当に現代の悩める者を救う清浄業の浄土というものを教えていただきたい、こう言うと、お釈迦さまが眉間の光を放たれる。お釈迦さまの眉間から光を放たれたこともあると思います。お釈迦さまも身は人間だから、時には眉間の曇ることがあると思う。しかしお釈迦さまは自我的に曇るのでないのでありまして、われわれの曇るのとだいぶ違うでありましょう。しかしながら曇ることはありましょう。しかしお釈迦さまの曇りはその曇りの中から光っている。われわれの曇りは、ただいたずらに曇っている、それだけ違う。釈尊は大慈大悲の心をもって心に曇りがある。

釈尊がそれを聞いてその時に眉間より光を放ったと書いてある。それはそうでしょう、長い間どうしたらよいか、竪の皺を寄せておられた。葦提希夫人が、
  我、宿何の罪ありてか、この悪子を生ず
  る。世尊また何等の因縁ましましてか、
  提婆達多と共に眷属たる。      
           (『聖典』九二頁)

さすがお釈迦さまも微かに苦笑しておられたのでありましょう。曇りがある。ところがいよいよ、

  我に清浄の業処を観ぜしむることを教え
  たまえ、              
           (『聖典』九三頁)

こう言った時に、釈尊は何か知らないけれども、そこにそういう曇りが除かれて耀きがあった。竪の皺が寄るか寄らぬか、ここに眉間というものの意義があるのであります。これは人間の感情を最も正直に語っているのであります。これはみなさんの顔を一々見るというと皆一人ひとり解るのだけれども、ここから見ても解る、高い所から低い所を見ると皆さんの感情は一々手に取るように解る。解るわけだが本当は解らないのです。

そういうようなものでありまして、これはどうしてそんなことを言ったかいまは忘れました。けれども釈迦以前の七仏の話をしました。とにかく七仏の伝統というものを受けてきた。七仏というのは釈尊が語っている、人は知らない。他の人から見ればそういう七仏の伝統、過去七仏というようなものは、ほとんど誰の眼にも見えないような光です。顕微鏡ででも見なければ見えないような小さい微かな光でありましょう。それが釈尊の上には広大無辺な光になる。『大無量寿経』を見るというと、

  乃往過去、久遠無量不可思議無央数劫に、
  錠光如来、世に興出して・・・・・  
            (『聖典』九頁)

私だんだん考えて見ると、「乃往過去久遠無量不可思議無央数劫」というのは何であるかというと、その今は昔、昔の昔のその昔ということ。その今は昔、昔の昔のその昔というものを静かに念ずるというと、昔の長い時間、広い空間において、そこに錠光如来という光があった。それから五十三の光があって、過去五十三仏というものがあった。

こういうことは何か知らないけれども、単純なる釈迦種族の伝統そのままでないかと思う。あれは私は、釈迦種族の伝統と他のいろいろの伝統とが結婚して、伝統と伝統との結婚を機縁として、ああいう久遠の伝統の世界が映し出されたのでないか。正直に言うなら自分にはそういう境地は解らない。ただそうでないかと思う。そうでないか、こうと思うと、そうであろうかなあとなってくる。私はそうでないかと求める。そうでないかと、しかも疑っている。そうでないかと自分に聞くというと、なるほどなるほどと言う。私は自分に言って聞かせるというと自分はなるほどなるほど、如是我聞如是我聞、ちゃんと肯く。私が言えばみなさん肯かれるに違いない。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-4 (8/24)

もっとも一週間もこの講演会が続くのであれば、あるいは材料に窮してそんな話も出るかも知れないが、材料に窮しないものであるから、そんな話をする必要がない。材料なんかいらないのであって、こうして話していればよいのである。みなさんの顔が材料、みなさんの顔さえ見ていれば話ができる。たった一人では話ができない。一人で話ができる人もいるかも知れないが、われわれ常識者には人の顔を見ていないと話ができない。みなさんの顔さえ見ておれば、みなさんが話を聞きたい、そういう念願があれば話ができる。これは間違いないのであります。みなさんと私は一つであって初めて話ができるのである。だからみなさんは私の顔を見ておられればもうちゃんと解る。眼をつむって話を聞いても決して解らない。まず私の話を聞こうと思えば、私の顔を見ておられるがよい。私の顔のどこを見るかというと、私の顔の眉間をご覧なさい。ここに白毫相(びゃくごうそう)が見えますか。

白毫相に関しては私は一つの見解をもっているのであって、これはちょっと思い出したから一つお話してみましょう。こういうようなことは面白いことであります。また妙なことを言うようだけれども、一遍聞くと、なるほどということが解る。眉間の毫相、あんなものがお釈迦さまにあったか。思いますに、この二つにの眼は智慧の相である、そしてこの二つの眼を底辺、底角としてそこに三角形がある。等辺三角形か二等辺三角形か、あるいは顔によって二等辺になりあるいは等辺三角形になる。馬のような顔の人は等辺三角形、まるい顔の人は二等辺三角形。その三角形の頂点が眉間。みなさん人間の感情がふと動いてくる、感情はどこにあるか、ここ(眉間)にある。みなさんの感情というものはちゃんと眉間を見ていると解る。たいがいの人間は年が行くと横の皺ができる、これは仕方ない。けれども横の皺の外に竪の皺というものがある。敏捷なものでありまして、ビューッと感ずるというと竪の皺が出る。竪の皺が出た時に眉間の白毫が曇る。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-3 (8/23)

どうも私は十方浄土観があって、それが今度西方浄土に限定されてきた、そんなわけのものでないと思う。これはもろもろの伝統伝説というものが、どれが先だとか後だとか、そんなような前後なんか問題でないのである。ただどれが本当の純正なる人間の宗教的の要求、純正なる宗教的要求の具体化したものは何であるか。それが問題でありまして、後だの先だのというようなことは問題以外のことであります。私が思いますに、それはみんな初めから十方に浄土がある、そんなことを考えたのでないのでありまして、それぞれの浄土というものがある。そうしてその浄土というものは単なる理想でない。それはわれら祖先の歩み来たったところの足跡である。

私は、西方浄土といえば直ちにこの地球以外にまったく没交渉に遠い浄土がある、こんなふうに考えるものに、あえてそれを直ちに正面から反対するのではない。しかしながら、私はつらつら考えてみますというと、いろいろ浄土浄土と言っているけれども、浄土というものは、だいたい地球の上に深い因縁を有するものだ、これが私の出発点。浄土往生といえば何か空気のないところまで飛んで行かないと往生がないものだと思っている。ある人が言うには、浄土という国土は単なる国土でなくて、浄土というものはそこに生まれれば仏道を成就する国がある、そこが浄土である。こんなように言う。それはそうに違いない。違いないけれどもしかしながら、そういう浄土において仏道を成就するという証明はどこにある。この世界では仏道を成就することはできないということは、あるいは事実でありましょう。しかしながら、この世界絶対的に仏道を成就しないからといって、直ちに西方...十万億土という遠い所へ行って、そこで仏道を成就し得るという証明にはならない。西方過十万億仏土の極楽浄土の信楽(しんぎょう)についてはさらに別に証明を必要とせねばならない。この証明を欠くとき、浄土の信念は独我論的辺地懈慢界(けまんがい)にすぎないであろう。

われわれは、仏道というものも、浄土というものも、この現前の世界の人類のために要求されているのであって、突然何の証明もなくして遠い所世界があって、そこに仏道を成就する、そんな話を聞いたからといって何の感銘もない。そういう感銘はただ偶然的直接的一時的の神秘主義であります。神秘主義の信仰は観仏三昧の信仰である。それは念仏三昧の道ではなくして観仏三昧の道でなかろうかと思うのであります。観仏三昧・念仏三昧という事柄もいろいろ考えがありますけれども、きょう、そういうことを話している暇はなかろうと思いますから、そういうことはとにかくお話をしないことにいたします。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-2 (8/22)

いわゆる、伝説の華が千万種あって、七つの宝をもって造り上げられたところのそのいろいろの華が池や流泉の水を覆っている。そうして白い色には白い光あり、赤い色には赤い光あり、黄なる色には黄なる光あり、青い色には青い光ありというように池流泉を覆っている。蓮華の華と葉とを微風がそよそよと吹いて動かす。そうするとその葉にも光あり、華にも光あり、無量雑多の光が青黄赤白相互に映し交錯する。『浄土論』の偈文は簡単に「交錯して光乱れ転ず」と書いてあるだけであるが、おそらくは、ただいま私が申し述べたような意義を有するものでなかろうか。もちろん私はあえて主張するのではないが、『浄土論』二十九種の荘厳などというものはだいたいそういうようなことを書いたものでないのか。何かあれは単純に美妙なる世界、麗しきかな浄土、などというようなそんな単純な空想的な浄土でないのでありまして、もっと現実的なものを書いた。ただ沈思黙考するという、黙考ばかりしたってそんな浄土は化土であります。

真実報土はそんな化土ともっと違う。そういうように諸大乗経の上にもろもろの伝統があって、それが互いに交叉しまたこれが入り交って、またそれがいろいろに分かれ、そうして無量雑多の伝統というものが互いに交錯している。かくのごとくして私は『大無量寿経』、すなわち阿弥陀如来の本願修行、阿弥陀如来の因位果上の伝説伝統というものは、これはこのもろもろの伝説伝統の源泉主流である。

多くの人はまず十方浄土があって、そうして西方浄土というものを決められたものだ。まず無統一なる無量雑多の浄土観というものがあって、それから十方法界遍満の絶対浄土観というものが出てきて、それから今度西方浄土というものができてきたのだ。こんなふうに考える。こういう考え方は分段生死的の考え方であります。分々段々の断片的観念の積聚(しゃくじゅ)結合の考え方であります。客観的証明ではない、主観的説明である。もっともらしいけれども力がない。そういう話を聞いてもなんら感銘がない。はあそうかな、うまく話をしましたな、なかなかうまくごまかすな、ちょっと眉毛に唾をつける。このごろの浄土観についてのいろいろの人々の書いたものを見ると、しばらく眉毛に唾をつけよう、そういうものでないかと思う。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第4講-1 (8/21)

どうも昨日は序論で、本日はこれから本論を話そうというような心持ちでありましたけれども、いよいよ壇に立ってみればやはりきょうも序論、親鸞の仏教史観序説、すなわち序論というもので、結局序論すなわち本論、こういうことでありまして、本論でも序論でも結局つまり同一事であります。こういうようなことをだらだらと毎日話しても序論、まことに山鳥の尾のようにだらしないようではありますが・・・・・。

この頃は何かというと学界の常識と言います。君は現今の学界の常識を知らんか、と言われます。私には学界の常識よりは人間の常識がまず大事であります。学界にはとかく非常識者が多いから、学界にはまず人間としての常識が大切な問題で、学者として常識があるかないかよりは、人間として常識があるかないか、これが根本であります。

まず常識という言葉の弁解をしておきます。私の常識というのは、人間としての常識であって、学界の常識でない。学界においては非常識者、人間においては常識者。まあこれは一つの説明ではありません、証明でありますから一つのことをあまり諄々(じゅんじゅん)として何だか述べてきたようですが、私は説明じゃない証明です。証明の道を歩いております。だから、つまりみなさんに肯かせるのでなしに、私自身が自身を肯かせるのでありまして、みなさんがおらんで自分だけ肯いたら自性唯心(じしょうゆいしん)であります。みなさんが肯くということは私が肯くゆえん、私とみなさんと同一体。みなさんを肯かしめよう、そういう熱情が自分を肯かせるのであって、つまりみなさんをとおしてみなさんを縁として、私自身を自分に証明する、自証、そういう自証の道を説いているのであります。

いま、阿弥陀の本願が、いまも休憩のさい安藤州一さんのお話には久遠実成(くおんじつじょう)というお話がありました。

  久遠実成阿弥陀仏
   五濁の凡愚をあわれみて
  釈迦牟尼仏としめしてぞ
   迦耶城には応現する

というご和讃があります。そうして、私が述べたことに対してとにかく第十七願、諸仏称名の一つの役を勤めてくだされて、私は非常にありがたく感謝しております。重ねて来場の安藤さんに感謝いたします。

釈迦以前の七仏、この過去七仏ということはすでに『阿含経』の中に示されている。過去七仏というものが書いてある。そういうことなんかも、私はやはり、このまま受け取るのであります。何か知らないけれども過去の七仏の伝統というものが釈尊にある。おそらくはこれは釈迦種族と言いますか、釈迦種族の伝統であろうと思います。それと対比すれば、『華厳経』なんかにあるいろいろの伝説というものは、あえて釈迦種族だけの伝説でなしに、釈迦種族以外のもろもろの伝説で、異種族伝説が互いに触れ合ってきた、そういうようなことでなかろうか。『浄土論』の偈文(げもん)を見ると、

  宝華千万種にして、池・流・泉に弥覆せり。
  微風、華葉を動かすに、交錯して光乱転す。

という言葉があります。そんなものを持ってきて何を証明する、そうみなさんは言われるけれども、「宝華千万種あり」、すなわちこの宝の華、華というのはすなわちもろもろの伝統である。その千万種のもろもろの伝統伝説、それはむろんインドにあるところのもろもろの種族、もろもろの種族がだんだん交際し接触して互いに結婚してきた。人間が結婚するというと伝説も結婚する。人間と伝説とが一つに結婚する。そういうことが考えられる。だからいずれの民族の伝説も、自他内外の諸民族が互いに結婚することによって、伝説と伝統とが交叉し、その伝説がまた限りなく結婚して、そうして新たな世界的な久遠の伝統を照らし出した。そういうようなことも考えられる。

(親鸞の仏教史観 第4講より)

親鸞の仏教史観 第3講-10 (8/20)

あの『大無量寿経』の法蔵菩薩の本願において親鸞は仏教の原理を見い出した。仏教の原理、すなわち具体的の原理、事実の原理を見い出した。『大無量寿経』の歴史というのは、すなわち弥陀の本願展開の歴史である。こういう具合に親鸞は見い出したのでありまして、『大無量寿経』が真実の教えであるということは、その本願がこれを証明している。『大無量寿経』に現れているところのその本願が『大無量寿経』の真実の教えであるということを事実として証明しているのである。こういう具合に親鸞は信じておられるのであります。

もちろん、そういうことを言っても親鸞の証誠に徹底的に反対する人々もあるでありましょう。それに承認を与えないお方もあるのでありましょう。承認を与えないお方があるから証明の必要があるのであって、初めからみんなが承認したら...みんなが初めからそれを承認するくらいなら初めから本願はないのであります。本願があるということを承認せしめるために本願があるのであって、承認せしめるということは承認しないものを前提として、承認せざるものをしてやがて承認せしめんために、本願というものが開顕されたのである。こういう具合に言わなくてはならないのであります。

だからしてこの阿弥陀仏の本願というものに対して反対するものは、仏教の歴史の上において見るならば、ほとんど仏教の歴史というものは、昨日も申しましたように、この本願疑謗の歴史であった。まことに内面には本願信順の歴史であるとともに、また外面から見れば本願疑謗の歴史であった。本願疑謗が外に盛んになるほど、本願信順というものが一層内部に深められる。本願の信順が深められれば深められるほど、疑謗の声もいよいよ盛んである。こういうことになるのでありまして、疑謗があるからといって、これを疑うべからざるものであります。

こういう一つの論証の道というものは、親鸞もまたこれを認め、それに反対されるところのその旗頭の日蓮上人もまたこれを認めておられます。『法華経』をみんな信ずるならば日蓮上人はいらぬ。みんな信ずるならば日蓮上人はいらんのでない、いないでありましょう。だから疑謗が盛んであれば盛んであるほど、日蓮上人は強く叫ばれるのである。かくのごとき事柄は畢竟ずるに事実問題であって理論の問題でない、実際問題である。そういうことになると思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第三講終わり)

親鸞の仏教史観 第3講-9 (8/19)

しかしながら『大無量寿経』の四十八願は数の問題でない。数なんかどうでもよい。四十八が四十五であろうと四十であろうと三十七であろうとそれが十一であろうと、何も二十四願が必ずしも必要ないのであって、親鸞はたった八願しか採用していないから、親鸞によれば法蔵菩薩がたった八願を作ってもよい、八願で結構だ。『教行信証』によれば親鸞はわずかに八願を引用している。八願によって真仮(しんけ)、真実・方便、あらゆる問題を八願というものを原理として親鸞はそれを証明しております。したがって八願以外のものはあってもなくてもよいのである。あって差し支えなく、なくても別に足らぬことはないのであります。あとどうでもよい。

けれどもあの八願だけは親鸞から見れば必然的のものであります。親鸞においてはその一つをも欠くべからざるもの、こういう具合に親鸞は確信しておられるのであります。だから何も四十八といって人をこけおどししたのでない。数をもって人をこけおどしして、釈迦に五百の大願あり、法蔵に四十八しかないではないか、五百発∧おこ∨そうが一万発そうがそんな数なんかどうでもよい。その内容の問題。四十八願なお多い、八願でよい。もう一つ八願もいらんので、第十八願たった一つでよい、そうも言われる。一つでもよいのであるが、しかしまあまず全きを欲すれば八願である。こういうのが親鸞の領受されたところの境地であったであろうと思われます。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-8 (8/18)

この『教行信証』の教巻(きょうのまき)の言葉を聴聞しますと、

 弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、
 凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施する
 ことをいたす。釈迦、世に出興して、道教
 を光闡して、群萌を拯い、恵むに真実の利
 をもってせんと欲してなり。      
          (『聖典』一五二頁)

こういう具合に『大無量寿経』の大意というものを述べておられます。極めて明瞭である。この文字はまったく経典の文字である。一つでも親鸞の私見を加えぬ。経典の中に経典の大意を見い出した。経典中に経典の叫び声を聞いた。経典中に経典自らその大意大綱綱格を叫んでいる。その叫び声を聞いて、その聞くところの声を写し取って、「弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす」。したがって、これによるがゆえに、「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」。ちゃんとつかまえるところをつかまえた。いかなる人といえども、真実に道を求め、真実に道を歩むところの人は、いやしくもその言葉を聞いたならば頭がさがらなければならない。これは絶対の権威をもって道が道自身を語っている。道自身が名のりを挙げている。絶対の命令である。無上命法である。

この『大無量寿経』の本願、本願といっても初め、昔の古いお経に二十四あった、それがだんだん増えて四十八願というものになった、そんなことを言う人がある。あるいはそうかもしらん、それはそれでまた事実だある。二十四願は古い型のお経であるし四十八願は新しい型のお経である。それを否定するのではない。それは、ああいう一つの編纂された経典の型としてはそういう順序であるであろう。それを否定するのではない。それはそのまま肯定して差し支えない。私はそういう一つの唯物的歴史観、唯物仏教史観、そういう一つの史観というものを認める。認めるがゆえにそういう一つの仏教史というものを私は変えてくれ言うのでない。それはそれに違いない、それはそうであろう、けだししからん。けだししからんと、それは承認するのである。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-7 (8/17)

私は常識主義者であります。極めて穏健な常識主義者、あまり穏健なことを言うと奇抜に聞こえるのであります。みなさんには奇抜なように聞こえるけれども私は穏健なことを言う。今穏健に思われている人の方がかえって奇抜なことを言っているのであって、さきほど申しましたように、驚くべき奇抜なことを言っている。私は穏健なことを言うと、奇抜な説だ、こういうふうにみなさんお聴きになるでしょう。静かにいかなるところが穏健、いかなるところが奇抜か、考えるとわかる。

まあ世の中の事柄というものはしっかり考えなければいけません。ただ文字を並べたり、また活版刷の文字をもってごまかされるというと大変間違わされます。実際自分の常識というものに尋ねて、自分の実際自覚というものに尋ねて、そうして一つ一つのことについて、何か学問を振りかざして異安心問題だの、いろいろ偉そうなことを言っているけれども、結局感情の衝突である、結局利害問題であるということは、今も昔も同じこと。

だからしてたいがいの人が何のかんの言っているけれども、そういう者を相手にしないのが本当。そんな者を真面目に相手にしようものならとんでもない目に遇う。人が何か言った、そういう時はよそみをして黙って相手にならんというと、向こうが疲れて沈黙するでありましょう。黙っておればいつも沈黙する。ところが、相手になるというと向こうのペテン、策略にかかったことになる。

だからして、この部派時代において仏教界にまったく統一がなかったと考えるのは、それはよほど皮相な見であって、部派時代、小乗二十部が分裂したとかせぬとかにかかわらず仏教は大乗一味であった。大乗一味は釈尊の時代からずっと一貫している事実でありまして、決して龍樹(りゅうじゅ)・馬鳴(めみょう)によって初めて大乗仏教が興り、仏教が統一されたのでない。龍樹とか、馬鳴とか、そういう人々によって初めて仏教が統一せられたのでなくて、彼らはただ仏教統一の原理、小乗諸部の分裂闘争というものを縁として、そこに新しく仏教統一の一つの道を、はっきりしたのであります。それに過ぎないのである。仏教が純一の流れをもって流れているということは、それは摩訶提婆が五事のの妄言を吐こうが吐くまいが、そういうことにまったく関係ないことである。まったく無関係に純一な仏道の歴史というものは静かに象王のような足取りをもって、内に内に展開し流れてきておったということは、これは争うべからざる、疑うべからざることである。

その証拠はどこにある。『大無量寿経』がこれを証明していると親鸞は答えた。親鸞は『大無量寿経』をもって真実の教え、如来興世の真説、一乗究竟の極説である、こう申しました。なぜ『大無量寿経』が真実の教えであるかといえば、浄土真宗を開顕しているからである。浄土真宗の道を開顕した、浄土真宗という一つの道の歴史、道の自体の展開の歴史、その道の歴史の中にあって道の歴史を明らかにしている。ゆえにすでに『大無量寿経』というお経がまず成立してそれから『大無量寿経』の歴史が始まったのでなくて、『大無量寿経』というものはすでに道の歴史の中にあの経ができたのである。すでに道の歴史というものを前提として『大無量寿経』というものがある。こういう具合に親鸞は観ておいでになるのであります。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-6 (8/16)

それはなるほど仏教の歴史の上におきまして、例えば仏滅後におきましては部派時代、すなわち二十部等の小乗仏教、教団分裂の時代というものがあって、そこになんら統一というものがなかった。けれどもあの分裂は誰が分裂しているかというと、分裂し相争っているものは坊さんたちである。ただ僧侶が分裂しているのであります。今日宗教界がやかましいやかましいというのは、坊さんがやかましい、やかましいのは坊さんだけ、今も昔も変わらざりけり。いや何某寺がどうだ、何某宗がどうだ、いや何某教がどうだ、それは教師とか牧師とか僧侶とか、そういう者が争っているのでありまして、そういう者を無視するというと一般民衆は天下泰平である。これは昔も今も同じことであります。

今をもって昔を知り、昔をもって今を知るべし。いつでも同じことである。真理は変わらないというがいつもそのとおりである。摩訶提婆(まかだいば)という一人の坊さんが擾乱(じょうらん)のもとを播いたというように記されているのでありますが、なるほどそうでありましょう。あれはみな坊さんの喧嘩であります。名は教理によっているけれども実は坊さんの勢力争い、権力の争奪である。そういうことに迷ってはなりません。われわれは小乗二十部の争いというものはいかにも純正な教理というものから分裂したものだ、戒律の問題とか何とかいうものから分裂したものだ、こう言っているけれども、畢竟感情の問題、名利の問題。これは昔も今も同じこと。これは昔の人間は偉かった、今の人間は不都合、そういうわけでない。昔の人間も人間、今の人間も人間、人間に変わりない、同じことである。

要するに摩訶提婆という何か偉大なる少し変わり者が出てくると、すぐに坊さんたちは彼奴は言うことはなるほど随分面白いけれどもあの人物はそもそも不品行な人間、こういう具合に吝(けち)をつける。その人物が不品行であろうが何であろうが、その言うこと真理であるならば真理である。また現在その人間が本当に真面目であるならば、何も過去の古傷を探さんでもよいわけです。けれども昔も今も一人何か偉い人間が出るというと古傷を探す。どうも困ったことであります。けれども、そういう困ったことは、どこにでもあるものだから、たいがい昔というものもどんなものであるかということは、私は自分の常識をもって推測することができる。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-5 (8/15)

親鸞の仏教史観、これを簡単に申しますというと、親鸞によれば親鸞自身まで二千年、仏教二千年の歴史、今日ではいわゆる三千年の歴史、この仏教の二千年ないし三千年の歴史、それの根幹は何であるか。それは『大無量寿経』である。親鸞によれば仏教史の根幹は『大無量寿経』である。仏教の歴史は『大無量寿経』流伝(るでん)の歴史である、三千年の仏教歴史は『大無量寿経』の流伝史である。『大無量寿経』を根幹としての仏の道、仏道というものが歩み歩んだ歴史的展開、すなわち仏道というものが歩を進めたものである。その道が歩むことによってそこに人類が救われたのである。人類が自覚し、また人類が救済されたのである。また人類が解脱出離したのである。

仏道が歴史的に展開し歴史的に歩み、仏道が歴史的に展開することによって、あるいは仏道史を大地として、畢竟の依拠として、それにおいて人類衆生が如是(かくのごとく)に生まれ、またそれにおいて衆生が如是(かくのごとく)に死んだのである。そこから一切衆生が満足して生まれ出で、一切衆生がその中に安んじて死んで行ったのである。仏道の歴史を母胎とし、また仏道の歴史を墓場として、それにおいて呱々の声を挙げ、それにおいて最後の遺言をして死に得たのである。

そういうふうに親鸞は考えたというよりは、そういう客観的事実を親鸞が承認したのである。承認せずにおれなかったのである。承認せしめられたのである。かくのごとく親鸞は聞いたのである。如是我聞である。私はそういうことを感ぜざるを得ないのであります。

されば、昨日申しましたように、八万の法門蔵は百花爛漫として仏教史上を飾っております。けれどもその百花爛漫つるこの仏教史上の花は、それは『大無量寿経』を根幹として時々に栄え、また『大無量寿経』を根幹として所々に咲き乱れているのであります。常に新しいもろもろの花は永遠にますます盛んに、八万の法門蔵は栄えるだろう。それはその根幹に『大無量寿経』というものがあるからである。『大無量寿経』が流れている。『大無量寿経』が一貫している。こういう具合に親鸞は認めて、その事実を親鸞は信じて疑わなかったのである。こういうように私は申すのであります。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-4 (8/14)

私は常識主義ですから、なるほど単に現に伝来せる大般若思想というものを整理したり、あるいは華厳思想というものをまとめて整理したり、無量寿仏思想というものを整理するということは、六百年なり八百年後に整理したということはうかがわれる。しかしそれ全体を、無より有を創作したものだということは、断じて諾(うべな)うことができないのであります。自分は常識者であるから諾うことができないのである。そういう神秘主義は諾われないのであります。それは、おそらく大乗経典の内容をいかに整理したか、まとめて整理したということでありましょう。だから現存の『大無量寿経』の中にも前後の文字が混乱しているというようなところがないわけでもないし、間違った思想がはいりこんできた、そういうことがまったくないわけでもなかろうと思います。しかし、そういうことは今ここに言う必要はないのである。

何しろああいう大乗経典の内容というものは、おそらく釈尊以前よりの伝説でなければならぬのであります。そういう遠い深い伝説を背景として、その中から釈尊が、ゆかしくもまた勇しくも天上天下唯我独尊と、産声を挙げてくだされたのである。そういう伝説を離れては天上天下唯我独尊ということは、後世(こうせ)の作りごとか詩人の形容詞かに過ぎないのであります。けれども、私はそれが釈尊の背景、大乗仏教にあるところのあの釈尊の本生譚(ほんじょうだん)というものは、釈尊の深い背景内面である、釈尊をして釈尊たらしめるところの根源的背景である、かかる深い広大無辺な光というものの中から釈尊が誕生せられた、そういう伝説伝統の中から釈尊が誕生せられた、こういう時に初めて、釈尊が生まれると同時に天上天下唯我独尊と叫ばれたということも、私には文字のままにすなおに受け取ることができる。われわれ常識者はなにか不可思議な、なにか妙な神秘主義のようなものを捨てて、極めて明るい心をもって、釈尊が天上天下唯我独尊ということばと共に生まれたのである。こういうことをすなおに受け取ることができるのであります。私はこの経典に書いてありますことをすなおに受け取ることができるということは、そういうことの意義でなかろうか。こういう具合に思うのであります。これらのことは、昨日長くいろいろ話したことをもう一遍考え直し、見直してみるとだいたいそういうことになるように思います。

こういうような立場から、法蔵菩薩の物語、西方浄土というような問題にも、昨日少し触れて話しました、西方浄土ということばは言わないけれども、そういうことの原理について話をしたと思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-3 (8/13)

『法華経』は仏滅後何百年に何処(どこ)何処あたりに説かれたものである、何かの寓意を誰か比喩的に創作したものである。『大無量寿経』というものは仏滅後それからまた幾らか以前に、象徴的にそういうものが誰かによって創作されたものである。さらにさかのぼって『華厳経』、あれは第一に『大般若経』というものが創作されて、それに次いで『華厳経』というものが創作せられた。みなそれぞれ誰か創作したものである。ああこれは何と驚くべきことでありませんか。そういうものが現に存在してあるものだから、何びとが創作したものだと、具体的なる結果から抽象して原因らしいものを考えて誰かが創作したものに違いない。創作しないものが現にあるはずがないから、必ず誰かが創作したものに違いないと言うだけであって、いったいああいう深広(じんこう)なる大智慧海が勝手に創作されるものかされないものか、いったい今日の人々がそういうことを考えられるか考えられないか、そういうことを根本的に反省してみたらどうか、これが問題。善財童子のあの物語だけでもあれだけのことをいったいどうして考えられるものか、ああいうことを考える人があるとしたならば、それはどんな広大勝解(しょうげ)の人でありますか。

それはお前のような凡人は、どうせそういう能力がないのだからそう思うだろう、俺はそうは思わん、ああそうですか、と私は言って沈黙します。もうそういう人と語る必要がない。ああそうですかと言うよりほかない。驚きあきれるよりほかありません。

これはたとえまた誰人かがそういうものを創造したとて、それをただ五十年か百年の間にこれこそ釈尊のお説きなされた真実の大乗経典だと言っても、人が信ずるものか信ぜぬものか、常識の判断がつくべきでないか。それは、なるほどすでにそういう立派な内容が久しい以前より伝説せられ民衆の信認するものがあって、ただそれの秩序を整えて、とにかくいろいろと乱れて矛盾していったものを整理して、ある一定のところまで完成した、そういうことが創造だということであるならばそれは正しい。それは肯定できる。しかし、その一切の内容までもある一人とか二人とか、その人々が創作した、そういうことは私には承認できない。承認したくても私の常識にはできない。それは超常識の学者ならば承認なさるであろうけれども、われわれ平凡な常識者には承認できないのであります。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-2 (8/12)

もろもろの経典の中に釈尊の本生、釈尊の前生(ぜんしょう)というものについていろいろさまざまのことが書きつらねられている。それは何を意味するのか。それは単なる主観的観念であるか。単なる想像であるか、単なる概念であるか、そういう一種の単なる人間的要求であるのか。この問題に触れることなく、それらの伝説を無批判に自己の小主観によって、ただちに個人の単なる主観的要求であると独断するのは、要するに一つの説明である。ただ与えられた事実についての一つの説明に過ぎないのであって、事実の事実たるゆえんの証明にはならない。いかに巧(たく)みに事実を積聚し説明したって、説明は遂に事実ではないのであります。事実をして事実たらしめる客観的証明ということによらなくして、それは客観的事実であるということはないのである。説明は畢竟主観の範囲を超えることはできないというようなことを話したと思い出すのであります。

広大無辺な『華厳経』の法界、深遠(じんのん)不可思議なる『般若経』の般若の境界、久遠の闇を遍照するところの『法華経』の本門開顕、また平等一如の法界より無縁平等の大慈悲を垂れたまう『大無量寿経』の法蔵菩薩の本願成就の物語、あれらは単なる孤立せる物語や寓話であろうか。

あの地涌(じゆう)菩薩の『法華経』の話は単純なる物語であろうか。三千大千世界の大地が六種に振動して、大地が俄(にわか)に裂けてその黒闇の地底からして無量無数の荒くれ男が、大地を割って躍り涌き出でた。その涌き出でたそれらの人々の放つところの光明というものは、いまだかつて見たことのない荘厳なるしかも新しい菩薩たちが地の底から俄に一時に涌き出てきた。いまだかつて見たことのない英気溌刺たる若者どもが躍り出てきた。いままでは文殊とか普賢とか観音とか勢至とかいうような長老たち、年老い徳高く自ら尊び門閥を誇っておりました、従来、もろもろの経典の会座(えざ)において久しく常に上首として高き門閥を誇っていたところの弥勒や文殊や普賢や観音や勢至や、それらの長老はまったくその光を失った。それらの人々の数には限りがある。しかるに新しく生まれて現れ来たところの、何等の氏もなく、何等の祖先の誇り、何等の語るべき伝統もない若き菩薩たち、いわゆる荒くれ男、野蛮人、自然人そういうような尺寸の布をさえ纏(まと)わぬ赤裸々たる若者どもが、ぞろぞろと渦の巻くように涌いて出た。

これは単なる物語であるか。ああいうことを単なる昔の人の一夕物語だと考える人があるでありましょうか。ああいう物語は何か知らんけれども一種の観念界、そういうものを描いたものだ、そんな風にすましておられる人間が今日あるか。しかり、現にあり、滔々(とうとう)としてある。これは現代の不思議である。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第3講-1 (8/11)

昨日、親鸞の浄土真宗というものは、要するに親鸞の感得したる仏教史観であるということをだいたいお話しいたしました。それでこの仏教の歴史は、もちろん釈尊をもって仏教の教主とすることは申すまでもないことであります。けれども、それはあたかも日本の歴史が神武天皇の即位をもって日本の紀元を決めていると同じことであって、わが民族祖先の歩みというものは決して神武天皇に始まったのではない。むしろ神武天皇の即位以前、すなわち神武天皇の背景となるところ、それは空間的にもまた時間的にも測り知ることのできない長遠広大の背景もっている。すなわち神代という深い背景をもっている。この歴史以前の長い深い背景をもって、その深い遠い長遠無際の自然生活時代の伝統を背景として、神武天皇の建国の大業がふみだされた。そこに日本建国の歴史というものの真実の意義がある。すなわち万世不易天壌とともに窮まりないところのこの日本というものの根源というものは、まさしく神武創業以前の神代にある。

そういうものを一つの例証としまして、親鸞によって観れば、仏教三千年あるいは二千年の歴史というものには、仏教の教主たるところの釈尊の背景には、時間的にも空間的にも測り知ることのできないところの深広無辺なる背景の源泉があるということを、昨日話をしたと思うのであります。

したがって、この大乗仏教というようなものは、いわゆる根本仏教、あるいは小乗仏教、そういうものから分々段々に発展して、そうしてあるいは理論的に、あるいは理想的に、また神秘的に、いろいろの要求からして、大乗仏教というものが発展し成立した、小乗仏教から大乗仏教が発展したものだ、発展したものだという事実をしいて否定するのでない。ただ、いわゆる発展ということは、いかなる意義においてそういう発展というものが成立するものであるか。ただ発展したものだというだけで尽きている。こういう具合に考えているような仏教歴史、そういう仏教史というものは一つの唯物論的仏教史、それは唯物論的仏教史観という原理を予定して、そうしてそういうことをすでに確実にして、疑うべからざるものと決めているのでないか、ということを申しました。

それは一種の事実であろう。いわゆる断片的積聚的(しゃくじゅうてき)なる唯物論的事実、唯物史観の事実であろう。けれども、唯物史観的仏教はことばをかえて言えば分段生死の仏教、分々段々、きれぎれの事実をもっともらしく寄せ集めて、断片的単純なるものから積聚的複雑なものをだんだん寄せ集めて上手に並べることがいわゆる仏教史というもので、それで仏教なる体験的事実を説明し尽くしたものであるとするならば、それは単なる仏教の形骸(けいがい)の説明であって、仏教の本質の証明では断然ない。外的説明と内的証明というものを、ここにはっきりと区別しなければならないのである、というようなことを話したと思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第3講より)

親鸞の仏教史観 第2講-4 (8/10)

もとより釈尊の自覚の光景につきましては、われらごとき者が容易に言うことはできないのでありますけれども、われわれはそのことにつきましては、なおもっと明らかにしなければならないのであります。が、きょうは何だかはなはだ漠然たることを言って要領を得ない、やはり夢物語のようなことを申したのでありますけれども、この仏教史、釈尊をして釈尊たらしめるところのその根源根拠、そこに仏教の根というものがある。その根が深くして仏教の将来の幹亭々(ていてい)として空に限りなくそびえているし、そうして枝も葉も花も百花爛漫として年と共に月と共に栄えいくということは、その根源が釈尊の仏教茫洋(ぼうよう)たる釈尊以前というものにあるのでなかろうか。釈尊以前と申しましたけれども、ここに私が以前というのはいわゆる以前ということではないのであります。釈尊の自覚の以前でありまして、自覚しない以前、頭で考えた以前ではないのでありまして、釈尊の自覚の事実としての以前であります。

そういうように観(み)てくる時になると、二千年の仏教史というものもまったく違った天地というものが開けてくるのでなかろうか。今、金子さんのお話になりました分段生死(ぶんだんしょうじ)の言葉を思い出すと、この頃多くの人の考えている歴史観は分段生死の歴史観であります。しからばすなわち今や仏教は分段生死を受けている。いわゆる華厳・天台が出ると華・天の分野である。その次には禅宗の熱が出ると本来無東西。本来無東西と言っている人間が、やはりどうかするというと方角が善い悪いと言って、西日が部屋へはいる暑くて困る困ると言う弱い人間が、本来無東西とは何事である。太陽とにらめっこができる、それくらいの大見識をもっていたら本来無東西と言われるけれども、太陽を見つめると眼が潰(つぶ)れるような人間が本来無東西とは何事である。そうかというと、西方願生(がんしょう)するなどと言って、どこか先の西方を念願する。いったいそんなことが本当に念ぜられる力があったら太陽とにらめっこができるはずでないかと思います。

そんなことを言うと、あるいはみなさんの中に感情を害して、何だ不都合なことを言う、と腹を立てる方もあるかも知れないが、腹を立ててもよい。こういうことはもっと虚心坦懐に道理を明らかにしていかなければならないということを私は言っているのであります。

今日の仏教史というものがまことに貧弱な分段生死を受けている。今の仏教は、本当に仏教らしく分段生死を超えて、分段生死の仏教史から変易生死(へんやくしょうじ)の仏教史というものに転回する道がないか、こういうことが問題なのであります。これは、今、金子さんのお話を聴聞したものだからそういうことを考えたのであります。これは金子さんからのご回向。要するに今の仏教史は分段生死の仏教、仏教そのものが分段生死を受けている。そういう分段生死から進んで本当の変易生死というものを受ける世界がないであろうか。そういうところの本当の仏教史というものがないであろうか。

つまり、私は思いますのに、親鸞のこの仏教史観というものは、今少しそういうような境地を明らかにしていく、こういうことでなかろうか、と思います。

要領を得ないようなことを言いましたが、どうもじぶんでは要領を得ているのだけれども、あまりに要領を得過ぎて、もうちゃんと結論が先に出ているから要領を得ないようになるのであります。きょうはこれだけにしておきます。

(親鸞の仏教史観 第二講終わり)

親鸞の仏教史観 第2講-3 (8/9)

けれども、かかる広大無辺の大聖業はかかる短日月をもってしてできるべきものか、できるべからざるものかということを、われらは思いを空∧むな∨しうして考えてみなくてはならないことでなかろうか。人々は在るものだからできた、できたからあるのだ、こう言うでありましょう。けれども、できるというにはどうしてそういうものができたであろうか。ただ現に在るからできたと言うのでは解答にならないのでありまして、できたということには、それはどうしてできたのであるか。どうしてできたかということは、それはいかなる意義をもち、いかなる内容をもつかということが、そこに初めて明らかになるであろうと思うのであります。

この大乗仏教というものを生かすその基礎はどこにあるか、土台はどこにあるか。土台は土、その清浄(しょうじょう)純粋の客観的土は、浄土。その大乗仏教を生かすところの浄土はどこにあるか。それはちゃんと経典を見れば釈尊の本生譚(ほんじょうだん)として知られる。だからして釈迦の本生ということは単なる一つの観念とか、単なる主観的感情とか、単なる世俗のいわゆる象徴ではない。正しき意義の象徴ということはいったいどういうことか。私の考えによりますと、象徴という言葉は、それを現代の人はどういう具合に使っているか、ずいぶん乱雑に使われているようである。けれどもこの象徴という言葉は、大乗仏教の経典の言葉にさかのぼって見ると、荘厳ということ。浄土を荘厳する、このお浄土を荘厳するということは、つまり過去の釈迦の背景をもって往く先を荘厳する。また往く先をもって、過去に照らされた未来をもってさらに過去を荘厳する。未来において過去の相(すがた)を写し、また過去において未来の相を写す。この過去と未来とを現在というものにおいて統一する。こういうことでないであろうか。

私は、自分には研究とか思索とか体験とか、そういうようなことは知らないのであります。そういうことは自分は何もない。ただあるものは如是(かくのごとき)の人間があるだけである。これが研究であるか、これが思索であるか知らない。ただこういうものがある。こういうものが現在ある。現在あるのはただこれだけである。われらはかくのごとく貧弱な現在であるけれども、これには久遠の限りなき祖先の歩みというものを後にして、そうしていまだ生まれざる子々孫々というものを動かすべき使命をもっている。われらの前途はただ光である。われらの前には限りなき光があり、われらの後には限りなき命がある。

限りなき命に裏づけられ、限りなき命に発遣(はっけん)せられて、限りなき光に招喚せられている。発遣せられるものは限りなき寿命である。招喚せられるものは限りなき光である。光に招喚せられ、命に発遣せられる。命に自分は遣わされて限りなき光に招喚される。われらの前途は光でありわれらの背後は命である。

(親鸞の仏教史観 第2講より)

親鸞の仏教史観 第2講-2 (8/8)

この釈尊の自覚の現在の境地を憶念しますと、その未来は空(くう)の空なるものである。いわゆる空・無相・無願の世界であります。釈尊が自覚の現在に立って、自分の向かう前途を見れば、ただ空の空なるものである。久遠尽未来際の末まで空の空なるものである。無相であり畢竟空(ひっきょうくう)である。その境地は空であり無相であり無願である。しかしながら、静かに釈尊を生み出したところの釈尊の過去の母胎、釈尊の内面的背景、それはすなわち諸仏菩薩の積功累徳(しゃっくるいどく)の体験の世界である。そこには、祖先の生命を捨てた、しかして祖先の真実永久の生命を得きたったところの体験、祖先の証験し来たったところの無量広大の本願の境地というものがある。この限りなき、数知らぬところの祖先の体験、それを釈尊は畢竟依の大地として、光台として、その上に釈尊は立ちたもうたのであります。しかして彼は、この空にして無相にして無願なる世界を荘厳して、それを具体化しそれを象徴化し、かくのごとくにして彼は千年万年の後までもこれを懸記予言(けんきよげん)したもうた。

懸記予言するということは頭で考えることではありません。予言するということは着々として歩くことである。予言の底には必然の世界がある。しかしながら、この歩き来たった世界は偶然の世界である。この背景の世界は必然の世界ではない。しかし、その照らすところの未来、そこに描き出すところの世界は必然の世界である。釈尊が頭で描き出したというのでなく、釈尊の感得せられた実践、仏教は歴史的実践である。仏道の歴史にこそ真実の歩みがある。常恒に今現在説法(こんげんざいせっぽう)する。単なる八十年の一人間としての釈尊は、それがいかに偉大であっても人間である。

したがって、釈迦が『華厳経』を作り出し、あるいはもろもろの大乗経典を作り出す、八十年というけれども、それから三十五年引くというと、たった四十五年である。三十年を引いたとしても残るところは五十年である。わずか五十年のあいだにああいうものを作り出すということ、それは想像することすらできない。これは現代仏教学者とその所見を一にするところである。しかし、仮に釈尊が千年二千年の命をのばしても、あの広大無辺なる諸大乗経を作り出すことはおそらくできないことではなかろうか、と私は思うのであります。それで、私は現代仏教学者が大乗経典というものを、ただ釈迦出世以後わずか数百年とかいう、そういう短日月の間に創造されたというが、それはそういうものが発展してくる、そういうものが生まれてくる、そういうものが作り上げられてくる、そういうことはただできるものだと独断的に予定しているものである、そう言うよりほかはないのである。

(親鸞の仏教史観 第2講より)

親鸞の仏教史観 第2講-1 (8/7)

率直に申せば仏教の根源、仏教は釈尊によって創(はじ)められたものでないのでありまして、何か知らないけれども釈尊というものは一つの従来ありましたところの伝説の中に呱々(ここ)の声をあげさせられたのでないでしょうか。伝説には民族の久しい間の実践実行の根拠がある。また同時に、それは民族の実践実行の底にもっているところの要求または感情である。その長き深き伝説、そういう深遠(じんのん)なるところの伝説伝統の中に生じて、その伝説伝統を選択統一して、そうして未来世に生まれたわれら一切衆生の歩むべき方針を明らかにせられた。それがつまり釈尊の証、釈尊の出世の位地というようなものでなかろうか、と私は思うのであります。

仏教の真理は釈尊によって創め作られたのでなしに、仏教の真理は始めなく終わりなし。釈尊以前に、釈尊の出世するとしないとにかかわらず、仏教の真理は実に変わりがない。それの種々の観点から象徴化されたる無量雑多の伝説、ただこの混然としておりましたところの伝説、この仏道象徴荘厳の伝説、それに正しい選択と方向とを与えた、それら全体を締めくくって、そうしてさらに新しく行くべきところの方向を与えられた、そこに釈尊の深広無底(じんこうむてい)の自証というものがある。

そういう釈尊の自証というものは、例えば四諦(したい)とか十二因縁(いんねん)とかいうもので、いったい釈尊がそういうようなことをおっしゃったのであるか。釈尊がそういうことをおっしゃったという証拠もあるわけではないでありましょう。もちろん釈尊自ら筆を執って書かれたことはなかったし、また釈尊の直弟子たちが筆を執って書いたという証拠があるわけでもなし、釈尊ご入滅の後に初めて釈尊の説として伝説されているに過ぎないのであります。だからして、それらの例えば四諦とか十二因縁とか六波羅蜜(ろっぱらみつ)、そういう形式というものは、単にある不可思議の境地を釈尊の滅後、弟子たちが古き伝統伝説によって分析再成したのであって、単にこれのみによって仏に成る道というものが出てくるのでないでありましょう。それらが本当に仏道に相応し、仏道の方法としての菩薩道であるためには、それらの法門を裏づけるところの釈尊の背景、背景の伝統というものに照らされ摂取せられて、そうして初めて、何かわからないけれども一つの生命、そういうものがそこにあるのでないか、そのように私は思うのであります。

したがって、大乗仏教というものは釈尊以後に発展生起(しょうき)した仏教ではありません。釈尊以後に発展した、理論化形而上化され、あるいは理想化神秘化せられましたものではなくて、釈尊の一つの自証というものを、釈尊の自証をして本当に自証たらしめるところのその背景、時間的にまた空間的に広大無辺の背景として初めて仏道がある。私は仏土とか浄土とかいうのは、この背景を指したのだと思う。かくして浄土の問題も、少なくともその解決の端緒を得るというものである。

(親鸞の仏教史観 第2講より)

親鸞の仏教史観 第一講-12 (8/6)

大乗仏教の中の釈尊の本生譚というものにつきましては、それは『般若経』でありましても、あるいは『華厳経』なんかでもさまざまの伝説があります。われわれはそういう伝説はすべて仏滅後に創作されたものとして承認できるであろうか。いったいそういう広大無辺な物語がわずかに仏滅後数百年間にできたものであるか、あるいはそれは幾万年かの仏以前からの伝統というものがあってのことであるか。これはわれわれ深く思いを静めて、真実に仏道を求める人はもちろんのこと、たとえ仏教史の単なる学問研究、いわゆる唯物的理知的研究をするところの人でありましても、そういうことを唯物的に考えてみてもまた多少の価値がないということはなかろうと思うのであります。あえて物としても、相当高価な価値をもっている物だと思うのであります。あの広大無辺な華厳三昧の境界というものが、まさしく現今、存するごとき一つの『華厳経』という成立経典として結集せられたということは、それはなるほど仏滅後どれだけの年代を経てまとめられたかということは、正しい議論であると思われる。

あるいは、今日わが日本に伝わっておりますところの『大無量寿経』、あの経典が仏滅後いつ頃だいたいああいう形のものにまとめられたものであろうかということは、あるいは今日の仏教学者の言っておりますことは正しいことにちがいない。われわれはそれをかれこれくちばしをいれるべきものでないということは知っております。ただわれわれの問題は外形の問題ではなく内容の問題。内容を離れて、いたずらに外形のみをあげつらっている、それはちょうど毛虫が植木鉢の縁を回っていると同じことであります。これは毛虫が植木鉢の縁をぐるぐる回って、輪廻してついに機根が尽きて死んでしまうというような結論になるものでなかろうか、と思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第一講終わり)

親鸞の仏教史観 第1講-11 (8/5)

われわれ仏教を知ろうとすれば人間釈迦の背景を見よ。この釈迦をして本当に仏陀たらしめ、釈尊が単なる人間釈迦ではなくて、人間釈迦をして本当の仏陀釈尊たらしめ、この釈尊の前に無数の生霊をして南無仏と敬礼せしめずにおかなかったその根拠はどこにある。この大切な問題はそこにあるのでなかろうか。

この大乗仏教はもちろんのことでありますが、小乗仏教といわれる中においても、釈尊の本生譚というものがたくさん伝わっている。それはただ単なる童話的創作的物語でありましょうか。そこにいかなる意義をもっているか。われわれはそれを静かに考える必要はなかろうか、こう思うのであります。

『華厳経』の善財童子の伝説、あの善財童子の求道の歴程、そこに現れてきますところのもろもろの善智識、それは何を意味しているものであるか。『法華経』の本門開顕、またあの地涌菩薩、大地が割れて無量無数の菩薩たちが大地より涌き出た。それは何を意味するものであろうか。それにおいて何をわれわれが教えられるのであるか。したがってこの『大無量寿経』の法蔵菩薩の名による阿弥陀如来因位果上の物語というものは何を語るものであるか。ここにわれわれは静かに考えなければならぬ一つの重大な問題があるのでなかろうか。仏教は釈尊より起こった、仏教の歴史は釈尊より始まる。いわゆる仏教史というものは釈尊に始まるということは正当であります。しかしながら、その仏教は仏教史以前に仏教の根源がある。源いよいよ遠くして流れはいよいよ長いであろう。流れを汲んで本願の遠きことを初めて知ることができるのであろう。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-10 (8/4)

それで現代仏教学者のいわゆる、小乗仏教からこれを理論化し神秘化してくると大乗仏教が出てくる。そういうようなことは、それは事実的全生命的要求を除去して、単純なる理屈を考えれば、一応はそういうような理屈も想像してできないこともありません。けれども、そうした結果を想像してきては、三千年の仏教歴史は断じてできない。もとより仏教の体があっていわゆる仏教の歴史がある。仏教のないところでは、いわゆる仏教の歴史は単なる主観的観念の夢でないか。仏教の体験の事実のないところに仏教の歴史を創造しようということは、いったい何を意味することか。まさしく民族祖先の体験において生きているところの仏教という対象において、仏教の歴史という方法が成立する。つまり仏教ということと仏教史ということと、対象と方法と一つなのであります。それだから、時間の中に流れてしかも時間を超越せしめるもの、時間の中に流れるという意味において、それを仏教史という、時間を超越せるという点を仏教と名づける。二者はただ観点の相違にほかなりません。

この仏教というものを明らかにするに当たって、私はいつも領解し易いために例を引いて申すのでありますが、この頃しきりに唱えられる日本精神、従来大和魂と申しましたが、この日本精神というものはいったいどこにあるのか。日本は神武天皇の即位をもって紀元としている。日本の歴史はそれから始まる。しかし、本当の日本は神武天皇から始まったのでない。神武天皇以前は、いわゆる歴史の事実としてははなはだはっきりしてはいないけれども、この神武東征肇国の歴史以前にこの日本の広遠なる根源がある。むろん、その無尽なる源泉は今日まで無尽に涌き不断に流れている。この唯一真実の歴史的事実そのものに日本精神がある。されば、この日本精神というものの意義を明らかにするのは、神武天皇以前のあの神代の伝説記録、そこに日本精神というものの根源がある。

あの神代の年代というものは、それは時間的にこれを求めてみても、空間的にこれを求めてみても、ほとんど時間的にどれだけの長い年代にわたっていることであるか、また空間的に地球上どれだけの広さの間に起こったところの事柄であるか、それは茫漠として捉えることはできない。ちょうど夢物語のようである。夢物語のようでありますけれども、それは確実にして疑うべからざる厳粛な事実である。私はそういうことを歴史的事実そのものについて一点の疑いを雑え得ないのであります。

このことを申すのはきょうの私の目的ではありません。またそういうことを私は特別に研究しているわけではありませんから、それはそれとしておきまして、いま仏教、仏教史というものに眼を転じますと、仏教というものは釈尊から始まったものだ、昔からこう思い、また言っているけれども、思いますに、仏教における釈尊の位地というものは、ちょうど日本の歴史においての神武天皇の位地に相当してお出でになるものでなかろうか。一概にそんなふうに独断専決してしまう必要もないわけだけれども、まあ了解の便宜上考えますと、たいがいそんなような位地に当たるのでなかろうか。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-9 (8/3)

だいたい人間の思想は単純から複雑へとなってくる。いわゆる進化の理法により、教主釈尊は単純切実なる実践内観の道を教えられたに止まる。釈尊には深い哲学的思弁というようなものが極めて卑近な人生日常の事実、そうして何かしれない一種の底力と語に言いあらわせない深みがあるけれども、その力と深みとはいかなる淵源から涌ききたったかはまったく解らない。しかし、とにかく説いてあることは誠にごもっともな、誰が聞いてもいかにももっともらしく聞こえる極めて単純明朗な道を説かれた。いわゆる理論的な、もしくは神秘的な道は説かれない。何人も聞いて到達し得べき道徳的実践的な道を説かれた。それがだんだん哲学化し、もしくは神秘化して、そうして大乗仏教というものが起こった。こういう具合に考えられると思います。

そういう具合に考えてくると、衆生が仏に成るということはまったく望みがないことになる。そんなふうに考えられることは、仏になるという問題が初めからなかったことの事実的証明である。気のぬけたビールのように、初めからこの根本の問題をばのけておいて、ただ物を物として扱う。物を物として扱うのは当たり前のことのようだけれども、物は物だけれどもそれはいかなる物であるかという内容を内観せずに、ただ単に物だ。こうして皮相的抽象的概括的に取り扱って、もっと内面化し具体化した物を知らない。物を類聚化した物として観る見方であります。

そういう方針から言えば今の自然科学の研究と同じような研究でありますから、自然科学の物と同じように経典というものを観る。今このコップの水を化学的に分析すると、まったく本来の水と異なる酸素と水素と二つになる。しかして本来の水はまったく滅無する。それと同じように経典を扱ってくれば、なるほど今日の仏教研究というものは間違いない。そういう一つの研究方法というものがあるに違いないのであります。しかしかくのごとくして、それがどういう結論になるかということはほぼ考えなくても明らかであろうと思うのであります。コップの水の円成実性の問題は依然として未解決のまま残されているのであります。

わが親鸞の求められましたところの仏道、すなわちわれらの先祖、いわゆる二千五百年ないし三千年の仏教歴史というものはそんなものでない。これはわれら迷える衆生が生命を賭けて仏を求め求めて、そうして遂に求め得たところの歴史的自証であります。われらの先祖が一心にそれを求めて、一向にそれの上に歩み来たったところの仏道々場の歴史であります。決してこの頃の人が考えているように、根本仏教から小乗仏教に、小乗仏教から大乗仏教に、大乗仏教から一乗仏教に、また自力仏教から他力仏教にというように、いわゆる進化発展したる歴史ではないのでありまして、そういう歴史は仏教ではないのである。真実の意義においては仏教否定の歴史であります。真実の仏教の歴史はまさしく衆生が仏に成る歴史的道程、すなわち仏道円成の歴程であります。いわゆる「興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催」して、かくのごとくして釈尊を初めとして三千年の間、諸仏菩薩が歩み来たったところの歴史であります。これは絶対に間違いない事業でありました。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-8 (8/2)

この頃はまあ仏教の大学だけでなく、公私立の一般の大学で仏教研究の声は盛んである。けれども、結局仏が何を説いたか、釈迦が何を説いたかという問題だけが問題になって、本当に釈尊が何をいかによく自ら証得したか、何をいかに教説せられたかというこの実際問題ということは等閑に附せられている。そういう現象を見まして、今日の仏教学というものに対して、多くの真摯なる求道者はたいがい失望の愁声を漏らしている。

仏教の大学へはいっている人の中には、われわれは何のためにこういうことをせねばならぬのか、いったいわれわれは何をしているか、自分は何を目指しているのだ、というようなことを、まあ正直に言うと仏教の学校にはいっている人は、俺は何のためにここにいるのか、ということを疑問にしている人はいないように見える。たいがい顔を見るとわかる。ここへお出になった方はそういう方でなかろうと思いますけれども、どうも俺は何をしに来たのであるか、今日卒業したが俺はいったい何をしてきたのだ、六年間、三年間、たしかに仏教を研究してきたに間違いないが、いったい何を研究してきたんだと。まあ夢が醒めるというのですか、夢すら見ることができないというのでありますか、そんなような状態にあるということの、その由って来たる所はどこにあるかということは、これをもって推し量るべきであります。

話が横路へ行ったようでありますのでもとへ戻しまして、仏教は仏に成る道。仏に成った釈尊はいかにして仏に成ったかを内観し、それにおいて一切衆生の平等に仏に成る道を明らかにせられた。その自証によって一切衆生は仏に成ることができることを能証し能説したもうた。啻に仏に成ることが慥にできるという見通しだけでなしに、自ら進んで、いかにすれば仏に成れるかという、正しく仏に成る修道を明らかにせられた。それ全体が仏教である。真実の仏教というのは、その中に一貫している仏道の展開にほかならぬのであります。

いったい仏教というものは、一にも二にも釈尊の教説であると考えられる。ただ一概に釈迦が説いたという一点に固執しているものだから、それは単なる唯物論、いろいろ唯物的に歴史の材料をさぐる。経典も紙に書いたものである限り一つの物、それは物であるという意味におきましては、こういうコップも同じ物に違いない。経典を調べて、この物はいつ頃できたものか、そういう具合に考えられる。それの相は物に違いないけれども、教法それ自体は物において、物を通して、物を超え、物に先立ってそこに現れている、そこに具体化されている精神である。そういうものは何であるか。そういうことは問題にせずに、ただ単なる物としてそれを分析し、そこにはどういう思想があるか、その概念化された思想を分析して、この経典はいつごろできたものか、こういう具合に研究されている。したがってそういう具合に研究すればそういう結論になってくるということは当然なことでありましょう。ただ問題は方法論の問題である。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-7 (8/1)

今日の仏教学者の研究の方針は、仏教というものは仏陀が説いた教えだ。したがってかれらにとってはただ仏陀が説いたか説かないか、そういうことだけが問題になっている。しかしながらわれわれの問題は、仏陀が説いたか説かぬか、こういう事項も一つの重要問題にちがいないけれども、それよりもっと重大な問題は、仏教というものは仏に成る教え、仏を説く教えなのだ。畢竟ずるに親鸞の仏教は仏自証の教え、自説の教えである。あるいは仏能証能説の教えである。これら能所の位地をはっきりしておく必要があります。しかるに、このごろの仏教研究というものは、仏に成る、仏を説くということをのけものにして、ただ仏陀がどういうことを説いたか、したがって仏陀が説いた教えから推論してその所証の道を想定するにすぎない。

あるいは言うでありましょう。今日われわれが専心専意仏陀が説いたか説かんかという仏説問題を研究することは、それは仏陀の教説は如説修行すれば必ず仏のごとく仏に成れることを説きたまえることを信ずるからで、いまさらに汝のごとく言う必要がないから言わないのだ、こういうとあるいは叱られるかも知れません。そういうお叱りは私はあえて甘んじて受けても差し支えはない。差し支えはないが、どうも今日でもそういうことを承知の上でそう言っているお方もおられるであろうかと私は思っている。けれども、どうも雑誌とか著述とかいうものに現れている...それも私はあまり機根がないものですからたいがいのものは見ません...けれども、仏陀が説いたか説かんかということのみを決めて、仏に成る成らぬという実践の事業はあまり問題にしない。それに傑出したる学人はもとよりそこまできているかも知れんけれども、一般学徒はそういうことはほとんど問題にしないように考えられるのであります。

かくのごとくして、この仏教の研究というものがいったいどこへ向かって歩いているのであるか、こういうことをよくみなさんに私はお聞きする。まあ自分は年寄りでありますから、老人のいらぬお世話でありますけれども、心からそういうことを憂うるのであります。今日は仏教復興だの、仏教研究の全盛時代だのと言う。そういう声は盛んだが、どうも、空樽の音高し、酒を飲んで樽が空になる、空になる頃みんなが酩酊して樽を叩いて踊り歌う、もう樽の酒は飲んでしまった、だからして酒を飲んでしまって空樽を叩いて踊り歌うのは自然の道理かも知れないけれども、事によると初めから酒を飲まんものまでが、ただいたずらに踊り歌うものもあるのでなかろうか、そういうような疑いがある。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-6 (7/31)

しかし、そういう仏教史観は宗教否定の唯物論という基礎に立って仏教滅亡を説明するところの仏教唯物史観、やはり一種の仏教史観だから、そういう意味において、やはり過去の仏教を説明する学問として価値ある説であるにちがいないと思うのであります。それ以上私はかれこれと申すのでない。やはりそういう一つの立場、無自覚とはいえ、唯物史観の立場に立っているのである。こう言えばもうそれ以上言う必要はないのであります。それは、昔からやはりそういう一種の仏教史というものがあったのでありますが、歴史研究というものがだんだん明らかになって、そういうように従前から無自覚的に歩いていった方針が明らかになってきて、そうして新しく唯物仏教史観というものが今日ではどれだけの程度に成立しているか、私はそういうことは知らないけれども、現今新しい仏教学徒が盛んに論じていることを聞いてみると、相当立派な唯物史観が成立しているのでなかろうかと思うのであります。そういう意味において敬意を表してよいと思うのであります。

それはそれとしておきまして、親鸞の仏教史観においては、あえてかかる仏教史観に一概に反対するのではありません。それらをもやはり内に包んでいるのでありましょう、この親鸞の仏教史観においては。...いったい今日の人の考えでは仏教の真理というものは釈尊以前にはまったくないので、釈尊が初めて忽然として発見されたのだ、したがって釈尊が仏教の根本的開祖であると。もちろんそれにちがいない。私といえどもそれに反対するわけでない。釈尊は仏教の開祖である。仏教はこの意義において釈迦教と呼んで差し支えないのである。この意義において仏陀といえば直に釈尊のことであって、したがって仏教といえば釈迦教である。かくして仏教というのは仏陀が説いた教え、すなわち仏陀所説の教えということである。すなわち仏陀の証、その境界のごとく仏陀が説いた教えが仏教である。すなわち仏所証の法、仏所説の法、こういう具合に一般に考える。

けれども親鸞の言っておられる仏教というものは、単に仏陀が説いた教え、仏陀が悟った教えというだけのことではない。親鸞の仏教はただちに仏陀に成る教えであり、仏陀を説く教えである。仏をして真に仏たらしめ、同時に衆生をして仏たらしめんとする教えである。仏が真仏たる覚証によってすべての人類が平等に仏に成るべき因道を開顕されたのであります。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-5 (7/30)

それで今申しますように、親鸞から見れば親鸞以前二千年、今日までは二千五百年ないし三千年と申すのでありますが、私から言えば二千五百年ないし三千年の仏教の歴史、親鸞から言えば二千余年の仏教の歴史、この仏教史を一貫するところの仏道の根幹というものは何であろうか。

明治以来六十余年間歩み来ましたところの現代の仏教研究というものによって観ると、まず教主釈尊の純一なる根本仏教から遺弟たちの小乗仏教というものになって...三蔵結集を契機として幾多の部派に分裂して個人的主観的小乗仏教というものになり、その弊の極まるところ、ここに一種の復古運動、釈尊中心主義統一運動として、大乗仏教というものが興ってきた。第一に未来のこの世界の教主弥勒仏出現の要望によって大乗運動は端緒を得、それに次いで東方の阿★如来の浄土往生の信仰が興り、最後に西方阿弥陀仏極楽浄土の信仰というものが現れ、ここに大乗仏教運動の志願は成就せられたのであると、こんな風にいかにももっともらしく...もっともらしくと言えば失礼であるけれども、私には確信できないから、もっともらしくと自分の愚かなる感情を表明したまででありますが、そういう具合にもっともらしく、確実らしく、そういう具合にほとんど決定されているごとくに、一般にそういう説が行われている。私は一種の説明としてのそれをかれこれと申すのではありません。そういう具合に説明するのも一つの仏教歴史の説明でありましょう。

けれどもそういう道程方法によって創造される仏教は一つの唯物史観の対象である。仏教唯物史観とでもいうべきものでありましょう。それもたしかに一種の仏教史観に相違ない。けれどもそれは、唯物論の立場に立ったところの仏教史観というものに過ぎないのではなかろうか。つまり仏道の精神を否定する唯物史観、そういうものでなかろうか。私ごとき浅学不徳の者がただひとりこの道理を説きましても、今の世にはいたずらに嘲笑の的たるに過ぎないでありましょうから、これ以上言うことをやめます。けれども、現今、仏教研究の大勢を観るに、だいたいの傾向をいうと、そういう結論に到着する。かくては、ついに一貫した仏教の真理の体というものはなにもないのであります。その史観の上に一貫した仏道精神はなんにもなしに、いたずらに学究的仏教史というもののみが残る。そういう一つの仏教史観も一種の仏教史観にちがいない。

*文中の★はUnicode[U+95A6]の「しゅく」という字です。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-4 (7/29)

近頃は特に浄土教に関するいろいろの問題がいろいろの方面から提起され、また研究されておりますが、この浄土教に対する論難というものは、もちろん今日の思想界において、特に新たなる意義をもって現れてきたのでありましょう。けれどもしかし、浄土教に対する論難というものはずいぶん古いものであって、インドにおいても中国においても浄土教に対するもろもろの非難あるいは嘲笑、そういうものが昔から絶えず盛んに起こった。浄土教が盛んであれば盛んであるほど、その疑難が盛んであった。つまり、浄土教に対する疑難が盛んであったということは、浄土教の勢力が盛んであったということを最も直接的に証明しているというべきであります。

ここまでお話しつつ、いわゆる「信順を因とし疑謗を縁とする」というこの親鸞のお言葉を、ただいま金子さんがご引用になってお話くださいましたので思い出しましたが、この信順と疑謗というのはなぜか知らないけれども、そこに反対してしかもその二つが必然的に関係をもっているということ、およそ信順のないところに疑謗は起こらず、疑謗の声のないところに生命ある信順はない。もちろん疑謗する人には同時に信順はできない、現に信順した時に疑謗はすでに止む。それにもかかわらず真剣なる信順者のあるところには必ず懸命の疑謗者があり、さかんなる疑謗者に対して疑蓋無雑の信順というものが成立し、またこの超然たる信順者に対して疑謗というものがいよいよ盛んに興ってくる。言ってみれば、われらの真実浄土の歴史というものは、いわゆる信順と疑謗との常恒不断の戦いの歴史であった。真実浄土の歴史はただの信順の連続ではなしに、信順と疑謗とが不断に相争うところに、浄土荘厳の聖業の無尽の展開がある。そういう具合に観られるのが親鸞の仏教史観、つまり親鸞は仏教史をそういう具合に観ておられるのでなかろうか。これがすなわち浄土真宗の立教開宗でなかろうか、こういう具合に私は思うのであります。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-3 (7/28)

私は近来つらつら『教行信証』を拝読しておりますうちに、この浄土真宗とは何ぞや、という問題に当面しました。しかるに、ふと感得したことは、浄土真宗というのはこれは親鸞の体験せられた新しい仏教史観であったのである。親鸞が、正しい仏教史についての見方、つまり仏教史の伝統、仏道展開の歴史の正しい相、正しい仏道の精神、それを明らかにした。だから、浄土真宗というのは、つまり親鸞の感受せられた仏教史観の名のりである。親鸞が法然上人から本願念仏の教えを受けられまして、むろんその時から、おぼろげながらもこの選択本願の仏教史観の原理というべきものが、何と名づくべきか知らないけれども、一つの仏教史の根本精神というべきものがおぼろげにあっただろうが、親鸞は九歳の春の時に天台の慈鎮和尚の門を叩かれました時から、始終悩みに悩んでおられる自己の真実の生死出離の問題が、法然上人をとおして、如来の本願念仏の教えというものによってそこに明らかになった。そうしてさらに法然上人をとおして、その人格をとおし流伝する仏道、すなわち法然上人の教えの伝統、その背景根源というものに静かに遠く深くさかのぼっていかれました。二千余年の昔にさかのぼっていかれまして、親鸞の今日まで二千年の仏教史によって、その二千年の仏教史の根幹、そこにはいろいろさまざまのおみのりの百花が爛漫として絢を競っております。いわゆる八万の法蔵をもって荘厳せられておりますところの仏道の歴史であります。その仏教発展の歴史、二千年の仏教展開の歴史、その仏教史の根幹となるものは何であるか。それが興法利生の久遠の因縁によって、ついに親鸞をしてはっきりとその古来を一貫する歴史観、すなわち仏教史の根幹精要を内観する心眼を開かしめた。その史観こそすなわち浄土真宗というものであったのであります。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-2 (7/27)

爾来満十七年、今日といえどもあえてみなさんが一般にこれに賛同されるというわけではないでありましょう。けれども、私のこの方針が実際正しい礼儀である、こういうことが自然に一般に承認せられたものとみえまして、大体今日ではそういう具合に、いつの間にやら行われてきているようであります。今日こういう題を私が掲げましても、あれは何宗の僧侶がそういうことを言うのだとお考えにならずに、あれは親鸞を本当に敬うて、本当に親鸞を自分の主・師・親として崇信しているところの人間が話をしているのだ、こういうことをみなさんがご承認くださるようになったということは、この一事だけでも私は、確かに正しいことはちゃんと実行されるものだということの一つの確証となる、こう思っております。

「親鸞の仏教史観」、こういう題目を掲げましたのは、親鸞は浄土真宗を立教開宗したところの祖師である、こういうのが一般の人が認めているところの常識である。ところがこの世の中にはまたいろいろさまざまに考える人があって、いったい親鸞には浄土真宗を開闢する、そういう意思があったろうか、もしあったとすれば、そんなことをどこに彼は言っておられるか。ご師匠法然上人の仰せをこうむってただそれを深信するほかに別の子細はない、法然上人こそは浄土真宗を開闢されたお方である、こういう具合に親鸞は言っておられる、というように論ずる人がいる。それも一概にごもっともでないとは言いません。そういう言論を聞くと、ちょっといかにももっともらしく聞こえる。

しかし、いったい誰でもわかり切ったことのように、浄土真宗を開いたとか開かんとか、そんなことを争っているが、いったい浄土真宗を開くとはどういうことか、どうすることが浄土真宗を開くということか。それよりも、いったい浄土真宗というは何事であるか、何を浄土真宗というぞ、その具体的内容いかん。その内容が不明瞭であるならば、したがって、その浄土真宗を開くとか開かぬとかいうことは、われわれが門の戸を開いたり閉めたりする、そういうことのように明瞭ではないはずであります。門の戸というものがわかっているからその門を開く閉じるということもある。けれども、浄土真宗というものはなんだかわからない。えたいの知れないものを無批判に、開いたの開かんの、いったい何を言うのか、大体そういうようなことが自分では考えられます。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

親鸞の仏教史観 第1講-1 (7/26)

自分の宿業ならびに仏祖のご冥祐によりまして、今年、夢のうちに還暦の年を迎えました。みなさんはご多忙の中から、東西南北遠近よりお集まりくださいまして、私ごとき者の健在を...健在と申しましても碌々たる健在をばお慶びくださいますことは、まことに身にあまる光栄、感謝のことばも知らぬ次第でございます。

ただいま金子さんよりまことに恐縮しますような、ねんごろな紹介をいただきましたが、そのおことばを拝聴いたしまして慚愧に堪えぬ次第であります。今回は別段お話したいと思うこともありませんので、昨年ごろからちょっと自分の胸に...元より自分には特別に学問とか研究とかいうことはあまり縁のないことばでございます。自分の今までの生活にはまったく用のないことばでございました。したがってここに「親鸞の仏教史観」というような題を掲げましたけれども、別に自分の研究の発表とか何とか、そういう意味ではまったくないのでありまして、ただ自分の折々に思い出しましたこと、また、その折々に断片的に感想を申し上げたこともありますが、それをまた今回繰り返すようなことをさせていただきたい。まあこういうような私の願いでございます。

「親鸞の仏教史観」、これにつきまして今日一般にわが聖人の教徒たるものが、「親鸞」というようなことをいっても、みなさまは何とも思わずに、まず当たり前のことだというようにお聞きになっているでありましょう。けれども、自分で顧みますと、たしか大正七年の五月一日でありました。場所はまさしく大谷大学の大講堂、その当時真宗大谷大学といっていました。すなわち大谷大学の校友会...流れを汲んでその本源を尋ねる...尋源会という会の主催で大谷大学の講堂で宗祖親鸞の御誕生会を挙行しました。ちょうど私がある友人と共に、四月中に九州を旅行していたのを聞いて、その帰り道を待ち受けて、そうして御誕生会の講演をしてくれ、こういうお話でありました。その講演の題はどういう題で話したか、はっきり思い出しませんが、壇に立った冒頭に、私は次のようなことを発表しました。それは「私は今日より、親鸞と言えば聖人と言わず、聖人と言えば親鸞と言わないであろう」と、こういうことを発表しました。つまり「親鸞聖人」、そう連続した言葉を使わないということであります。なお一言にして言えば、「親鸞聖人」という言葉は自分には今日以後用がないということを発表しました。

私はそれから以後、その誓いを破って時々「親鸞聖人」という言葉を使うこともありますけれども、大体の方針としましては、ある時にはただ「聖人」と言い、ある時にはただ「親鸞」と言う。いかなる時に「聖人」と言い、いかなる時に「親鸞」と言うかは、これはみなさんは大概ご推察あってしかるべしであります。つまりここには「親鸞の仏教史観」、こういうお席では「親鸞」と申すのであります。しからばどういう時に「聖人」と言うかということは、別に説明をまたないのであります。

世の中の多くの人は、自分の宗旨の祖師の名を呼ぶには必ず「聖人」とか「大師」と、敬称をつけている。「何々大師」、「何々聖人」、「何々禅師」、こう申します。しかるにそれらの人々が自分の宗旨以外の祖師方に対しては、言い合わせたように、ただ名を呼び捨てにしている。いや「日蓮」が、いや「法然」が、と言う。私はちょうどそれと正反対。私は真宗の一僧侶であります。だから真宗以外の祖師方に対しては「日蓮上人」と申し、「法然上人」と申し、「道元禅師」と申し上げるに対して、自分を正しく導き、常に自分の前に現在説法しておいでになるところの自分の祖師に対しては、ただ「親鸞」と申すのであります。というのが大体自分の方針であります。もってそのいかなる所以であるかということは、別に説明を要せぬのでありましょう。

(親鸞の仏教史観 第1講より)

真宗の教行証を敬信して (7/25)

今已にと、前念に今というものが後念に即時直に已と、限りなく久遠の過去から新しい今が三世即一念と続いて来るのであります。今と已とが前後一念に統一せられつつ相続いているのでありましょう。何時も今已であります。これが立体的に連続的に動く現在であります。本願に遇いそうして光明を聞き、真実の行信を獲て、現生に正定聚に住するが故に滅度掌中に在る、これが敬信真宗教行証であります。

固より真宗の教が主になって居りますが、この教は行・証なき単なる律法的なる教ではなくして、内に行・証を円満具足している所の真実の教たることを顕すのであります。真実の教には必ず行・証を具備して、始めて永遠に流伝するのであります。今『大無量寿経』の歴史というものは、空虚なる教の止住ではなくして真宗教行証の血脈相承の等流の歴史であります。行・証のない教には血脈等流の歴史はないのであります。だから後序の文には、竊以、聖道諸教行証久廃、浄土真宗証道今盛と、これは聖道を今は単なる教道、浄土真宗は如来の本願力の力願相符畢竟不差の無作自然の証道であるという風に顕しておいでになることであります。単なる過去の固定した教ではなくして、今現に生きて行・証と等流して、常恒不断に自利・利他し給う所の念仏成仏の、阿弥陀仏今現在説法の歴史であると顕す。念仏は行であり、成仏は証であります。この生に於て念仏して、来生に於て証を得るといいます。現世と来世とは一念に相応して同一体であるが、義に於て前後に分ち、前念命終後念即生というのでありまして、全一念一時の現在の進展の二位に外ならぬのであります。どうもすると来世などというものは存在しないと非難するものがあるが、しかし真実の現在というものを離れて別に未来世ありとするのは迷妄でありましょう。かかる来世を執するは有の見、常見であります。同時に非難者の主張する現在なるものも何等進展の機なき概念でありまして、かかる現世主義は無の見、断見であります。本当に本願名号の法を聞信する所に於て、已に速疾円融の真教あり、随って満足功徳の大行があり、真如一実の正行がある所に不断煩悩得涅槃の真証がある。これは巧みに顕したのでありまして、教・行・信・証という四法を、信の一法を純粋能信の具体的なる正因・正機として大行の中に包んで、而もこの大行を開いて真宗教行証と顕してあるのであります。

敬信真宗教行証、特知如来恩徳深。御恩の深いことを深く知るのであり、随ってこの知とは信知するの機であります。前に敬信といったからして、ここは知るとだけいったのでありましょうが、特知如来恩徳深と深信を表明せられたのであります。斯以慶所聞嘆所獲矣。所聞とは即ち名号であります、所獲は即ち信心であります。即ち所行と能信とを列挙しまして、所聞の名号に就て本願・光明の真宗の教法の至徳成就を慶喜し、所獲の信心に就て具に至心・信楽・欲生の三信の内的必然の開展の真実道理を驚嘆する。所聞は善知識血脈等流の実語であります。所獲は如実修行の信心に由って開顕される所の本願三信の願力自然の道理であります。三信の道理というものは我々からいえば、仏に救われるに就ての必然の道程であります。即ち如来を信ずる心が如来の本願力の回向の信心なることの証明の道であります。又之を如来の方からいえば、如来が衆生を救い給う所の道理であります。即ち衆生の信心を発起せしめんとする如来の至心が、正しく遂に衆生を招喚し給うに至るまでの内的必然の道程であります。総じて一如の教・行・信・証の必然的道程を讃嘆しようとされるのであります。教・行・信・証に対しては慶嘆であり讃嘆である。全く慶嘆の外はないとお示しになったのである。

以上、誠に乱雑な纏りのないことを申しましたが、御蔭により兎に角一通りだけ、総序の御文を皆さんと御一緒に聴聞させて戴きました深厚なる御縁を、深く感謝する次第でございます。

(行信の道  「49 真宗の教行証を敬信して」より)

愚禿親鸞の名乗 (7/24)

爰愚禿釋親鸞、第五段は悦受師訓述聞持で、正法伝統の七祖の師訓を受くるを悦んで、正しく之を六巻の文類に聞持する、知恩報徳の意趣を述べられた。正しく『教行信証』を御製作の来意である。爰愚禿釋親鸞と、御自分のことをお述べになる時には必ず実名を掲げて居られる。非常に厳粛な感がするのであります。『歎異抄』にも「親鸞におきては、ただ念仏して」とか、「親鸞は、父母孝養のためとて」とか、或は「親鸞もこの不審ありつるに」など、これは兎に角日本の文章としては特別な文法であることと聞いているのであります。われはと代名詞でいわないで実名を掲げるということ、我が国では貴人の前には必ず実名を自ら実名を名乗って申し上げる。そこには非常に謙虚なる深い自覚が現れているのであります。そこに大きな仏の本願を一人にお引受けするということは、即ち無為自然に一切衆生の罪の責任を自分一人に引受けるということになる道理であります。だから機の深信というものは、仏の十方衆生救済の本願を自分一人にお引受けする、そこには一切衆生の罪を自分一人に引受けるという力が自然と湧くくかと思います。茲に本願相応の意義があり、正に法蔵菩薩の体験であります。一心一向とは、一心とは全心であり、一向は全身である。身心を挙げて南無阿弥陀仏と念ずる時、天地万物は同時に感応して南無阿弥陀仏を顕現するのでないかと思います。だから爰愚禿釋親鸞という時には、確り御自分を見つめて居られる。そこに全身南無阿弥陀仏になっている。但なる阿弥陀仏でなく、機法一体願行満足の南無阿弥陀仏であります。

慶哉、西蕃月支聖典、東夏日域師釋。西蕃月支聖典は先ず印度の龍・天二菩薩の聖典を挙げたのでありましょう。前には摂取不捨真言・超世希有正法という処には三経を挙げてある。それに対して三国七祖の伝承を示さんとするものでありましょう。随ってここには聖典というても三経のことは除きまして、龍・天二菩薩以後の高僧を挙げたのであります。東夏は曇鸞・道綽・善導の三師、日域は源信・源空の二師であります。即ちこれは七高僧のお聖教であります。特に印度の龍・天二菩薩は、世尊と同じ国に生れられ、大乗仏教を復興された偉大なるその功徳を讃仰して、人を菩薩といい著述を聖典として敬い、曇鸞以下の宗師の解釈と区別せられたのであります。そうして七高僧の論と釈とに「遇ひ難くして今遇ふことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」。是れ偏に果遂の願の恩徳であると感謝せられたのであります。

(行信の道  第五段 立教開宗

「48  愚禿親鸞の名乗」より)

果遂の誓に於ける喜びの経と悲しみの緯 (7/23)

乃ち、誠哉、摂取不捨真言、超世希有正法、聞思莫遅慮。ここに重ねて前の勧信・誡疑を総じて結び給うた。この一段は喜びを経にし悲しみを緯にしておいでになるのであって、御滅後の我々に、不果遂者の誓願に就て甚深の自覚と注意とを御催促になっていると伺われるのであります。初の難思弘誓という処は、表には勿論総じては第十八願をお挙げなされたのであるけれども、難思の語には裏に別して果遂之誓というものを何時でも静かに深く憶念して居られることを彰すと思うのであります。そしてそこに前後一貫して深厚なる宿縁いうものを、悲痛なる宿業に不即不離に語っておいでになることを伺うのであります。総て自力を捨てた所に他力は現れて下さる。忽然として他力が顕現するのではない。他力には自力無効を知るということが特に必要である。これは誠に容易ならぬことである。この必要なる自力無効の深き自覚に対して、絶対他力というものが始めて明らかになるのであります。即ち善導大師の機・法二種深信の如く、対角線的なる自力と他力が常に表裏をなして不即不離的に現れているのであります。『教行信証』を拝読しても、表には端的に乗ずべきことが説いてありますが、矢張りその裏には最も痛切に自力の無効ということが顕彰されてあると痛感さるるのであります。

誠哉、摂取不捨真言、超世希有正法。摂取不捨の言は『観無量寿経』に出て居って、この重要なる文字も六字の名号と共に、『大無量寿経』に出て居らないのであります。『歎異抄』を拝読しますと第十八願を顕す時に、特に摂取不捨の誓願という語を以て顕してあります。無論、第十八願には若不生者不取正覚と、大体未来往生の語業上の誓約でありますが、それを『観無量寿経』によって更に具体化して如来の身業として、現生正定の体験の上に摂取不捨を本願の誓約の成就として、本願を成就に即して、第十八願を念仏の事実として『歎異抄』には見て居られます。これは恐らくは善導大師、それから源信和尚、それから法然上人と、ずっと伝っている伝承の法門ではないかと思うのであります。ここには特に摂取不捨というのを体験の事実と顕して、誠哉、摂取不捨真言超世希有正法と仰せられたのである。摂取不捨は『観経』、希有は『阿弥陀経』、超世は『大経』と、三経の語を取ってある。

そうして三経の意を総じて挙げて、聞思莫遅慮と仰せられた。聞思ということは『信巻』の末巻に『涅槃経』を引いて、『大経』本願成就の文には唯聞其名号とあって聞思其名号とはないが、聞其名号ということは南無阿弥陀仏という言葉を但徒に聞くのじゃない、名号の意味を聞思するのじゃ、だから、然経言聞者、衆生聞仏願生起本末無有疑心、是曰聞と釈されているのであります。それを今聞思してと仰せられたのであります。仏願の生起本末を聞思して大疑已に無し、今更に何を躊躇遅慮するのであるか。これは前に疑網というに対して今遅慮と仰せられたのであります。

善導大師の法の深信釈の文に無疑無慮乗彼願力と、総じて無疑、別して無慮という。明瞭に法を疑うという程でないけれども、何か知ら最期の所に二の足を踏むのであります。進んで法を疑うというわけはないけれども、退いて機を疑い心が奮起せぬのであります。心に精進がない。これがつまり遅慮というのでありましょう。これは疑は直接に法を疑うのであり、慮は何か機に就ての疑いというものがあるのであります。だから深信ということに就ては、法の深信の前に特に機の深信を挙げてあります。それは敢てす総体的に法は疑はないけれども、特別に機に就て躊躇して、本当に感奮して行けない。猫の頭に袋を被せたようなもので、猫は袋を被せられると後の方へ退却する、猫は退却すると袋が取れるように思うであろうが、猫が退却すると袋も一緒に退却するから駄目でありましょう。まあそういうような所じゃないかと思います。前に法に対する疑網と挙げたから、ここに聞思莫遅慮と、徒に我が機を卑下せざれと述べられた。善導大師の無疑無慮という所で、総じては無疑、別しては無慮であります。

第四段は聞法の宿縁を顕して人をして随喜せしめ、疑いを除いて下さるのであり、言葉は他人に対して誡めて居られるけれども、御心持からいえば御自分が、これだけの法に遇うたことは偶然のことではない、徒に自分一人だけ慶んで居れるようなものでない、偏に親鸞一人が為に数々の御苦労下された如来の御心を念じ奉るにつけても、興法利生の為に身命を捨てて動かずには居れないと。我れ独り信を得たと思うは、これは邪定にして正定でなく、自性唯心の独断論独我論である。是れ即ち疑城胎宮であって、三寶見聞の利益なく、法を本当に信じたのではないのである。

(行信の道  「47 果遂の誓に於ける喜びの経と悲しみの緯」より)

仏道史観としての本願の... (7/22)

尚それに引続いてこの果遂の誓を証明する所の、有名なる三願転入の表白文というものが出て居ります。

是 以 愚 禿 釈 鸞、仰 論 主 解 
義 依 宗 師 勧 化、久 出 萬 行 
諸 善 之 仮 門 永 離 雙 樹 林 
下 之 往 生、廻 入 善 本 徳 本 
真 門 偏 発 難 思 往 生 之 心。
然 今 特 出 方 便 真 門 転 入 
選 択 願 海、速 離 難 思 往 生 
心 欲 遂 難 思 議 往 生。果 遂 
之 誓 良 有 由 哉。爰 久 入 願 
海 深 知 仏 恩。為 報 謝 至 徳 
摭 真 宗 簡 要 恒 常 称 念 不 
可 思 議 徳 海。弥 喜 愛 斯 特 
頂 戴 斯 也。            

と、これは果遂の誓の御恩を特に深くお喜びになっている。祖聖が偶々この行信を獲、そして遠く宿縁を慶んで居られるそこには、第十八願の中から更に新しく第二十願の果遂の誓という第二義的のものを発見せられた。一如の第十八の本願を十方衆生の教化せんとするに当り、茲に新たに之を再認識する所の方法が果遂の誓というものである。無論、そこには全体として弘誓というは第十八願のことでしょう。而してこの第十八願を立体化するものは第二十願である。

だから祖聖は、殊に果遂の誓というものに就て、一面には自分が名聞利養に関って仏の御恩ということを知らずして、口には念仏を称えるけれども心は常に名利と相応しているに過ぎぬものであると、痛く悲しんでおいでになる。しかし同時にそれは徒然なる個人の悲しみに止らずして、その深き悲痛は直に如来の本願を具体化するの機縁となり、遂に第二十願の果遂の誓として本願が歴史的特殊宗教となったということ、そこに往相回向の純一真宗の外に、還相回向の方便的なる教団的真宗が第二義的に成立したる、一種の善巧方便を理解し得るのであります。弘誓強縁という処には純粋なる第十八願が挙げてあるけれども、遠慶宿縁という処にはその第二義的方便の形式なる果遂之誓というものを、痛しくも恐懼感謝されているのであると思います。則ち宿縁という語は簡単な語でありますが、『化身土巻』の文を考えてみるというと、甚だ深いものがあろうと思います。宿縁に就ては、尚まだいろいろ申すべきこともありましょうが、これだけにして略して置きます。

若 也 此 廻 覆 蔽 疑 網 更 復
逕 歴 曠 劫。誠 哉、摂 取 不 捨 
真 言、超 世 希 有 正 法、聞 思 
莫 遅 慮。              

これが即ち先程『化身土巻』を読みました心持が之を詳しくお示しになったのでないかと思う。法は何処にも何時でも遍在するけれども、機というものは容易に獲難い、随って問題は機を掴むということが大切である。千歳の一遇というはこれである。随ってつまり機というものは詳しくいえば時機ということであります。浄邦縁熟調達闍世興逆害、浄業機彰釈迦葦提選安養と第二段の処に仰しゃってありまして、誠に大切なのは時機でございましょう。今や本願真宗に遇いながら、若しまたこのたび疑網に覆蔽せられて逕歴して空しく過ぎるのである。是れ誠に自業自得である。祖聖は悲哉と『化身土巻』に悲歎し、垢障凡愚自従無際已来助正間雑定散心雑故出離無其期云々と、深き注意が促がされてあるのでありまして、それをば簡単に今示されれたのであります。『化身土巻』に照し見まして、茲に御自身の機の姿を深く悲しみつつも、如来の法の大悲の願心というものの勿体なきことを新しく再認識し、その使命の重大性を今更に痛感なされてあると思います。

(行信の道  「46 仏道史観としての本願の再認識、その立体観としての果遂の誓」より)

三願転入の意義-2 (7/21)

私は始終申すのでありますが、我が祖聖は正依の『大無量寿経』をお読みになっただけでなしに、五存『大経』の他の四通りの異訳経典というものを、正依の『大経』と同じように敬うてお読みになったのでありましょう。『大無量寿経』は十二回翻訳されたのであるが、それが存在して日本に伝って来たのは五部だけでしょう。それが正依の『大経』だけで明らかにならぬことのある時、異訳の経典を以て意義を明瞭にするということが、親鸞教学の特色であるということは、十数年来の持論であります。

『大無量寿経』の下巻智慧段に不了仏智というものを、それを異訳の経典の全く異った所の第十一願成就文の「彼の因を建立せることを了知すること能わず」ということに会合して釈明してしてある。祖聖は五存『大経』の重要な処は自由に暗誦して居られるだろうからして、何か必要な時には自由にそれが出て来る。不了仏智不能了知建立彼因故と、全くその全体が聖人の体験の事実となって生きて来る。だから我等如き普通の人間では、全く夢にも考えることは出来ぬ。こういうことは実に不可思議のことである。こんなことは昔の学者もいうて居られぬことでありますけれども、ふと拝読して居るというと、驚かざるを得ないことだと思い、お話をいたす次第であります。

不了仏智不能了知建立彼因故無入報土也と。ここにあるものは一の宿業宿縁の問題である。宿縁宿善の問題は大体その原理は何処にあるのであるかというと、その根源は遠く果遂之誓、即ち第二十願の処に出発しているのであります。『大無量寿経』では東方偈の中に、若人無善本不得聞此経という御言葉がありまして、そこに宿善がなければならぬということを説いてありますが、しかしながらそれを本願の根本に求めてみるというと、果遂の願と呼ばるる所の第二十願に宿善の淵源があると思います。

遠慶宿縁ということは、仮い信・不信を論ぜず自力・他力を問わず称名念仏すれば、それが不果遂者の誓願の御縁というものになって、今度生れ更って来た時に自然に宿善開発して真如の門に転入し、名号のいわれを聞き開いて、そこにお念仏の正信というものが開けて来るのであるということになる。偶々正法の御国に生れ、今ぞ救わるべき時節なるに、若しこの好機会を逸するというと、出離生死の期は誠に容易ならぬことである。宿縁を慶ぶに就て、我々は廣劫の間空しく過ぎて来た、善導大師の十三失の如く、「まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひともよしあしということをのみまうし」あう。聊かでも善いことをすれば驕慢になって法を軽んじ、自分に悪い心が起ればこんなものはお助けにならぬであろうと卑劣になり、法そのものまでも卑める。何れにしても法を恭敬することを知らぬということになる。かくの如く第二十願の疑いの罪ということをば深刻に批判しておいでになります。それに対してみて、お慶になったことが亦如何に深いものであるかということが解ります。

(行信の道  「45 宿業の闇の感覚より宿縁の光の感情へ−三願転入の意義」より)

三願転入の意義-1 (7/20)

されば適獲行信遠慶宿縁ということは、唯漠然と慶ぶかんじょうだけでなくして、慶びの感情の裏には本当に永い間仏さまに叛いて洵に勿体ないことだという宿業の感覚が、遠慶宿縁という所に現れていると思います。本当に宿業の感覚そのままが宿縁の感情になる。宿業の闇の感覚がそのまま宿縁の光の感情になる。故に『化身土巻』の果遂の誓の文には、先ず浅ましき宿業の無自覚的方面を述べて、

真 知、専 修 而 雑 心 者 不 獲 
大 慶 喜 心。故 宗 師 云 無 念 
報 彼 仏 恩、雖 作 業 行 心 生 
軽 慢 常 與 名 利 相 応 故、人 
我 自 覆 不 親 近 同 行 善 知 
識 故、楽 近 雑 修 自 障 障 他 
往 生 正 行 故           

と、ここは雑修に十三の失ある中の終の四失を挙げたのであって、つまり十三失を前の九失と後の四失とに切り分けたのです。善導大師は唯一様に雑修十三の失と仰せられてありますけれども、祖聖はその十三失の中、初の九失は第十九願の要門の失であり、後の四失は第二十願の真門の自力念仏の失に属するものと御覧になったのである。

勿論、これは多分共通の意義をも有っているのでしょうが、祖聖の御己証によって、後の四失は「彼の仏恩を念報することなし」とということが、一番先に書いてある。乃ち十三の中の第十失は、「業行を修すと雖も」、即ち念仏を称えていても「心に軽慢を生ず」。軽はかろしめる、慢はおごる。念仏を称えても矢張り心に念仏の法を軽しめ、反ってお念仏を称える自分をおごり高ぶる。所称の念仏を軽しめ疑うて、能称の機の功を高め募る。だから彼の仏恩を念報するということはない。仏法を名聞利養の為に世渡りの為にしていると、こういうようなことであります。自らこれは十三の失の中前の九までを第十九願の過失にし、第十から第十三までを第二十願の過失としておいでになるということは、自然無為に感得されたのでありまして、理論でどうのこうのという所ではないのである。

次にこの自力雑心の失を一層深く内観して、

悲 哉、垢 障 凡 愚 自 従 無 際 
己 来 助 正 間 雑 定 散 心 雑 
故 出 離 無 其 期。自 度 流 転 
輪 廻 超 過 微 塵 劫 * 帰 仏 
願 力、* 入 大 信 海。良 可 傷 
磋 深 可 悲 嘆           

と明かし、更に尚、

凡 大 小 聖 人 一 切 善 人 以 
本 願 嘉 号 為 己 善 根 故 不 
能 生 信、不 了 仏 智、不 能 了 
知 建 立 彼 因 故 無 入 報 土 

と、過去の仏教史を痛烈に批判せられた。この文の中に就て不了仏智というは『大無量寿経』の智慧段の文、不能了知建立彼因故無入報土というは異訳『如来会』の十一願成就の文であります。これは異訳の経文を以て正依『大経』の智慧段の不了仏智の言を解釈して、「彼の因を建立せることを了知すること能はず」ということと顕し、不了ということは了知すること能わずということ、仏智即ち仏の智慧ということは、即ち彼の浄土の因を如何に建立しようかということを決定するが仏の智慧である。随って不了仏智とは何ぞや、彼の因を了知すること能わざることをいうのである。経典の文字を如何に綿密に御覧になったかということが解る。

*本文中の*は匚に口という字です。

(行信の道  「45 宿業の闇の感覚より宿縁の光の感情へ−三願転入の意義」より)

光の絶対的感情と闇の相対的感覚 (7/19)

元来、闇は有限相対の感覚であり、光は無限絶対の感情である。かく光の力は闇に対して本性として無限絶対なるが故に、我々の感覚に随えば、闇が浅ければそれに対応して輝きが小さいように見え、闇が深ければそれに対応して亦輝きも次第に大きいように見ゆる。光そのものは大きく見えても小さく見えても、それは闇に対応する相対の相であって、光自体の本性は一如絶対のものである。随って光は闇と相闘うのでなく、闇は本来外から来たったのでも外へ去ったものでもなく、闇の当体が転じて光となったのであります。而して無明即明、煩悩即菩提と証明したのであります。苦しみが深ければ深い程、心は晴れ晴れとする。千年の闇も唯一瞬間の光に照さるれば、その時忽ちに闇はなくなる。闇のありたけが光となるが故に、一瞬の光がそのまま永遠のものである。光の本性たるやかくの如きものである。如来は光であらせらるるということは、かかる意味を顕すのだということを、自分はしみじみと思うのであります。

(行信の道  「44 光の絶対的感情と闇の相対的感覚」より)

千歳の闇室か千歳の光室か (7/18)

単なる自分自身だけを思えば、自分の理知で如何程考えてみても、結局そらごと・たわごとに過ぎないのでありますが、一切の妄念が尽きて、一度南無阿弥陀仏を念ずる時に、久遠の確実なる一道を新しく認識するのである。思えば我等はこの一道を久しい間背にして、事実叛いて今日まで来ている。而も夢幻の裡に叛いていたとしても、深く自ら悔責して一念発起する時に、唯一瞬間の光が千歳の闇室を照し、光は瞬間であるけれども千年の闇は忽ちに滅し、茲に主客転換して闇は一瞬時の客となり、光は千歳の光室の主となる。そこに真実の行信を獲るという意義が成立する。思えば自力我慢の衆生は仏の五劫思惟の本願、永劫修行の御辛労というものをば背後にして叛いて来たけれども、不思議にも仏の御心を背に擔うて来ている。洵に背にするということは擔うているということになりましょう。

かくて不思議にも永い間の深き罪を知らして貰うた。そうなると罪深ければそれだけ感恩の心も愈々深くなる。「無礙光の利益より 威徳廣大の信をえて かならず煩悩のほこりとけ すなはち菩提のみづとなる」。「罪障功徳の體となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」ということがある。それが千歳の闇室であるならば、一瞬の光が亦千年を照し、それが万年の闇室であるなら、矢張り一瞬の光が亦万年を照す。闇が久しければ久しい程、同じ一瞬の光であってもその輝きは長遠である。

(行信の道  「43 千歳の闇室か千歳の光室か−主客の転換」より)

宿業の感覚と本願の再認識-2 (7/17)

前に述べました如く難思弘誓ということは、予め結果の如何や方法の如何を全く分別せず、唯そうせずには居れない大悲の願いによって動いて下されたのである。しかしながら唯何の訳も無しに動いて下されたのなら、唯一時的の妄想ではないかと速断すべきではない。動き給う前に予定があったのではないのですが、已に本願を発して下された以上、そこに自ら内的必然の道理というものが現れているのであります。それが即ち兆載永劫の修行の内面である。

初から南無阿弥陀仏という道の予定の本願を発したのではない、已むに已まれぬ大悲の本願の発った所に、南無阿弥陀仏の白道が成就されて来たのでありましょう。一切の理知的計画を超えて動くのが無縁平等の大悲心であります。そこに衆生が一念阿弥陀仏(未来往生の本願)に南無(憶念即ち念仏)する時、その南無する衆生を阿弥陀仏(現在正覚の光明)は助け給う(光明摂取、現生正定)。これを前念命終(南無)後念即生(阿弥陀仏)といい、念仏(南無)成仏(阿弥陀仏)自然の大道という。そういう道が成就して来たということが兆載永劫の御修行である。本願の動く所に自然に法爾に南無阿弥陀仏という名号の道理が成就した。是れ『御文』に、「五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただ我等一切衆生をあながちにたすけ給はんがための方便に、阿弥陀如来御身労ありて南無阿弥陀仏といふ本願をたてましまして、まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまひらせて、もろもろの雑行をすてて、一向一心に弥陀をたのまん衆生をたすけずんばわれ正覚ならじとちかひ給ひて、南無阿弥陀仏となりまします」と、仰せられてあるのである所以であります。

(行信の道  「42 宿業の感覚と本願の再認識」より)

宿業の感覚と本願の再認識-1 (7/16)

今日、弘誓真宗の御法に遇い、大行・大信を戴くということは、容易ならぬ所の意味を有っているのであって、そこに深く仏の本願・光明の広大なる宿縁の恩徳を感ぜずにいられぬと同時に、この宿縁というものは偏に如来の御苦労でありましょう。御縁という言葉の中には、唯漠然とあるというのではないのでありまして、永い間の御苦労を想うものは、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたりける本願のかたじけなさよ」の常の御述懐こそ、この適獲行信遠慶宿縁の一句に全く合致するのであります。

かく正しく自己一人の為をいう観点から、新しく弥陀の本願の動機を再認識する時、始めて真実の一如展開の歴史の世界というものが見出される。固より単純なる自我は、その現実は忽然として生れ忽然として死んで行く幻影に過ぎぬのであります。しかしながら今や、曠劫の因縁によりてこの大行・大信を戴くことによって、従来一場の夢幻に過ぎなかった自我の現実なる人生なるものも、始めて法爾の無窮の真実生命というものが回向せられるのである。仏の本願を念ずる時に、図らずも自分は、弥陀の五劫思惟の昔の自分は、已に本願の正機として内的必然関係を以て仏と共に在った、だからして自分は仏の御苦労の永劫の歴史の緯をなし、それと一緒に疑謗と反逆とを続け、永い間ずっと自分が仏の御胸を悲痛せしめ申しつつ、本願の不滅の歴史の経に織り込まれ来った。自分は仏を苦しめ申すこと深ければ深い程、仏の方より見れば大悲忍辱の願心を深く掘り下げて一切を引き受けて下さる。何か知らぬけれども、親鸞一人の為に仮令身止諸苦毒中、我行精進忍終不悔と、法蔵菩薩無縁の大悲、唯わけなしにそうせずには居れない純一無二無疑の御心であります。何もどういう当てがあって、論理があって、別に目的があって、作為的に論理的に本願を創造し給うたというのではないのであります。如来の心業は清浄にして地・水・火・風・虚空の如く、何の分別もない一如平等の御心である。普く三世の衆生の為に、只今現在の親鸞一人が為の暗黒の親心で在ますのである。

(行信の道  「42 宿業の感覚と本願の再認識」より)

宿縁と本願-2 (7/15)

仏法では一般に直接なる因よりも間接に見ゆる縁に重きを置いています。人間の思う如き決定的なる因というものが単独に在るのではないのであります。因の背後には一切万物が縁として連続している。この広大無辺の縁に目覚めた感激が信であります。信の背後には名号あり、名号の背後には光明あり、光明の背後に本願ありで、今信心正因といえばとて別に信心というものがあるのではなく、弘誓の強縁に帰する所に信心の正因ということが成就するのである。だから信心正因といえば、如何にも因を以て縁を奪うように見えますが、実は縁を全うじて因を生成する所以なるを開顕するのであります。だから信心正因というからとて、特別なる信念、即ち所信の理念や能行の意志を固執して、与えられたる所行の法を亡失する時、念仏成仏の願力自然の道に背き、所謂一益法門の神秘主義の邪義に陥るのであります。光明・名号の外縁の中に新たに信心の正因を見出したのですから、段々といってみれば、光明を以て母とし、名号を以て父とし、信心を以て自己の業識として、内外因縁和合次第して願力自然の大道を成立し、外なる迷いに対しては如何にも横超の直道であるけれども、内的には昇道無窮極で遠く深いのであります。本当に光明・名号の本願の因縁というものを、自分一人の為であると眼を開かして戴いた所が信心であります。眼を開かして下さるものが光明・名号の本願の因縁である。南無阿弥陀仏をたのむ念仏現行以外に、別に信心という自我的実体があるというならば、それは自力の信であって大いなる過りである、と仰せられるのであります。

この宿縁に就きまして、それを具体化する契機として、宿業というものがある。それが善であれ悪であれ、即ち順であれ逆であれ、一切の宿業が皆仏法の必然的なる深甚の御縁となって来て下さる。茲に於て噫というのは誠に絶大なる慶祝が起るのであります。この宿縁という所に容易ならぬ重大なる意味を有っているのであって、茲に如来の永劫の御苦労がある。永い仏法の歴史は、全体としては清明なる光明讃仰の歴史ではあるが、しかしながらその清明なる経に対応して、容易ならぬ多くの我等衆生の罪と悩みとの緯を織り込んでいるのである。而してそれ等を超越的に一貫統理して、青色青光赤色赤光白色白光の錦を成就するものは仏の本願力であり、又兆載永劫の御修業である。かかるものが等流して仏教の歴史の本流をなしている。誠に勿体ないことであります。だから「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」というのは、有難く宿業宿縁を喜んで居られるのである。久遠の昔の五劫思惟の本願というものは、今日の親鸞一人が為であったと、自分一人に引受けて下さるということは、それが偶然の感想でなく「聖人のつねのおほせ」という限り、本当に助かるまじきいたづらものだということを五劫思惟の発願の時已に之を深く念じて、無為自然に一切衆生の罪を引受ける如来の大悲を体験するのである。同時に仏の御苦労は自分一人の為であった、それ程に自分は仏に反逆をしていたことであった。してみれば仏法の永い御苦労の歴史というものは、われ一人が為に御苦労下さったということは、その特別の意義は、久遠劫より私は仏に敵対して来たのであるという、本願に対する再認識である。誠に難思の弘誓こそは、そうせずには居れない如来の無縁の大悲、一如法界より形を現し名を示し、本願を発して下さったのでありましょう。即ち本能の一如の中から出て来たのでありましょう。仏の智慧というものは理知的なる論理ではなくして、本能の純粋感情であります。しかしながらそれを私共が戴く時になるというと、自らそこに限りのない深い自然の道理、必然の真理というものを具現し来るのでありましょう。仏の本願の名号の中に無上甚深の功徳利益というものがある。仏願の生起本末が自分一人の為であるということを感ぜずには居れぬのであります。

(行信の道  「41 宿縁と本願」より)

宿縁と本願-1 (7/14)

遇獲行信遠慶宿縁、この宿縁は或は宿因とも或は宿善ともいうのでありますが、宿善開発という時には、特に宿善という言葉を使ってあります。宿因という時は、大体宿善と同じような意味を顕していると思いますが、ここには宿善とも宿因とも仰せられず、特に宿縁と仰せられてある所に、僅かの言葉違いでありますが、無理からぬ所がある。これは遠くは難思弘誓、近くは弘誓強縁の語を承けて特に宿縁と仰せられたのじゃないかと思います。因といえば何か自分の自力のように思われます。宿善という時になるというと、自他に通じて随喜するので稍寛い感がいたしますが、特に順縁に限り逆縁を遮るように思われるのであります。だから縁という時はその内容甚だ寛くして自他順逆に通じ、更に高次的に大願業力の増上縁とか弘誓の強縁とか、久遠劫よりの如来の本願・光明のお育てにより、本願の業力とか、光明の神力とか、こういう意味を顕すのには縁という字が甚だ適当と思われる。

我々は縁というと忽然たる偶然なものであって自己と自覚の連続なく、外にあって自覚的には甚だ軽いもののように考え、之に反して因というと自分の内にあって自己と自覚の統一があり、甚だ重いもののように考え易い。又宿善というと昔かくかくの善い事があったと想い出すが、その善は矢張り凡夫有漏の善業でしょう。有漏の善によって無漏の果を得るということは出来ない。だからして有漏の善業が無漏の果を結ぶということは、それは矢張り縁によらなければならない。我々の行為は理知的個人的に考えれば、唯有漏雑毒の善だけしかない。善導大師の言葉でいえば、

日 夜 十 二 時 急 走 急 作 如 
炙 頭 燃 者 衆 名 雑 毒 之 善、
欲 廻 此 雑 毒 之 行 求 生 彼 
浄 土 者 此 必 不 可 也。    

この世を誤魔化すことは出来るかも知れぬが、仏を誤魔化すことは出来ない、我等は一に自力を捨てて本願真実帰せねばならぬ。これが善導大師の至心釈の精神であります。

(行信の道  「41 宿縁と本願」より)

偶然と必然 (7/13)

適というのは偶然の意義であります。適は往の義、往遇の義であります。『文類聚鈔』には遇獲信心とあって遇と同義であります。そして遇の字は偶の字と同義であります。これは全く予定しないことである。何十年遇わない人が汽車の中で偶然に図らずもあうことがある。人間は約束しても容易に遂げることが出来ない。世の中には全く予期しないことが多く行われているのであって、予期していることが却って殆ど行われないようである。そうすれば結局物事は法の自然に本づき、人間の理知の好むと好まざるとに関係なく、その結果は成るべきようにしか成らぬのであります。私共は順逆の私情を超えて与えられたる境遇に対して、公正厳粛の態度を以て対応し、平等に忍従し、信頼し、供敬し、奉持し、満足し、感謝し、与えられたる偶然の事物の裡に深く帰入して、内的なる必然の意義を発見すべきであります。偶然は我等人間の理知が否定せられ、その無効を宣告する限界の感覚であると同時に、更に一如の本願力の不虚作住持の内的必然の招喚の純粋感情を表示するものであります。偶然を以て単なる感覚とすれば、所謂唯物的運命論に陥るであろう。しかしながら仏教に於ける偶然は内的必然に裏付けられたる外的偶然であって、誠に内外一如なるものであり、必然に証入するの契機であります。

誠に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」であります。念仏なき所、世の一切はそらごとであります。それは内には煩悩具足の凡夫あり、随って外には火宅無常の世界が当然対応するからであります。しかしながら我等、一度如来に南無し念仏する時、名声十方に響流して、我等は内に煩悩を断ぜずして現生正定聚に住するが故に、外に火宅無常の世界はあるがままに法悦満足の世界となるのであります。

(行信の道  「40 偶然と必然」より)

遇法と獲信-2 (7/12)

真実浄信億劫*獲。弘誓強縁には値というてあります。法に値うとは固より信ずることであります。真実浄信には獲というてあります。強縁は次の宿縁と相応じて外縁の意義を有し、浄信の内因に相対するのであります。これは体一・義別であります。弘誓の宗教に値うということは先ず総じて体を挙げ、信心を獲るということは後に別してその義を明らかにするのであり、順序は自然に立ててある。

適獲行信遠慶宿縁というに就き、行信というのは行のことじゃと香月院講師はいわれるけれども、しかしながら『略文類』の方は遇獲信心と書いてあるのに就て考うれば、名号の行に就て発起する他力信心のことであります。行は信全現行の体事である。体ということは本体というが如き形而上学的超経験的実在ではなく、現行、即ち現在の事行である。名号は現在の行であります。信というものは単なる自分の識見で定めたのではない。先ず現行の名号があって、之に批判証明せらるる所の無疑の純情なる能信があり、この行に証明せらるる純情の信こそ真信である。真信は決して行を証明するものではありません。行に裏づけられて信は現実的能信の事体を成ずる、真信は他力回向の信であるということを示して、今行信といったのでありましょう。

信は自力無効ということが主になり、行ということは他力全能ということが主になって居ります。信という所に自力無効ということがある。自力無効であるが故にこそ他力に帰せざるを得ざるが信である。行は自力の回向を必要としない、何故なら他力回向の大行があるからであるというのであります。


注:文中の*は匚の中に口という字です。

(行信の道  「39 遇法と獲信」より)

遇法と獲信-1 (7/11)

噫、弘誓強縁多生*値。この第二大段が又二段と分れ、第一段は遇法の宿縁を顕して勧信誡疑する。先ず弘誓強縁の辞は遙かに第一段の難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇恵日を受けたのである。果上の威神光明を因位の永劫修成の弘誓の宗本に帰一して、弘誓強縁と仰せられたのでしょう。真実浄信億劫*獲とは近くは第三段の大行・大信を承けたのでありましょう。乃ち真実浄信の真実とは本願真実の名号なる大行をいったのでありましょう。円融至徳嘉号転悪成徳正智、南無阿弥陀仏は真実功徳の大行であります。その真実功徳の名号の大行によって仏の本願の強縁を憶念する心、それはそうせずに居れない心で、その為には我等の自己の一切を犠牲にしてもかまわぬというだけの強き業力を有つ、それが真実というものであります。是れ正に至心信楽の至心でありましょう。

浄信とはその至心の本願名号を以て回向せしめたまう所の信心の智慧、真実に自力無効に徹底して一切の迷信邪道に動乱せられない、純一柔軟にして而も金剛不壊なる信楽は、真実の大行を体として、真実の本願の大行を全体として新しく展開して来る所の能信の心であります。それは全く所行なる名号の理であるから、何か特別なる信念という如き所信の心境が、所行の名号の法の等流の外にあるわけではない。新たに自己の覚悟を決めなければならぬと思い、又一旦決定した信心が壊れたという如きものではない。何か高遠なる理想を創造して信念と名くる一種の境地を定めようとする、かくて創造せられたる信念は遂に倒壊を免れぬであろう。頭が動けば直に肚が壊れるからである。今この行信の道に於ては、固より如来の本願の名号の衆生の疑惑を除却して一如の真証を獲得せしむる真実の道理が信心である。だからして聞其名号信心歓喜と、名号を聞くというのは、徒に南無阿弥陀仏の声を聞くのではありません。徒に声を聞くのは但聞であり、如実の聞は聞思であります。名号に於てそこに仏願の生起本末の道理を聞思するのであります。己を空しくして専ら仏願の生起本末が明らかになった所、逆にいえば所謂信念や確信など有っても無くてもいい、能称能行の人の分別は無為に消滅して、「ただ南無阿弥陀仏が往生する」と一遍上人もいうて居られます。これは正しく自力・他力を超越する一種の証の境地かと思います。我が祖聖の方は正しく宿善開発して善知識の教の下に本願を聞思し、疑蓋なき一念帰命の信の一念の位に立って居らるるのであります。真実浄信とは疑蓋無雑の深信であります。「義なきを義とす」と信ずることであります。

注:文中の*は匚の中に口という字です。

(行信の道  「39 遇法と獲信」より)

奉行崇信 (7/10)

そういう人に対して、特仰如来発遣必帰最勝直道、専奉斯行唯崇斯信と、一句一句に特といい必といい専といい唯という。こんな一句一句に力を込めて居られるのであるという所に注意せしめられるのでございます。ここに発遣とあるのは彼の『散善義』の二河譬及び『玄義分』序題の善導大師の言葉に依るのでありましょう。直道というも二河譬の正念直来と直進念道とあるに依ると共に、その源は『大経』の住最勝道という言に依るのである。如来は東岸上の釈尊でありましょう。この釈迦如来に対して最勝というたとすれば、『大経』には弥陀を最勝尊というてあるから最勝尊たる弥陀の直道と解釈しても差支ないが、必ずしもそういうわなくとも、最勝なる念仏の真直な一筋道という意味に解釈しても差支ないと思います。兎に角如来発遣は二河白道の東岸の世尊の教である。最勝直道は西岸上の弥陀の呼び声でありましょう。矢張り東岸発遣の教と西岸招喚の道(行)とに帰命せよというのであります。随ってここに、迷行惑信、心昏識寡、悪重障多というその意は、二河譬に照して見れば、矢張り群賊悪獣に迷わされているのでないかと思う。即ち迷行惑信というのは、内には六根・六境・六識・四大・五陰に迷わされ、外には異学・異見・別解・別行の人に惑わされているのでありましょう。心昏識寡というのは水火二河に当るのでありましょう。二河の中間に白道があるけれども、この道は極めて狭小である。即ち自己の信行の力弱く頼みにならぬこと、信心の白道の極めて狭小であるということを恐れていることであろうと思います。悪重障多というのは、それに対し二河の波浪火焔の果しない恐れでないかと思います。白道は狭く水火の二河は果しがない、それだから愈々行に迷い信に惑うのじゃないかと思われるのでございます。それは畢竟ずるに群賊悪獣に惑わされているのじゃないかと思います。それは又内に自力雑善の自分の惑いが根本であろうと思います。かくの如きものは、それは皆群賊悪獣に惑わされて、二尊の招喚・発遣を仰がないからである。だからそれ等の人は一に如来発遣を仰ぐべきものであります。発遣の教は特に自力無効を明らかにして下さるのでありましょう。発遣の教の方は深く自力無効を信知せしめ、群賊悪獣の惑しより離れしめて下さる。それが如来の教法の力である。そしてその教は外にある。之に応じて内より響くものは何であるか、是れ即ち最勝直道である。特というは比較的相対的であるが、必というは必然自然の絶対を表しているのであります。「必ず最勝の直道に帰せよ」。そして「専ら斯行に奉えよ」。専は専修念仏で念々不捨、憶念不断不忘でありましょう。この行は本願力回向の大行なるが故に、法爾にこの行徳を有するのである。我等はこの事行を仰いで、「専ら斯行に奉えよ。唯斯信を崇めよ」。誠に如来の摂取不捨の真言であります。摂取不捨の故に、我等の信は成就して即得往生の現益を得るのである。だから斯行・斯信は本願・光明の回向の行・信である。大行・大信はやがて本願・光明である。大行はやがて本願力であり、大信はやがて光明力である。本願・光明の因果二力によって始めて南無阿弥陀仏の浄土を生成総持し、衆生の大行・大信を回向成就する。そしてそれは本願・光明によってであります。だから斯行・斯信というと、前にも申しますように斯というのは、何故に名号の信心が大行・大信と云われるのであるかといえば、如来の浄土を所依とする所の本願・光明二力の回向であるから、その名号に於て本願・光明の表現があるからである。だからして念仏の本願は易行であり易住であるということは何故であるかというてみると、それに於て浄土の本願・光明の回向があるということを以て、専奉斯行、唯崇斯信といって、近くは名号・信心、遠くは本願・光明を結んだのであります。総序を二大段に分つ中、以上『教行信証』六巻の大綱を叙する第一大段を終らせられまして、次の噫という処より、この本願の宗教、如来回向の行信の大道というものは、これは如来の願心を「親鸞一人がため」と感激しつつ、而もこの大道を自分一人に之を私すべきものじゃない。何故なれば、これは偏に如来の大悲回向であって、毫も自分の力ではない。毫末でも自分の力が興ったのであるならば、それは自性唯心で済まされ得よう。又他に聞かすには威を以て臨んでもいい。しかしながら「如来の教法を十方衆生にとききかしむるときは、ただ如来の御代官をまうしつるばかりなり、さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じひとにもおしへきかしむるばかりなり」。先ず自己の救われたる道を顕す要文を六巻の文類に述べて、滅後の衆生のに永遠に伝えて行こうというのが、第二大段の意義である。かく『教行信証』を製作せずには居れない念願をお述べになったのである。噫というのは詠歎の言葉である。一方には深く自己の宿業を痛み悲しみ、他の一方には深く弘誓の難思の強縁を歓喜慶祝して居られると思われます。こういう二つの意味を有っているこの噫という言葉から始まって、兎に角爰に文章の調子が一変して来る。

(行信の道  「38 奉行崇信」より)

迷行惑信-2 (7/9)

次に惑信ということは『信巻』の別序に出ているのでありまして、

夫 以、獲 得 信 楽 発 起 自 如 
来 選 択 願 心、開 闡 真 心 顕 
彰 従 大 聖 矜 哀 善 巧。然 末 
代 道 俗 近 世 宗 師、沈 自 性 
唯 心 貶 浄 土 真 証、迷 定 散 
自 心 昏 金 剛 真 信。      

これが正しく信に迷う、詳しくは信・証に迷う所と思います。「自性唯心に沈んで浄土の真証を貶す」るは虚仮の証に沈溺するのであり、「定散の自心に迷うて金剛の真信に昏き」は雑毒の信に迷惑するのであります。だから「穢を捨て浄を欣ふ」ということは特に浄土門の宗とする所でありますけれども、しかし総じて仏教の旗幟とする所であります。これを突き詰めて来れば、そこに仏教の真宗が明らかになって来るのでありましょう。かくて我等は捨穢欣浄して仏法に帰しつつも、邪雑の行に迷い定散自力の信に惑うているのが多いのであります。初から捨穢欣浄しない人には行信の問題はないのであり、真摯に捨穢欣浄する人にして始めて道の問題が起って来る。「行に迷い信に惑う」新たなる問題が起って来るのであります。

次に心昏識寡、悪重障多というは更に、総じては行の法に迷い、別しては信の機に惑う。この信の問題から更に深く内観すれば、内なる我が心の底なき感情海は昏昧にして透明ならず混濁し煩悩に汚染せられ、そうして我が外なる感覚の識即ち才識智略の方便の能力は甚だすくない。即ち我等の真諦の信心は澄清明朗を欠くが為に、我等の俗諦の思想的批判力を欠き邪教邪思の誘惑に動転せられ易い。更に転じて行の方面に就て見ることになれば、徒に悪重く偶々善を知っても障多くして行動の自由がない。後の惑信に対しては心昏識寡といい、前の迷行に対して悪重障多というて順序転倒して述べてあるのであります。大行・大信を戴けば「無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」。「願力無窮にましませば、 罪業深重もおもからず 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず」。ああいう確りした明い境界というものが開け来るのでありましょうけれども、迷行惑信の人から見れば、自分の信を省れば「心昏く識寡く」といわなければならぬ。又真に自分の行為を省れば、愈々「悪重く障り多きもの」ということを悲しまざるを得ないのであります。これは外的には特に浄土往生人の悩みを説くと見るべきであるようだけれども、内的には真実に仏の純粋なる出世の道を求め、捨穢欣浄の願心を有っているならば、皆かの如く行信に就て深き悩みがある。智慧の悩みとなり、道徳の悩みとなり、種々になって来るのでございます。かくの如き人々に、祖聖が自分の今日の幸福に感激しつつ、苦しかりし昔の自己を顧るに就て、それに就て仏の永い間の本願を念じて、道を求めて而も得ざるであろう末代の人々に深い同情を注いで居らるるのであります。

(行信の道  「37 迷行惑信」より)

迷行惑信-1 (7/8)

遠く本願・光明の宿縁に催されて、茲に千歳の闇室が照破せられ、深き捨穢欣浄の願心に目醒め来るというと、我々は茲に新たに行と信という実践の問題に当面して来る。そこに初めて迷行惑信という迷悶の路が始る。何を行ずべきか、如何にして信を立つべきか。かくして徒に雑行雑修に迷い定散の自心に惑うて、真実の一如の行と無二の信とを得ることが出来ぬ。捨穢欣浄の願心痛烈になればなる程、行信の迷惑が愈々深いのであります。これは『化身土巻』の終を見ますると、竊以、諸道諸教行証久廃、浄土真宗証道今盛。然諸寺釈門昏教兮不知真仮門戸、洛都儒林迷行兮無辨邪正道路。聖道門の内なる釈門僧徒達は立教開宗の教相の真義に昏くして、真仮の門戸を批判する能わず、外なる儒林は徒に現生の吉凶禍福を事として、行の正道と邪路とを辨別し明徴し得ないとあります。教というは何であろうか、それは仏教であります。仏教の大精神は何であるか、「穢を捨て浄を欣ふ」にある。その仏法の立教の大精神に昏くして、真仮の門戸を知らずして、聖道門の立場から浄土門の捨穢欣浄の教相を攻撃する。仏法の大精神は単なる個人出離得脱の道でなく、国家国民全体への祈りである。茲にこそ捨穢欣浄の大精神がある。それが明らかにならぬ為に真仮の門戸を批判出来ないからして、浄土門に対して種々の非難攻撃をするのである。勿論、法然上人のお弟子達の間にも思想的に相当ひどいものもあったろうが、しかしこれは第二段の問題であります。眼を転じて直接に政治の指導に当っている所の洛都の儒林を見るに、行に迷いて純粋出世道たる仏道と世間道たる余道との別を辨うることがなく、世間道の標準を以て純出世間道たる浄土の道を非難した。これはいってみるというと、仏法以外の道というものは、それが世間道たる立前から当然吉日良辰を選び吉凶禍福の祈願を行事として居った。聖道の諸宗は何れもこれ等の行事を取込んでいるのである。由って浄土の門に於て純粋なる仏法の道理というものを明らかにすれば、却って邪正の道を混乱して非理の非難をするということは、道の邪正に惑うているのではないかと仰せらるるのであります。

(行信の道  「37 迷行惑信」より)

捨穢欣浄の精神 (7/7)

故に

捨 穢 欣 浄、迷 行 惑 信、心 昏、
悪 重 障 多、特 仰 如 来 発 遣 
必 帰 最 勝 直 道、専 奉 斯 行 
唯 崇 斯 信。

捨穢欣浄ということは真実に仏道を求める所の願生浄土の行者を、総じて呼びかけなされたのであります。次に迷行惑信以下は更に別して道を求めて道を得ず、行・信を求めて行・信を得ずして悩んでいる人の心持を同情して、別して呼びかけて下さるのじゃないか。総じていえば捨穢欣浄という所に摂っているだろうと思います。それに就き『信巻』の別序の終に欣浄邦衆徒、厭穢域庶類、即ち欣浄厭穢という次第になっているが、この厭穢と欣浄との次第に就ては、『愚禿鈔』に聖道門は厭離を先とし浄土門は欣求を先とするとあるのを根拠として、今ここは聖道門の機を挙げると見、『信巻』別序の方は浄土門の機を呼びかけるのであると見る人もありますが、私はそういう意味ではなかろうと思います。総序の方は捨穢欣浄と普通の順序で呼んでおいでなさるのでありましょうし、別序の方は已に『教』・『行』二巻に於て仏祖伝燈の本願の大道を総明し終って、正信念仏偈を以て之を総結し、次でこれより後四巻に於て、別して一層深く己証を廣闡せんと欲し、先ず以て特に己証の原理なる『信巻』を開顕する意趣を明らかにする為に御製作になるのでありますから、已に『教』・『行』二巻というもので仏祖伝統の行信の大道を聴聞したことでありますから、『信巻』別序には欣浄を先とし厭穢を後にせられたのであって、ここに捨穢欣浄とあるから聖道門の人を指したのだとか、『信巻』に欣浄厭穢とあるから浄土門の人を指したのだとかいう意味はないと思うのであります。ここの捨穢欣浄は聖・浄の二門の対立を超えて、「興法の因内に萌し利生の縁外に催す」所の、別願を全うずる総願であります。

時に娑婆という言葉に関しては、今日は種種誤解があるように思われるのでありまするが、少し意味が違っているのであります。如何に我々が尊厳な御国に生れましても、本当に尊い国体の本義に就て明徴なる慧眼が開けまして、立派な御国に生れさせて戴いたと自覚するということは、本当に捨穢欣浄の選択の願心に接触するようになって来なければ、立派な御国というものを感得している人ということが出来ないと思います。そういうことも我々はよく注意して聖教を拝読する必要があろうと思います。だから「穢を捨て浄を欣ふ」ということは、無論、これは敢て形を聖道門に居ろうが居るまいが、浄土門に居ろうが居るまいが、そんなことには全く関係ないのであります。兎に角先ず真実に生そのものに就て本当にそれを問題にする、実際自分の人生と思惟するものは一体何ものであるか、自我の穢の世界であるか一如の浄の世界であるか、そこに静かに一如の法の光に照して自ら誤魔化しをしないで、自分の生活というものを、それを省ることでありましょう。かくの如くして、真に生の問題に苦しんで仏道を求める心は、大観すれば「穢を捨て浄を欣ふ」大精神の外はないのであります。源信僧都の『往生要集』は、夫往生極楽之教行濁世末代之目足也という処から開けて来たのであります。これは『要集』全体に漲っている「穢を捨て浄を欣ふ」精神であります。古来、仏教界全体として少しく真面目なものは、この「穢を捨て浄を欣ふ」精神を以て道を求め行じていたのであります。

(行信の道  「36 捨穢欣浄の精神」より)

易往無人 (7/6)

次に愚鈍易往捷径、愚痴暗鈍なるものの安心して踏み往きつつある捷径直道である。これは『大経』の易往而無人の易往という一面によったのであります。捷径というのはちかみち、次にある最勝直道という言葉と同じ意味であろうと思います。この捷径という言葉は『信巻』の初に世間難信之捷径とありまして、これは易往而無人の無人という一面に対応し、又前の難信金剛信楽というに相当するものである。勿論、これは私共が金剛の信心を築き上げるには容易ならぬ自力的の苦労をしたということではないのであって、真信発獲に就ては容易ならぬ如来因位の御苦労を、本当に有難く感ずることであります。偶々信心歓ぶものが、何処までも我慢我情を張って、如来に対して疑謗の剣向けて居った過去を思い出した感銘が、或は易往無人と悲痛せられ、或は難信金剛と驚嘆されたのであります。畢竟ずるに浄土往生は畢竟成仏の道路の故に、帰命の一念に浄土は目前にある。則ち捷径というのは、本願の浄土は無為自然の境、生即無生を示す。

我々は易行といえば但称え易いことと早合点しているが、南無阿弥陀仏というは称え易いこと、六字を口でいうのはこの位のこと何の造作もないと、何でもないように思い、知らず識らずの間に法を軽しめるような気持でいうているのでありますが、造作がないという言葉の意は我々の自力の極った所、願力自然に随順するによって自然に無為自然に相応する所が易行・易往ということでありまして、願力自然の故に易行であり、無為自然の故に易往であると思います。例えば私共は自分の姿勢を直すということに就てみましても、悪い姿勢のものは長い習慣から、姿勢を悪くしている方が楽なように思える。悪い癖を続けていると段々姿勢が悪くなって行く。眠れば眠る程睡くなる。我々は眠るのが飽きるかというとそうじゃない。寝ていると始はお腹が空く、空いても我慢して寝ている方が比較的楽だということになる、遂には御飯を食べる必要もなくなる。そうすると遂には餓死してしまう、餓死してしまう方が絶対の楽だということになる。自分は先ず健全だと思っているのが常識である。それに対しその姿勢じゃいかん、下腹に力の入るようにどうして出来ぬか。下腹に力がないから腰が屈んでいる方が楽だと思うている。所がそうじゃないのであって、自分の従来の考は因果顛倒であった、成程そうだと翻然として自覚すれば、何の造作がないのであって、即座に数十年間違って居った姿勢が自然に適うようになり、自然にしていると内蔵の方も良くなる。内蔵が良くなるもんだから、今度は故意に悪くしようとしても内蔵が承知しない。そうすれば姿勢正しくしようとすることが本来の姿勢であって造作がない。易行の大道であることが始めて解ります。造作がないということは、長い期間の悪習によって本来の正しい道を行ずることの反対をやることが、普通に却って何の造作がないように思われます。しかし今や迷の夢醒めて易行の大道に立つ。これは遠くは浄土の真宗なる弘誓の強縁により、近くは大行・大信の正業・正因の回向により、外にしては宿悪を転じて宿善を成就せしめ、内にしては自我の疑迷を除去して一如の真証を証得せしめ給うからである。誠に「大聖一代の教、この徳海に如くはなし」、この功徳寶海の行信に及ぶものはない。天親菩薩の『願生偈』の功徳大寶海、即ち因円果満の一如の行体たる南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏即是其行と帰命の一念に我等衆生をして速疾に功徳の大寶海を満足せしめ下さるのであります。これこそ大聖一代の教法の大地であり、核心であり、本流である。

(行信の道  「35 易往無人」より)

法界と衆生界との対応 (7/5)

難思弘誓度難度海大船と、船は行を譬えたのであるに対して、無礙光明破無明闇慧日というのは、慧日は信心を譬えたものであります。『大無量寿経』にも信心の智慧ということがありますが、人有信慧難と信は慧であるとし、智であるとはありません。こういう工合に弘誓と光明との二力を以て名号と信心の体験の事実を明らかにして下さると解釈が出来はしないかと思います。円融至徳嘉号転悪成徳正智、難信金剛信楽除疑獲証真理と、因位の本願に対してそこに名号を挙げ、果上の光明に応じてそこに信心を挙げて、疑を除き証を獲しむる所の真理であると顕して下されたと思うのであります。

かくして大行・大信というものは、如来の本願・光明を遠く宿縁として、今日現在に御回向下さるのである。仏界に在っては本願・光明であり、衆生の回向の世界在っては大行・大信である。仏の方からは度難度海とか破無明闇とかいい、我等の方からは転悪成徳とか除疑獲証とかいうてあるのであります。正智という智は善巧摂化の計画ということであります。智慧の念仏、信心の智慧の語を聞いて、二者同じく仏の智慧を示すものだと考うるは、恐らくは智と慧ということが明瞭でない為の混乱じゃないかと思われます。次に真理とは成程仏の光明によって、無明の闇が知らず識らず漸々に自然に、何時の間にか照し破られているから、どんな逆境というものに遇っても驚かず忍従順応することが出来、そして無上涅槃に至るという見極めがつくのが、「疑を除き証を獲しむる真理」というのであります。種々の迷信邪教の禍福の惑しにかからぬということが、つまり信心が「疑を除き証を獲しむる真理」たる所以である。貪瞋煩悩というような悪があっても恐れない。それがいってみれば、『歎異抄』の「本願を信ぜんには他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへに」というのは、仏の無礙の光明のお照しによって、自然に信楽の眼を開かして戴き、かく第一段の本願・光明というものに対応して出されているのである。大行は本願に、信心は光明に対応し、道理が明瞭しているのである。随って正智は正しい行智、平等公正なる指導原理ともいうべきである。故に矛盾相剋の人生に於て自在無礙に働きかけて下さる。だからその力は本願の業因によって南無阿弥陀仏の転悪成徳の行智を成就され、随ってこの大行に就て信眼が与えられ、そこに機の善悪に対する疑懼を除却して純粋一如の浄土の証を獲得せしむる所の真理が、自ら成就せしめられるのである。無礙の光明に照されて無明の闇が破らるるが故に、「疑を除き証を獲しむる真理」が自ら現れて来た所である。信心というものも畢竟、本願念仏に於ける除疑証獲の法爾の真実道なのでありまして、疑の闇が除かれて証の曙光が微かに彰れて来たのに外ならないのであります。信心とて他なし、念仏の心の二字なきを、「疑を除き証を獲しむる真理」の体験そのものであると仰せられたのでございます。

だから成程我々には本来真実の行もなく、清浄の信もあるものでありません。然るに忝くも如来の本願・光明の二力の回向によって、我々に図らざるに現に大行・大信というものを与えて戴こうとはと、誠に『願生偈』の観仏本願力遇無空過者、能令速満足功徳大宝海の意義に相当するのであります。正智というものは、願力自然の善巧摂化の妙用を説くのであります。真理というものは、無為自然の道理を示すのでありましょう。

次に爾者凡小易修真教とは、直にこの大行・大信を爾者と受けて凡小易修真教といったのであります。これは何であるかというてみるというと、凡そ大行・大信というものは、自力で称えるのでなく、信心というものも自分の力で以て疑を超えて行くというような、疑問を起して疑問を晴して自分が一の確信というものを築き上げたというようなものではないのでありまして、行信そのまま体験の教法であり伝統である。行信の道こそは正しく凡小が現に安心して修しつつある所の真実の教法であります。

(行信の道 「34 法界と衆生界との対応」より)

光明は般若の悲母、名号は方便の慈父-2 (7/4)

そうするというと、更に之を『行巻』の御自釈を照してみまするに、
良 知 無 徳 号 慈 父 能 生 因 
闕、無 光 明 悲 母 所 生 縁 乖、
能 所 因 縁 雖 可 和 合 非 信 
心 業 識 無 到 光 明 土。真 実 
信 業 識 斯 則 為 内 因、光 明 
名 父 母 斯 則 為 外 縁、内 外 
因 縁 和 合 得 証 報 土 真 身。
この御自釈を持って来て『論』の本文を判じ、又『論註』の御釈を照してみますというと、光明・名号の父母というものは、智慧・方便の父母というのと自ら合致して来るのではないかと、ふと気付いて居るのであります。智慧というのは菩薩の如を照す所の、諸法平等の真如に達する所の根本智である。之を真・俗二諦でいえば正しく真智である。それを略して慧と名ける。方便は仮なる世界に出て来る所の後得の方便智の名で、之を略して智と名ける。茲に智という字と慧という字とは、我々は之を同じように見て一の智慧と考えて居りますけれども、これは支那の文字の上にそういう約束があるのか、或は仏法の便宜上分けて使ったのであるかははっきりいうことが出来ませんが、しかし曇鸞大師の『論註』に依るというと、慧は平等一如の根本智であり、智は差別の法を照す所の方便智であると、こういう風に釈して居られるのであります。

これは『浄土論』の離菩提障という一章の『論註』の釈文でありますが、そこに智慧ということを解釈しまして、
知 進 守 退 曰 智、知 空 無 我 
曰 慧                 
とある。慧は諸法の空無我の真理を悟るというのである。それから菩薩は一心に仏道に前進するを知ると共に二乗の涅槃に後退するを防守するを忘れない、之を智というのである、こういう風に釈してあります。智は差別の俗諦を照すのである、慧は平等の真諦を照すのである。こういう解釈は曇鸞大師が龍樹菩薩の『十住毘婆娑論』に依ってせられたのであって、勝手にそういう解釈をされたのではないと思う。それで私はこの総序の文を拝読するというと、祖聖がここに智と慧とを使い分けておいでになることを甚だ嬉しく感ずるのであります。第二段には破無明闇慧日というて智日とはいわず、それからこの第三段に移ると、円融至徳嘉号転悪成徳正智と書いて正慧といわないのである。それを私共は智も慧も同じことだと考えるからごたごたしますけれども、仏教学上固より慧というものは平等である、智は差別であると、はっきりと使い分けておいでになることは、誠に有難きことと思うのであります。だからそこらを明瞭にして来るというと、無礙光明は一如の妙理を明らかにしない所の、仏智を了せざる所の無明の闇を破る根本平等の慧日である。円融至徳嘉号は衆生の悪業海<宿業>を転じて現前に功徳海を成ずる方便の正智である。仏の光明というものは仏の自証の体である、名号というものは利他の用である。光明は仏の自証である、名号は正しく仏の救済の用である。そういう所で智と慧とが分れる。

成程、無徳号慈父能生因闕、無光明悲母所生縁乖と出て来るのでありまして、名号というと何か我々は遠い処にあるように思いますけれども、近く我等を動かす称名であるが故に、名号を通して我等の信というものが聞となり、如是我聞となるのであります。光明は悲母の如く久遠劫来静かに消極的に漸次に我我を照し守り保育し給い、名号は直接に能動的に突然として我々に命令し破邪顕正の利剣振い来る。だから難思弘誓とか無礙光明というものは、我々から見れば間接的な御縁、即ち宿善・宿縁というものである。それに対してこの円融至徳嘉号と難信金剛信楽、即ちこの大行・大信は直接に我々を救うて下さる所の、今日現前の正業・正因である。そういう風にお述べになって、故知と結論の形を以て大行・大信の徳を明らかにして下さるのじゃないかと戴けるのであります。どうも散漫のいい方をするようでありますが、まあ私の出来るだけのことをお話させて戴きます。

(行信の道  「33 光明は般若の悲母、名号は方便の慈父−−−慧日と正智」より)

光明は般若の悲母、名号は方便の慈父-1 (7/3)

ここに名号と信心、即ち大行と大信とを掲げ、そうしてそれを結んで専奉斯行唯崇斯信というてあるのであります。

前の第一段に如来の本願・光明、即ち仏願の生起本末なる浄土『大経』の本願真宗を掲げて、我等の大行・大信の由って来る所の宏遠なる淵源を明徴にされてあるのであります。就中、光明と名号、これは善導大師の『往生礼讃』には、
然 弥 陀 世 尊 本 発 深 重 誓 
願 以 光 明 名 号 摂 化 十 方 
但 使 信 心 求 念         
というてありますが、その光明・名号ということに就て少し思い浮べますことは、天親菩薩の『浄土論』の長行を拝読致しますというと、名義摂対という一章があり、名と義との関係を明瞭にして行くという所、そこに般若と方便ということが述べられてあって、その文章は『論註』の釈文と共に『証巻』に詳細に引いてあります。乃ち
向 説 智 慧 慈 悲 方 便 三 種 
門 摂 取 般 若 般 若 摂 取 方 
便 応 知               
とあるに就て、
般若者達如之慧名、方便者通権之智称。達如則心行寂滅、通権則備省衆機。省機之智備応而無知、寂滅之慧亦無知而備省。然則智慧方便相縁而動相縁而静。動不失静智慧之功也、静不廃動方便之力也。応知智慧方便是菩薩父母、若不依智慧方便五冊法則不成就。何以故、若無智慧為衆生時則堕顛倒、若無方便観法性時則証実際
(『証巻』より管理人が転載。ここから)
さきに、智慧・慈悲・方便、三種の門、般若を摂取す。般若、方便を摂取すと説きつ。知るべし」(論)とのたまえり。般若は如に達するの慧の名なり。方便は権に通ずるの智の称なり。如に達すれば、すなわち心行寂滅なり。権に通ずれば、すなわち備に衆機に省くの智なり。備に応じて無知なり。寂滅の慧、また無知にして備に省く。しかればすなわち智慧と方便と相縁じて動じ、相縁じて静なり。動、静を失せざることは智慧の功なり。静、動を廃せざることは方便の力なり。このゆえに智慧と慈悲と方便と、般若を摂取す。般若、方便を摂取す。「知るべし」とは、謂わく智慧と方便は、これ菩薩の父母なり。もし智慧と方便とに依らずは、菩薩の法則、成就せざることを知るべし。何をもってのゆえに。もし智慧なくして衆生のためにする時んば、すなわち顛倒に堕せん。もし方便なくして法性を観ずる時んば、すなわち実際を証せん。
(『証巻』より管理人転載。ここまで)

と釈してあります。

それで私はこの『浄土論』の本文並に『論註』の註釈というものに依って考えてみまするというと、智慧と方便ということがあるが、智慧というのは何であるかと申しますと光明である。方便というのは何であるかというと名号である。ここに智慧は菩薩の母であり、方便はその父であるというてあります。これは菩薩が仏道を求め、そうして仏道証入によって菩薩道というものに出て来る、その菩薩道の父母となるものは、正しく智慧と方便である。内には自覚の智慧を明らかにし、外には方便化身、所謂応化身を示し、煩悩の稠林に遊んで神通を現ずるのである。こう解釈して差支なかろうと思う。

(行信の道  「33 光明は般若の悲母、名号は方便の慈父−−−慧日と正智」より)

所行の体を全うじて... (7/2)

凡そ能信と所行とは体一・義別でありまして、能信に幾重もあれば所行にも之に応じて幾重もある道理で、決して所信・能信というが如き固定したる抽象概念ではなく、随って行といえば衆生の機に猶未だわたらない信以前の仏祖の教義というが如きものではなく、亦之に反して已に衆生の機にわたりたる信以後の衆生の称名というべきものでもなく、正しく衆生各ヽの機を超越して、一切衆生に平等に回施せらるべき正定業として、我等の祖先なる仏祖に伝燈し、過去・未来・現在の三世の称名の歴史は信の一念に現前現行しているのであります。所謂信心・称名同時という如きものではなく、而も亦称名をば信前とか信後とかに固定すべきものでもないのであり、且つその念仏が自己によって称えられようが、他人によりて称えられようが問う所ではないのであり、又その称える人の善悪を問わず、称うる心の所謂信・不信を論ぜず、念仏の法に就て仏願生起の本末を聞きて、唯自身が同体常住の三宝に帰して無常虚仮の人間に依らず、衷心から念仏に随喜同感出来た時の光景を、巻頭の和讃に表されたのであろうと思うのであります。過去・未来・現在の三世の称名は、それを一貫する所の本願を憶念する一念に現在し、その信は亦それの憶念する本願名号、即ち称名に具現等流せられて常に現在し、我等の純一清明なる生活を指導して、冥想的なる神秘主義的邪道に迷惑動乱せられないのである。即ち恰も針の運ぶところ縫糸が後に連続して針の運びを有効ならしむるが如く、称名本願の大道は限りなく複雑冥晦なる神秘主義的邪道を転ぜしめんが為に、自然無為に称名信心の一義から次第に無量の義を展開するが、その一々の義には称名行が直接裏づけているのであります。かくの如く称名の所行と信心の能信とは重々無尽の内的関係を有して、相互に薫習して因果の関係をなし、信は行の本源を貫徹し、行は信の最後を該摂するのであります。行・信、能・所、機・法一体にして、而も名・義明徴にして能・所の位を別にするのであります。

(行信の道  「32 所行の体を全うじて能信を生成すれば、能信全体所行を顕現す」より)
      
                    

能信の真意義-2 (7/1)

巻頭の和讃こそは最もよくこの義を明証するものであります。先ず第一句の「弥陀の名号となへつつ」は総体であり、第二句の「信心まことにうるひとは」は別義であります。この第二句の別義に第一句の総体を具して、第二句は自然に第三句の「憶念の心つねにして」を新しく展開し、更にこの第三句は第一・第二の二句の総体を具して自然に新しく第四句の「仏恩報ずるおもひあり」を展開したのであります。又『信巻』の本願三心釈を按ずれば、「弥陀の名号となへつつ」は、至心は名号を体とするを顕すのであります。「信心まことにうるひとは」は、信楽は至心を体とするを顕すのであります。「憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」の第三・四句は、欲生は信楽を体とするを顕すものであります。総体が別義を新開することは即ち総体の進展であり、本願無生の生であります。無生之生とは能生者なくして独り所生があるの謂であります。それは本願力によるが故に別に能生の自我を要せずして、法爾因縁の自在神力(所生)が成就するのであります。又別義に於て総体が行ずる時、能行者なくして所行の法自然なるを、不行而行と名くるのであります。之を浄土真実之行といい、又選択本願之行と名くるのであります。

誠に選択本願の大道には、能行者なくして自然に所行の法は純一に等流相続し、能生者なくして所生の法は自在に応化神通して尽る所がないのである。我等は具体的なる所行の法を能行に対して抽象し、能信の信を所信に対して概念化するが為に、称名行を以て一方には機上の能行とせざるを得ざると共に、他方には之を能信以前の猶未だ機にわたらざる諸仏知識の教位に置かねばならぬが如き、迂遠の解釈を用いなければならぬこととなったのであります。私が屡々陳べまするが如く、列祖の聖典には名号も称名も念仏も、共に等しく口称の行として使用されてあるのであり、茲に本願の行信の大道の面目が存在し、随って大行の名号が単なる所信の法という如き非現行的理法ではなく、名号は即ち現行なる具体的所行の称名法であり、随ってそれは挙体信に具現するものであります。若し行が単に所信という如き単なる教理ならば、信は純粋なる能信でなくして、能行でなければならぬ道理であります。或る先覚者は、強いて能行といえばそれは信でなければならぬといわれましたが、この本願の行から能行の概念を除去せんと欲するの余り、能行の概念を且く信に転入したのであって、これは一種の反語に過ぎないことと思います。

しかしながら我々は本願の信を以て、口には能信といいつつ、知らず識らずに之を能行として居りはしないかと思います。巻頭和讃の「弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは「」と、率直なる称名信心の表白に接して、誰かこの称名の六字を単なる信以前の仏祖の所信の教義と見ることが出来よう。是れ正しく現実事行の所行さながらの表現でなくしてなんでありましょうぞ。是れ誠に仏祖伝統の称名本願の大行であって、勿体なくも自己も「至心信楽己を忘れて速に無行不成の願海に帰」せしめられていたことの不可思議を慶喜し、奉讃せずにはいられないのであります。

(行信の道  「31 能信の真意義」より)

能信の真意義-1 (6/30)

已上、大体に於て行信の大道としての所行・能信の不離不二の立体的関係の大要を陳べ得たと存じます。人は多く所行の義のみを難解とし能信の義を自明の如く思うようであるが、実は信に所信や能行の思想が知らず識らずの裡に混雑するが為に、純粋能信の意義が明瞭を欠くが為に、その信に就ての陰影を行の上に投影して、行に所信・能行の挟雑物を見るのでないかと思います。これは畢竟、本願の行信の大道を明微にせず、自力の信行の常識道と混雑するが為ではないか。

抑ヽ称名の大行は本願の総体であり、帰命の大信は本願の別義であります。乃ち称えよ助けんとあるのは、先ず本願の象徴なる名号の総体を挙げて遍く十方衆生に回向し給う相であり、我をたのめ救わんということは、この名号に於て象徴する本願の別義を衆生が内観する相である。これを『御文』三帖目初通に就て見るに、「夫一流の安心をとるといふも、何のやうもなくただ一すぢに阿弥陀如来をふかくたのみ奉るばかりなり」と初に略説し、次で之を二方面から広説せんと欲して先ず二問を挙げ、「しかれどもこの阿弥陀仏と申は、いかなるほとけぞ(第一法の問題)、又いかやうなる機の衆生をすくひたまふぞ(第二機の問題)といふに」と問い、次でこの第一の法の問題に答えて本為凡夫の本願を明らかにし、次に第二の機の問題に答えて一念帰命の信心を明らかにして居られる。これは法と機との二問題は次第の如く総体・別義の関係を示すものであり、只今の行・信の問題であります。即ち大行とは総じて阿弥陀如来とは何ぞやということを明らかにし、大信とは別して如何なる衆生が救わるべきやということを明らかにするものであります。この行・信、総・別、体・義は内面的必然の関係を有し、総体を挙げて別義を展開すれば別義は則ち総体を具足して、更に別義を展転開顕して極る所を知らぬのであります。総体は内に限りなく別義を新しく展開しつつ、而も自体別義を超越して常に三昧に安住し、一切別義を摂取憶念し不散不失ならしむるのであります。又別義は各自新たに生ずるに随いてそれに於て総体を現行し、総体をして拡張充実せしめて已むことなく、常に新生命を持続せしめるのであります。それ故に別義の展開は永遠に極りなく、その連続は決して分段的結合的理論の連鎖体系ではなく、即ち自我的業道自然の邪道ではなく、誠に一如的願力自然の正真道であります。

(行信の道  「31 能信の真意義」より)

自力他力は一に信の機に在り-2 (6/29)

又已に能行という限りは著しく称名に機の色彩を帯び、内的には願力自然の自証としての一心帰命の感情は否定せられ、随って外的には無為自然の自証としての自力無効の感情は全く影を潜めることになろう。已に覚如上人の『本願鈔』に『信巻』の真実信心必具名号を釈して、「摂取のちからにて名号をのづからとなへらるるなり」と述べて、信心の念仏の願力自然に随順し無為自然に相応してとなへらるる、即ちこの称名は所称であり所行であると顕し、之に対して名号必不具願力信心を釈して「名号となへて、この名号(称名といわずして名号という)の功力をもて浄土に往生せんとおもふ」と述べ、自力心の称名を以て能行と名くべき意図を示されてある。

則ち行信の大道に於ては、名を称うるは名が称えらるるなる所の純粋現行を顕す言葉であって、決して称える能称能行の能を示すものでなく、『行巻』の他力章に於て言他力者如来本願力也と釈し、次で『論註』の『浄土論』の本願力の釈文を引用し、譬如阿修羅琴雖無鼓者而音曲自然の『註』の譬喩を引用してあるが、阿修羅琴が能鼓者なくして所皷の音曲自然なるが如く、如来の現在の光明威神の他力というものも、特に能起能現の作為あるに非ず、如来は常に大寂三昧に静かに住し給うのであります。全く無為自然の所現であるがその本は本願力である。阿修羅の琴は業道自然による所の所謂純粋自我の無明の所為であるが、之を譬喩として如来の本願力によりて能作者なくして所作の事が自然なるを示したものである。

誠に本願力によるが故に、能行なくして所行の事が無為に成就すと示すが、行信の大義である。かくの如くしてこの純粋現行なる所行の称名の法に就て、始めて大信は一切の作為的能行的祈願心ではなく、又所信の境界的なる所謂自我の概念的心境とか、自我的信念即ち自信力とか、律法的信条とかいうべき不純雑駁なる定散自力の域を超脱して、純一無雑の無二無礙の能信の信たるを得るのであります。能信の信とは所信の定心や能行の散心の自力信に対する本願回向の信の独自の義であります。即ち行に於ける能が定散自力の妄執を示すに対して、信に於ける能こそは絶対帰命の信のみが我等衆生に与えられたる本能であり唯一の権能であることを自証せしめ、之によって無限なる大行の内面的眼界を顕示して、衆生をして名号を念持するの契機を成立せしむるのであります。誠に我等に於て信のみが能なることを示すことによりて行が全く所なるを顕し、行の全く所なるに於て如来の大行力を反顕すると共に、信の能なるに於て衆生の自力無効を反顕するのであります。

(行信の道  「30 自力他力は一に信の機に在り」より)

自力他力は一に信の機に在り-1 (6/28)

全体、行信の大道に於ては、行に自力・他力の別はないのであり、自力・他力の別を生ずるのは信ずる機の純・不純によるとせらるるのであって、この道理の不明瞭の為に、念仏の上に自力と他力とがあるように思うのであります。念仏は固より如来の本願力回向の法でありまして、人間の信・不信を超えて真如一実の功徳宝海であります。自力・他力は信に在って行に在らざる所であります。自力念仏・他力念仏というは念仏の法そのものの区別でなく、之に於ける信の純・不純にあるのであります。私共はこの一事に深く明らかに反省すべきであります。

それ故に『行巻』の御自釈には、『往生論註』に

彼 無 礙 光 如 来 名 号 能 破 
衆 生 一 切 無 明 能 満 衆 生 
一 切 志 願             

という文の名号名号の語を称名の字に改変し、
同一の文を祖聖の私の語として陳べてありま
す。又『信巻』の

真 実 信 心 必 具 名 号、 名 号
必 不 具 願 力 信 心       

とある文の名号の語が称名の義であることは、存覚上人の釈に依るも明瞭なことであります。随って、『正信偈』の本願名号正定業、至心信楽願為因とあるもこの名号は即ち称名であります。私共は所行の名号を以て徒に形而上学的実在とすべきでなく、純粋現行とするが行信の大道であります。それが三国七高僧の伝燈の教行であり、而して特に法然上人の選択本願の真宗であります。信は行に批判さるべきであって行を批判すべきではありません。行は絶対にして何ものにも批判せられません。信は行に批判せられるによりて能く証を批判することを得るというのが、行信の大道であります。是れ即ち巻頭和讃の第一句に、絶対無条件に本願念仏の大行を機の信・不信を超えて高揚し、次に第二句に始めて「信心まことにうるひとは」と、機・法二種の深信を顕し、真実なる信心は純粋なる能信であって、決して能行ではなく、即ち無礙無慮に如来の願力に帰して全く自力無効の信知であります。行に能行を立つるは、自然に信に能行の根源力を認めることになるのでなかろうか。

(行信の道  「30 自力他力は一に信の機に在り」より)

称名所行による行信道の意義-2 (6/27)

茲に私は所信の法ということと所行の法ということに就き、今少し考えてみたいと思います。単に所信の法という時には、行者と対立し概念せられた法であって、行者から遊離し、何等の生命も力もなき形式的教条という如きものでありましょう。随って之に対する能信の信というものも、単に考えられたる信条という如きものとなり、この二者は二の概念として対立し永遠に具体的なる行信とならぬであろう。然るに所行の法という時は現在に行動している所の法であり、今現に行ぜられつつある法であります。純粋なる法は必ず所行であり、純粋なる所行のみ法であって、能行は存覚上人の『六要鈔』<『信巻』>には称名之人という語があって、能行は厳格の意義に於て能行者たる人であって法ではありませぬ。南無阿弥陀仏の名号は南無の二字を主にすれば因位の本願であって憶念の念仏というべく、又阿弥陀仏の四字を主にすれば果上の光明であって讃嘆の称名というべきであります。我等の常識的見解には憶念の念仏のみを以て所行の法体とし、讃嘆の称名を以て能行の行業と思惟するのでありますが、これは行信の大道に於て一段の内観を要する所でないかと思います。

『行巻』の大義を最も簡単に示すものは巻頭の和讃の「弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」の一首であります。この和讃の初の二句は行・信と次第して、而もその行は称名行であります。我等の常識には全く前後転倒して容易に領解し難き所であります。我等の常識は寧ろ反対に信を以て所信の境とし、行を以て能行の態度としているようであります。かくの如き立場では到底この巻頭和讃が示す所の所行の大道を領解し難いと存じます。行信の大道に於ては名号と称名と念仏と三者同一でありまして、あらゆる聖典に於て区別されてないのであります。三者の中独り名号のみ所行の法体であり、称名は勿論念仏も亦機上の行業の故に能行であるとするは、常識上誠に当然のようであるが、茲には知らず識らずの間に理知の分別が加っているのでないかと思う。本願力回向の故に名号は即ち称名であり、称名は即ち念仏であり、念仏は即ち名号であります。三者同一なる所行法の三義であります。即ち念仏は因位の名であり、称名は果位の名であり、名号は因・果二位に通ずる名であります。光明は如来の身業であり、寿命は如来の意業なるに対して、名号は如来の語業であります。故に名号を亦名声ともいうてあります。即ち六字の名号は諸法平等、因果一如の理を衆生に証知せしめ、転迷開悟の為の如来の本願を易く憶念執持<念持>し得べき名号を思惟し、この名号を称えるものをたすけんと誓約し給えるものであります。然るに私共は単に未だ衆生の機にわたらざる以前の如来の御手許にある名号なるものを想定し、之のみを以て所行として、本願の念仏の念を以て特に称念の義となし、憶念を以て信心にして行に非ずとなし、随って称名と念仏との体の同なるを以て義位の別をも無視するに至ったことは、甚だ悲しむべきことである。

(行信の道  「29 称名所行による行信道の意義」より)

称名所行による行信道の意義-1 (6/26)

それ故に『教行信証』の『行巻』には大行の体を以て称名とし、特に称無礙光如来名と詳説し、如来果上の光明の徳を名号に就て諸仏が称揚するの意義なるを明らかにせられました。第十八願の十方衆生は因の名であり、第十七願の十方諸仏は果の名であります。因なる本願を念ずる信の主体としては衆生と呼ばれ、果上の光明を称する行の主体としては諸仏と名けらるる。諸仏は説き教うる位であり、衆生は聞き承ける位である。而も諸仏は応化の仮位であり、衆生は業報の真位であります。故に第十七・第十八の二願は所行の位と能信の位と全く不離不二の関係を有するものであります。真実教に於ける善知識はその位に於ては諸仏と呼ばれ、即ち諸仏と同等と称せられ、正しく弥陀の応化たる位であるが、その内面的自証に於て自ら実業の凡夫であることを、その信位を示す第十八願が語っているのであります。

全体、我々の常識に随えば、何処までも信・行の次第でありまして、かかる信は信仰とか信念とかいわれ、寧ろ所信の境界を顕す語であり、行こそ行為とか行業とか作為とかの意義であって、寧ろ我等如何に為すべきかという能行を顕すものであります。茲に信が理念化し、行が律法化する所以であります。今之に対して所行の法に対する能行の信なく、能信の信に対する所信の行なきことを顕して、所行の法を全うじて我等をして能信の信を成就せしめ、この能信の信を全うじて所行の法に帰入せしむるのであります。

(行信の道  「29 称名所行による行信道の意義」より)

所行の法と能信の機 (6/25)

そうして置きまして、ここに名号と信心というものが出て居ります。存覚上人の『六要鈔』に依ってみるに、行は是れ所行法、信は是れ能信心といい、或は行信能所機法一也という。所で所行というものはどういうものであろうか。従来一般の宗学者は行というものは、能信の信心に対して所信・所行の法体である、こういう工合に見てありますが、所信の行に就て所行の法体に対して亦能行というものがある。能行とは機中の法の用であって、信後相続の称名である。これは『行巻』所引の聖教の大部分はこの衆生を正定業するものであるが、『行巻』に出す限り諸仏讃嘆の教法であって、所行の法体の徳用を顕すものであり、衆生の機上に在るものでなく故に、能行と雖も所信としては所行に摂するというのであって、先徳苦労の功は深く感謝すべきであると思う。

しかしながら所行の名は存覚上人の始めて用いられたる所であるが、能行の名は列祖の未だ用いられざりし所であって、後世宗学の勃興以来この名が用いらるるに至ったのであります。即ち伝灯七祖及び祖聖の御遺教の上には所行の名さえ見えないのでありまして、況んや能行の名などは全く無かったのであります。存覚上人の行を所行の法と仰せられましたのは能信の信に対しての語であって、能行の行というに対する所行の行ではないのであります。即ち後世宗学者の所謂能行と呼ぶ所の衆生の称名を以て、存覚上人は之を能信の信に対して所行と名けられたのである。即ち存覚上人に在っては、行を所信の法と名けず、之を所行の法と呼び給うたのであります。

我々は能信の信に対するものを所信であると考えているが、存覚上人は正しく能信に対する所の法を所信と呼ばずして之を特に所行と呼び、所謂所信は正しく教であって、行は之を称名せよという諸仏の教とすれば固より一往教に摂めて所信と名くべきであろうが、本願真宗の教には最も不可思議にして特自の教体というものがあって、決して形式的なる教ではないのであります。『大無量寿経』に就て『教行信証』には、説如来本願為経宗致、即以仏名号為経体と真実教の独自の宗致と体とを明らかにし、次で大行の体を出して称無礙光如来名となし、従来念仏往生之願と呼ばれ、具に信(三信)・行(十念)を誓える根本本願たる第十八願を以て、願成就の聞是名号信心歓喜乃至一念の経文によって、深き己証を開いて本願信心願の名を感得し、念仏往生の選択の正因の、深く遠き如来の因位永劫修行の内面的歴史を内観し、衆生の宿業と如来の本願との内的必然関係の具体的事実を永劫の御修行の上に見出され、何故に称名が念仏と云わるるか、何故に唱名と云わずして称名と云わるるか、これ等の重要の問題は、真実教の体たる仏の名号という一事に係りていることを『行』・『信』二巻に明らかにせられたのであります。

乃ち真実教に於ける大行が唱題の如く唱名と云わずして称名と呼ばれ、又それが念仏と云わるる所以のものは、源、如来の第十七・第十八の本願に由来する所であります。即ち念仏の念は本より憶念の義であって憶持、念持、摂持、執持、摂取、不忘不捨の意であります。又称名の称は称揚、称讃、称嘆、咨嗟、称量、称計の意であります。即ち念仏は如来の本願を名号に就て憶念執持して不忘不失なる意味であり、称名は如来正覚の光明の果徳を名号に就て称讃し称計するの意味であります。即ち因にありては念仏というべく、果にありては称名というべきであります。故に正しく如来の因位の願心を開顕する所の第十八願には衆生の念仏を往生の正業・正因と誓い、果上の正覚の大行開明する所の第十七願には諸仏の称名を誓い給うのであって、念と称とは固より南無阿弥陀仏に於て一体でありますけれども、因位の本願と果上の光明とその義を異にするものであります。

(行信の道  「28 所行の法と能信の機」より)

行信道の由来-2 (6/24)

僅かの言葉違いでありますが、奉斯行ということ、普通なら行じ奉るとか奉え行ずるということでしょう。それを「斯の行に奉へよ」というのは称名の大行に奉事することであり、その称名の大行に奉えるというということは、全身を捧げて恒時に恭しく奉事することであります。次に崇斯信というは、自分の戴いた念仏の信心を崇敬礼拝せよと、全体自分の称える称名に助けられ、随って又その念仏を信ずる信心に救われるということは、如何にも不可思議の道理である。先ず教は彼方の善知識に在る。行は我が方に貰ったものであると或人はいい、教・行共に彼方にあると或人はいう。唯信と証とだけは我が方へ来るのだが、証は未来に戴く故に現在は信のみである。但し本願回向の信・証は因果の位の別であって体の別ではない、故に臨終捨命の一念に法爾に転信得証するのであります。即ち奉斯行とは正しく如来回向の称名の大行に対する敬虔の態度を象徴し、崇斯信とはその称名憶念する心の純一無雑の姿を如是に顕彰するものであります。かかる微妙なる表現は容易ならぬ所であり、誠に本願の宗教、行信の大道の歴史的偉観であります。

それで私は茲に戴くということに就て、世に所謂貰う並に取るに対して少しく語りたいと思います。會て私の友は月給を貰うと思うのは乞食式であり、月給を取ると思うのは泥棒式である。取ると云えば高慢に見え、貰うと云えば卑劣に見ゆるが、畢竟五十歩百歩である。今は何れでもないのです。戴くのである。この戴くという心持が奉行崇信ということに当るのであります。他力回向という道理は、つまり云えば、有難いというて戴くこと。他力回向ということは別段の教理であるなどというかも知れんけれども、要するに心から報恩謝徳の念を以て有難いと仏の前に頭がさがる道理、法の前に自力無効と機の頭がさがる、法を機が戴くのであると、こういうことになる。それが他力回向の道理である。回向ということは理屈でも何でもない。唯我々が本当に有難いという所、知恩報徳の知恩という道理が有難いという感情でしょう。報恩の根本にはどうしても知恩ということがありましょう。「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」。信心の智慧というのは知恩のことです。唯この知恩によってこそ仏恩報ずる身となる。仏恩の深重なることを信知してこそ報恩の行を智慧の念仏と呼ぶのである。如来は智・断・恩の三徳有っておいでになるが、我々が直に感ずるのは恩徳であります。他力というのは恩徳の感知の表明であります。仏恩の深広なるを知るのでありましょう。それ以外には何もないでしょう。言葉だけ扱うてみれば、教理を組織することもございましょうけれども、教理を組織するということが目的ではないのでありましょう。

(行信の道  「27 行信道の由来」より)

行信道の由来-1 (6/23)

総序五段中、第一段は先ず『大経』の真実宗致たる本願・光明を標挙して衆生解脱の重要問題を提出した。これは問題である。第二段はその問題を解く所の真実契機をここに顕した。機というものを通して第一段の問題を解決せんとした。それを今この第三段に来って行・信の体験に帰し、正しく生死解脱の問題を解答する。故知と表示して遂に奉行崇信を勧むるはこの所以であります。このように見て来れば、最初に難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇恵日と大宗を標示するは、一往最後の結論を最初に揚げたようだけれども、そうではなくして、この宗要は言は簡にして而も義は深く本願に徹し広く果海を覆うている、随ってこれは却って一層大問題である。その大問題を第二段の契機によって、それを通して一箇の体験に帰一し得た。つまり第一段の問題自身の中にその解答はあるのでありますが、その問題の中にある解答、それをここに明瞭に開顕したのである。だから故知と先ず明快なる決意を表示し、行信の道を開顕して遂に奉行崇信の勧励を以て正しくこの一段を結ぶと共に、併せて全三段を総結したのであります。茲に本願の宗教は行信の大道として始めて具体化せられ、易行の直道として遠く五劫思惟の本願に対応し、近く無礙の光明裡神通応化せしめて戴くのであります。これが正しく『教行信証』一部六巻の大綱であります。

時にここに名号と信心とを挙げて、之に於て直に衆生の行信を発見し、今更に衆生の行信を勧めずして、唯専ら奉崇を励まして奉斯行崇斯信と結勧してあるが、普通ならば順序と読方を変えて

奉 行 斯 易 修 真 教 崇 信 斯 易 往 捷 径

というべき所であるけれども、今のようなお勧めの方が甚だ有難いと思うのです。抑ヽ称名念仏の行は即ち信が純粋なる所行の法である。信は純粋なる能信の心である。それを奉斯行崇斯信というような言葉で以て、我々がどこまでも大行をも大信をも毫も私しない、全く如来に捧げるという滅私奉公の態度が戴くという言葉であります。有難いと大行を戴き信心を戴く。戴くということは、本来あなたの御ものを本来のあなた方へ心からお返しすることである。有難うございますと、誠に御勿体ないと戴くということは、自分に私せずにそのまま如来に返すということである。而してそのままに向うに返すということは、本当に己を忘れて受取っているということの自証である。

逆謗の摂取と抑止-2 (6/22)

だから深く求めてみれば、本当の如来の精神というものは、その除かれる所の、除かるべき所の五逆と誹謗正法とを、さるべき業縁の催せば何時犯すやも計られぬもの、仮いそれを犯しても、誠に申訳ないと自分の絶対無力を本当に深く自覚さして戴いたそのものは、矢張り如来の大悲は之を摂取し給うのであります。

しかしながら何故、抑止文というものを置かれたかといいますというと、これは実者の理知的邪見を誡められたのである。邪見は仏法を正信しない、邪見は寧ろ邪教を迷信するの機であって、因縁因果の正しき道理を聞思し得ない。自我を建てて因果の正道を否定する邪見は正信を礙げるものであります。如来の本願が広大無辺だからというて、悪為すべしと独断する。そういうのは邪見の害毒であります。邪なる見解でありまして、それは仏法の道を礙げ、仏法の正信を礙げる所のものでありましょう。五逆・謗法は邪見に由るのである。已に妙法の霊薬あり、機の悪・逆の毒物好むべし、かかる論理を以て却って毒を奨励するということは、本当に病気の苦しさを知らず、為に薬の有難さが身に沁まぬから、却って毒を好むようになる。是れ世に思想上の偏見邪見の特に恐るべき所以であります。今日、思想問題というものは畢竟、この邪見の深大の根本的害毒を防止する所にあるのであります。逆・謗・闡提ということそのことよりも、それ等の由来する所の邪見邪思想そのものの根本的害毒を恐るるが為であります。大体から見れば、西洋の思想は自我主義であり、所謂実人生の理想的主体たる自我を超越立場とする所の自我主体なるものは、仏教から見れば、表面は邪見でなくとも一切邪見の根源でありましょう。これ等の罪を思い知らせんが為に、抑止の文というものをお加えになったのである。欲恵ということは釈尊御出世の本懐であり、正に逆・謗・闡提を恵まんとする為に此世に出られたのである。逆謗闡提回心皆往の旨を明らかにせんが為に、釈尊が現れて下されたのである。だから釈尊出世の本懐を欲という一字に表して下されたのでありましょう。これは浄土の機縁、正しく浄土の教が人間の歴史的事実というものになりまして、始めて仏法が現実に働き、事実として我々を救うて下さる、それを機と名けるのです。それを機として、その機に応じて法の力が現れて下される。だから機ということを述べます時には、凡夫ということを顕すのでありましょう。一寸考えると善機とか悪機とかいうことを、我々は善とか悪とかいうことを非常に喧しく注意してしていますが、結局凡夫の問題となりましょう。本当の仏法の教から申しますれば、十方衆生といえば無論そこに権化の聖者も実業の凡夫も等しく摂め取って下さると申しますけれども、聖者などと申す御方は、大体に実者なく悉く権者であります。祖聖は真宗の祖師として斉しく聖者として仰がれて居ります。龍樹大士とか天親菩薩とかは聖者として崇められて居り、曇鸞大師も曇鸞菩薩というて、これ亦聖者として崇められて居ります。七高僧皆聖者である。祖聖はこの七高僧にも勝った聖者であらせられると崇めていますが、それは皆如来の本願、苦悩の群生を身を以て、唯言葉だけではなしに自分の全身を以て本願を体験して、我等を導いて下さる。そういう所が権者として帰依せしめられる所以でないかと思います。私は惟うに、権者こそ絶対の善人と絶対の悪人とを示現して、相対的善人と相対的悪人、即ち善悪の凡夫の実者を如来の本願に方便引入せしめ給うのであります。

(行信の道  「26 逆謗の摂取と抑止」より)

逆謗の摂取と抑止-1 (6/21)

又世雄悲正欲恵逆謗闡提、世雄というのは『大経』の序分の処に於て五徳現瑞ということがあります。五徳現瑞という処に於ては、世尊のお徳を阿難が讃嘆する為に、五つの名を挙げて相好を述べているのであります。今日世尊住奇特法、今日世雄住仏所住、今日世眼住導師行、今日世英住最勝道、今日天尊行如来徳。これが五徳現瑞の文でありますが、その第二番目が世雄であります。これはつまり世の雄健なるもの、それはあらゆる悪魔外道もその前には平伏せしめる、それだけの威力を有っておいでになるお方ということ。今日世雄住仏所住。所住に住したまう。所住とは何か、それは即ち大寂定である。大寂定とは何であるか、念仏三昧である。「諸仏を見るを以ての故に念仏三昧と名く」。諸仏現前三昧、或は普等三昧、或は大寂定ともいう。一如の世界に静かに諸仏を念じなさる。能念・所念平等であります。この大寂定に入り給うた時に、世界のあらゆるものが皆平等一如の法位に住する。一々の微塵が皆平等一如である。それが大寂三昧の境地であります。この大寂三昧の境には一切の悪魔外道は影を留めないのであります。故に世雄と称するのであります。

世雄悲正欲恵逆謗闡提。これは『信巻』の末に『大般涅槃経』を御引用になりまして、難化の三機として逆と闡提とが説かれています。逆とは五逆であり、謗とは世間・出世間のあらゆる正法を謗るものである。つまり因果因縁の真理を疑い謗るものが即ち誹謗正法の謗である。闡提とは真実に仏法を求める所の根源たる大菩提心を缺いでいるものをいう。断善根のものであり、一闡提という。『大無量寿経』の第十八願には抑止文というものがある。設我得仏、十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念、若不生者不取正覚、唯除五逆誹謗正法。唯除五逆誹謗正法と、如何に十方衆生に至心に信楽せよというても、五逆と誹謗正法は除くのだと、それは本願に摂めることは出来ない。これは本願の文にも仰せになって居りますし、願成就の文にも諸有衆生聞其名号、信心歓喜乃至一念、至心回向、願生彼国即得往生住不退転、唯除五逆誹謗正法。願成就の文にも抑止の文が出ているのであります。抑止はこれは如来の深き方便である。方便を以て抑止なさるのである。

(行信の道  「26 逆謗の摂取と抑止」より)

絶対の善人悪人は権者 (6/20)

然からば古来真の国の歴史上には、絶対の善人だの絶対の悪人だのは決して無いのであります。一体、善人とか悪人とかいうものも、共に是れ凡夫なる限り相対的なものであります。随って絶対の善人・絶対の悪人という如きは、唯権化の聖人にのみ存在するのであります。然るに外国の歴史には、絶対の善人や悪人が現れて来るけれども、それは皆理想主義の形式概念の実体化偶像化でありましょう。実際上そんなものがあるのではないのであります。日本の国にも古来邪教がありまして、自ら神さまであるなどというものが時々出て来る。抑ヽ我が国に於て神さまという御方々は、多くは後世から敬うて申すのでありまして、自ら神さまであるなどと名乗るということは、日本の国体では絶対に無い筈である。固より明徴なる日の本の国である。臣民にして各自にこの国体観念を明徴にして置く限り、かかる迷いの起ることはないのだけれども、国体観念が少しでも不明徴であるというと、悪霊がその機に乗じて躍り出て来るのであります。外国は初から明瞭な国体が無いのであるから、随って正しい歴史が成立しないから、その歴史に聖人も悪魔も沢山あるのでありましょう。聖人と悪魔というものは、天才と気違いのようなものでそれは兄弟である、そういうものでないかと思います。

斯乃の斯というのは実業の凡夫。調達・阿闍世・釈迦・韋提は斯乃権化仁斉救済苦悩群萠とある。お釈迦さまは暫く除きましょう。斯乃権化仁、本当に煩悩に悩み罪に泣く、内面的にも外面的にも悩まされ、そうして悩み悩んで真実に手も足も出ない。本当に力も何も無いその凡夫であります。その凡夫が即ち仏法の歴史には権化仁、それが仏法の力により転悪成徳して、そのまま尊くなるのであります。同一の道理を以て日本人は皆国体の威力により、歴史的に転悪成徳して神さまに成して戴けるのである、又仏さまに成れるのである。凡夫だからして道と法との御力によって神に成れるのです、又仏に成れるのです。自分の徳で成れるんじゃない。凡夫だからこそ本当に無上仏に成させて戴けるのは、此方の力で成るのじゃない、道の力で成さして戴けるのです。故に権化仁とは、等しく平等に煩悩と業との為に苦しみ悩まされ、宿業に悩まされている所の、名もなき雑草の如き群萠、即ち衆生の凡夫であります。今日の学者がいうような人格などというものではない。唯衆生であり、群萠であり、群生である。恰ももやしの群のようなもの、自然の大地からもやしが出て来るようなものです。万物の霊長とか人格の尊厳とか、そういうものは我等にはないのであります。自ら誇る所の道徳、自ら主張すべき権利、絶対尊厳の自我とか唯一実在の人格とか、そういうものは実は全く存在しないのであります。

宿業の実者、法界の権者 (6/19)

その実業の凡夫を述べまして、これからお話しますのは、斯乃権化仁斉救済苦悩群萠、斯とは何か。前には実業の凡夫ということを、難思の弘誓と無礙の光明を以て、それが存在して現れて来たということは成程と肯かれることであると申したのでありますが、今その実業の凡夫を斯と抑えて、乃権化仁斉救済苦悩群萠と『観経』の当分に即して而も之を超えたる『大無量寿経』の本願の歴史観中に統摂し来ったのであります。今日、猶且つ徒に之を以て権化の聖者か宿業の凡夫かと、こう宗学者達は無益の議論を戦わしているのですが、成程、善導大師と古今の諸師との対立は、実業の凡夫か権化の聖者かという問題であり、これはここに善導大師の大きな使命があるのであって、それは単に宿業の凡夫だというだけのことではないのでありまして、実業の凡夫たる人間が、それこそ本当に宿業の血によりて権化の仁たる神聖なる如来の事業をなさるのじゃという、本願の歴史の実相を示す為でないか。生身の聖者が史上にあるのじゃない。そういうものは正しい国や道の歴史の中には現れて来ないのであります。真実の大権の聖者というものは、誠に宿業の反逆の血の契機によって開顕する所の、超歴史的なる道の歴史観に於て始めて来現するものであります。神秘的なる虚仮の国の歴史には、そこに英雄も豪傑も悪魔も外道も、神人も聖者も、雨後の筍の如くあるけれども、真実一如の国の歴史にはそういう怪奇なる変態者は存在し得ないのであります。

機は時に順うて時を超ゆ-1 (6/18)

これは歴史を超越して而も歴史の根底になる。随って仏法の歴史を語り、三千年の過去のことを遙かに憶念して語っておいでになるのでありますが、しかし三千年の過去というものも単なる過去でなく、現在と直接に連続し、現在の自分というものと離れたものではない。だから祖聖が浄邦縁熟調達闍世興逆害、浄業機彰釈迦韋提選安養と仰せられたが、釈尊と申すも韋提希と申すも調達と申すも阿闍世と申すも、時間空間を超えて現在の御自身と一如であり一体である。矢張り「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよと、御述懐さふらひし」というお言葉を想い出すのであります。現在と懸け離れている昔の、唯そういう偶然の事件があった、ということを想い出してお書きになったのではないのであって、これは当時の時代がこの通りであり、又祖聖の主観の事実というものがこの通りであるということをお示しになってある所に、深き意義があることと戴くのであります。そうでありますから然則ということが、非常に切実なる意義を有つのであります。そうなれば成程、如来浄土の因源・果海のいつわりなきことを、それを静かに念じてみるというと、そして更に翻って自分の内外の姿を省み、そしてその現在というものも単なる忽然的の現在ではない、それは矢張り三千年の昔に直に連続し、そこに自分が闍世として韋提として居ったのじゃ。自分は釈尊より三千年経った後だけにいるのでなくして、『観無量寿経』を拝読すると、三千年の昔にも前生の自分がいた。つまり親鸞は三千年の昔、一方には阿闍世というものであった、又同時に他方には韋提希というものであった。今日は親鸞という、昔は韋提希といい阿闍世と名けられた。そこに三千年の隔たりというものが全くとれて了って、三千年を飛躍している。唯今日初めて忽然として今日があるのではないのであって、三千年の昔から已に今日があったのだという聖人のお感じではないかと思います。そこに三千年の昔の王舎城の特殊の悲劇と、七百年の昔の鎌倉時代に御出世なされた祖聖の生死罪悪に対する全般的なる悩みと、その二は理屈からいえば何の関係もないことであり、彼は彼、此は此、時を異にし処を異にし何の関係もないことと思われる。随って理知には偶然なんです。その外的理知的偶然の所に内的本能的必然を感動する。何が必然かというと理論はない。後から附ければ尤もらしい説明や理論も附かんことはないかも知れませんけれども、全く何のゆかりもない、見たことも逢うたこともない王舎城の阿闍世太子、或はその母の韋提希夫人、或は何千何万里という距離のある所の日本の国にお生れになりました祖聖、それが時間空間の隔たりを超えて、そこに出会う所の三千年の昔の我母是賊と叫んだ阿闍世は自分であった、我今楽生の韋提は自分であった、という不可思議なる感銘であります。

(行信の道  「23 機は時に順うて時を超ゆ」より)

法の必然と機の偶然-2 (6/17)

本当に難度海というものは、自分の方には助かるべき縁も手懸りもないのでありまして、絶対に無力である。助かるまじきものを助けて下さるという、そこが如来不可思議の御力である。茲に第三段に対して見るというと、難信金剛信楽の文字は正しく第一段の難思弘誓の文字に相対し、傍ら度難度海大船に対応する。難度海は難行である、それを度する大船は易行である。随ってここには難信易行の旨を顕して、我等が真実に自力を捨てる所に初めて信の一念そこに開けて、外には三願転入あり内には三信回向あることを明らかにしてあるのが、第三段の難信金剛信楽と、遙かにそれに対応している難思の文字とであります。

それから又無礙光明という處には、そこに本当に易行の大道、易行の道がある。衆生の無明煩悩に障えられず、衆生の煩悩の底までも入って成就して下さるという所に、易行ということが示されているのでありまして、円融至徳嘉号転悪成徳正智、円融ということは万徳全体統一円満融通して無礙自在の妙周をなすのでしょう。現実の人生にあっては長所は同時に短所であり、甲の善は乙に対して悪であり、甲の悪が却って乙の善とする所であり、一人にあっても各人相互にあっても、内に満足なく外に相互に障害せざるを得ないのでありますが、名号の世界は完全円満の至徳を成就するが故に、衆生の悪も之に帰すれば自然に無礙に転じて至徳を成ずるのであります。

(行信の道  「22 法の必然と機の偶然」より)

法の必然と機の偶然-1 (6/16)

惟うに法は無始久遠より尽未来際まで現前に等流しつつ、衆生の機の感応を待ちつつあります。法は何時でもそれに対応する一切の準備は成就して居ります。法は恒に必然であります。しかしながらそれに対する所の機というものは外的なる人間の理知には誠に忽然偶然であり、それは千載の一遇であり、時機の来るは容易ではなく、全く人間の予想を許さないものであります。初から予定出来るものならば、機とか縁とかいう訳には行かんのでありましょう。だから宿善とか宿因とかいうことを申します。宿業とも宿善とも申します。宿業に就きましても、善の宿業あり悪の宿業あり、それも一体そういうものがあるというようなことも、我々の理知には全然予知出来ぬ所であります。その時機忽然として来るや周章狼狽、為す所を知らぬというが如きものであります。若し能く久遠の昔から明らかに予知し給うものがあるならば、それが為に大悲の願を発し給える仏のみ確かにその方であると、こういわねばならぬのであります。

それで今、如来の因源・果海、即ち本願・光明の御力というものを祖聖は竊かに念ぜられるというた所が、別に何か不思議のささやきがあるというようなことではないのでありまして、これは教主世尊によって『大無料寿経』というものが開顕せられて、それがずっと三国の七高僧によって伝承されて来たものであります。そこに如来の御国が自然に証明されてあるのであります。だからしてそれをここに先ずお示しになりまして、難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇恵日と仰せられたのであります。勿論、これは単なる言葉ではないのでありまして、それが矢張りずっと一の道として、祖聖の大行・大信という体験、信仰の体験の上に一々の文字というものが生きて感じておいでになるのでありましょう。

(行信の道  「22 法の必然と機の偶然」より)

仏教史観の問題として実者か権者か-2 (6/15)

仮い歴史が仏教の歴史であろうが、政治の歴史でありましょうが、総て歴史の上に現れて来る所の人格というものは、先ずそれが現実の人間でなければならぬ。それは矢張り実業の凡夫であるという所に、歴史的な意義があるのでないかと思います。初から歴史を以て総て大権の聖者の意巧と予定して了えば、それ等の人々の使命功績というものは、我々には何の感銘もないことになる。私は真実の歴史は総て凡夫の歴史だと思う。一寸先も分からぬ苦悩の歩みである。その点から見れば畏れ多いけれど、釋尊も矢張り実業の凡夫であらせらるる。「上は大聖世尊よりはじめて下は悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは無常なり」。我等仏徒として、そういうことをいうのは全く勿体ないか知れませんけれども、兎も角釋尊も凡夫であらせられる。大地の上に生れて来たものは総て平等に凡夫である。だから本当いえば皆凡夫としての悩みというものを、人一倍お感じになったこととせなければならぬと思うのであります。それを本当に知らせるのが『観無量寿経』でありましょう。

それであるからして、阿弥陀仏の五劫永劫の因位の修行というものも意味を顕すじゃないかと思います。初から経典に現れて来る人物は皆大権の聖者で芝居しているのでは、初から芝居すると思うと真剣な芝居は出来ないものと思います。初から演習と思っては真実の演習にはならない。演習は実戦の如くということが出来るならば、その逆も亦言えることであろう。してみれば演習は実戦の如く、実戦は演習の如しであります。実業の凡夫として心から悩み、各々の業に本当に縛られる所が実業の凡夫というものでありまして、本当に縛られる所に復権化仁なる輝きがあるのじゃないかと思うのであります。往相は実業の凡夫である。その還相に於て始めて権化の仁ということが出来る。七高僧も祖聖も還相として権化の仁として見られる。「定散諸機各別の 自力の三心ひるがへし 如来利他の信心に 通入せんとねがふべし」。本当の権化の仁として崇められる。人々その人の自身の自覚に於きましては、本当の実業の凡夫として、本当に罪に悩まされるその人にして、始めて権化の仁として他から崇められる人でないかと思います。だからしてここで然則浄邦縁熟調達闍世興逆害、闍世は調達の口車に乗せられて逆害を興したのである。随って浄業機彰釈迦韋提選安養。尤もこれも韋提希が、我は最早や浄土から来たんだからというのではないのでありまして、「いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と、又「参るべきは安養の浄土」ということは、実業の凡夫として選んだのでしょう。我等が仏教の歴史というものを本当に見る時になれば、先ず以て実業の凡夫として自己を見るべきでありましょう。

仏教史観の問題として実者か権者か-1 (6/14)

私思いまするに、この浄邦縁となり浄業機となった調達・闍世、或は韋提等の人々は実業の凡夫か権化の聖者かということに就て、支那の浄土教学に於まして古来異見がありますが、善導以前の諸師は口をそろえて韋提は大権の聖者である、外には権に女人の形を現しておいでになるけれども、内実はもともと大権の聖者である。道綽禅師も韋提大士と称し、古今の諸師と同じように大権の聖者としておいでになる。然るに善導大師に来ると、韋提希夫人は確かに実業の凡夫である、本当に宿業に苦しみ悩まされて、本当に自分の無能無力を通して、遂に如来の本願をいう所に落ち込んで行かれたんだ、こういうのが善導大師の大体の立場であります。

そこで私思いまするに、祖聖も今、浄邦縁熟調達闍世興逆害、浄業機彰釈迦韋提選安養という、ここは矢張り実業の凡夫としてお示しになったので、善導大師と大体同じ立場に立っておられるのでありまして、成程韋提希夫人を一体大権の聖者と見ることは、悟を開いた人にして始めて出来ることである。しかしながら自ら現に他力本願を仰ぐ所の苦悩の凡夫が、如何にして同じく本願をたのむ所の韋提希夫人を、直に大権の聖者と見ることができよう。釋尊は生身の聖者、弟子達は大権の聖者というても差支ないかも知れません。しかし阿闍世・韋提・提婆の如きこれ等の人々は、矢張り実業の凡夫と見ねばならぬわけでありましょう。

浄業の正機-3 (6/13)

我が祖聖が韋提希夫人の御心持を深く感銘されて、さながらに韋提希夫人の境地に同感して、恩徳広大釈迦如来というこの一句で、その全部が現れていると思うのです。釋尊の眉間に光台が現れた、釋尊が一種の神通力を起して浄土を顕された、それで韋提が驚いたというのではないでしょう。直接に釋尊の心境に同感した所に、光台現国ということが出て来たのでありましょう。韋提は静かにこう申し上げた。私は十方諸仏のお浄土を拝まして戴いて有難いことでありあすが、私は今特に極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんことを楽います。我今楽生極楽世界阿弥陀仏所とこう申し上げた。この一句の處を善導大師は別選所求、「別して求むる所を選ぶ」と釈して居られます。韋提の選択浄土であります。これは釋尊が密かに韋提に勅されたのである。釋尊の御導きである。恩徳広大の釈迦如来一代を通じての大事業でありました。これが即ち善導大師の所謂広開浄土門である。韋提希夫人のこの一語で広大浄土の門が永久に開かれた。この一語こそ浄業の正機の顕彰である。さればこそ善導大師はしかく感嘆の声を放って居られます。この言葉は一見平凡なる言葉の如くであるけれども、この一語こそ誠に浄土の門が始めて開いた大機関であったと、これは韋提希夫人が十方衆生全体を自分一人に引受けて、恰も祖聖が「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という所でありましょう。恐らくは祖聖はこのお言葉は、韋提希夫人のこの時のこの語の気持と相応ずるものではないかと思うのでございます。浄業というものは何でしょうか。正しく浄土の業という、それは本願の念仏でありましょう。本願の念仏であります。諸善万行も悉く至心に発願回向すれば浄土の行となるのでありましょうが、しかしながら正しく茲にいうのは本願の念仏を指していったのでありましょう。浄業の正機が彰れた、浄業機彰釈迦韋提選案養、釈迦が韋提をして案養を選ばしめたのであります。前の浄邦縁熟は逆縁である。逆縁は疑謗である。浄業機彰は順縁である。順縁じゃ信順である。

浄業の正機-2 (6/12)

次に欣浄縁の所では通請というものがあります。一般的な念仏というのは人間の無力無能なことを教えて下さる。此濁悪處地獄餓鬼畜生盈満多不善聚、願我未来不聞悪聲不見悪人。そして身を投げるようにして求哀懺悔せられまして、唯願仏日教我観於清浄業處と、自絶瓔珞挙身投地の殆ど乱心の状態で号泣して陳べられた時、そこに釋尊は稍暫く黙して静かに内に念じておいでになる。こういうことは余程、私は意味が深いことだと思います。我々は何でも言っても言わんでもいいようなことをいうている。丁度お医者さんがいい加減な薬を盛っていると同じでしょう。けれども釋尊はそういうことはなさらない。じっとして静かに内観をしておいでになる。何を念じておいでになったかというと、十方諸仏の浄土を念じておいでになった。『大無量寿経』に依れば過去・未来・現在の仏々相念をしておいでになったのでありましょう。その釋尊の眉間から光が出て来た。これは前にも度々私が申しましたように、眉間の光、眉間とは眉と眉の中間である。普通に眼というものは智慧を表すもの、眼を見れば賢い人間か愚な人間か解る。しかしながら人間の感情というものは先ず浅い所は口で解る。口の締りのある人間と口の締りのない人間と、口で解る。それからして本当に人間の深い感じというものは眉間にある。世尊が何かを念じて居られる、仏々相念しておいでになる。これは皆さんが賛成せられてもせられなくてもいいのでありますが、自分が眉間の處に一寸でも暗いことが浮ぶというと眉間がぴりっと動く、眉が一寸八字形になる。それは争われないことである。額の眉間が曇る。横の皺はこれは敢ていうのではありません。今竪の皺をいうのであります。二の眉が近く寄る、そうすると眉間が曇る。所が眉間に白毫相がある。

浄業の正機-1 (6/11)

それから浄業機彰というのは、『観経』序分第四段の厭苦縁と第五段の欣浄縁に相当し、今までは此世の楽園の如き王家が、太子阿闍世によってその団欒は一挙に覆えされてしまって、頻婆娑羅王には幽閉裡に餓死を待ち、太子阿闍世は全く狂乱状態であり、后妃韋提希夫人は深宮に幽閉されて、始めて人間の悲劇というものを感ぜられたのでありましょう。昨日に変る幽閉の身にも、さすがに夫人は矢張り王妃たる身だしなみというものは儼然と保って居られたのであります。身に瓔珞をつけ、宝冠を被って端然と坐して居られたのでありましょう。日常の生活というものは以前の如くであったろうと思うのであります。そうしてふと深く人間の暗黒を今更の如く知られ、遙かに耆闍崛山に向って礼拝されまして、貴い世尊のおいでを願うということは畏れ多い、どうか阿難を遣して法を説き聞かせるようにして戴きたい。かく遙かに世尊を礼し已って頭を挙ぐるや、ああ世尊釈迦牟尼仏、身は紫金色、百宝の蓮華に坐しておいでになります。それを拝みました時、実に自分の浅ましさ、依然としてお后の化粧をしたり、冠を被っているその自分の醜さというものが、始めて身に知られまして、思わず自ら瓔珞を絶って身を挙げて大地に投げ捨て、身だしなみも何も忘れ、泣き叫んで世尊に向うて、ありとあらゆる総ての愚痴を曝け出した。そうして世尊我宿何罪生此悪子、私に何の宿罪があってこの悪い子を生んだのであろう。つまり何の因果でということでしょう。自分がどういうことをしたか、そういうことは全く忘れて、唯宿業を呪うて居ります。それだけでなしに猶世尊に怨を述べて、世尊復有何等因縁與提婆達多共為眷属、私は智慧浅い女である。で、親不孝の子を生むということも宿業已むことなしと諦観も出来ようが、三界の大導師といわれる大聖世尊は、宿世に如何なる悪因悪縁のあて提婆達多と眷属たるや。世尊ともおわす御方にどういう悪い宿業が残って提婆達多と眷属たるや。釋尊と提婆とは世俗的にいえば従兄弟の肉親であり、又仏法の方からいえば師弟の関係がある。一体、ああいう弟子や従兄弟を有っていられるのは、どういう業縁であるか。夫人では阿闍世は性来別に悪子とは思わない、提婆達多の誘惑に乗ったのである。こういうことから何か知ら釋尊を怨み、畏れ多いからして直接には言いませんけれども、間接に釋尊に向って尽きせぬ怨みというものを表しているのではないかと思うのであります。これは問題として、夫人が自己も阿闍世も提婆も、而して畏れ多くも教主世尊をも、底知れぬ宿業の泥海に投ぜんずんば已まぬのである。これが厭苦縁であります。それから第五段の欣浄縁であります。欣浄縁というのは浄土を欣求する縁であります。尽きせぬ愚痴や怨みを述べ畢って、それから罪深き自己の真実の救済を心から欣求せられた、それが欣浄縁というものであります。已上、厭苦・欣浄の二縁の意義を示すものが、今次の浄業機彰釈迦韋提選安養の文であります。欣浄厭穢之妙術ということがありますが、誠にそれであります。

(行信の道  20 浄業の正機より)

教興としての宿業-4 (6/10)

『観経』には序分に七縁というて、浄土教興の縁に七条ある。その七縁というものは何であるかというと第一が化前序、即ち教化以前、『観経』の教化以前、つまり如是我聞、一時仏在王舎城耆闍崛山中、與大比丘衆千二百五十人倶、菩薩三万二千、文殊師利法王子而為上首。之を第一の化前序という。化前序とは釋尊が成道已来、王舎城耆闍崛山上の道場に於て道を説いておいでになったのであります。何を説いていられたか、いろいろの教をお説きになったのでありましょう。或は『大無量寿経』もそこに説かれたのでありましょう。或は『法華経』もそこに説かれたのでありましょう。こういうように伝えられているのであります。尤も大乗仏教の重要なる経典というものが多く耆闍崛山に於て説かれたものであると伝えられているのであります。それで序分七縁の第一が化前序、他の一般の経典はその時の世尊の住所が即ちその経の説法の場所であるのを通相とする。所が『観無量寿経』を見ると、一時仏住王舎城耆闍崛山中與大比丘衆千二百五十人倶、菩薩三万二千、文殊師利法王子而為上首とあるのは『観経』の所説でないのである。何故そういうものを丁寧にも『観経』に述べたかというと、善導大師に依れば、これは『観経』の教化以前の場所である。そこにおいでになったという限りは、そこで空しく黙しておいでになったのではなく、推察するに恐らくは『法華経』をお説きになっておいでたのでありましょう。法華と念仏とは同時同味の教であるということは、それをいうのでありまして、恰もその時に王舎城に大悲劇が起って来たというのが、それから序分の第二段である。

第二の禁父縁は父頻婆娑羅王を押込めにした。そして遂に仕舞いには餓死させてしまった。韋提希夫人を押込めにするまでの間は王は健かでおいでになっていたのでありますけれども、幽閉三七日の後后妃が押込めになった、王は餓死し給うた。それから第三の禁母縁であります。この禁父縁・禁母縁の處が調達闍世興逆害という所であります。逆とは恩に叛き義に逆うのであります。大恩・大義に叛く、之を逆という。大逆無道、父母に対して反逆を企てるということは、単に父母に対して反逆を加えることじゃなしに、それは国に対して反逆を加えると同じだけの罪である。五逆という、阿闍世は父を殺し母を殺して二逆を犯した。提婆は仏陀の身体から血を出し、或は和合僧を破る。釋尊のお弟子を離間しようとした、仏の教団の分裂破裂を企てた。つまり五逆の中の二の逆害を興しているのであります。阿闍世王と提婆は併せて五逆の内の四逆を犯しているのでありましょう。

(行信の道  19 教興としての宿業より)

教興としての宿業-3 (6/9)

『観無量寿経』にはこの悲劇の由来に就ては何も述べてありません。それから以後韋提希夫人を中心としてのことを、経の序文に詳細に記されているのであります。提婆が阿闍世をして逆害を興ぜしめた。父を殺し母を殺す、尤も母を殺そうとしたのですが、耆婆・月光等の忠臣の誠によって已むなく思いとどめた。阿闍世は先ず父親を七重の室に閉じた。そうすると今度は韋提希夫人は香湯に全身を清め、次で酥蜜を塗り、後に乾ける麨を安き、清浄なる衣を着て之を覆い、又冠の中に浦桃の漿を盛り、毎日毎日足を運んで七重の室へ入って身の上の酥麨を取って団子を作り、それを夫王に捧げられた。又水を求めて之を王に捧げられた。王は身を清め遙かに世尊を礼して日々に八斎戒を受け、かくの如くして三七日の間、頻婆娑羅王は逆境にも身心は明澄であられました。阿闍世王はもう既に親の命が終っている頃だろうと思った。そこで門番に対って、「父の王は今猶存在せりや」。父王は今頃もう命終せられたであろうと云いたい所でしょうが、猶存在耶と経に書いてある。阿闍世としては上手に誤魔化したつもりであるが、逆に人間性の弱さを露している。然るに門番が意外にも、王さまは猶御存在で在らせられます。それは敢て門番の責任ではなく、御后が毎日おいでになる、どうも我々は知っていても生命を賭けておいでになる御后の御姿の気高くお傷わしく、それを如何に王命なりというてもお止めする訳に行きませぬ。態と見ぬ風をしてお通し申しているのであります。加之、世尊のお弟子が神通力を以て自由に入って来て日々に八斎戒をお授けいたします。だから王さまは御身も御心も平和で在らせられます。それを聞くというと阿闍世王はかっとして怒って、「吾が母は是れ賊なり、賊と伴なればなり」。御和讃に「阿闍世王は瞋怒して 我母是賊としめしてぞ 無道に母を害せんと つるぎをぬきてむかひける」。「耆婆・月光ねんごろに 是旃陀羅とはぢしめて 不宜住此と奏してぞ 闍王の逆心いさめける」。「耆婆大臣おさへてぞ 却行而退せしめつつ 闍王つるぎをすてしめて 韋提をみやに禁じける」と、剣を捨てましたけれども残念でたまらぬ。成程、母君に対して剣を以て対ったということも間違っていたけれども、母君こそは自分の唯一の味方でなければならぬ。父と子の関係は幾分理知的でもあるが、母と子は純粋に本能につながっている。あおの本能の愛情というものは絶対的なものじゃ。夫婦の関係は複雑であり、多分に対立的理知的である。それにも拘らず、我が母が子に叛いて夫に随っているというので、その余瞋の為に韋提を深宮に禁じた。そこまでが調達闍世興逆害。それらが浄業機彰釈迦韋提選安養となります。

(行信の道  19 教興としての宿業より)

教興としての宿業-2 (6/8)

頻婆娑羅王は深く釋尊に帰依していられる。阿闍世というのは無邪気な太子なものだから、提婆はこれを巧みに籠絡しました。一体、太子は晴やかな心を以て単純に日暮しなされて、父君に対しても如何にも無邪気に満足していられるようであるけれども、これは大間違いというもの。父君というのはその実太子の仇である、決して父君に対して油断があってはならぬ。そうすると阿闍世は驚いて、それは一体どういう訳じゃ。私は父と母との慈愛の中に包まれていて何の不満もない。何故仇などとそういうことをいうのか。では太子の右手の指を御覧なさい、何本ありますか。やあ私の指は四本しかない。それ御覧なさい。左の御手を御覧なさい、左は五本あるでしょう。右は唯四本、そこに証拠があるのであります。抑ヽ太子の右手の指が一本足らぬのは、本来なかったのではありません。太子の指は生れながらの不具じゃない。能く御覧なさい、これはそこにどうしても一本あるべき筈のものが、一本折れた跡がある。こういうようなことをいうて、段々話を巧みに進め、抑ヽ阿闍世という名は折指という意義で、指が折れているということじゃ。尚また阿闍世という名は未生怨の意義、即ち未だ生れざる時からの怨ということじゃ。此頃は生命判断ということが流行するそうでありますが、いろいろ理屈は附けられるでしょう。私は未だ聞いたことがないから知らぬが、私の名前はどんなことがあるかも知れぬから改めたがようかろうというかも知れぬ。一体、名を附ける権利は親です。吾が子の名を自分で附けることが出来ないというのは、親がどうかしている。少し足らぬわけでしょう。人に附けて貰ったりするというのはどうかしている。名というものを有っているのは人間だけしかない。犬や馬には号はあるけれども名はない。人間は号は有っていないものもあるが名は皆有っている。人間というものは自分の子の名によって、自己の諸の願いというものを表明して居ります。末吉とか末子とかいうのは多勢の子供に困って附けたが、まだ続いて三人も生れた、扨今度は何という名を附けたらいいか。そうなると惨めなものであります。お前は一体何という名前か。末吉という。実はお前は生れても仕方がないが、生れたもんだから末吉と附けた、親には邪魔にされているという風にいうと、これは不都合だというて間違った考を起こさんとも限らぬ。けれどもまさか親が未生怨とか指折とかいう名を我が子に附ける訳はないのでありましょう。語を屈げて悪い意味に解釈するからそういうことになるでしょうが、善い理屈が五あれば悪い理屈も五ある。差引すれば零になります。提婆は悪い方だけ並べる、未生怨ということじゃ、指折られた不具者ということじゃ、これ御覧なさいと。和讃に「宿因その期をまたずして 仙人殺害のむくひには 七重のむろにとぢられき」。これは『涅槃経』に説かれてあり、亦善導大師の『観経序文義』にも詳しく述べてある。それ等のことは事実であるかないか解らぬ。一の伝説でありますから、伝説を経文に記してあるのでありましょう。そういう所の嘘も本当も混ぜて、提婆が阿闍世を巧みに」誘惑した。そうして、あなたは父王を殺して王さまにおなりなさい、私は釋尊を殺して仏になろう。この新王・新仏が茲に手を携えて王舎城の舞台に現れたならば何と愉快ではないかと。坊ちゃんは成程と感心して、遂に王舎城の大悲劇となったのであります。

(行信の道  19 教興としての宿業より)

教興としての宿業-1 (6/7)

然則というのは成程そうあれば、成程今までうかうかして居ったのであるけれども、久遠なる如来の本願の大道も今や浄土の時到り業縁熟して、調達が闍世をして逆害を興ぜしめたのである。その興逆害というのは何かというと、それは誠に仏法の正機を総じて外的に示したもので、先ず疑謗を逆縁とすることを顕し、次の韋提希夫人の求道の順因に対したものである。これは皆さんも御承知のことでありましょうが、釋尊の御在世に印度摩伽陀国の頻婆娑羅王という王さまがあり、その后妃がここに出て居ります所の韋提希夫人である。そして提婆達多は釋尊の従弟である。釋尊と頻婆娑羅王とは又互いに深い因縁があるのでありまして、釋尊が御修行なされました時に頻婆娑羅王が釋尊を訪ねられまして、正覚を成じなされましたならば、どうか第一に我が摩伽陀の宮殿にお出下さい、そうして正覚の道を教えて戴きたいと、堅くお約束をなされて居ったのでございましょう。だから頻婆娑羅王は釋尊の大檀那であります。だから釋尊はその約束に従い、成道なされるというと直に頻婆娑羅王をお訪ねになって、頻婆娑羅王の御供養をお受けになっていると伝えられているのであります。阿闍世太子はその頻婆娑羅王の子であります。これは頻婆娑羅王と韋提希夫人との間に於て久しい間子供がなくて、齢が寄られてから生れられたのが阿闍世であります。だから彼は父の王から非常に寵愛を受けて、我が儘なる無邪気な坊ちゃんに過ぎないのでありましょう。そこへこの事件が興って来ましたのは提婆から始る。提婆は釋尊と若い時から稍競争して居った。釋尊が成道なされた時に、とてもかなわぬものであるとして暫くは釋尊のお弟子となって法を聞いていたけれども、一体この出家の動機というものが極めて不純粋なものでありまして、名聞利養の心から出家したもの。一通り仏道というものの形式が解ったら、彼は独立の旗を挙げようという野心を有っていたようであります。偶ヽ頻婆娑羅王の子阿闍世にその機を見出したのである。

(行信の道  19 教興としての宿業より)

仏教は特殊宗教に非ず (6/6)

仏教なども一の特殊的宗教と、仏教者自らすら考えているようでありますけれども、どうもそうではないと思います。これは仏法が明徴なる国体を完備せる我が日本に伝って以来繁栄して来たというのも、そういう所に意味があるかと思います。特別な一種のインスピレーションで或る特殊の経験の持ち主が按じ出したりしたというのではなくして、無始久遠の人類が呱々の声をあげたことが、流れ流れて一貫して来ているのである。その中に釋尊以前にどういう人々が伝持したのであったか、大概実名は消えてしまっているけれども、過去の諸仏として各ヽ独自の尊称を受けつつ、そういう神話のような人が居って伝えていたと思います。それを釋尊という偉大なる方が出て、始めて根底的に道を教法として整理し、始めて仏教という一の歴史的事実の形をなしたのである。そうでなければ本当の意味の仏道というものは考えられないものだろうと思います。だから祖聖などが願力自然の念仏の道、これこそ真実に業道自然を超えたる無為自然の道であると仰せられます心持ちは、そこらから了解することが出来ると思います。

だから然則と、仏道というものは釋尊に創ったんじゃないが、釋尊から仏法の歴史が創ったのである。成程そうである、そうであれば浄邦の縁が純熟して来て、そして調達が闍世をして逆害を興ぜしめた。調達というのは提婆達多である、闍世というのは阿闍世王である。この阿闍世王を主役とする王舎城の悲劇の詳しいことは『大般涅槃経』にありますが、『観無量寿経』には唯母韋提希夫人を主とする一面が説いてあるのであります。『大無量寿経』は釋尊以前の仏道が、それを釋尊によって伝承せられ己証せられた、それが『大無量寿経』の伝統であります。『観無量寿経』のみを拝読すれば浄土の道というものは釋尊によりて始めて開顕せられたように考えられるけれども、『大無量寿経』を対照してみると弥陀本願の道、浄土荘厳の道というものは釋尊以前の道であって、釋尊こそこの阿弥陀仏の本願海より来現し給うた応現の如来であるということが、明らかにされるのであります。まあこのようなことは私如き何の学問のない者が申しても、何か空虚なことしか考えられ
ないのでありましょうが、これは齢若き学徒達の深く考うべきことであって、今は大体の方針を陳ぶるに止めます。

(行信の道  18 仏教は特殊宗教に非ずより)

道が教を生ずる機縁-4 (6/5)

第一段から第三段に出て来る中間に、浄土の機縁ということをお示しになった。浄土の歴史、浄土の道が歴史的教法として出て来る。之には発端がある。然則とは成程そうあればこそ、つらつら自分が昔の仏法の歴史、道が教として創って来ました始というものを念じてみると、そういうことを『観無量寿経』の中に詳しく書いてある。これが然則という所であろうと思います。

然則という接続詞、こういうものをよく注意してみますというと、無駄なものではないのでありまして、次に斯乃とか、又その次には故知とある。故知とは第二段によって、第一段の道というものが如何にも漠然としているようだけれども、第二段というものによって我々は南無阿弥陀仏というものがあると、南無阿弥陀仏、これが久遠の道である、久遠の仏道、仏道の体であると、こういうことを知ることが出来る。然かあれば成程、そうであればこそ、自分は今までうかうかしていたけれども成程そうであったかと、深くうなずく貌であります。

浄邦縁熟とは浄邦は清浄の国である。浄土とも浄国とも浄刹ともいう。つまり安楽浄土の縁、浄邦の縁が熟した。矢張り柿が熟して渋があがる、之には必然にそれだけの年を経、時が来なければならぬ。直に忽然として柿がなったからというて喰べることは出来ない。あらゆるものは皆この通りである。総じては時節である。時の中には機をつかむが別して大切である。徒に時を待つべきでない。この如来浄土の道というものは久遠の道であります。始終を知らない久遠の道でありますけれども、しかしながらこの道というものが正しくこの一の歴史的事実として、正しくこの我我人間を救う教法というものになるには、矢張り総じて時、別して機縁が熟せねばならぬ。時節の到来を隠忍して待たなければならぬ。それは容易ならぬことであります。

道が教を生ずる機縁-3 (6/4)

だから誠に本願・光明というものは、実にこれは内面的には広大無辺なるものであるけれども、しかしながら外面的に見れば誠にささやかな力であり、又ささやかな光である。この仏道の本末を説明する所のものが『大経』である。それが王舎城に於て『観経』というものが説かれて、それから本願の大道が明瞭になって、所謂三千年の仏教の歴史というものがそれから創ったのだと。そこに於て浄土の機縁といいますか、「弥陀・釈迦方便して 阿難・目連・富樓那・韋提 達多・闍王・頻婆娑羅 耆婆・月光・行雨等」「大小おのおのもろともに 凡愚底下のつみひとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり」「定散諸機格別の 自力の三心ひるがへし 如来利他の信心に 通入せんとねがふべし」。道の体は始もなく終もない。或は久遠の如来浄土の因果、滾々として尽きせぬ所の如来浄土の因果、南無阿弥陀仏の道というものを、それを先ず竊以と掲げられたのでございます。

この遠くして又深い根源があるからこそ、この浄土教というものが歴史的に見ても仏教の本流を為し、中心を為している。これは源が遠く又深きに由ることである。遠きが故に近く、深き故に浅い所に在る。それをこの第三段に円融至徳嘉号転悪成徳正智、難信金剛信楽除疑獲証真理也と、切実に示されたのである。尊い道というものは手近に、我々が何時でも聞き、何時でも行うことが出来るように我々に与えて下さる。仏教の歴史を貫通して流れ、仏教の歴史の上に我等の機に相応して与えられているものは大行・大信であり、その体南無阿弥陀仏であると、こうお示しになっているのであります。第一段だけ見ると如何にも高遠であるが、それを道は邇きに在るというということをお示しになったのが第三段でしょう。故知と、念仏を信ずるということは何でもないようだけれども、その淵源の宏遠なるを明らかにして、専奉斯行唯崇斯信と切に結勧せられるのであります。

(行信の道  17 道が教を生ずる機縁より)

道が教を生ずる機縁-2 (6/3)

だから『教巻』を拝読すると、『大無量寿経』の大意というものをお示しになって、『大無量寿経』は釈迦から始らないで弥陀から始っているのであります。斯経大意者、弥陀超発於誓広開法蔵致哀凡小選施功徳之実、釈迦出興於世光闡道教欲拯群萠恵以真実之利。即ち釈迦の前に既に弥陀がある。釈迦の前に既に弥陀があるけれども、それは釈迦によって始めて明らかにせられている、そうなって居ります。それは親鸞以前は、支那の善導大師でありましても印度の天親菩薩にしましても釈迦・弥陀の次第となっている。世尊我一心帰命尽十方無礙光如来。釈迦牟尼世尊によって阿弥陀仏の本願というものを聞いたのだから、先ず釈迦に帰命し次で弥陀に南無するという次第になって居ります。善導大師も亦常に釈迦・弥陀の次第を守って居られますけれども、これは敢て善導大師だけではないのでありまして、殆ど親鸞以前を通じて釈迦・弥陀という次第になって居ります。それが我が親鸞に来って忽如として弥陀・釈迦という次第に変って来たのであります。


それは成程釋尊によって弥陀の本願というものが始めて真実の仏道であるということが明らかになって来たのでありましょうけれども、一度本当の道のあることを教えて戴いてみるというと、今度は阿弥陀仏の仏道の原理があって、始めて釋尊に創る所の仏教史が成立つことが知らるるのである。だからそれを法と機といいますか、仏道の法に対して正しく仏教というものが、始めて人間の世界に於てそれがはっきりとまとまりがついた。そういうものが機というのである。こういうことにしてお示しになってあるかと思うのであります。

(行信の道  17 道が教を生ずる機縁より)

道が教を生ずる機縁-1 (6/2)

それでこの第一段の處では所謂歴史という方面からいえば超歴史といいますか、歴史以前といいますか、純粋なる如来の世界、これは自利・利他ということでいえば純粋に如来の自利自境界、全く純粋なる如来の因果というものは我々から見れば唯難思不可思議の世界でございまして、我々の理知を超越したものでありましょうが、それを具体的に申せば第三段に述べてある所の大行・大信であります。その大行・大信というものの体験、即ち信仰体験の事実というものを通してそこに感得する所の一如不可思議の世界であります。それがつまり如来の世界であります。つまりこれが、若し歴史的に考えますならば釋尊以前の仏法というべきものでありますが、釋尊以後、仏法というものは始めて統一した経典というものがあって、歴史というものが明らかに知られるので、釋尊以前の仏法というものは釋尊を通して始めて知られるのでありましょう。そういうように考えられるのであります。だから釋尊以前の仏法というものはどういうものであるかといえば、所謂この釋尊の出世の根源であります。その根源が所謂第一段に述べてある所の本願・光明の世界ではなかろうかと戴くのであります。

これは誠に茫然としたものでありますけれども、その始を知らない所のこの仏法の道、歴史というわけには行かぬ、道であります。所謂歴史というものは道のほんの一部分でありまして、道は始もなく終もない。人間の歴史というものは始あり終あるものである。その歴史の依る所、歴史の依って成立する所以、それがつまり道である。だから仏法の歴史というものは、仏道があって仏法の歴史というものがある。我々は仏教の外面的歴史的事実というものだけを見て、その依る所の仏教史の内面的根源の道という原理を明らかにしていないではないかと思うのであります。それを今明らかにされたのであります。

(行信の道  17 道が教を生ずる機縁より)

『大経』と『観経』-2 (6/1)

古来第一段の『大経』及び第二段の『観経』に対して、第三段は『阿弥陀経』の意をお示しになったものである、即ち次第の如く法の真実、機の真実、並に機・法の真実を顕して、浄土三経の大綱を示されたのであるとする見方もあるのでありますが、敢てそういうことをいわんでも、三段を通じて正しく『大無量寿経』の大綱を述べて、一貫して真実教の座に列してあるのでありましょう。そうしてその中間に機の真実を顕す所の『観無量寿経』に依って、正しく浄土の興起の機縁というものをお示しになったのであります。けれどもその『観無量寿経』というものは枝末法輪であって、結局、根本法輪なる『大無量寿経』より生じて、復遂に『大無量寿経』に帰著し、始終『大無量寿経』を背景とするものである、こういう所から中間に『観経』に依ってお示しになったのであります。結局は『観経』というものも『大無量寿経』の中の『観経』である。随って三段を通じて真実教たる『大無量寿経』の大綱を明かすと解すべきであります。私は第三段が正しく『大無量寿経』下巻に明かせる第十八願成就の文の意義、更にそれを詳しくいえば『大無量寿経』に連続して開顕せる第十七・第十八の二願成就を総括して、如来の大行・大信というものを以て衆生に回向する、如来の表現回向し給える衆生界、即ち行・信の生活というものをお示しになったのがここであろうと思うのであります。

(行信の道  16 『大経』と『観経』より)

『大経』と『観経』-1 (5/31)

以下は第二段でありまして、浄土の機縁に就てお示しになったものである。存覚上人は先ず依観経明教興由と解釈して居られます。そうしてみると第一段の方は別に『大経』に依ってということはなく、単に略標弥陀広大利益と解釈せられたけれども、勿論これは真実教たる『大無量寿経』に依って如来浄土の因源・果海をお示しになったのであります。この第一段は次の第三段の故知、円融至徳嘉号転悪成徳正智、難信金剛信楽除疑獲証真理也というより専奉斯行唯崇斯信というまでの一段と相対して、『大無量寿経』上下二巻の大綱をお示しになったのであると伺うことが出来るのであります。支那の興憬師の『述文讃』には『大無量寿経』上巻は廣説如来浄土因果とし、それに対して下巻は廣顕衆生往生因果と、こういう風に分つことが出来ると、これは御尤もなことである。そうしてこの『述文讃』の文は、『教行信証』の『行巻』にも御引用になっているのであります。

これは私思いまするに、『信巻』に聞其名号信心歓喜の聞という字を釋されまして、然経言聞者衆生聞仏願生起本末無有疑心是曰聞とあります。聞是名号というのは但南無阿弥陀仏という語を聞く但聞じゃないのでありまして、六字のいわれ、即ち名号に於て象徴せられてある所の、仏の本願の生起本末を聞いて疑心有ること無し、これは聞是名号の是という字を仏願生起本末、仏願を生起された所のその本と末というものは何であるかといえば、種々の説がありますけれども、私思いまするに、如来浄土の因果を本とし、衆生往生の因果を以て末とすべし、こういう風に戴いたらどうであろうか。これは尤も自分の考えであります。然覆求其本阿弥陀如来為増上縁と下巻に述べてある所の衆生往生の因果というものは、上巻の如来浄土の因果に基いたものであります。そういう風に戴くとして、第一段は根本の如来浄土の因果を挙げて、そうして仏因・仏果という根本仏道の体をお示しになり、第三段にはそれを根本としまして衆生往生の因果を成就せられたることをお示しになったのであろう。但し因果といえば、如来の方には因果を具してあるけれども、衆生の方には因だけしかないのでないかと、そういう工合に考えられますけれども、行信の因を挙ぐれば往生の果は自らその中に在ると御覧になりまして、根本の如来に就きましては因果を具さにお示しになり、衆生の因果の方に就きましては因を挙げて果を略したと見ても宜しい。しかし単に略したのではないのでありまして、文面を見れば円融至徳嘉号転悪成徳正智とお示しになり、或は難信金剛信楽除疑獲証真理とお示しになっているから、因の中に果を摂めてお示しになったと戴いたならば差支ないと思います。

(行信の道  第二段 浄土の機縁  16 『大経』と『観経』より)

願力成就の意義-2 (5/30)

若し果上の仏力というものがなかったならば、因位の四十八願というものは徒に設けることになると曇鸞大師は力説して居られる。何故なれば、あの仏力というものに果上の無礙摂取の力があり、この体験が現生不退である。故に若し果上の仏力の証明がないならば、因位の未来往生の本願というものは徒に設けたことになり空想になる。随って単なる本願を信ずる信心は亦徒設仮令の臨終現前の自力の信となる。

度難度海ということは、それは未来往生成仏の益である。然るに無礙光明破無明闇恵日と、信心の眼を開かしてもらう、これは現在の一念に信心の智慧の眼を与えて下さる、そうして現生不退に住するのである。この一念の信は常に現行しているのである。信の初一念というと過去に済んだように思いますがそうではなく、常に現在に一念の信に裏附けられて、我等の信の相続の行というものがある。信前信後などということを考える、前と後というのは信と行との間、前後の間にどうしても隙があります。信の前念と相続の後念と固定しているならば、その中に何か隙があるのじゃないでしょうか。実はそうではないのでありまして、自力の信は何処までも唯信たるに過ぎませんぬが、如来回向の真信というものは恒に相続現在している行である。それは念仏本願の回向の信心なるが故に自然に所行の法を具して能信を成ずる。故に信は信の位としては純粋に疑蓋無雑の能信であって、能行でも所信でもなく、随ってその意義に於て現在性なしというべきである。唯夫れ所具の行に就て能具の信を現在と名くるのであります。之は行・信の義位を明らかにするものであって、具体的には念仏の信心こそは常に念仏の行に於て憶念不断であり、一生を貫通して現在一念である。それを信の一念というものがあって、今は已に過去に落謝し去って、次に後念が続起するというのではない。それでは憶念ということは成立しない。憶念こそ精神の本質でありまして、常に称名念仏の大行に於て、一念無礙の帰命の信が現行しつつあるのであります。憶念の心界には千歳の昔も現在と直接に接して、間に髪を容れぬのであります。名号は南無は必然に阿弥陀仏に連続し、阿弥陀仏は亦必然に南無に連続して、限りなく深く深く信心を掘り下げて已まないのである。之を本願回向の名号といい、称名憶念といい、念仏往生といい、本願自然の道というのであります。外の教の信というものはどういうものか知りませんけれども、正しき仏教の純粋能信の信というものは所行の称名を具して恒に現実である。如来回向の信であるが故にその信がやがて行となる。真実の現在は現行であらねばならぬ。現に在るということは現に行じつつあることであります。

(行信の道  15 願力成就の意義より)

願力成就の意義-1 (5/29)

難思弘誓というものは南無の二字、南無の二字の中に阿弥陀仏の四字を摂めて度難度海大船と、こう述べたのであります。難思弘誓は本願であり、度難度海大船は大行である。即ち願即是行、願行一体ということを示した。無礙光明破無明闇恵日という言葉は阿弥陀仏の四字の中に南無の二字を摂めたもの。だから無礙光明ということは阿弥陀仏の四字であります。破無明闇恵日ということは阿弥陀仏の中に南無を摂めたのでありましょう。だから光によって我等に信心の智慧を与えて下さるということを示した。そしてここに述べてありますのは南無阿弥陀仏であり、南無阿弥陀仏というものを南無という處に眼を開いて見るというと因位の本願力を顕す。又阿弥陀仏という四字に眼を開いて見れば果上の自在神力を顕す。之を願力成就といいまして、「願徒然ならず力虚設ならず、力願相符うて畢竟して差わず、故に成就という」と、曇鸞大師は『浄土論』の仏本願力の語を解釈し、「願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり」。互に願と力とが差わず、「願以て力を成し、力以て願に就く」。我々は願力いうていながら唯願だけを見て居ります。仏本願力なるが故に、仏といえば如来は既に力である。だからして本願は願である。仏本願力であるからして願と力である。願と力とが絶えず立体をなしているのであります。

無礙の光明と全我の闇夜-3 (5/28)

こうしまして竊以と静かに卑謙恐懼しつつ、而も音吐朗々として祖聖は難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇恵日と讃頌する声を感得せられたのであります。これは諸仏伝統の道である。これこそ正しく阿弥陀仏が浄土を荘厳したまう所の能生と能持との二大原理を明示せられたものでありまして、これは自我の分段の虚仮の歴史を超えて、如来の浄土の等流の真実なる歴史の原理であります。これが則ち次の第二段に出ます所の浄土教の歴史の原理となるものであります。これは全く純粋の如来浄土の因果、仏因・仏果を宣示せられたものであります。これが歴史的事実の根源なることを次の第二段に於て証明されているのであります。もう一つ言葉を換えて申しますならば、これは釈尊以前の浄土の道を茲に明らかにしたものでありましょう。然則という處から、始めて仏教の歴史の中にこの道が編み込まれて来た。人間の世界に入って来たのでありましょう。それまでは全く仏の世界でございます。

『大無量寿経』は上下二巻ある。憬興という方はこの『大無量寿経』を釋して、初廣説如来浄土因果、後廣顕衆生往生因果と、こういって居るのであります。今この第一段に挙げました本願・光明は上巻に説いてある所の如来浄土の因果を明らかにしたものであります。第三段に、故知、円融至徳嘉号転悪成徳正智、難信金剛信楽除疑獲証真理也。爾者、凡小易修真教、愚鈍易往捷径。大聖一代教、無如是之徳海。捨穢欣浄、迷行惑信、心昏識寡、悪重障多、特仰如来発遣、必帰最勝直道、専奉斯行、唯崇斯信。これは下巻に依って衆生往生の因果を説くもの。そしてその中間に『観経』の意に依って浄土の機縁、浄土の機と縁とを明らかにし、浄土教の興起の由来する所を明らかにしたのが第二段であります。大体そういうことになるかと思います。

(行信の道  14 無礙の光明と全我の闇夜より)

無礙の光明と全我の闇夜-2 (5/27)

してみれば無明の闇を破る所の恵日というものは何であるか。それは信心の智慧である。一般仏教学では信というと恵ということは別のことでしょう。然るに阿弥陀仏の法を知る所の智慧というものは如来回向の信である。我等凡夫の智慧ではなく仏の智慧である。仏を信ずるということは仏を見ることである。見るとは即ち知ることである。知るとは智慧である。だからして如来の無礙の光明はやがて衆生の仏智疑惑の我見の闇を破る所の信の智慧をなって仏自らを知る。仏を知る所の信心の智慧は衆生を照す所の如来の智慧である。かくの如くして痴と疑は一体であると共に、当然恵と信とは一体である。それを信恵或は信心の智慧と名けるのであります。

しかしながらここには疑惑の闇を破する恵日といわずして、破無明闇恵日と一般的な言葉を使ってあるようであります。けれども仏の智慧を光という、仏智の光という。光というのは何であるかといいますというと、衆生の無明を破って仏自身が仏を顕すのみならず、仏は仏自らを照し尽して遂に衆生の不了仏智の無明の闇を破って、衆生をして信心の眼を開かしめようとする所の恵日である。云い方が劣くて文意をよく顕す力がありませんが、仏の智慧を光という、光という方が最も具体的である。光は智慧の形、而もその如来平等一如の智慧に主客差別の形なければ不可思議光と申すのである。光というものは智慧の形である。唯外部のみを照す光じゃないのでありまして、亦内をも照す光である。仏が内を照す智慧の光によって我等の無明を破って下さる。外をも内をも内外無礙に照す。且く外に十方世界を遍く照す方面を色光、内に念仏衆生憶念摂取する方面をば心光という。これはだからして、かくの如く光明といい或は恵日ということは、それは単に内を照すというだけじゃなしに、矢張り全法界の衆生を照すということを最もよく表す為にそこに光明という。これは内外一如の本能の光明であるということを顕す。一如の光のみ十方に遍慢して無礙の力を以て我等衆生の無明の闇を破り、一念歓喜する人を必ず滅度に至らしむる。

(行信の道  14 無礙の光明と全我の闇夜より)

無礙の光明と全我の闇夜-1 (5/26)

次に無礙光明に就きまして、無礙はさわりなしで、何ものも光明を障えることが出来ない、又何ものにも光明は礙げられない。仏の智慧、仏の光は何ものの内面をも自在に通徹し、衆生の全自我の妄念妄想の千歳の闇室を照し破って行くというのが無礙の光明であります。光明というのはつまり仏の智慧の体相であります。仏の智慧を象徴して無礙の光という。仏は光である。要するに仏は光を以て形としている。仏の形は唯光明である。阿弥陀は光の形相である。無礙光の如来自在神力能く無明煩悩の闇を破ると、破無明闇は如来果上の光明の神力の用を挙げたのでありますが、光明と無明と相対し、衆生の無明煩悩と如来の智慧というものとをそこに相対してあります。即ち衆生の無明の闇を破って我等に信心の恵眼を開かして下さる所の明浄の恵日である。ここには前の如来因位の弘誓が難度海を度する大行の船であるに対して、この恵日は大行に対する大信というものを特に顕して、下の第三段の名号と信心とに対応していると、こういう意味を有っているのであると思うのでございます。

ここに無明闇とあります。無明というのは一般仏教の上に於きましては如実に真如実相を了せざる根本煩悩の愚痴であります。しかしながら『大無量寿経』の意によって、特に無礙の光明が破る所の無明の闇というものは何であるか。一般的にいえば愚痴であるということが出来るけれども、特別なる意義は何であるかと申しますというと、これは『大経』智慧段の不了仏智である。仏智を了せざるものである。無はこれ不であり明はこれ明了である。即ちここにいう無明は不了である、不了仏智である。こういう意味でありますから、不了仏智の無明ということは仏智不思議の疑惑である。業道の自然に徹せず、徒に現世の罪福を信じ無礙の仏智を疑うのである。一般仏教の上に於きましては、疑というものと愚痴というものは別でありますけれども、阿弥陀仏の智慧というものに対しては、不了仏智の疑こそ無明の闇であります。固より仏智疑惑というのは決して仏法の因果の道理を疑うのではないのでありまして、本当の諸仏無上の智慧を知らないのであります。為に仏法の三世の因果を単なる一世の罪福に限定するが仏智疑惑の根本であります。これを真宗学の上では痴疑一体という。諸仏如来無上の智慧を了せず、徒に罪福に拘り、超世の本願を疑うのは真実の根本無明であります。

(行信の道  14 無礙の光明と全我の闇夜より)

業道と理想的自我の象徴-3 (5/25)

今日一般に自覚というているものは、実は我見であって真の自覚ではないのでありまして、阿頼耶識なる業果の世界こそ、法界の事物は相互に皆直接に脈々として連続して血が流通している。内なる世界と外なる世界と直接して対立しつつ而も内に一如である。それが阿頼耶識の世界の内観でありまして、この一如の世界に於てこそ各自の久遠の個性も成立するのであります。だから本当の美術というものは、仮い一の山水というものを描いても、そういう立体的のものを描き出すことは出来ずして前六識の世界だけなら、瞬間的なる平面の写真に過ぎない。現行の山河大地は生きて千古の昔の等流の英姿を現在一刹那に生かしている。現在の山河に於て過去千年の歴史的現行の連続の背景が目前にあり、そうして未来永遠に向って動き出す一定の方向を闡明している。之を刹那の現行というのである。行というものがなければ単なる現在は一切が夢である、随って刹那の現在には一定の方向があり、茲に独自の性格を有っている。山河大地それぞれの方向があり性格がある。敢て走る馬だけに方向があるのではありません。山は静止しているのだし、馬は空間的方向を有っているが、山は時間的方向を有っているといい得る。それだから現在一刹那に無限の過去と無限の未来を顕している。それの中心を現行という。それに於て現行する所の過去と未来との原理を種子という。之を種子生現行というのであります。象徴というのは生命の世界に於て始めて成立するのであります。

我々の本当の本能の世界というものは、我々の迷いの自我を契機としてそうして象徴する世界というものである。衆生の自我妄念に随順しつつそれを因とし、而もそれを反転して而してそこに象徴の世界というものを出生するのであります。我々の自我の迷いというものを因として、その中にこの迷の中に迷を超えて、象徴の世界というものがそこに在るのである。

(行信の道 13 業道と理想的自我の象徴より)

業道と理想的自我の象徴-2 (5/24)

それは有情であるというというそこに生命というものを内に感ずる、或は血を感じ肉を感じ、或は骨を感ずる。それは自身のものとしては形に見えないものであるけれども、もっともっと直接に感ずる。それは現行識としての根本主観たる阿頼耶識の感ずる所であり、能感はそれの所感の有情を以て直に自己の体とし、それと安危死生を共同にするのである。我々は一般に眼・耳・鼻・舌・身・意の六識を以て直接自明の事実的意識としているが、それよりも直接なる事実は六識が内的依處として前提する六根であり、それが即ち阿頼耶識の現行の事実であります。現行識としての阿頼耶識の具体的な生命というものは血であり肉であり骨である。そういうものが脈々と動き、その動きを支える力、骨の力、そうして諸の骨を又動かす力を与える、そういうものが肉である。その肉をして潤いあらしめる所のものは血である。それを直接に感覚する、即ち内面的に感覚する。

そういう骨肉であり血であるものを内感すると同時に、外處には山河大地を感ずる。京都の加茂川の橋の上に立つと北東方に聳ゆる比叡山を見る。あの比叡山というものは理論上何等自我に関係がない。誰にも同じもの、誰にも共通のものであります。私には特別の関係を与えるということはない。唯偶然のものにしか過ぎないものである。然るにも拘わらず、我等は山河大地、或は日月星辰を見る、そうすると何か知らんけれども、何か自分の肉と血というものと深き因縁を感知せしめられる。前六識を以て見るのは写真でしょう。本当の美術というものになってくると、外側を写さずに深く内面に触れる。そこに生きている所の一如の山河大地を感覚する。先に申しました所の内界の象徴、本能の象徴というものはそれを指すのでありましょう。象徴というと何か単に麗しい写真の如くに考えますが、何かとそれがぐんぐんと我が胸に迫って来る、宿業のつながりを有つ。阿頼耶識の上に感ずる所の自然というものは、そういう自然である。

(行信の道 13 業道と理想的自我の象徴より)

業道と理想的自我の象徴-1 (5/23)

これは大乗仏教の阿頼耶識の因相・果相というものに就て、果相という方は迷の世界を顕しているのであるが、因相の世界はこれは真理の世界を顕す。それでつまり果相の迷の方は業道自然の世界であります。自我が理想の倒想によって自我の全智全能を証明せんと思惟し勤行すると、その求むる所は精神世界であるが、その求め得たるものは全く異熟せられたる、即ち不純に象徴せられたる物質世界であった。しかしながら静かに深くその背景である所の因相という無尽の法蔵から果そのものを照し見る時、そこに始めて自己の自由を縛ると思われている所に深い意義を、深い真理というものを感得することが出来る。現行の果報は徒に自分を苦しめ自由を束縛するものであるように思われるけれども、しかし何か自分と深い必然の因縁を有っている、遠い宿業の交渉を有っている、血のつながりを感ずる、こういうことになって来ているのでありまして、そういう所に純粋完全の象徴の世界というものが感得せらるるのである。

象徴というと唯麗しい絵を見るように皆さんは思われるかも知れませんが、それは真実に象徴の意義を知らざるのみならず、亦真実に絵画を知らないのであります。本当の象徴の世界というものは真実の芸術の世界であり、それは生命の世界であって、何か知らんけれどもそれは自分の血肉であるということを感ずる。そこに何か徒に自分を楽しませるとか、そういう懈慢界じゃない。例えば本当の芸術の世界というようなものは、根本主観なる阿頼耶識が外處に感ずる器界なる山河大地、内處に感ずる有情界であります。即ち生ける魂、現実の生命、流るる血、躍動する肉、それを感ずるものは有情の感覚、この感覚の主体を有情というのであります。有情というものが一の感覚であります。

(行信の道  13 業道と理想的自我の象徴より)

佛に南無するは-2 (5/22)

真の意味に於て業というものは、矢張り「法蔵菩薩の出世善根の大願業力」が業というものでありまして、我々が普通業というて居りますのは無明に覆われ我執というものに抑えられて、そうして如来の因縁の道理を直観することが出来ずして、私の計いを交えて行動するのであります。自分の力で動いているのであると妄執し、如来の大願業力の上に自業自得で自ら苦しんでいるに過ぎぬのであります。そういう姿が見える。そうして本能の世界に於て純粋なる象徴荘厳の世界がある。尚その点に就きましても甚だ明白を欠いている所がありますが、又考え直しまして明らかにして行きたいと思います。今如来の因源・果海を顕すこの言葉は昔から伝統の聖典の言葉でありますけれども、祖聖は全く御自分の言葉として、聖典の言葉がそれがそのままに出て居ります。聖典の言葉をつなぎ合わせていうているのでなくして、聖典の言葉が自然に御自分の言葉になって出ている。全く茲に新しい、未だ嘗て出なかったことが、古い言葉に新しい意味が出ているということであります。こういう風なことを私は感ずるのであります。

佛に南無するは-1 (5/21)

この弘誓の体は南無阿弥陀仏と申しますけれども、我等にあっては畢竟ずるに南無に帰著し、唯南無するということ以外にないのであります。一念南無する立處に阿弥陀仏が現前し給うのであります。阿弥陀仏は頭のさがる南無の處に住立し給う。頭のさがるということが直に頭をさげよという本願招喚の勅命の具体的事実である。頭をさげよという命令を聞いて、然らばというて頭をさげるのじゃない。頭のさがる時がさげよという呼び声を正しく聞いているのでありまして、やがて南無する一念こそ正しく南無せよと命ずる所の呼び声そのもので、随ってそれは直に深く南無せしめ給う所以の如来の願心を開顕して、そこに正しく現行の如来の摂取不捨に接するのであります。この体験が阿弥陀仏即是其行でありまして、また本願名号正定業であります。是れ即ち称名が即ち憶念なる所以であり、南無阿弥陀仏の六字の名号の所以であります。然れば即ち南無は即ち本願を憶念する念仏であり、阿弥陀仏は即ち光明を名号する称名である。その本願は浄土往生の為であり、その光明は摂取不捨の為であります。茲に弥陀の浄国は南無阿弥陀仏の本願・光明を以て荘厳せられたる無作自然の国である。南無阿弥陀仏というと単に仏のだとばかり我々は思うていますけれども、主なる如来を通してその荘厳し給う所の浄土を南無し念願するのであります。

難度海と業道自然-2 (5/20)

だからして弘誓という言葉をかくの如く解釈して参りますと、難度海ということも単なる生死の苦果だけのものじゃないと思います。業に裏附けられて、本当にそれの報果として、内外から我々を苦しめるのじゃないかと思うのである。単なる果だけなら水に描いた絵のようなものであります。我をして生ぜしめ我をして死せしめる業が生死の報果を呼び出し、死し生きるという重大な意義を有たせるということは、業によってではないか。是れ誠に本願真実ということを特に強調なさる思召を以て、今弘誓というて衆生の罪業というものに深く響かしめ、生死の苦しみというものが態ヽと出て来るようにせられたのであろう。だから水・火二河というものもそうでありましょう。単なる貪欲・瞋恚は無明の我執であって業にならぬ。業というものに正しく動いて身・口・意の業となる時、火の河・水の河となって業道自然の世界として荘厳象徴せられ、業果というものが成立するのであります。矢張り私は茲にはどうしても法蔵菩薩の大願業力、それは一如法界の象徴荘厳の願力の道こそは、迷妄なる自我の象徴なる業道の虚偽の世界の何ものをも燃し尽さねばおかぬという所の、浄土を所依としつつそれを生成する力であります。この大願業力の前には、自我の世界の何ものも無為自然に否定せられるのである。その否定の当体自然の浄土荘厳である。それの根源が難思の弘誓であります。だから茲に唯大願といわずに今曇鸞大師の『論註』に「佛土不思議に二種の力あり、一に業力」、願力といわずに略して業力、詳しくは大願業力といってある。その業力は単なる自我の世界の業力ではない。「法蔵菩薩の出世善根の大願業力」である。一如法界の内に燃えている所の大願が人間自我の世界の何ものをも焼き尽す、それがつまり大願業力といわれる所以でないかと思うのである。それは何であるか、他人の力を否定するのは自分自らを否定するからで、一切を焼き尽すには先ず自分を焼き尽す所の本当に謙虚な、見えざる忍辱の力でないかと思います。「いたりてかたきは石なり、いたりてやはらかなるは水なり、水よく石をうがつ」ということがあります。難度海は石である。、難思弘誓は水である。自己否定の力が自然に一切を否定せずんばおかぬのであります。不可思議兆載永劫に於て法蔵菩薩は乃至一念一刹那も御自身を限りなく否定せられたのであります。その力が遂に能く一切衆生をして自力無効を知らしめ、本当に難度海というものはつまり我々の我慢我情の角を折って下さる。我慢我情の角ある為に我々は自ら苦しんでいる、その角を折って下さる所に我々は救われるのであります。

難度海と業道自然-1 (5/19)

ここに難度海とは、唯惑・業・苦の三道中の第三の生死の苦果をいうように聞えるのでありますが、どうも私はそうでないと思います。成程、一往見れば下の無明闇というのは生死の原因、自我の妄執の方であり、難度海は生死の結果の方の如くである。是れ即ち難思弘誓は因位の本願業力、無礙光明は果上の自在神力である、因位の力が我々の未来の生死の果を度し救うて呉れる、果上の力は我々の現在の迷の因たる無明を打ち破る、かくの如く因と果に影略互顕する文章の綾である、成程一往はそう聞える。しかしどうも私思うに、単なる生死の苦果でないのであって、それは矢張り具体的なる業道因果でしょう。即ち果を感ずる所の業、果の中に業というものを包んで示されたのでなかろうか。

それに対して如来の大願業力というものを特に示す為に、本願というよりは弘誓という方がいいのじゃないか。願は仏御自身だけの主観的要請のように聞える。誓という時になると正しく衆生に対して約束即ち誓約をなされる。学校へ入学を許されると誓約書を出す、誓うということは何であるか、誓うということは結果を約束するということ、結果を約束するということは約束を果すように自己の生命を捧げることが誓うということ、誓こそ真の行であります。願という時は猶未だ心の中にある、誓という時は最早や言辞であります。それ故願が力となるには誓というものになる、誓という所に始めて意業となる。業こそ報果というものを約束するものである。業は果報の直接原因でありまして、業と果というものは全く紙の表裏のような一体のものなのであります。それ等の意味を特に強く表そうとして、本願と云わず特に弘誓という言葉をお使いになったのではないかと思います。難思、そこに我等の自力無効を顕し、絶対の服従、絶対に信頼せよということを語って居られます。

(行信の道 11 難度海と業道自然より)

難思と無礙 (5/18)

次に難思弘誓の難思の語は、直に我々の頭に浮びますことは仏の十二光の中の難思光の名でありまして、次の方に無礙光明の無礙光に対して特に難思弘誓と出させられたのでありましょう。且つ難度海というものに対すれば、自らそこに無理なしに難思光のお言葉が出て来たのではないかと思われます。難思というのは、大体十二光仏中に於きましては、十二光と申しますけれども特に重要な名は無礙光と難思光との二である。だから天親菩薩は帰命尽十方無礙光如来と讃仰し、曇鸞大師は南無不可思議光如来と嘆美して居らるるのであります。先ず尽十方無礙光の尽十方は、これは十二光の中では無辺光でしょう。東西南北四維上下の法界の真中である。法界無辺際故に法界は到る處真中ならざるはない。即ち無辺光である。十方の際を尽して光明の自体円満遍照して、その作用自在無礙である。何ものにも障えられず、何ものにも礙げられない。そういう風にして平等無礙に善悪の衆生を摂取し、自在に統摂することが出来る。その光景は「盡十方の無礙光の 大悲大願の海水に 煩悩の衆流帰しぬれば 智慧のうしほに一味なり」である。無礙光というものはだから積極的に衆生摂取の徳用を現す場合で表徳門である。之に対して難思光というものは消極的の遮情門というべく、人間の有限なる理知的経験を以て計度することは出来ない。人間の思想を超え、人間の思惟理論を超えているというのを難思というのである。だから無礙という方は仏の方から云ったものでありましょう。難思というのは我々衆生の方から云ったのであると思います。難思は全く我々人間の智慧を以て計ることは出来ない、自力は無効ということを顕している。然るに無礙の方は如来の自在神力、絶対自由の如来の大能を顕したものである。如来の大能に対して人間の無力、分別の力の全く無効を示して、先ず難思光仏という所に絶対的に如来に帰するのである。如来に帰するには自力無効ということを知らねばならぬことを示さんが為に、最初に難思弘誓と示されたのではないかと戴くのでございます。

見えざる本願力と見ゆる光明力 (5/17)

これがつまり願力自然というものと無為自然というものの二の関係を語っているのでなかろうかと思うのであります。だからして願力自然というものは無為自然というものが無ければ全く成立しないものである、而も無為自然は願力自然によって始めて具体化するものでありまして、願力自然の因縁の大道こそ無為自然の純粋象徴であると、こういうことになるのである。因位の本願力を念ずる時、我等は絶対服従を命ずる命令を感ずるのであります。之に反して果上の光明自在神力を念ずる時、我等は絶対自由をそこに感ずるのであります。絶対服従の中にのみ絶対の自由というものがある。無縁大悲の力によって否応ないのが弘誓であります。之に対しては絶対の依憑、無疑の信以外に何ものもない。弘誓に対して真実の信を行ずることによって、我等は完全円満の自由を成就せしめられるのであります。

能生の本願も能摂の光明も浄土に依存 (5/16)

真実なる国土というものには因位能生の内なる本願力、果上能摂の外なる自在神力、この二の力が一の国土に依存して、因と果と相互に無為自然の徳相として成就してある。だからこれは理屈でもなんでもない、純粋事実として無為自然の国土に依存して自ら成就されている所の二の力である。この二力に就て因位の本願力は見えざる力であり、果上の光明神力は見ゆる力であります。曇鸞大師の『往生論註』に於きまして、天親菩薩の『浄土論』の長行の處に於て「云何が彼の仏国土の荘厳功徳を観察するや」とこう問題を提出しまして、「彼の仏国土の荘厳功徳は不可思議の力を成就せるが故に」と自ら解答してあります。その『浄土論』の文を『論註』に解釈して五種の不思議というものを述べてありますが、五種の不思議というのは、一に衆生多生不可思議、衆生の種子というものは何程あるものであるか、無量無数であって過去幾千億年間に如何程死滅しても、死滅するに随って新たに限りなく生々して尽る所がない、誠に不増不滅である、之を衆生多少不可思議という。二に業力不可思議、これは上は人間より下等動物に至るまで、衆生が本能に与えられたるそれぞれの業力というものを以て幾多の生を重ね、如何なる犠牲を払うても各自の世界を作って無窮の流転を続ける、これは人間の理知の境界を超えて不可思議である、これが衆生界に於ける業力の不可思議である。三には龍力不可思議、これは自然界の現象を説いたものでないかと思います。忽ちにして海中の龍王が風を起し雲を起して上昇し、忽ちにして雨を降らし気温を変じ地震を起す等々、これは龍力の不可思議である。自然界の大きな現象の変化原因を龍力の不可思議と云ったのです。四に禅定力不可思議、これは人間精神の力である。以上四種の不可思議は概して神秘主義的不可思議であり、不可知的不思議であり、奇怪的驚異的不思議であり、理知的疑惑的不思議であり、結局、迷信的心理状態である。それに悩まされるも、了解すればやがて消滅する不思議である。終に第五仏法力不可思議、これは諸法平等の大道であり、因縁の法でありまして、外面は何の奇もなき如是の法であるが、仏法の大海は如是の正信から開かれる。この仏法中にこそそれが核心であって、他はそれの外皮に過ぎぬのである。その仏法不可思議とは弥陀弘誓の国であり、これが伝統の教である。これに二の力がある。「一には業力、謂く法蔵菩薩の出世善根大願業力に成ぜられる」と、「二には定力、謂く正覚阿弥陀法王の善住持力に摂められる」とである。

国土と有情-2 (5/15)

一体、業の世界というものは、例えば普通我々が現に感じつつあるのは迷いの業の世界でありますが、その業の世界というものは、その根底に純粋業によって感ずる所の純粋の果報というものは象徴でなければならぬ。但し我々は無明に覆われて我執を起し、所謂「我の相に愚にして無我の理に迷うが故」に逆に実我の執を起す。そうして真実の法というものは内外の諸の因縁によって動くものであるのを、単独なる自我が自由に動くのであると、かくの如くに妄執し、そうして純粋なる業の上に自我が自由に為すものであるとして、自我の権利を主張する。それと不可分の結果に於て、自我の所有権を主張することから却って逆に結果に束縛せられて、それを因なる業から切り離して実体化する、かくして業の自然の一如の象徴の世界を概念化し実体化する、之を転倒の世界という。

国土と有情-1 (5/14)

それで有情と国土、仏法の言葉で云えば正報と依報、正しく内に感ずる有情の果報を正報とするに対して、その有情の所依止として存在する所の外に感ずる国土、それで外處なる国土を依報というのであります。これを今自分の言葉で説明すれば、依報は本能の外なる象徴である、正報というものは象徴する内なる本能そのものである。象徴する本能を正報という、本能の象徴をそれを依報という。だから正報には形がない。本当の正報は内處に直接に感覚するものであって、我々の見・聞・覚・知の境界となることは出来ないものである。依報も亦本性形を超えて、而も同時に見・聞・覚・知の境界となるものである。正報は唯直接に感覚するものである。依報も亦感覚するものであるけれども、亦同時に知覚の対象となる。大体昔の仏教、尤も仏教学では本能などという言葉は使っていませんけれども、本能という今現に行われて居ります言葉を藉りて云えば、象徴する本能を正報といい、本能の象徴するものが依報であるということは、中らずと雖も遠からざる所でしょう。私は本当の業果の世界というものは象徴の世界であると考える。だからして菩薩が無漏清浄業によって感得する境地というものは純粋清浄の世界、だからして浄土というものは菩薩の大願業力の象徴する所であるというべきであると思う。
(行信の道  七 国土と有情より)

仏国土の体相 (5/13)

第一段の難思弘誓と無礙光明とは即ち如来の因源・果海の利益を挙げて、仏国土の体相を茲に明らかにするのである。そうして真の国土というものは理知の要請する世界ではなく、純粋本能の感知する無為自然の世界が国土である。理知の世界には我とか人格とか民族とかいうものだけしか存在していない、国土というものは全く存在していないのであります。

一如は本能-2 (5/12)

だから我々は真如とか一如とかいうことも聖道門流に考えて来てはならぬと思います。『華厳経』とか『涅槃経』とかに書いてあります意義をば最も近い所の、つまり理知の根本に、理知の土台になって卑しめている所の本能の中に、そこに本当の世界があり、自覚の根源、而して理知の根が本能にあるのであるということを明らかにして来ることが、これが仏法の本道としての浄土の道であります。我等は見ゆるものを通して見えざるものを見る所に、清浄の国土があると思うのであります。見えざるものを見る時に、始めて根本精神の安住所たる国土というものを感ずるのでありまして、だから純粋清浄の国土、本当の浄土は広大無辺際である。限り有るものに於て限り無きものを見出して来る所に本当の国土観というものがあり、見ゆるものを無限に超えて純粋に見えざるものを内蔵してこそ、我々の祖先は大日本と讃仰しているのでありましょう。

一如は本能-1 (5/11)

仏教には一如とか真如とかいいますが、何か高尚な理想であると西洋哲学流に考えまして、『起信論』なんかでいう真如とか一如とかいうことは高遠なるものと思って居ります。本当に高遠なるものなのでありましょうけれども、「道は邇きに在り」、遠いと思われる所のものが最も近くにある、これは直接教えることじゃないでしょうか。西方十万億土、遠い處に極楽がある、最も遠い處に最も近いものを見ているのでありましょう。だからして最も近い處に却って我々は遠い感じがする。「山に入るものは山を見ず」ということもありまして、本当に山の全てを見んとすれば山を離れなければならぬ。かくの如く仏法に於きまして迷悟一如というようなこと、或は一多相即とか、煩悩即菩提とか、生死即涅槃とかいう、それ等は高遠なる理想ではなくして本能である。本能に於て始めて云えるのではなかろうかと思います。どうもしますというと仏法の一如を以て極めて高遠なる理想主義というものの如くに考えてられて来たのが聖道門でないか。それを本当に元の本能に戻して来るのが浄土教であります。
(行信の道  五 一如は本能にして理想に非ず より)

仏国土の意義-4 (5/10)

私は国土というものは理知の要求に対して与えられたものでなくて、久遠の本能の中に自然に与えられる、随って唯本能によってのみ感覚する所のものである、内なる本能が外處に感ずるのである。尤も本能に於ては内と外とは一体でありましょう。国土を外處に感ずることは同時に有情を内に感ずることでなければならぬと思います。本当に本能に於てのみ内處なる有情自他の身体相互と外處として共同に感ずる国土、山河大地とは一如法界なるものでありましょう。そうして又同時にこの二重の二者は全く本当の意味に相対立しつつ、各自に絶対なるを得るのであります。国土を真実に外處に感ずるは内處に感ずる所の有情と対応するからである、こういうことが云えるのでないかと思うのであります。国土こそは見えないものがそこに始めて見えているのであります。見えないものを見せしめるのが国土であります。国土に於て始めて我々の理性は一般に見えるものをのみ見ている第二義的外面的なものであります。我々の本能は見えざるものを第一義的内面的に見るのであります。見えるものなら更に見る必要がないのであって、それは唯見る主観の反省に於てのみ意義がある。見えざるが故にこそ本当に見るということが成立する、それが即ち本能の世界である。だからして見ることによって見えるものを超えて、愈ヽ見えざるものを見出して来るのでありましょう。見えるものは限られたものであり、見えざるものは無限である。即ち有限に於てのみ無限を見る。それがつまり本能の世界であります。
(行信の道より、昨日の続き)

仏国土の意義-3 (5/9)

仏法に於きましては、殊に仏の国というものを我々の生活の無作法爾の基礎として説いているのであります。この国土というものは、我々の理知を以ては真の国土というものは解らないのである。結局、理知から云えば個人とか民族とかより外はない、人間より外はない。人間のみが万物の霊長であり、神の主体である、こういうことでなければならぬのであります。即ち人間を万物の霊長であるとして、それを証明せんが為に神というものを立てる。神は人間が万物の霊長であるということを証明する媒介者である。だから神が若し人間が万物の霊長であるということを証明しないならば、神は廃さなければならぬ。人が万物の霊長ということが神を要せずして直接証明されるならば、神は要らないのである。だから自分が万物の長であるという証明の方法として神をもって来た。成程、神によって人間は他の動物よりも優れ、万物の長であるということを証明することは一往出来たかも知れませぬけれども、かくして証明せられた万物の霊長者は同時に神の奴隷となり、神の下僕となった。そこに大きな矛盾があるのではないか。万物の霊長であるということと神の下僕であるということは何か大きな矛盾がないか。

仏国土の意義-2 (5/8)

一体、我々人間というものは勿論、誠の神も仏も能生所依なる無為自然の国土、即ち一如法界の象徴の体なる大地なしには考えられない。これは大体仏教に随えば依法・正報と申しまして、先ず国土を以て依報とし、国土の中の衆生をば正報と申します。兎に角依報・正報というものは、これは何か一の形あるもの、形というものを取っているのであります。我々はこの国土というものと人間というものは別々のものと考え、そうして国土というものを唯人間の何か実用に供するもののように、生活上に便宜を与えられるものであるように考えて居ります。加之、段々推してみますというと自分以外、つまり人間以外のものは凡て人間の便利の為にあるのだ、こういう風に考える。所謂自分以外の人間すら自分の便宜の為にあるのだという風に考える。そうして人間中心の考、それを更につづめてみますと自己中心の考というものが出来上る。それをそこにちゃんと坐りを置いていろいろの理想を浮べる。世界だとか、万物の霊だとか、人類平等だとか、正義だとか、自由だとか、如何にも麗しい抽象的な理想というものを構成して来るけれども、これ等の理想はその現実というものを突き詰めてみると自我というものを主張するに外ならぬ。そういうものが西洋思想の一般の基調であり、又日本人も明治以来、一度はそういう思想の洗礼を受けて来たのではないか。それがいろいろの今日の思想問題になっているのではなかろうかと思うのであります。
(行信の道より、昨日の続き)

仏国土の意義-1 (5/7)

一体、昔からこれは因位の本願と果上の光明、つまり如来の因源と果海との二の他力を以て名号の意義を述べる處であると解釈するのでありますが、一体特に本願と光明という二を以て「弥陀広大の利益」というものを顕すということは抑ヽどういうことであるか、というようなことに関して明らかにして行きたい。それには弥陀の本願には仏土ということが根本にあるのだということを一つ明らかにして行く必要がなかろうかと思いまして、存覚上人では唯漠然と「弥陀広大の利益」と云って居られ、総序の文には因位の本願力と果上の仏力と因果相対して理解してありますが、しかしここは全体何を顕しておいでになるか、そういう重要問題があります。私には阿弥陀仏の本願が人間的分別作為を超えて、純粋に自然法爾の所生なる道理が、浄土の体相というものであることを明らかにせんが為であると思う。これは『教行信証』の第五巻に『真仏土巻』というのがあって、この真仏土を教・行・信・証の真実証なる一如法界からして、その象徴の全体として、本願の背景、もう一つ云えば本願力の衆生界への回向表現たる行・信の背景として、無為自然の真仏土が内蔵せられ、これが真仏土を開顕せられました精神であって、国土ということは全く自然無為の一如の体相であって、人間の創造ではなく、一切生命の根元母体として誠に大切なことである。
(行信の道 四  無為自然の体相としての仏国土の意義より)

竊以の意義-2 (5/6)

然るにここに表明せるものは単なる祖聖の私見でも独語でもありません。文字の句調から申しても、難思弘誓度難度海大船ということは、龍樹大士の『十住毘婆娑論』易行品に依り、又無礙光明破無明闇恵日ということは天親菩薩の『浄土論』、曇鸞大師の『往生論註』に依って述べられたものである。更に遠く根源に遡ってみますと『大無量寿経』上巻の法門全体、広く如来浄土の因源・果海を尽くして述べてある所の大綱を、ここに掲げられて居られるように戴けるのであります。だからこれは決して聖人の独断の言葉ではありません。随って竊以ということは私の見解、一個の主張ということじゃないのであります。

竊以の意義-1 (5/5)

これから第一段のお言葉に就てお話をさして戴きたいと思います。先ず「竊かに以れば」こう述べてあります。竊以というのは発端の言葉である。これは聖人静かに深く自ら内省して卑謙して、これは愚禿の己心の法門で、あまり大きな声で天下公衆の前に叫び命令するというようなことではない、自分は唯竊かにかくの如く思うて居るだけのことである、こう自ら卑謙しておいでになることであると古来から申して居ります。それはそれに間違いないことである。だからして私共は聖人御自身の感情では、他人に対って命令するというようなことでなくて、唯静かに独語をして居らるるのであるというように思うていたこともありました。しかしながら此頃考えてみますと、どうもそれだけでは充分ではないと思うのでございます。

総序の文段-3 (5/4)

そこで私は初の三段を一括して、これは先ず『教行信証』の一部の大綱を述べるのが即ち五段中の前三段の総意ではないかと思うのであります。次に将に述べんとする所の六巻の『教行信証』の法義大綱を先ずここに述べられたのが第一大段ではないか、そうして噫という處からは第二大段でありまして、正しく法に遇わして貰うということは容易でないことである、法に遇うということは、御自分からみれば偶然卒然のことであるけれども、それだけ如来の方に於て久遠劫来不断常恒の摂取不捨の必然の尊い深い御苦労というものがある、誠に仏に遇うということは大信の機を握るの一事であって、如来にあっても亦衆生にあっても、容易ならんことであるという深い感銘から、更に御自分がここに、今已に三国七高僧の伝統を承けて自分が救われているのである、この事実はただごとではなく本願の歴史的大事実でないか、ということをお感じになりまして、自分の獲た信心というものは決して一人に私すべきものではない、だからして自分は己の拙さをば顧ずして慶所聞嘆所獲矣と、所聞は行であります。所獲は信であります。所聞の大行を驚喜し、所獲の大信を讃嘆して、おこがましいことではあるが我が身の卑しきを顧ずして、即ち所謂法の為に身を忘れて述べさして戴くのであると、こういうことを表して居られるのでありましょう。教・行・信・証の大法をお述べにならずにはいられないという意を、この第二大段に表して居られるのであろうと、私は戴いてみたいと思うのであります。
(行信の道より、昨日の続き)

総序の文段-2 (5/3)

茲に更に私自身思いますには、この五段中初の三段は大体に於て意義が一貫している。初に弥陀浄土の独自の体相を明らかにして遂に行信を以て証明し、この行信を切に結勧して居らるるのであります。然るに古来多くの学者達は第三段の初の方の除疑獲証真理也の處で大段を切り、その次の爾者という處から終りまで一貫して大段が変るように見て居られますが、しかし私は除疑獲証真理也で切っては、一往は理を尽すが再往は情を尽し得たとはいい得ないと思います。それは名号と信楽との二法の徳用を第三段の初に挙げまして、次で一層第一第二を総括してその徳を讃し、切に道を求めて悩むものを勧めて、遂に専奉斯行唯崇斯信と結んである所から見ますと、唯崇斯信という處まで仏土憶念の深き感情はずっと連続して不可分であると見て行くのが当然でないかと思います。だから竊以という處から唯崇斯信という處までを一括して第一大段として来たらどうかと思います。次の噫弘誓強縁という處から何か急に調子が変って、今までの處は然則とか故知とか接続詞によってちゃんと同一調子で文脈が続き、遂に唯崇斯信と飽くまで静かに結んだのでありましょう。それから噫とここに咏嘆の言葉が出されて、何かこれから調子が高まって前の三段を概括し、第一段難思弘誓に遙かに応じて弘誓強縁多生叵値と急に大声疾呼して居らるるように、自分は感ずるのであります。だから噫という處から新しき第二の段が始るのでないかと、こう思うのであります。
(行信の道より、昨日の続き)

総序の文段-1 (5/2)

これより直に本文に入りてお話し致したいと思います。この総序の文は存覚上人の『六要鈔』に依りますと、文段を五段に分って居られます。誠に御無理のない分け方で、何人も異存のないことだろうと思います。それは初の竊以から破無明闇恵日、そこまでは第一段、初略標弥陀広大利益、弥陀の救いの道の由来の久遠にして無辺なるを示すのであります。第二段は次の然則から世雄悲正欲恵逆謗闡提というまでの處であります。これは二依観経明教興由、『観経』に依って教興の意は済凡救苦の大悲の為なるを明らかにする、そういうことになりましょう。その次の故知から専奉斯行唯崇斯信までは三重学名号希奇勝徳勧下機。第四段は噫弘誓強縁から聞思莫遅慮までで、四顕聞法縁勧信誡疑。第五段は爰愚禿釈親鸞という處から終りまでで、五悦受師訓述聞持。

しかしながら私、今は存覚上人の語に聊か私の言葉を加えて申しますれば、第一段はこれは別して本願光明の二徳を挙げて、総じて仏土の体相を述べる、と私は申してみようと思います。第二段は浄土を開顕するの機縁を明らかにする。第三段は行信の大道の成立(或は正信の直道とでもいいますか)。そして第四段は聞法の宿縁を明らかにして勧信誡疑す。第五段は立教開宗の宣言であります。お粗末な言葉ですが、かような言葉を加えて御意を伺ってみようと思うのであります。
(行信の道 総序の文段より)

『教行信証』の外題と内題-4 (5/1)

しかしながら四法の中には行は教の原理、信は証の真因の故に、行・信の二法が特に本質的なるものでありまして、『行巻』には常に行信行信というて顕して居られるのであります。しかしながら『信巻』に来ますと、行を挙げて信を成就する義を顕して、専ら信の一法を掲げて信の純粋性を明徴にしておいでになります。行・信は体が一なるものでありますけれども、法は行に総摂し、之に対して別して純粋真実の契機として新しく信を開顕せられたのである。つまり行がそれ自体の内面的歴史を自証せんが為に特に信を別開するのである。こういうような一の確証を有っておいでになるのでございます。その詳細は後に譲り、今は略して置きたいと思います。

『教行信証』の外題と内題-3 (4/30)

教は単なる仏祖自証の譬喩的暗示の教示であり、行は自力の起心立行であり、証は随って自性唯心の独我の化証である。随って或は唯教のみあって行なく、教・行あって証がないということが考えられる。これ等の自力各別の三法に簡んで、如来回向の無作久遠の三法の意義を明徴にせんが為に、行を開いて信を立て、教・行・信・証という独自にして同時に法爾自然の教相を建立し、この四法は全く一如にして各自に円満成就真実の絶対の法でありまして、教がやがて行を成じ、行はやがて信を成じ、信はやがて証を成ずるものでありまして、教・行・信・証、或は又その根源を求めてみれば、真実無作常住なる仏土の純粋本能の世界より現れて来たものである。

『教行信証』の外題と内題-2 (4/29)

そうしますというと、従来の三法の中間に信という一法を新たに附加えて祖聖の己証を顕された所には、極めて重大なる意義を有っているということになるのであります。それは信の一法を以て、それに先立つ所の行というものは我々衆生の機上建立の個人的自力の能行ではなく、如来の本願力回向の歴史的超個人的所行の法であるということを顕し、同時に行に次ぐ所の信を以て本願力回向の大信心にして、即ち選択本願の故に信心の当体則是其行である、随ってその如来回向の信心を正機として、別に自力能行の機を待たずして直に浄土真実の証果を得る、「涅槃の真因は唯信心を以てす」る信心正因称名念仏を顕すということになって来るのでありますからして、教・行・証という時になれば、これは全く如来本願の回向の平等唯一無二の仏道であるということを明らかにすることでありますから、勿論、それに対する聖道門や浄土方便の道は無いのであって、特に浄土真実の簡別の語を冠する必要はなく、それ等は凡夫機上の差別であって、恰も日出前の霜に過ぎないということを示さんが為に、外題には単刀直入に『教行信証』と独自の己証を掲げて居られる次第でございます。

『教行信証』の外題と内題-1 (4/28)

『教行信証』の総序の文に就てお話しすることになりましたが、『教行信証』は御承知の通り浄土真宗の本典で、即ち立教開宗の聖典と定っているのであります。『教行信証』の題目に就ては、著者御自身二通りの題目を掲げられてあるのでありまして、表紙の外題は『教行信証』と掲げられてある。然るに内側にあります所の内題は『顕浄土真実教行証文類』となっているのであります。これは比較すると極めて明瞭でありまして、外題は祖聖己証の教・行・信・証という四法の題目であり、それに対して内題の方は従来の仏教常途の教・行・証の三法を以て題目としてあります。随って三法題目の内題には顕浄土真実という五字が頭に冠っていますが、教・行・信・証なる四法掲げてあります所の外題には、浄土とも真実とも何等の簡びもないのであります。

仏法の道理 (4/24)

ただ法体がある。法に依って助かる。助かっても亦法の中に助かっている。助かったといって助かったものと、助けたものの法と二つあるのでない。助かったということは法の中に帰して助かる。だからして助ける仏さまも念仏の中においでになる。助かる衆生も念仏の中に居る。ただあるのは念仏だけ。これだけは無始久遠より尽未来際まで滔々として流れている。そこに仏さまあり衆生あり、機法一体の南無阿弥陀仏、こう申すのであります。そういう道理が仏法の道理と申すのであります。この仏法のお助けという意味と、外の世界中のいろいろのお助けという意味とは全く意味が違っている。全く南無阿弥陀仏の法たった一つしかない。だからして南無阿弥陀仏が即ち浄土。南無阿弥陀仏の歴史から生れて南無阿弥陀仏の歴史の中へ摂め取られる。そうして南無阿弥陀仏のあるところに永遠に成仏している。そうしてもう南無阿弥陀仏に一遍摂め取られたら永遠にそこから追い出される気遣いがない。この一生は南無阿弥陀仏の中にある。未来の浄土も南無阿弥陀仏の歴史の中に連続してあるからして、歴史を離れてお浄土があるのでありません。尽未来際まで南無阿弥陀仏の歴史が続くのであります。是が浄土真宗の真意であります。念仏往生ということは、念仏と往生と二つあるのでなくして、念仏さして戴くことが往生であります。だからして死んでお浄土へ往生しても南無阿弥陀仏、何処までも永遠に南無阿弥陀仏、もうはや是位で南無阿弥陀仏をやめてやろう、そうではありません。幾ら行っても南無阿弥陀仏であります。そうして南無阿弥陀仏の味わいはどれ程の深味があるか、その深さも知れない。こういう南無阿弥陀仏。そういうことが浄土真宗の眼目であるというのであります。乱雑なような言い方をしているようですけれども、事柄は明瞭であり、又簡単であるのであります。

以上で『真宗の眼目』終わり

念仏が仏さまなんだ (4/23)

要するに南無阿弥陀仏で助かる。南無阿弥陀仏の外何もない。如来さまは南無阿弥陀仏だけだ、南無阿弥陀仏の法で助かるものだ。仏さまが助けて呉れるのでのうて、南無阿弥陀仏で助かるのだ。助かる法を南無阿弥陀仏という。だからして南無阿弥陀仏で助かったことに対して、俺は御前を助くるのだぞと云って威張る仏さまは要らない。別にこちらの方からして仏さまに助けて貰ったからして仏さまに気兼ねをしなければならぬ、そういうこともない。ちっとも仏さまの方から恩をお被せなさる訳も何にもない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

欲生我国 (4/22)

だから欲生は第十八願の中にあって而も第十八願を超越して、第十八願の根元となって欲生は内に第十八願を現わし外には二十の願を現わす。外からみれば二十の願、内からみれば十八願。こういうものです。だからして多くの人は徒らに欲生の外相をみてそうして自力なりと悲しむ。けれども欲生の内面をみよ。こういうのであります。もう欲生というところに総べての仕掛けがある。そういう不可思議の仕掛けというと神秘主義のようでありますけれども、南無阿弥陀仏という現行の果体を持っているのである。その原理が欲生我国でありますからして、その欲生にそういう仕掛けがある。総べて仏法の問題というものはあらゆる問題の根元は皆欲生にある。欲生というものが吾々人類に与えられた課題である。こう私は戴いているのでございます。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

三願転入の根本 (4/21)

で、三願転入ということは、第十八願の欲生我国というものが根本である。その欲生我国というのは何か、十九の願の欲生我国、第十八の願の欲生我国、二十の願の欲生我国と別々に欲生我国はあるように言ってある。けれども欲生我国は一つしかない。体そのものは一つでありますけれども、それが機の上について暫く三重に現われているのであります。機の上に於てこそ三重に現われているけれども法から云えば一つであります。要するに第十八願の欲生我国たった一つしかない。欲生我国は第十八願の中にあるのであるけれども、同時に第十八願を生み出すところの原理母体である。ちょうど女性が子供を産むようなものでありまして、女性の体の中に子供を産む元を持っている。母体があれば子供の種がある。その種が又子を産む種を持っている。それは重々無尽であります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

果遂の誓 (4/20)

やってみもしないでよい加減のことをしてどうしても駄目なものだ、どうせやっても駄目なものじゃ、やらん方がましじゃ、それは信楽というものではない。何処までも何処までもやってみるところにそこに仏の御苦労がある。人間的に考えれば無駄骨を折っているようであるが、仏の御苦労というものを感ずる時になればそれは無駄骨ではない。それは皆意味を有つ。けれどもしかし仏の御心を内観してみればそれが無駄ではない。それを通してそこに仏の御苦労が知られる。だからして何も無駄は一つもない。世の中に無駄というものは一つもない。果遂の誓では無駄がない。果遂の誓というものを知らないものは、雑行は無駄なものであったり、あんなものは捨ててしまえ。こっちから捨てると思うたから無駄だけれども向うから捨てしめて下されたからということを念ずる時になれば、やはりそこにも何か深い意味がある。吾々のすること為すことが皆無駄ではない。そこに皆念仏の光がある。無駄なようなことの中にお念仏の光がある。単なる雑行雑修そんなものはない。皆立体的である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

欲生の真義 (4/19)

そうでありましょう、ただ人をみてあの人はまあ立派な信者であるが吾々は及びもつかないと云う。そういう立派な人の姿は円でありましょう。仏さまの御姿も円である。立派な妙好人の姿も円である。法然さまの姿も円い姿。円光大師という。円光大師をただ驚歎をして及ばざるを悲観するだけである。それは成程一面から云えば自力無効であるが、その自力無効ということを本当に知らして呉れるものが欲生である。だからして欲生は一応は自力を認めて来る。そうして本当にその人の経験に由って自力無効ということを知らしめる。そこに欲生の真義がある。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

如来廻向の機 (4/18)

欲生我国と云って別にそんな言葉が何処かにあるのでない。南無阿弥陀仏に於て欲生我国ということは願ずるということ。それを本当の機と云うのである。それが即ち純粋の機であります。いわゆる自力の機でなくして如来廻向の機であります。欲生というのは第十八願の中にある。けれどもそれがしかも第十八願の心臓であり、第十八願の中心であり原理である。そうしてそれがまた同時に十九・二十の願を通じて、十九・二十の願をも我々に感ぜしめ、またその十九・二十願をも否定し超越するところの原動力が即ち欲生我国と云うものであります。こういう工合に戴くのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

如来の廻向心 (4/17)

で、この間欲生のお話をいたしましたが、欲生はつまり如来の廻向心である、こういうのであります。廻向ということは本当に自力無効ということを知らしめるところを廻向心と申すのであります。これはこの間からもそのことについていろいろ質問もあったのでありますが、廻向ということは我が国に生まれん欲えということ。これは仏からみれば皆子供である。仏の子供が親を忘れ、自分の故郷を忘れてそうして旅にさ迷うている。つまり法の子供が法の親の故郷を忘れてそうして所謂、我の世界へさ迷うて行ったのであります。それを呼び戻す言葉が、我が国にうまれんと欲えということ。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

回向と摂取 (4/16)

しかしながら私共の歴史観の体は何であるかと申せば念仏の法である。即ち我々一切の者が帰依すべきところの法が歴史の体である。私共の救いの真実の歴史の体というものは南無阿弥陀仏というものである。こういうように私は信ずるものであります。法とは常住でありまた平和である。常に常住平和であって、そうして常に現在するものが法である。そこにはなんの矛盾もないのであります。そうして法はそれに於て衆生が生まれ、それに於て衆生が死んで行く。衆生の上には生と死というものがある。しかしながら法に於ては生もなく死もなくして、常に現在しているのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

仏教は論でない (4/15)

だから要するに人間の思想は我の発展である。人間の学問は総べて我の発展であった。哲学というものは我の発展の歴史が哲学史である。そこに法というものがない。ただ我だけある。多くの人は仏教は唯心論だと思っているようであるけれども私はそう思わない。多くの宗教が仮い唯心論であっても、仏教は決して唯心論ではなく無論唯物論でもない。仏教は論でない。故に論がないから論理もなく理論もない。論理・理論を超越して仏法がある。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

自我論 (4/14)

そこでつまり神に依って一応は救いを得たように感ずる。けれどもしかしながら深く更に反省してみれば、自分が救われないから神に証明を求めている。未だ救われない祈り、そのものを以て神の体としているのだからして、結局どうなるかと云えば一応は神を証明すれば、それで救いの鍵を得たように感ずる。けれども更に深く反省してみるというと、結局救うことも救われないこともその鍵は神に握られてしまった。初は鍵を自分が持って居った。その鍵を今神さまに渡した。大事な救うとか救われないとかいう鍵を初は自分で持って居ったのだ。けれども今その神を見出した時に、その大切の鍵を神さまに渡してしまった。そうすれば神さまに頭が上らない。殺活の権利は神にある。だものだからして未だ本当に助って居ないからして、神さまがどうしようとこうしようと神に権利がある。そうすると人間は神の奴隷になる。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

喜びの体が南無阿弥陀仏 (4/13)

南無阿弥陀仏は無始よりあるのだけれども、しかしながら正しく私自身にあっては、南無阿弥陀仏は自分の一念帰命から始まる。しかし大行そのものからみれば始もないのであります。けれども本願成就ということを念ずれば、自分が救われた時そこに南無阿弥陀仏がある。自分にあっては南無阿弥陀仏は何時も信の一念から始って、そうして自分としては何時も信の一念にある。で、この南無阿弥陀仏は決して救われないものが救いを求めるところの祈ではない。既に救われた者の救われたところの喜びが南無阿弥陀仏。即ち喜びの体が南無阿弥陀仏であります。
(真宗の眼目第六講『本願を産むもの』より)

佛恩報謝 (4/12)

道光明朗超絶せり。朗かな光明ということは、朗らかな感情である。如来は光明なりと念ずる時、光明なりと念ずる自分が光明になる。佛が光明であるということは、それを念ずる自分も亦光明である、朗らかである。念佛に於て佛を念ずるを念持という。言ってみれば南無阿弥陀佛は念持の佛。黙祷をするという。何を黙祷しているか。黙祷というと頭を下げさえすれば黙祷。そういう訳でない。何を念じて居るか。私は自分に問うてみたい。どうも私は黙祷黙念というものはなかなか出来ないと思います。何を黙祷するか。光を黙祷する。光を念ずるけれども光というものは念ぜられるものではない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

佛知見の世界 (4/11)

そういうことは唯佛与佛の知見と申しまして、即ち佛知見の世界でありまして、純粋感情の佛の世界を我々人間が彼の此のという訳でない。それは皆佛の不可思議の御方便というものであって、それは吾々人間の知るところでない。ただ私共に現在与えられているものは、南無阿弥陀佛より外はない。ただ南無阿弥陀佛が与えられている。佛さまと申しても南無阿弥陀佛である。南無阿弥陀佛がおいでになる。こういうのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

歴史の体 (4/10)

それと同じように歴史というものは、三千年の時間というものが連続している。時間に連続がある。その時間の体を表わして南無阿弥陀佛。念佛を念ずるというと三千年も今の如し。又佛を念ずれば千里もここにあり。佛を念ずれば十万億土もここにあり。佛を念ずれば五劫思惟の本願も現在にあり。その南無阿弥陀佛というものを離れてみれば目前にありといくら冥想しても目前にない。だから南無阿弥陀佛というものは歴史の体である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

本当の歴史 (4/9)

だからして本当の歴史というものに眼を開いたところの人は、何時でも死んだ親に会うことが出来る。何時でも親は現前にある、其処に歴史がある。歴史のないただ個人主義の人間からみれば親が死んでしまえば親は過去へ行ってしまう。過去へ行ってしまうからしてこれはただ書物に書いてあるだけ。親は何処にいるか。過去帳の中にあり。過去帳は火事で燃えてしまいました。又書き直せばよいもの。要するに親は何処にあります。過去帳の中にあります。墓の中にいたり過去帳の中にいたり。そんなことじゃ情けない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

現生不退の念佛 (4/8)

本願名号正定業という。これはもはや一遍の中に無量無遍の念佛がおのずからあるから、一遍称えたら既に無限に続いて来る。之を現生不退の念佛という。本願名号正定業というのはそういう道理であります。だからして一遍も十遍も同じことである。一遍称えればもう一遍の中に十遍も百遍も、それを乃至という。乃至といえば大概の人はプラスすると思っている。乃至ということは沢山の念佛をプラスして行く、こう思っている。乃至ということは続いているということ。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

正定業の念佛 (4/7)

南無の始は常に信の一念に立つ。一生涯を貫ぬいて常に現に信の一念に立っている。だからして、信の一念というものに立って念佛が何時でも称えられる。南無阿弥陀佛は何時も始があるから何時も何時も新しい念佛が出て来る。新しく新しく生まれて来る。たった一遍でも本当の南無阿弥陀佛が称えたい。皆嘘の南無阿弥陀佛、本当の南無阿弥陀佛はない、それは南無阿弥陀佛というものの輪をみてそうして驚いて本当の南無阿弥陀佛が称えられない。自分が称えればみな直線の念佛になるのである。本当のお念佛は円となる。だから一生涯の間にたった一遍でも円まっこい念佛が称えてみたい。こういうのでありましょう。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

円満の大行 (4/6)

私は南無阿弥陀佛を何遍称えてみても、本当の南無阿弥陀佛が称えられない。一生涯にたった一遍でも本当の南無阿弥陀佛が称えてみたい。本当の南無阿弥陀佛と嘘の南無阿弥陀佛と二つある訳はない。本当の南無阿弥陀佛はただ一遍しかない。初から嘘と本当と二つ分けているからしていくら唱えても嘘しかない。本当のものはない。いくら皮を剥いてもいくら洗うても本当のものはない、終いになくなってしまう。薤の皮を剥くようなもの。薤の皮は、未だ皮があるか未だ皮があるかと思って剥くと終いに何も無うなる。これは直線の南無阿弥陀佛しか知らんもの。直線も真直ぐならよいけれども、まるきり稲妻みたような人にぶっつかる。南無阿弥陀佛あいつは憎い奴南無阿弥陀佛。念佛を唱えん佛とも法とも知らん奴を一つ驚かしてやれ南無阿弥陀佛。そういうような南無阿弥陀佛は直線だけれども今後は二つ続けて行くと、あっちへ曲ったりこっちへ曲ったりするものだから角が立つ。お念佛に角が立つ。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

円い南無阿弥陀佛 (4/5)

兎も角も南無阿弥陀佛――即ち本願力廻向――を円を以て描いて見ると正しく次の如くである。


それに反して念佛を自力の心で以て称えるならば、
    南無阿弥陀佛
    ――――――
と直線になっている。直線の念佛と円の念佛。開山聖人に、「行といふは即ち利他円満の大行なり」というようなお言葉がある。或は「大行とは、即ち無碍光如来のみ名を称するなり。斯の行は、即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり、極速円満す。真如一実の功徳寶海なり。かるがゆゑに大行と名づく。」利他円満の大行とか、極速円満とか南無阿弥陀佛の円ができる。縦の直線の南無阿弥陀佛はただ南無阿弥陀佛と固定して全く連続がない。一声一声孤立である。けれども円い南無阿弥陀佛は阿弥陀佛・南無、南無・阿弥陀佛と限りなく続いて来る。南無・阿弥陀佛とも聞えるし阿弥陀佛・南無とも聞える。自力念佛は力んで南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛といくら称えても南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛で切れてしまう。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

自分が救われれば (4/4)

親が子供のことを心配している。その親の自分が南無阿弥陀佛で以て一念帰命で助かって居るというと、子供が仮い南とも無とも知らずに死んでも、心配しなくともよい、やはり子供も助かって居る。俺は助かっているけれども自分の子は助かって居らない、そういうことは高慢な考で、自分の如きものすら助かっているのだ、だからして子供のことは心配も何も要らない。自分の如きものを助けて下さる佛さまであるからして、子供は南とも無とも聞えなかったけれども、必ず助けて下さる。自分が助かったということに依って世界中の人間が皆助かって居るいうことが分る。世界広しと雖も我一人助かっているが外の者は皆地獄に堕ちているだろう。そういうことはない。自分如き者すらこの通りはっきりとお助け間違ないという安心が出来るのだからして、もはや外の者は皆助かっている。何も他の人のことを心配することは要らぬ、自分について心配しないならば外の人についても心配は無用である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

自他一如、内外一如 (4/3)

畢竟南無阿弥陀佛の謂れが分って居ないから心配する。南無阿弥陀佛の謂れが分ったら人に聴かなくてもよい訳。人に聴いてそして自分の力で助かるのでない、佛の力で助けて戴くのである。だからして別に何も心配はない。親を亡い子を亡くした人々もそうでありましょう。自分が助かって居れば子供も助かって居るだろうということが直ぐ分る。俺はお念佛したから助かっているが子供はお念佛を知らんから迷って居ろう、そんなことはない。自分がお念佛で助かったら、自分の子供もお念佛で助かっているということは定っている。だから心配しないでもよい。手前の方がお念佛で助かって居らんから子供も助かって居らんだろうと云って、要らぬ心配をしているということになる。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

道は近きにあり (4/2)

親は自分の子供を見た時に、ああこれは自分の昔の姿で懐しい。俺の昔の姿はどんなものであろうかと幾ら考えても分らぬ。皺だらけのお婆さんが、自分が子供の時どんなであったろうかといくら沈思冥想して考えても分らぬ。何も沈思冥想することは要らない、自分の抱いているその孫が自分の子供の時の形である。冥想は要らない。その目前の事実を見るべきである。自分の懐しい子供の時の昔の姿は現在目前にある。何十年の昔の姿は現在眼の前にある。お婆さんが孫を可愛がるというのはそこから来た。自分の昔の姿が眼の前にあるからそれで可愛がる。母親が自分の子供を可愛がるのはそれは二十年前の自分の姿。お婆さんが孫を可愛がるのは六十年前の自分の姿。そういう道理を教えて下さるのはお念佛である。
(真宗の眼目より、一昨日の続き)

佛の子であるという自覚 (3/31)

大体南無阿弥陀佛は佛の正覚の名であるが、亦至心・信楽・欲生我国は因位法蔵菩薩の本願の体としての南無阿弥陀佛。だからその昔の或講者は、至心・信楽は名無の二字、欲生我国は阿弥陀佛の四字であると講釈して居ります。是は大いに道理あることと思います。だからして至心・信楽・欲生というのは因である。因の位にあっては三信、果の位にあっては念佛、だからして南無阿弥陀佛に於て三信を見出す。南無阿弥陀佛に就いて三信を見出すが、その三信は何処に見出すか。欲生我国に於て見出す。尤も三信の道理というものは深い道理があって、之をただこうであると一つに片付けることは出来ないでありましょう。三信については、詳細に今日お話出来ませんから略してお話して置くのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

願行一体、因果一体 (3/30)

だからこの南無阿弥陀佛に於て、佛あり、浄土あり、我あり、地獄あり、宿業あり、生死がある。しかし南無阿弥陀佛に浄土ありはよいけれども地獄ありは変でありましょう。けれども南無阿弥陀佛のないところに地獄もない。南無阿弥陀佛のところに初めて地獄を知らして貰う。南無阿弥陀佛に因って地獄一定を知らして貰う。地獄一定の我というのは南無阿弥陀佛の上にある。だからして南無阿弥陀佛に於て、迷あり、悟あり、亦佛あり、又我あり、浄土あり、地獄あり。南無阿弥陀佛の外に地獄もなく極楽もない、佛もなく我もない、ただ南無阿弥陀佛がある。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

名号の徳 (3/29)

光明の本願というも寿命の本願というも名号の外に何もない。阿弥陀如来は光であり又壽(いのち)であるが、その佛はただ南無阿弥陀佛と称うるところに現在なさるのである。その光の体は何であるか、則ち六字の名号が光の体をなす。如来はその名号に於て光明無量・寿命無量である。要するに光明・寿命の二無量の徳というも名号の徳である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

阿弥陀如来の別願 (3/28)

超世無上に摂取し
選択五劫思惟して
光明寿命の誓願を
大悲の本としたまへり


光明無量・寿命無量ということも詮ずるところ南無阿弥陀佛ということ。南無阿弥陀佛が光明無量・寿命無量ということ。南無阿弥陀佛を念ずれば佛の光明無量・寿命無量を念ずるのである。だからして南無阿弥陀佛を念ずる時に、光明無量・寿命無量皆南無阿弥陀佛の主になる。それを現生不退という。それがつまり光明無量・寿命無量の本願を起して下されたところの阿弥陀如来の別願というものである。こういうのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

光明無量・寿命無量 (3/27)

佛さまは光明無量・寿命無量という。阿弥陀如来ばかりでない。佛といえば皆光明無量・寿命無量。苟も佛さまはどんな佛さまでも法身・報身・応身と法・報・応の三身を具えてお居でになる。如何なる佛も皆光明無量でなければ佛でない――、寿命無量でなければ佛でない。苟も諸佛の報身というものは、皆光明無量・寿命無量に定っている。そうしてみれば、阿弥陀如来は光明無量・寿命無量であるのは当り前のこと。外の諸佛は当り前だから別に光明無量の願・寿命無量の願というものは起されない、本願はなくとも皆光明無量・寿命無量。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

無量寿 (3/26)

本願成就ということは、我々が助かって初めて本願成就。助かった人が本願成就を知って、助からん人は本願成就は知らないのである。「弥陀成佛のこのかたは、いまに十劫をへたまへり」これは助かった人の助かった喜びを言ったのである。自分が助かったことについてその御助けの由って来たことの如来の御心の遙かに遠く、又尽未来際まで如来の御本願というものは、生きて現在して働いて下さるということを、「弥陀成佛のこのかたは、いまに十劫をへたまへり・・・・・」という。救われない者が、弥陀成佛のこのかたは今に十劫をへたまえりと云うのでないのです。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

本願成就 (3/25)

それだからしてそれを暫く名号の上に就いて云えば、実体は何処にあるかと云えば因位永劫の間に於て南無阿弥陀佛は願としてあった。それが十劫正覚の本願成就の時に即ち行となって六字の言葉として出来上った。それまではただ一つの思想と云いますか、内なる願としてある。しかしながら今み名の六字に就いて申しますれば、南無は願なり阿弥陀佛は行なり。その六字の中に於て、初の南無ということは内にあるところの願。阿弥陀佛は外に顕われたところの行。また因位に於けるところの南無阿弥陀佛はみな願である。果上に於けるところの南無阿弥陀佛はみな行である、そういう工合になります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

念佛の道理 (3/24)

一念発起平生業成というのは、ただ何もない空中の一念発起というのでないのでありまして、行体について一念発起平生業成の道理を戴く。それをはっきりしないものだから、いや『御文』の御化導はいろいろあるの、いや開山聖人と蓮如上人の境地が違うの、いやどうのこうのと、さまざまなことを云うけれども、念佛を披いて置いて、ただ教化というものだけみている。それだものだからさまざまの御教化がある。こういうのだけれども、念佛の行体についていろいろみているのである。だからして結帰するところは、一念発起平生業成ということであります。
(真宗の眼目第五講『至心信楽は欲生に始まる』より)

一人に引受けて (3/23)

一体阿弥陀如来の御本願というものは十方三世の諸仏が皆さんがなさるべきことを法蔵菩薩が、たった一人に引受けて御修行なされた。我々各自各自に荷うて行かねばならぬところの業の問題を、法蔵菩薩がたった一人に引受けて、そうして御修行なされた。そういう御本願であるから聖人はその御本願をたった一人に引受けての言葉というものは皆感動する。だからして唯圓大徳も亦聖人の如くたった一人に引受けた。そして『歎異抄』を書いた。『歎異抄』が今日我々に感動を与えるのも、聖人の御教訓を唯圓大徳たった一人自分一人に引受けて書かれたからである。だから『歎異抄』を読む人は『歎異抄』の御言葉というものを皆各自各自一人一人に引受けて、聴聞することが出来るようになっている。それが有難い。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

引受ける (3/22)

これは悪い話であるがそれを善い方にしたらどうか。悪いことを引受けて腹を立てる。よい方を引受けたら喜ぶ。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、」同じ一人に引受ける。

 さればそくばくの業をもちける身にてあり
 けるを、たすけんとおぼしめしたちける本
 願のかたじけなさよと、御述懐さふらひし
 ことを、いままた案ずるに、善導の、自身
 はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこの
 かた、つねにしづみつねに流転して、出離
 の縁あることなき身としれという金言に、
 すこしもたがはせおはしまさず。さればか
 たじけなくも、わが御身にひきかけて、わ
 れらが身の罪悪のふかきほどをもしらず、
 如来の御恩のたかきことをもしらずして、
 まよへるを、おもひしらせんがためにてさ
 ふらひけり。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

受 (3/21)

これについて『成唯識論』という書物がある。その書物を読んで行くとだんだん心の働きを書いて「受ける」という働きがある。受けるという働きに就いては、受けるということは重大な心の働きであると昔から考えられているものと見えて、印度の仏教の学問の上に於ては、受けるという働きに就いていろいろの説がある。小乗二十部と申しまして小乗教に二十部の学派が分れて、受けるということに就いていろいろの説があって争うているのであります。『成唯識論』は玄弉三蔵が天親菩薩の『唯識三十頌』という書物を解釈されましたものでありますが、その『成唯識論』を今度は玄弉三蔵の弟子の慈恩大師が『述記』という註釈書を書いて解釈された。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

信受 (3/20)

是は外のことでちょっと思い付いたから、思い付いた時に云って置かんと忘れるから、お話申して置きましょう。それは受けるということであります。

弥陀の報土をねがふひと
外儀のすがたはことなりと
本願名号信受して
寤寐にわするゝことなかれ


「本願名号信受して」とある。信受は信じ受けるということ。信じ受けるということはどういうことであろうか。昔の学者達は信受するということは真受けにすることである、こう解釈する。信はまことである、受はうける。まことに受ける。真受けにすることである。こう解釈している。それでもよい。それでもよいけれどもしかしながらそんなふうに解釈してそれで既に分ったということになるというと、それでは少し足らんと思う。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

人間の愚かさ (3/19)

大概人間は喜ぶと云えば喜び、悲しむと云えば悲しむ。悲しむ時にはただ徒らに悲しみ、喜ぶ時にはただ徒らに喜ぶ。因にあっては徒らに悲しみ果にあっては徒らに喜ぶ。之を放蕩三昧という。因にあっても亦喜びを忘れず、果にあっても悲しみを忘れず。因と果と一貫して変らない。因果一如である。これは如来の方の生活である。人間は忽ちにして悲しみ忽ちにして怒る。悲しんで喜びを忘れ、楽しんで憂いを忘れる。これが人間の愚かさであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

正定業 (3/18)

正定の定とはさだまるということ。けれども我々は正定業を、業をさだめると読んでいる人が沢山ないか。正定とはただしくさだまるなり。さだめるのは邪定なり。邪定とは邪にさだめるなり、正定とは正しくさだまるなり。さだまるのが正定、さだめるのが邪定。さだめるのは人間が勝手にきめる。さだまるのは如来の方より自然法爾にきめて下さる。自分からきめる者は人間自分の我が邪に定める。法の上に定まらんからまた不定と云う。さだめるはさだまらざるなり。きめればきめる程愈々きまらない。それを邪定、不定と云う。邪定は即ち不定なり。それだからして如来の力で定めて戴く。往生は如来の方より治定せしめたまう。それを正定と云う。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

欲生我国の具体化 (3/17)

願というものは大事なものだ。信が清浄であるか不浄であるか信を決定するところの自覚原理は願である。だから願清浄ならば信清浄なり。願不浄ならば信不浄なり。願自力ならば信自力なり。願他力なるが故に信初めて他力なり。だから仏法の学問は願の学問である。願というものに眼を開いて初めて行というものがある。願をのけて行ばかりみているからして、俺はこんな立派な行をしたと云うことになる。その行の後にある願がどんな願か、それの自覚原理の願というものをみればよい。
(真宗の眼目より、昨日の続き。一部既出、一部省略)

煩悩具足の凡夫 (3/16)

俺が念仏するのだぞ、こう云ったら往生は全く定まらない。念仏して、それを、それを手段にして―念仏が是の踏み台と考えている、勿体ないことである。念仏を踏み台にしてそうして往生を願求する。念仏を踏み台にして二階の浄土へ往生しよう。念仏はただの因である。往生はただの果である。因はプラスとマイナスである。之を数字の式で表わせば、因−果=0何も無くなる。折角何十年の間働いた。やれやれと楽をしたらば病気してしまってコロッと死んでしまった。因−果=0。人間のすることは大体そういうもの。皆零、何もない。馬鹿らしいもの。六十年の間難儀苦労して来た、そうして財産を貯めて自分の子供が幸福になるようにと欲って来た。扨て、俺の目の黒い内に、早自分の息子が放蕩して忽ちにつかい果してしまった。何処へ行っても、因−果=0。ああつまらん。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

他力招喚 (3/15)

この欲生我国を人間の思想だと考えている人がある。欲生我国は如来招喚の言葉である。具体的事実としての欲生我国を今更に見出したのが、それが如来が諸有の衆生を招喚したまう勅命であり、具体的現行即ち歴史的事実、則ち欲生我国に於て初めて歴史的事実として具体的なものを見出した。その具体的なものは何であるか、南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏の中に欲生我国を見出した。我々は久しい間南無阿弥陀仏をのけものにして欲生我国を考えて居った。然るに我が聖人は南無阿弥陀仏に於て初めて欲生我国の如来の招喚を見出した。それを知らしめて下さるのは本願成就の文の「至心に廻向したまへり」ということである。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

信の一念 (3/14)

で、私共は時と云う、時節到来と云う、信の一念は時節である。「夫れ真実の信楽を按ずるに、信楽に一念有り、一念とは斯れ信楽開発の時尅の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。」信の一念というは時節の一念である。信楽開発の時節の極促を顕わす。ああいう言葉がありますが、あの時節という言葉は何を顕わすか。親鸞聖人があの時節という言葉を本当に体験なされたのは恐らくは第二十の願の果遂の誓を発見せられたことが、時節ということを見出されたことであります。ああいう御釋というものは、今申しますようにこれはただ雑行を捨てて本願に帰すというようなそんなところへ出て来ないのであります。雑行を捨てて本願に帰するということは、蛇が皮を脱いだようなもので、新しい皮が出来たから古い皮を捨てた。着物が小さくなったからそれを脱ぎ捨てて大きい着物を着た。大きい着物が出来たから小さい着物は窮屈だから脱ぎ捨てたというものでありましょうか。そんなようなことでは本当の信の一念ということはない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

果遂の誓 (3/13)

それは兎も角としまして二十願の果遂の誓というものは、親鸞聖人が『化身土巻』にお述べになりました。その果遂の誓ということに就いてもっとお話をしたいと思います。果遂の誓ということを知らん時には何か知らん自力を捨てて他力に帰するということは、自分の力で自力を捨て自分の力で他力に帰入するものと考えている。他力といってもその門を開くのは自力であろう、こんなように考える。まあ今日の学者はそう思っているのです。だから結局世には他力本願と云うけれども自力本願がなくては真の他力の門は開けんではないか。まあぼた餅は棚にある、落ちて来るのを待っている。鼠が騒いで猫が飛んで来たために牡丹餅が口の中へ棚から落ちて来た。そういうようなことを待っているのが他力だと、そういう工合に何時でも僥倖を待っているのである。このような人は真の他力本願を知らない愚か者であって、他力の廻向を得るには自力の努力によって他力の来る機会を作る。機会は自力本願である。こういうのが大概今の世の常識者の考えでありましょう。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

道理の学問 (3/12)

論理の学問には内には平安・安心がない。外には平和がない。平和というものはただ外にだけあるものではない。外に平和の世界を現わすのには内に心の平安がなければならぬ。内の安心を除けものにして外にのみ平和を唱えている人がある。つまり云ってみれば、外の平和の為に内に闘争する。つまり外の闘争を内に向けるのが、それが一つの修養だと考えている人がある。つまり凡人は内の闘争を外に向ける、偉人は外の闘争を内に向ける、こういうように考えている。
(真宗の眼目より、既出)

道理と理論 (3/11)

聖道門は理論本位であるに対し、浄土門は理論を離れて道理に帰する、それを「義なきを義とす」と云う。理論を超えて道理がある。「念仏には、義なきをもて義とす。不可称・不可説・不可思議のゆへにと、」理論がないからと云って、道理までない訳はない。理論がなくなるとき本当の道理が顕われるのであります。理論は他を征伏し勝つところの武器である。理論のあるところには常に平地に波を起す。つまり理論の世界は争いの世界。理論は争いのないところへ争いを起す。道理が明らかになれば長い間の争いも止む。それが道理と理論或は論理と道理の違いであります。
(真宗の眼目より、既出)

義なきを義とす (3/10)

総じて廻向とか転入とかいうことは、我々の心の方向の徹底的転換を決定して行くべき枢機をいうことであります。だから法の善巧摂化に就いては主として廻向と云い、機の進趣展開にあっては特に転入と云うのである。この二つは観点の相違であって体が二つあるのではないのであります。それ故に大行を廻向するとか信心を廻向するとか云う時には、行は法、信は機と云うけれども行信と云う時はやはり行も信も一体として、これを総べて法の位に就いて廻向という。随って信心廻向と云う時にも法の位に置き如来の真実と名号に就いて云う。
(真宗の眼目より、一部既出)

果遂の誓 (3/8)

だからして十九の願は、法然上人の禅坊の樞を叩いた時に解決したのである。けれども二十願というものは今まで知らなかった。知らなかったが、法然上人の教を受けた時に二十願というものがもう一つあるところの理由を今更に発見した。十九の願というものは前に分って居った。二十願というものは今まで知らなかった。一体十九願を捨てて十八願に入ることは、どうして出来るか。二十願という媒介者があって入る。十九願を捨てて二十願へ入った。十九願と十八願はどういう関係を有つか。二十願が果遂の誓という。大概の人は転向ということは、此を捨て、彼を取る。ただそう簡単に云っているけれども、誰がこれを捨てしめるか。誰がこれを取らしめるか。結婚にも媒介者がある。正しい結婚は媒介者がある。仮い自由結婚でも何かの形に於てやはり媒介者というものがなければ本当の結婚にはならない。そのように十九の願を捨てて十八願に入った。自力雑行を捨てて他力本願に帰入した。他力本願を信じた、他力本願の信心を獲ただけであっては他力廻向の信心を得たという証拠にならない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

実践上の不審 (3/7)

例えば『歎異抄』の第九章「念仏まうしさふらへども云々」と唯圓大徳がお尋ねなされた。この時「親鸞もこの不審ありつるに」ありつるにということは、つるということは昔から現在でもある。恐らくは嘗て法然上人に対して問われたところの問であったに違いないと思われる。しかしその証拠はない。「念仏まうしさふらへども、勇躍歓喜のこころ、をろそかにさふらうこと、またいそぎ浄土へまひりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらうべきことにてさふらうやらんと、まうしいれてさふらひしかれば、親鸞もこの不審ありつるに、唯圓房おなじこころにてありけり。」これは昔我が聖人がやはりその通り法然上人にお尋ねになって居られたのであろう。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

迷は内にある (3/6)

それは勿論法然上人の教を受ける前にも自分の罪深いこと、生死無常ということを自覚しないではない。けれどもしかしながら上人の教を受けるまではそういうものは外にあるものだと思って居った。しかしながら法然上人の教を受けてから、それは内にあるものだということを初めて知らして貰った。今迄は罪は外にあるのだ。こう教えて貰った。迷は外にあると教えて貰った。又そういうものと思って居った。上人の教を受けて初めて迷は内にあるということを自分は感ずることが出来るようになった。そこに我が聖人は深き悩みを有っておいでになったのでありましょう。だからして我が聖人は、この三百八十余人の門侶の中に唯一人孤独の境地に居られたに違いない。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

自力の雲霧 (3/5)

聖人が若い時に書いて置かれた手帖を出して、建仁元年の幾日の日に自分は雑行を捨てて本願に帰した。こういうお言葉はそれは外のことではない、正しく法然上人にお会いなされた時の記録であった。だからしてその時に第十九の願、後から考えれば第十九の願の萬行諸善の仮門を出でて、雙樹林下の往生を離る。こうある。そうして善本・徳本の真門に廻入した。そうして難思往生の心を起した。ちょっと考えると如何にも未だ法然上人のお膝下へ入った時は半自力・半他力で、十九の願から二十の願へ入った。ただそれだけだと今の学者は思っている。我々もそう思った。けれどもそうではないであろう。あの真門といい難思往生という、あれが即ち二十願の名前である。それが即ち十八願中の二十願である。二十願は十八願の中にある。十九の願は第十八願の外にある。だから十九の願を出でて十八願に帰入する。けれども二十の願は第十八の願の中にある。第十八願の外に十九の願あり、第十八願の内に二十願がある。十九・二十願共に十八願の外にあると我々は久しく思って居った。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

先達者 (3/4)

二十九歳の時に法然上人の御名声は恐らくは既に夙くから御聞きになって居ったに違いない。しかしながら聖人は偏に楞厳横川の恵心僧都の遺徳を慕うた。恵心僧都の行跡を深く慕われた。この比叡山横川に隠れて、そうして静かに厭離穢土・欣求浄土、静かに念仏の行を修しておいでになりましたところの、床しい源信和尚の行跡を深く慕うて居られた。随って法然上人が比叡山から出て、そうして専修念仏の旗を掲げて、そうして廃立の狼烟を勇ましく挙げ、選択本願の叫びを勇ましく叫ばれたところの行き方に就いては必ずしも我が開山聖人は、それに心を引かれなかった違いない。寧ろ反抗を持って居られたに違いない。法然上人を知って居ったら早く法然上人の所へお行きになりそうである。けれどもそれに行かれなかったということは、法然上人に対して敬慕の心を持って居られたのでなく寧ろ反抗心を持って居られたのでないかと思うのであります。けれども証拠がないからそうだとは私は云えない。恵心僧都のようにすべきか法然上人のようにすべきか。こう云うと我が聖人の御心から云えば、恵心僧都の跡を慕うて行くべきであって、法然上人の御跡を慕うて行くべきものでない。こういうようにお考えになったのであろうということは、必ずしも私自身の独断であるとは思わぬのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

一念帰命 (3/3)

転入は一念にある。何かはっきりして居らんようだけれども、暫く開山聖人は時間を異にしているが如くお述べになっているようであります。しかしながら真実のことを云えば、転入は一念にあり。一念発起のところに転入がある。即ち転入と云うことは或は廻心ともいう。廻心はただ一度あるべし。一念帰命はただ一度である。その一念帰命のところにそこに十九の願を捨てて第十八願に帰入する。その第十八願の中に又二十願がある。二十願というものは第十八願の中にある。十九の願は第十八願の外にある。二十願は第十八願の中にある。内と外ということで云えばそうあるのでないか。十九の願二十の願は皆第十八の願の外にあると一般に考えられているようである。けれども果してそうであろうか。
(真宗の眼目より、一部既出)

三願転入と廻向 (2/27)

で、もう一つ言葉を換えて云えば、願が自力であれば信は自力である。なぜ信が自力であるかと云えば、内なる願が自力であるからである。信心が他力であるということは願が他力であるということに因るのである。だからして信がおのずから他力信心であるということは何が証明するかと云えば内なる願が証明する。信心が他力であるというようなことは、信が信としての位に於て、証明することはできない。信が自ら深く限りなく内観して、信が内なる願を観ずることに依って、信が他力信心であるということを明らかにする。即ち信が他力廻向の信である。他力本願成就の信ということは即ち信を内より照らすところの願に依って初めて証明せらるるものである。こう私は言いたいのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き。一部既出、一部省略)

至心・信楽・欲生 (2/26)

浄土真宗は信心為本である。その信心というのは他力信心である。その他力信心というのは一般的に云えば、本願他力を信ずるところの信心である。こういう意義であります。しかしながら真宗の特別の意義から申しますれば、本願力から廻向せられたる信心ということである。こういうところからして至心・信楽・欲生の三心は一体でありますが、従来の多くの学者達が三心中に於ては信楽を以て根本とするということのみを強張して、その信楽を本とする所以は如何ということになるというと、その意義が甚だ明瞭を欠いていた。それは何であるか云いますと、即ち欲生我国ということの本当の意味が明瞭になって居らないからである。欲生我国は他力信心、即ち他力廻向の信心、他力信心ということは之を自分の自覚に訴え、その他力廻向ということを欲生我国が自証するものである。
(真宗の眼目より。既出、一部省略)

易行の本願 (2/25)

生きている限りお念佛は称えられる。そういうところに佛さまの念佛の本願、称名の本願というものを起されたということがある。易行の本願。称え易く持ち易くと仰せられるのはそういうところにある。尤もそれだけでありません。もっと詳しくお話しなければならぬのですが、まあそんなようなことまで考えて来る。だからして我々は何か佛さまというと、やはり人間みたような形でなければ満足しないのだ。
(真宗の眼目より、昨日の続き。一部省略)

光の佛さま (2/24)

で、私共はその名号の上にその名号の徳を述べて、或は十万億土の浄土と云い或は十劫正覚の阿弥陀と申上げる。これは皆その名号の上におのずから感ずるところの一つの純粋感情である。その感情を述べているのであります。そこに理論もなければ理屈もない。その外に佛がなければならなぬ、それがなければたすからない、我々は安心せられない、そういうことではありません。ただ南無阿弥陀佛のお念佛だけで沢山、これが浄土真宗である。それは何であるかといえば昔の法蔵菩薩の五劫兆載永劫の御苦労で南無阿弥陀佛が成就した。阿弥陀如来が正覚を御取りなされた。この如来は光である。光の佛さまである。尽十方無碍光如来。
(真宗の眼目より、一部既出)

六字の名号 (2/23)

総べて本願力というものがある。その本願力というものは南無阿弥陀佛のことである。南無は是れ本願である。南無は是れ昔の法蔵菩薩の四十八願である。阿弥陀佛の四字は今日の阿弥陀如来の自在神力である。だからしてもはやその外に佛さまの仕事は何もない。だから私共はもう南無阿弥陀佛を頼めばよい。南無阿弥陀佛以外に佛さまを頼む必要はないのである。もう一つ云えば南無阿弥陀佛だけがある。南無阿弥陀佛の外に佛さまはないものだ。こう云うてもよい。この六字の中に佛さまはおいでになる。阿弥陀如来という御方は六字の中においでになる佛さまである。阿弥陀如来とはどんな御方であるか。六字の名号が阿弥陀如来である。それが本願力である、だからして如来の本願力というのは南無阿弥陀佛である。
(真宗の眼目より、既出)

佛法のおたすけ (2/22)

浄土真宗では、佛さまは如来の本願力に依ってたすけたまう。だからして佛さまは別に何もなさらん。本願力というものを成就しておいでになる。本願力を成就して下されてあるからひとりにたすけられる。本願力南無阿弥陀佛を成就してあるからして、もうただ法爾自然にたすかる。自然法爾にたすかるべきところの法を成就して、そうしてたすけて下さる。ところが外の教はそうではなく、神さまが何か不思議の力を以てたすけて下さるのである、こういうふうに教えている。ところが佛教だけはそうでなくて本願というものがあって、本願というのは別に佛さまが一人一人をたすけてやるというのではないのでありまして、諸有るもののたすかるべきところの法を成就して、あらゆるものを平等にたすける。そうして佛はもう何もしないでよい、まあ寝ていなさい。そこでもう一つ云えば、法さえ成就すれば佛さまは何も用はない。佛さまは何もしないで、法さえ成就すれば、法で衆生はひとりたすかって行く。それが佛法であります。
(真宗の眼目より、一部既出)

欲生の燈火 (2/21)

だからして信楽の中に欲生の燈火を点す。この信楽が純粋である為には信楽が自ら欲生という燈火を点して、或は欲生というところの一つの鏡を前に置いて、そうして信楽が自分自身の汚れを照らす。自分自身の穢れを示して呉れるから、ちょうど女の人が鏡を見て自分の顔が汚れていることが分って、自分の顔を洗うと同じように、信楽が自らの純粋を証明する為に欲生の鏡をそこに開いて、そうして信楽を照らす。信楽を照らすとともに又信楽と欲生というものは要するに合せ鏡のような関係を持っているだろうと思われるのであります。信楽は欲生を以て信楽を照らす、同時に又信楽が欲生を照らすというようにして行って居ろうと思われます。で、私共は佛さまというと何か神秘的、佛さまが我々をたすけて下さるということは何か神秘的な働きである、こんなふうに思う。
(真宗の眼目より、2/19の続き

純粋感情 (2/19)

兎に角一念帰命のところに現生不退に至るという。その事実を南無阿弥陀佛を以て現わす。だから別に南無阿弥陀佛ということは、未来往生というようなことを表に立てているのでないのでありまして、これは正しく現生不退ということを示している。決して未来往生というものを語っているのでない。それは称える念佛行の事実の上に、一念帰命現生不退ということを語っている、こういうのであります。これはつまり開山聖人の『教行信證』の教であり、又蓮如上人の『御文』の教である。又そして憶念の信がある。憶念の信というのは何を憶念するのであるかというと、欲生我国、そこに憶念の信があり自覚の原理があります。そこに憶念の信つねにして、益々内より内に無限に進む、無限に自分を掘り下げて行く、それが欲生我国である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

南無阿弥陀佛の本質 (2/18)

正定聚に住するということが、先程も申しました欲生我国ということである。欲生我国というところの一面には、正定聚に住するということが成立する。その信の一念は正定聚の位に至るというその二つを総合するものが欲生我国というものである。だからして暫く因と果とを別けて、前念命終・後念即生。他力信心は前念命終の因であります。それからして正定聚に住するということは、これは後念即生の結果である。因果一体である。因果一体なるところの自覚原理がそれが欲生我国である。そこの道理を明らかにするのが「正定聚に住するが故に必ず滅度に至る」という「故に」である。だからして正定聚も入用だし滅度も入用、二つ別なものでもよいが二つどちらも同格に入用、こんなふうに『御文』を読んで居るならば間違である。
(真宗の眼目より、2/8の続き)

浄土真宗の精神 (2/17)

私は念佛に就いても、本願に就いても、信心に就いても、又大行に就いても、往生に就いても、総べて皆欲生が之を示すのである。欲生が我々の進むべき方向を示し、又欲生が今我々の居るところの現在を示して居るものである。又『大無量寿経』一部というものは、総べて欲生我国の内面を開顕したものである。欲生我国の純粋なる内面を開顕したものがそれが南無阿弥陀佛であり、それが『大無量寿経』である。その欲生我国の現われた外側を描き出したのが『観無量寿経』であり『阿弥陀経』である。
(真宗の眼目より、2/15の続き)

欲生心 (2/15)

その欲生心に依って往相廻向・還相廻向ということが成立つ、それに依って我が往生成佛ということが成立つ。それに依って我が本当に救われる欲生心のところに、我々の現生の救いが自覚せられ、未来成佛の自証がある。それは欲生心は本当に如来の救いの原理であるとともに、又救いを自証するところの原理である。そうしてそこに如来の真実を証明する。欲生心が如来の真実を証明する。否、あらゆる真実と方便と、正しきこと邪まなること、総べての正邪・真偽の判別をするところのその根本の原理は欲生我国というところにある。それが外道であるか本当の佛道を修して居るかということは、欲生我国が之を示す。邪道であるか正道であるかということを示すのは欲生我国である。
(真宗の眼目より、2/12の続き)

佛の智慧 (2/12)

随分重大な深い意義をもつ信心が、ただ教を信ずるというようなものでのうて、本当に機法一体というようなことは何処にあるかと云ってみると、欲生我国というところにある。本当の機の中の機である。信楽は法の中の機である。欲生は機の中の機である。それがなければ第十八願はないものである。それがなければ十九・二十の願もないものである。こういう重大な意義を「至心に信楽して我が国生まれんと欲え」。こういうことを開山聖人は願成就の文に依って見出された。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

他力廻向の信心 (2/11)

欲生我国は至心信楽の眼目である、本当の信楽の中心が欲生我国である。されば我が祖聖人は、如来が諸有の衆生を招喚したまう勅命であり、それから信楽が如来廻向の信楽であるということは、信が内に欲生を開顕することに依って之を証明しなければならぬ。言い換えれば他力を信ずると云われるけれども欲生がなければ他力を信ずるという信心というも心にただ他力だと信ずるということであって、その信ずるということは単なる主観的の意義しかないのでありまして、それの客観的事実であることは欲生心に依って初めて証明しなければならぬ。だからして第十八願の欲生我国は、内には他力を信ずる信心が他力廻向の信心であるということ、即ち能信の信楽が他力廻向であるということを証明し、外には十九・二十の願というものをそれから開顕しまして、そうして十九・二十の願の自力廻向の行動を否定するものである。つまり自力廻向を捨てて他力の信楽を開顕するところのその契機たるものが欲生我国である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

欲生我国 (2/10)

ただ他力を信ずる信心では、終に臨終現前というところへ堕ちて行かねばならぬのであります。他力廻向の信心というその大きな大自覚の体験に由って初めて一念帰命の真実信心を獲て、無上涅槃に於て現生不退の益を得る。それに依って本願成就ということが証明されることとなったのであります。
 翻って本願の上に之を求めてみるというと、至心信楽欲生我国とある。あの欲生我国というところにそこに如来の廻向心がある。自力を捨てて三願転入する。即ち三願転入の樞機というものはここにあるということを、我が祖師聖人は感得せられたのであります。ここに初めて平生業成ということが明らかになって来た。昔より浄土真宗の上に於て、三願転入ということをいうけれども、第十八願・第十九願・第二十願というものが、皆別のものだと考えられて居る。十八・十九・二十の三願が初から別のものだと考えられて居るならば、それでは本当の三願転入ということは成立たぬのである。本願が本願自らを証明するところのその原理は何処にあるかといえば、即ちこの欲生我国というところにある。
(真宗の眼目より、1月18日の続き)

正定聚 (2/8)

そうすると『御文』と違うのじゃないかと。『御文』一帖目第四通を拝読すると、「問ていはく、正定と滅度とは一益とこヽろうべきか、また二益とこヽろうべきや。答ていはく、一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。つぎに滅度とは浄土にてうべき益にてあるなりとこヽろうべきなり。されば二益なりとおもふべきものなり。」正定聚と滅度の益は二つ別なものである、正定聚は穢土の益、滅度は浄土の益、だからして二益である、こう書いてある。ちょっとみると私の云う正定聚と滅度は一体である、正定聚即ち必至滅度の体勢である。こう云うのと『御文』の御化導と違うようである。こういう疑を有つ人があるかも知れない。けれども私はもう一度『御文』をよく拝読する必要があると思う。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

現生不退 (2/7)

「眞宗一流の安心の体は、南無阿弥陀佛の六字のすがたなりと知るべし」。六字の名号を体としてそこに一念帰命の信心を見出す。その一念帰命を見出すことに依って、同時に立所に現生正定聚に至る、だから六字の名号は一念発起平生業成の道理で、南無阿弥陀佛の行体の上に、一念帰命、平生業成、現生不退の位に至らしむる。そして満足して、これだけでもう何の不足もない。一念帰命のところに現生不退に住する。現生不退は本願の利益の只半分のものだ、もう半分はお預りだ、こんなふうに考えたら大きな間違である。今有っている方は半分だ、けれどもそれは値打のない小さな半分である、あとの半分があるからしてそれが尊いのである、あとの半分は未来の無上涅槃。現生正定聚の今の半分は位が卑しい、後の半分の無上涅槃は尊いもの、それはお預り、こんなふうに思ったら間違である。
(真宗の眼目より)

回向と転入 (2/4)

総じて廻向とか転入とかいうことは、我々の心の方向の徹底的転換を決定して行くべき枢機をいうことであります。だから法の善巧摂化に就いては主として廻向と云い、機の進趣展開にあっては特に転入と云うのである。この二つは観点の相違であって体が二つあるのではないのであります。それ故に大行を廻向するとか信心を廻向するとか云う時には、行は法、信は機と云うけれども行信と云う時はやはり行も信も一体として、これを総べて法の位に就いて廻向という。随って信心廻向と云う時にも法の位に置き如来の真実と名号に就いて云う。それに対し、廻心・一念発起と云う時には機の受得に就いて云う。信の一念というものは仏から貰うと云うが、仏から忽然として貰う、そんなふうに偶然に信の一念を戴くという秘事法門などというものは皆神秘主義の悪用であります。神秘主義必ずしも秘事法門ではない。けれども神秘主義というものを人間が悪用して、そうして何か私のさまざまのペテンの道具にした時に秘事法門というふうになる。神秘主義にも可なり深いものもある、こう思います。
(真宗の眼目より)

円い南無阿弥陀佛 (2/3)

開山聖人に、「行といふは即ち利他円満の大行なり」というようなお言葉がある。或は「大行とは、即ち無碍光如来のみ名を称するなり。斯の行は、即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり、極速円満す。真如一実の功徳寶海なり。かるがゆゑに大行と名づく。」利他円満の大行とか、極速円満とか南無阿弥陀佛の円ができる。縦の直線の南無阿弥陀佛はただ南無阿弥陀佛と固定して全く連続がない。一声一声孤立である。けれども円い南無阿弥陀佛は阿弥陀佛・南無、南無・阿弥陀佛と限りなく続いて来る。南無・阿弥陀佛とも聞えるし阿弥陀佛・南無とも聞える。自力念佛は力んで南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛といくら称えても南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛で切れてしまう。本願力自然に出て来ておいでになる南無阿弥陀佛は、南無阿弥陀佛とも聞えるし阿弥陀佛南無とも聞える。南無阿弥陀佛と称えているようでもあるし、阿弥陀佛南無と称えているようでもある。南無阿弥陀佛と云っているかと思うといつの間にか、阿弥陀佛南無と言っている。これはまあ一つの説明になるけれども、実は事実であります。
(真宗の眼目より)

本願力 (1/31)

総べて本願力というものがある。その本願力というものは南無阿弥陀佛のことである。南無は是れ本願である。南無は是れ昔の法蔵菩薩の四十八願である。阿弥陀佛の四字は今日の阿弥陀如来の自在神力である。だからしてもはやその外に佛さまの仕事は何もない。だから私共はもう南無阿弥陀佛を頼めばよい。南無阿弥陀佛以外に佛さまを頼む必要はないのである。もう一つ云えば南無阿弥陀佛だけがある。南無阿弥陀佛の外に佛さまはないものだ。こう云うてもよい。
(真宗の眼目より)

佛法のおたすけ (1/30)

浄土真宗では、佛さまは如来の本願力に依ってたすけたまう。だからして佛さまは別に何もなさらん。本願力というものを成就しておいでになる。本願力を成就して下されてあるからひとりにたすけられる。本願力南無阿弥陀佛を成就してあるからして、もうただ法爾自然にたすかる。自然法爾にたすかるべきところの法を成就して、そうしてたすけて下さる。ところが外の教はそうではなく、神さまが何か不思議の力を以てたすけて下さるのである、こういうふうに教えている。ところが佛教だけはそうでなくて本願というものがあって、本願というのは別に佛さまが一人一人をたすけてやるというのではないのでありまして、諸有るもののたすかるべきところの法を成就して、あらゆるものを平等にたすける。そうして佛はもう何もしないでよい、まあ寝ていなさい。
(真宗の眼目より)

回思向道 (1/28)

善導大師の『観経』の廻向発願心を解釈なさるについての第一の釈は自力の廻向である。廻因向果と申しまして、世間・出世間の因行の雑多なるものを廻して浄土往生の果に向わしめるというのであります。(中略)第二の解釈は廻思向道、人間の自力の思慮分別、前に述べたる廻因向果の計いを回転転捨して、そうして如来の本願の大道に趣向せしめる、それを廻思向道という。これは他力の廻向である。それで開山聖人は願成就の文の至心廻向の四字を「至心に廻向し給へり」と読まれた。如来の真実の願心よりして、真実なる名号を以て吾等に廻向し給うのである。

信の原理は願である (1/25)

全体この信の原理は願である。信というものはつまり内に深重なる祈り、即ち願というものがあって、その願に因って決定されるのである。信を決定するのは願である。つまり信の因は願である。信は願の結果である。こういう工合に云って差支ないだろうと思います。即ち願が清浄ならば信は清浄であり、願が不浄であれば信心が亦不浄である。願が穢れて居れば信心が亦穢れる、願が純粋であれば信心が亦従って純粋である。願が濁り不純粋であれば、信心が亦濁って、そうして不純粋である。信の純粋不純粋、清浄と混濁とを分つところの、その内なる因は願である。願が信を決定するものである。信が願を決定するのではなくて、願が信を決定する。こういうことを言って差支えなかろうと思う。
(真宗の眼目より)
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