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拝顔

いつものように朝のお勤めに本堂へ行きまして、中尊前の上卓にお仏飯をあげたのですが、ふと気がつきました。

初めてではないのです、そういえば今までにも何度か気がつくことはあったのですが、私はご本尊さまの眼が見られません。お顔でさえ、殆ど見られません。お足下をのぞき見するようなことばかりです。

たとえば、まったくお恥ずかしい話ですが、ネットの世界では「やけに肌色の多い画像」などというものは見ようと思えばすぐに見られるわけで、そういうものを見て「おっぱい、触ってみたなぁ〜」などとしばし夢想するようなことを、この歳になってもするわけです。

考えてみればもう30年以上女性の手さえ触ったことがないので、恥ずかしながらときどき「やけに肌色の多い画像」を見たりするわけです。

あるいは、次に法要があっていくらかの「おとき米」がいただけるのは来月下旬なのですが、もうお米を入れたお櫃が空になっていて、おそらく去年春にいただいたお米を炊いているのですが、それも残り少なくなっていまして、このところお仏飯をあげに行くときにはそれをつい考えてしまいます。

そういうことでなくても、たとえば他人様のサイトをみていて、自分を省みもせず、明らかにおかしい、ご開山の教えはそんなことではないぞなどと一人憤慨してみたりした後などでも、ご本尊さまのお顔は見られません。

特にそういうことの後でなくても、私はご本尊さまのお顔を殆ど見ていません。お足下をのぞき見するようなことばかりです。真っ正面から拝顔するなどということは、いつかできるようになるのだろうかと思ってしまいます。

私は阿弥陀さまの眼を見ることができないのだけれど、阿弥陀さまの智恵の眼は、それができない私を見ていてくださいます。阿弥陀さまの智恵の眼には、ありのままの私の姿がさらされているのに、私の方は何かしら隠したい、できることなら見られたくないと思うわけです。

で、今度はそれを恥じるわけですが、恥じる自分が自分を何とかできるのかと言えば、何ともできないのです。だから、ただお念仏なのだとあらためてお示しをいただくんだと思います。

そんなふうなことを思いながら、いつの間にかいつもより大きな声で、今朝もまた大経をお勤めさせていただきました。