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つながり

「つながりを生きる」という言葉は、どこかで眼にした覚えがある。そこにこめられた意味は、残念ながら詳しくは知らない。

また、「私たちは多くのつながりの中で生きている。親子の関係はもちろん、学校や地域における人間関係など、はかりしれないつながりの中で支えられながら生きている」と、ある本に書かれている。

残念ながら推測に過ぎないけれど、「つながりを生きる」という言葉の意味や、「私たちは多くのつながりの中で生きている。」ということは、お釈迦さまの『縁起の理法』をわかりやすいように、あるいは今風に言い換えたものと思われる。

仏道(念仏道)と世間道とをはっきりと分かつのは我々の習い性で、もともとは、あるいは仏道(念仏道)からすれば不一不二なのだろうけれど、お釈迦さまの『縁起の理法』ということが世間道からの理解ばかりになっていて、それは、いわば仏教の根本の世俗化とは言えないだろうか。

世間道からの理解というのは、たとえば縁起によらない「私」、ありえない「私」を「私」と仮定して、その「私(たち)」がつながりの中で生きていると言うようなことで、そうとしか聞けない、あるいは読めない言葉が大勢を占めているように思える。

「ご縁をつくる」ということを言う人がいて、ご縁というのは人間がつくれるものでないと「かも知れない」に書いたのがいつだったかは忘れたけれど、因果転倒の世間道で人間が作るのは虚仮ばかりであって、ご縁はすべて如来から賜る。

もっとも、すでに人間がつくるものも「ご縁」というのが一般的になっているのかも知れない。