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山を歩く

桜の花が例年より2週間ほど遅かったので筍も遅いかと思っていたら、1週間ほど早かった。自分が料理したりもらっていただいたりするだけでは追いつかず、このところ連日10本ほども切り倒している。

地の面が人間様の通り道になっているとか、倒木や倒れた枯れ竹に覆われているとか、そんなことは竹の根が知るはずもなく、筍は根の張っている地中から地面を割る。

もともと面倒くさがり屋で、近年体力の衰えた私が切り倒すのは、もし大きくなって倒れたときに建物にかかる場所や通り道、次の年に筍をとるのに通るであろうところに出ている筍だけなのだけれど、だいたい1時間ほどかかる。

一人暮らしの悪癖で気がつけば独り言を言っているのには自分でも気がついているのだけれど、身体にこたえる作業をしていると独り言も多くなる。「すまんなぁ」と筍にいいながら切り倒すのだからたちが悪い。

たちが悪いと思っても、やはり明日になればまたすまんなぁと言いながら切り倒す。

ある本に曰く、「自分自身を深くかえりみる心が湧き起こって」きて、「自分自身を悪人であると教えられて、よく知ることができ」て、「ともにたすけあって生きている世界に生きていこうと歩み出す」ことによって、「私たち一人ひとりの身に、『本当の人間』(=仏ということであるらしい。hide-me註)になっていく人生がはじまる」などというのはまったくの絵空事、戯言である。

阿弥陀さまの「願をおこしたまう本意」は何であるのか、と、そういうことが何度も頭に浮かんできて、独り言しながら昨日も今日も、明日があればたぶん明日も山を歩く。なかなかお念仏はでて下さらない。