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因るところ

つまるところ「自覚」というのは自力の心しかなかったと思い知らされることを言うのではないかと思います。

何に因って、どこに思い知らされるのかと言えば、心(芯)によって意に思い知らされる。

「識によって意に」であれば、それは「思い知る」わけで、「思い知らされる」のとは意味が違います。

思い知ることも一応は受動であるのでしょうが、それが識によって惹起されたものであるかぎり、意にあっては「私が思い知る」ことになります。

思い知った「自覚」も自覚と言われる、というか、思い知った「自覚」が自覚と言い慣わされているのが世間というところなのでしょう。




「かも知れない」に自覚ということについて書いたのですが、それが200回目の駄文となりました。

うちのお寺で毎月発行している「寺報」の文章を私が書かなくなってからめっきり更新の頻度が落ちていますが、何しろ暇人で、裏山の枯れ竹の後始末くらいしかすることがありませんので、書きたいことがあればこれからも書こうかとは思っています。