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法蔵菩薩 (9)

話をもとに戻します。戻しますが、今申しました正信偈さんのなかでも親鸞聖人はお釈迦さまが世に出られた所以ということをおっしゃっています、ただ阿弥陀さまのはかりしれないご本願を説かんがためであったと。親鸞聖人はまたご和讃などでお釈迦さまや阿弥陀さまを慈悲の父母とおっしゃっています。私ども普段生活するなかでそんなふうなことを思うことがありますかね、お釈迦さまは父であり母である。阿弥陀さまも我が父であり、また母である。そういうことを思いますかね、思わないで暮らしていますね。そうでしょう、親鸞聖人がおっしゃるからということでなく、今は詳しくお話しする時間もないのですが、お釈迦さまが我が父であり母である、阿弥陀さまも我が父であり母である。実の父母にもまして父母であるのですが、そんなことは爪の先ほども思うことがないですね。五逆罪というのがあって、そのなかには物騒な話ですが父を殺す、母を殺すというのがあります。実の父母にもまして父母である方を少しも、これぽっちも父だとも母だとも思わない、まったく父母でないものにしている。言い方が大げさかも知れませんが、これは殺害父母と言えなくもないですね。また五逆の罪のひとつに仏身から血を流させるということがあるのですが、私のすることすべて、法蔵菩薩さまが血の涙を流されるようなことばかりです。五逆の罪を犯すものは決してすくわれることがないと一般には言われます。けれども、だからこそ、この私、実の父母にもまして父であり母である方をなきものにして、それだけでなくて今ここでご苦労くださっている法蔵菩薩さまをなきものにしているこの五逆の悪衆生である私が決してすくわれないものであるからこそ、だから法蔵菩薩さまはこの私の罪という罪すべてを背負って血の汗を流しておはたらき下さるのである。法蔵菩薩さまの血の汗とは何か。お念仏である。本願念仏である。

法蔵菩薩さまの本願念仏、これを親鸞聖人は円融至徳の嘉号とおっしゃっています。勤行本の82ページに「聖句」というのが掲載されていますが、これは教行信証の総序の最後の数行が省略されたものです。その82ページの終わりの方に「円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智」とありますね。そのすこし後ろ83ページのはじめには「大聖一代の教、この徳海にしくなし」とあります。お釈迦さまがご一生にわたって説かれた法というものは数知れないほどあるけれども、お念仏のはかりしれない徳に及ぶものではないと、これは親鸞聖人がそう言い切っておられる。仏教とは、南無阿弥陀仏である。そうおっしゃっているとも言えます。お釈迦さまが悟りを得られて、初めてお分かりになったことがあった。それは自分、つまりお釈迦さまに始まるのでない仏教、仏道というものがすでにあるということであった。今日はそれを詳しくお話しはできないのですが、仏説無量寿経にある法蔵菩薩さまの物語というものは、五十三仏の歴史に始まります。五十三仏の次に世自在王仏がおられて、その時に法蔵と名乗る比丘が無上殊勝の願をおこされた。それがいわゆる四十八願であり、その四十八のご本願を法蔵菩薩さまが成就なされて阿弥陀仏となられた。こんな簡単に言えることではないのですが、法蔵菩薩さまの物語というのは言ってみればそれだけのことです。法蔵菩薩さまというのは物語の中の登場人物である。いわば作り話の主人公である、そんなことを言う人もある。しかし、決してそんな浅はかな人間の考えで判断できるものではない。そうでしょう、だいたい物語というものは、言葉で語り得ないことがらを伝えるためにあえて物語として語ったものでしょう。言葉で表現できないもの、言葉で説明できないことをまさに「ものがたる」のが物語であって、たとえば浦島太郎の物語にしても、浦島太郎と法蔵菩薩さまを一緒にすることはできないけれども、物語というのは、そういうものでしょう。法蔵菩薩さまの物語にある言葉で表現できないもの、それは何か。それは何かと言っても、これだと言えるものでない。もともと言葉で説明できないものを言葉で言えるはずがない。それをですね、長い歴史の中で先達たちは何とかして明らかにしようとしてこられたわけです。それぞれの時代時代の中で、何とか言葉にしてこられたわけです。正信偈さんのなかにお名前のある七人の高僧方だけでなく、名もない方達がこぞって法蔵菩薩さまの物語とは何か、法蔵菩薩さまとはいったいどういう方であるのかと問い続けてこられた。その歴史の果と結するところがすなわち南無阿弥陀仏である。本願念仏、円融至徳の嘉号である。法蔵菩薩さまの物語がものがたるのは、本願を信じ、念仏もうさば仏になるという道理である。法蔵菩薩さまという方は、今この私となっておはたらき下さる方である。五逆の罪の極重の悪人であるこの私が、それでもすくわれるという道理をお示しくださるのが法蔵菩薩さまの物語であって、仏教とは、一切衆生が阿弥陀さまのご廻向によってご本願を信ぜしめられ、必ずお念仏もうす身とならせていただいて仏という果をいただく道である。