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法蔵菩薩 (3)

私などの思いますことはつきつめれば邪見に他ならないのでしょうが、法蔵菩薩さまは今ここ、ここと申しますのはこの私のことでして、皆さんにしてみればそれぞれお一人おひとりでして、正信念仏偈をお書きになられている親鸞聖人にあっては聖人ご自身のことなのですが、今ここでおはたらき下さっている。だから、法蔵菩薩さまの菩薩たる所以である菩薩の行については、これは書けない。これからも自身の身に聞いていかねばならないことである。だから書きようがないと、そんなふうなことでないかと思います。こんなことを言いますと、何を言うか、やはり邪見だと。法蔵菩薩さまはご苦労あって、すでに十劫の昔にご本願を成就なされて、阿弥陀さまとなっておられるではないかとおっしゃる方があるかも知れません。それは一応なるほどごもっともでして、その通りです。仏の世界では必ず因が果となる。だから因位の法蔵菩薩さまは果位の阿弥陀さまとして証果を得られてあって、今私の身に聞いていかねばならないのは如来のおはたらきである。これはもうその通りでして、ごもっとも、ごもっともなのですが、おもしろくない。おもしろくないというと語弊のあることなんでしょうが、だいたいおもしろくないのは理屈を言うからおもしろくない。理屈というか、教条を主義とするようなことはおもしろくない。生きていないからおもしろくない。生きていない理屈には理屈で応じるとして、では、いまここにいるこの衆生というもの、これは十劫のはるか昔の衆生がここにいるのか。あるいはまた、法蔵菩薩さまの菩薩の行は不可思議兆載永劫とあるけれども、永劫とはいったい十劫を過ぎれば尽きてしまっているものなのか。

まぁそういうことを思いまして、私は私の身に感じるところをもって、あるいはいろいろとお聞きするところによって、法蔵菩薩さまは今ここにおはたらき下さっていると、そう申しあげるわけです。少し調べたりしますと、大乗の仏教では還相の菩薩というようなことも言うようです。ですから、この法蔵菩薩さまはやはり還相なさって、そうして今ここにはたらいていて下さると申しましても、私が感じますこのことは、まるまる邪見でもないようです。果上の因と言うようです、この今ここでおはたらき下さる法蔵菩薩さまのことを。「法蔵菩薩因位時」なのですが、それだけではなくて、果の位にお就きになられたそのうえで、お浄土からまたこの穢土と申しますか、娑婆世界と申しますか、いまだすくわれない衆生が実にのんきに泣いたり笑ったりしているこの世界に来てくださって、ご修行くださる。仏説無量寿経にも「従如来生」という言葉がありまして、これは如、如ということは真如、その真如の世界から来生してくださるということですが、やはりこれは法蔵菩薩さまとして還相して今ここにおはたらき下さるということをお釈迦さまがお説きになっているのでしょう。