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鼬ごっこ

「私が、私が」「俺が、俺が」という思いが先立つのが我々であるから、なかなか仏の呼び声に気がつくなどということはできない。こういう類のお話をよく耳にします。

なるほど一応はごもっとも。しかし、それを言っているのも「私が」であり、「俺が」であるという堂々巡りというか、鼬ごっこというか、それこそが問題であるに違いないことがごっそり抜け落ちていることが多いように思います。

抜け落ちていないときでも、だから聴聞しなければいけないんだとおっしゃって、その聴聞ということを人と人との「話し合い」、なんと言えばいいのか切磋琢磨のようなことになさることがあります。

だからと言うのならお念仏もうす他にないのであって、だから聴聞と言うのなら、「聞くというのは何をお聞きするのかと言えば仏願の生起本末をお聞きするのである」ということになるべきなのではないかと思います。

こういうことを言うのも「私が、私が」「俺が、俺が」という思いがあるからです。お念仏もうしている口が同時にこんなふうなことは言えないわけです。