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道として

何年ほど前かはすっかり忘れてしまったのですが、「帰依所」ということが盛んにいわれて、多少の議論があった覚えがあります。

それが問題となり、議論されることが表しているのは何なのかということに、問題視し、議論なさる方はもう少し注意すべきであったのではないかと。

「同朋会運動をいのちとする教団」「同朋社会の顕現をいのちとする宗門」というような表現を時折目にしますが、そういうことが問題視されるようなことはないようで、「教団」・「宗門」にとっては「いのち」とするものも時代によって変わったりするのかもしれないと思ったりしています。

はるか昔に、特に革新的な思想を持つ方々の間でよく使われていたと思う言い方ですが、「日和見」あるいは「日和見主義」というのがあります。

自己批判的な発言の中に多く見られたのではなく、他者を批判するような場合に多く使われていたように思うのですが、自身に「日和見」あるいは「日和見主義」が板につくと批判する「他者」を失ってしまうようです。

たとえば、同朋会運動などというものが始まる前から同朋会と言えるものはずっとあったわけで、それは運動というものが何かに対する反動として運動するのに対して、動や反動ではなく、道としてあるのです。