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3月が終わります

たとえば、住まう家も何もかもなくされた方、避難生活を余儀なくされている方に、お念仏もうしましょうと言うこと(あるいは言わないこと)は、どういう意味を持つのだろうか。

また、宗派、教区、一寺院、一真宗僧侶、それぞれの立場(?)でお念仏もうしましょうと言うこと(あるいは言わないこと)の持つ意味は変わるものなのだろうか。

あるいは、言うことも言わないことも、こんな時には何の意味も持たないのだろうか。

真宗の僧侶である方が、団体や個人でボランティアなどさまざまに活動をなさっているのをお聞きして、そんなふうなことを考えています。

私のような者は、他の方がなさっているような何かができるわけではありませんので、何をするべきなのかが気になるということでしょう。

第二波第三波と押し寄せた津波のように、第二・第三とするべきことは変わっていくのでしょう。

他の方がなさっているような何かができるわけではない私などは、何か仕事をさせていただくとして、具合が悪くなってかえって迷惑になるわけです。

今はもう書いていませんが、この「時代おくれ」のサブ・タイトルのようなものは、「どんなに時代がかわってもかわらないものがある かわってはならないものがある」でした。