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内的必然関係

仏の本願を念ずる時に、図らずも自分は、弥陀の五劫思惟の昔の自分は、已に本願の正機として内的必然関係を以て仏と共に在った、だからして自分は仏の御苦労の永劫の歴史の緯をなし、それと一緒に疑謗と反逆とを続け、永い間ずっと自分が仏の御胸を悲痛せしめ申しつつ、本願の不滅の歴史の経に織り込まれ来った。自分は仏を苦しめ申すこと深ければ深い程、仏の方より見れば大悲忍辱の願心を深く掘り下げて一切を引き受けて下さる。何か知らぬけれども、親鸞一人の為に仮令身止諸苦毒中、我行精進忍終不悔と、法蔵菩薩無縁の大悲、唯わけなしにそうせずには居れない純一無二無疑の御心であります。何もどういう当てがあって、論理があって、別に目的があって、作為的に論理的に本願を創造し給うたというのではないのであります。如来の心業は清浄にして地・水・火・風・虚空の如く、何の分別もない一如平等の御心である。
(曾我先生「行信之道」より)

何も付け加えたりすることはありません。