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大行

名号は現在の行であります。信というものは単なる自分の識見で定めたのではない。先ず現行の名号があって、之に批判証明せらるる所の無疑の純情なる能信があり、この行に証明せらるる純情の信こそ真信である。真信は決して行を証明するものではありません。行に裏づけられて信は現実的能信の事体を成ずる、真信は他力回向の信であるということを示して、今行信といったのでありましょう。
 信は自力無効ということが主になり、行ということは他力全能ということが主になって居ります。信という所に自力無効ということがある。自力無効であるが故にこそ他力に帰せざるを得ざるが信である。行は自力の回向を必要としない、何故なら他力回向の大行があるからであるというのであります。
(曾我先生「行信之道」より)

自力無効ということの実に分かりやすい説明があっても、それはやはり信についてだけの話です。大行ということ抜きにして自力無効ということを説明することはできるはずもないいのです。

信は他力全能の行という裏付けがあってのことであり、行に証明されるべきことであるからには、まずあるのは他力回向の大行ということです。我々はやはり根本的に転倒しているようで、気がつけば信を先にもってきてしまっているのでないでしょうか。