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仏法力不可思議

曇鸞大師の『往生論註』に於きまして、天親菩薩の『浄土論』の長行の處に於て「云何が彼の仏国土の荘厳功徳を観察するや」とこう問題を提出しまして、「彼の仏国土の荘厳功徳は不可思議の力を成就せるが故に」と自ら解答してあります。その『浄土論』の文を『論註』に解釈して五種の不思議というものを述べてありますが、五種の不思議というのは、

一に衆生多生不可思議、衆生の種子というものは何程あるものであるか、無量無数であって過去幾千億年間に如何程死滅しても、死滅するに随って新たに限りなく生々して尽る所がない、誠に不増不滅である、之を衆生多少不可思議という。

二に業力不可思議、これは上は人間より下等動物に至るまで、衆生が本能に与えられたるそれぞれの業力というものを以て幾多の生を重ね、如何なる犠牲を払うても各自の世界を作って無窮の流転を続ける、これは人間の理知の境界を超えて不可思議である、これが衆生界に於ける業力の不可思議である。

三には龍力不可思議、これは自然界の現象を説いたものでないかと思います。忽ちにして海中の龍王が風を起し雲を起して上昇し、忽ちにして雨を降らし気温を変じ地震を起す等々、これは龍力の不可思議である。自然界の大きな現象の変化原因を龍力の不可思議と云ったのです。

四に禅定力不可思議、これは人間精神の力である。

以上四種の不可思議は概して神秘主義的不可思議であり、不可知的不思議であり、奇怪的驚異的不思議であり、理知的疑惑的不思議であり、結局、迷信的心理状態である。それに悩まされるも、了解すればやがて消滅する不思議である。


終に第五仏法力不可思議、これは諸法平等の大道であり、因縁の法でありまして、外面は何の奇もなき如是の法であるが、仏法の大海は如是の正信から開かれる。この仏法中にこそそれが核心であって、他はそれの外皮に過ぎぬのである。その仏法不可思議とは弥陀弘誓の国であり、これが伝統の教である。
これに二の力がある。「一には業力、謂く法蔵菩薩の出世善根大願業力に成ぜられる」と、「二には定力、謂く正覚阿弥陀法王の善住持力に摂められる」とである。
(曾我先生「行信之道」より 改行などは管理人によります)

全くの備忘録として記事にするだけのことで、何も付け加えることなどはありません。

で、たとえば、龍力不可思議というようなものを「主」とするなら、どういうことになるのでしょう。また、たとえば修定主義ということなどは禅定力不可思議を突出させたところにあるものなのではないでしょうか。