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理屈

他力回向という道理は、つまり云えば、有難いというて戴くこと。他力回向ということは別段の教理であるなどというかも知れんけれども、要するに心から報恩謝徳の念を以て有難いと仏の前に頭がさがる道理、法の前に自力無効と機の頭がさがる、法を機が戴くのであると、こういうことになる。それが他力回向の道理である。回向ということは理屈でも何でもない。唯我々が本当に有難いという所、知恩報徳の知恩という道理が有難いという感情でしょう。報恩の根本にはどうしても知恩ということがありましょう。「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」。信心の智慧というのは知恩のことです。唯この知恩によってこそ仏恩報ずる身となる。仏恩の深重なることを信知してこそ報恩の行を智慧の念仏と呼ぶのである。
(曾我先生「行信之道」より)

「回向ということは理屈でも何でもない。」と仰ってありますが、「理屈でも何でもない」ということ自体が理屈にならざるを得ないのが常に凡夫の現在であり、特に今日的な凡夫の状況ではないかという気がします。

凡夫は眼鏡をかけても凡夫なのですが、かける眼鏡によってはかえって見えるべきものごとが見えなくなるようです。仏恩の深重なること、それがわからないから理屈になり、あるいは理屈になるからわからなくなり、余計に見えなくなる眼鏡をかけるわけです。

古き良き時代などという言い方がありますが、現状に満足がないときに古き時代が良き時代として思い返されるのが常であって、懐古は現状の不満足であって、いつの時代も良き時代などというものではなかったのではないでしょうか。