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衆生の善

それから又無礙光明という處には、そこに本当に易行の大道、易行の道がある。衆生の無明煩悩に障えられず、衆生の煩悩の底までも入って成就して下さるという所に、易行ということが示されているのでありまして、円融至徳嘉号転悪成徳正智、円融ということは万徳全体統一円満融通して無礙自在の妙周をなすのでしょう。現実の人生にあっては長所は同時に短所であり、甲の善は乙に対して悪であり、甲の悪が却って乙の善とする所であり、一人にあっても各人相互にあっても、内に満足なく外に相互に障害せざるを得ないのでありますが、名号の世界は完全円満の至徳を成就するが故に、衆生の悪も之に帰すれば自然に無礙に転じて至徳を成ずるのであります。
(曾我先生「行信之道」より)

こういうところを抜き書きするについては、私のような者には魂胆があるのです。どういう魂胆かは、これは言うわけにはいきませんけれども、おおよそ察しはつきそうなものです。

ですから何も付け加えて書くことなどないのですが、ただ一つだけ言っておくとすれば、「衆生の悪も之に帰すれば自然に無礙に転じて至徳を成ずるのであります」と仰ってあるところの、「衆生の悪」は「衆生の善」としても同じだということです。

なるほど我々は「現実の人生に」あるものだから、衆生の悪は困ったものでどうにかせねばならないと思い、衆生の善はいっこうに問題にもしないのですが、だからこそ余計に厄介だとも言えます。