表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

「おりこうさん」

現今多くの人は唯本願ということのみを知って、特に重要なる今日果上の仏力ということの意義を了解していないのではないか。
(中略)
若し果上の仏力というものがなかったならば、因位の四十八願というものは徒に設けることになると曇鸞大師は力説して居られる。何故なれば、あの仏力というものに果上の無礙摂取の力があり、この体験が現生不退である。故に若し果上の仏力の証明がないならば、因位の未来往生の本願というものは徒に設けたことになり空想になる。随って単なる本願を信ずる信心は亦徒設仮令の臨終現前の自力の信となる。
(曾我先生「行信之道」より)

「本願」と「仏力」とは全く別の話であるのは分かっているのですが、どうもこういうことを聞きますと、「お念仏の教え」と「お念仏もうす」ということの違いが思えてなりません。

私がどう思うかなどは問題ではないのですが、さまざまなことから感じる最近の「真宗の教え」がお念仏もうすということから離れていっているような印象があり、「単なる本願を信ずる信心」ですら紙に書かれたことになりつつあるのではないかと思えます。

いわゆる「おりこうさん」であってはならないのですが、「おりこうさん」ですらいのも、それはそれで困ったことではあるのでしょう。