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転倒

我々は無明に覆われて我執を起し、所謂「我の相に愚にして無我の理に迷うが故」に逆に実我の執を起す。そうして真実の法というものは内外の諸の因縁よって動くものであるのを、単独なる自我が自由に動くのであると、かくの如くに妄執し、そうして純粋なる業の上に自我が自由に為すものであるとして、自我の権利を主張する。それと不可分の結果に於て、自我の所有権を主張することから却って逆に結果に束縛せられて、それを因なる業から切り離して実体化する、かくして業の自然の一如の象徴の世界を概念化し実体化する、之を転倒の世界という。
(曾我先生「行信之道」より)

こういった転倒の実例と言うべきものは至る所に見られるのであって、言い方を換えれば、見えるものは皆転倒したものであるとも言えるわけです。

見えるものなら更に見る必要がないのであって、それは唯見る主観の反省に於てのみ意義がある。見えざるが故にこそ本当に見るということが成立する、それが即ち本能の世界である。だからして見ることによって見えるものを超えて、愈ヽ見えざるものを見出して来るのでありましょう。見えるものは限られたものであり、見えざるものは無限である。即ち有限に於てのみ無限を見る。それがつまり本能の世界であります。
(曾我先生「行信之道」より)