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「今日的問題」

我々はこの国土というものと人間というものは別々のものと考え、そうして国土というものを唯人間の何か実用に供するもののように、生活上に便宜を与えられるものであるように考えて居ります。加之、段々推してみますというと自分以外、つまり人間以外のものは凡て人間の便利の為にあるのだ、こういう風に考える。所謂自分以外の人間すら自分の便宜の為にあるのだという風に考える。そうして人間中心の考、それを更につづめてみますと自己中心の考というものが出来上る。それをそこにちゃんと坐りを置いていろいろの理想を浮べる。世界だとか、万物の霊だとか、人類平等だとか、正義だとか、自由だとか、如何にも麗しい抽象的な理想というものを構成して来るけれども、これ等の理想はその現実というものを突き詰めてみると自我というものを主張するに外ならぬ。そういうものが西洋思想の一般の基調であり、又日本人も明治以来、一度はそういう思想の洗礼を受けて来たのではないか。それがいろいろの今日の思想問題になっているのではなかろうかと思うのであります。
(曾我先生「行信之道」より)

西洋に端を発する近代合理主義を無批判に受け入れてきたことへの反省のような文章なら、最近あちこちでよくお目にかかります。特に「自己中心」的であること、あるいはそのことに無自覚であることへの自己批判などは、仏教とは一線をおく分野にも多々見られる文脈です。

曾我先生の「行信之道」は戦前の講話であり、そのなかで「日本人も明治以来、一度はそういう思想の洗礼を受けて来たのではないか。それがいろいろの今日の思想問題になっているのではなかろうかと思うのであります」とおっしゃってあるわけです。

特に「明治以来、一度はそういう思想の洗礼を受けて来た」とあるのが興味深いところで、戦後60数年を経るなかで「いろいろの今日の思想問題になっているのではなかろうか」とまた同じことを言わざるを得ない状況が現在しているということになります。

今日的問題と言われるものの多くは、実際は今日的であるのではなく、実に人間的と言いますか、世間道に常にありがちな問題を根源としているのであって、人間は何ら人間に普遍の問題をいっこうに解決できないものであるということが言えるのでないかとあらためて思います。