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功徳と荘厳 (6)

私は如来の荘厳とならせていただくのであり、南無阿弥陀仏という円融至徳、万行円備の本願念仏という荘厳としての「いのち」をいただくのであり、それを往生というのである。自身が荘厳とならせていただくとき、学問であるとか、道徳や生活の規範をまもるという意味での「修行」など何の必要もないわけで、むしろそういう飾りは、そういうのは身を飾るアクセサリーと同じような飾りにしか過ぎないのですが、飾りに過ぎないが故に邪魔になるし、妨げになるのです。

私たち自身が身につけようとして身につけられる徳というのは往々にして喧嘩をしあうものなのですが、仏の徳にはそういうことがありません。仏となっていて下さる阿弥陀さまのあらゆる徳というものが完全に解け合っているということが円融至徳であり、阿弥陀さまが仏となられるにあたって大変なご苦労あって、仏となるのに必要なあらゆる行を行じておいて下さるということが万行円備であります。

南無阿弥陀仏というお念仏は、円融至徳であり、万行円備であるわけで、その南無阿弥陀仏を阿弥陀さまが私たちに回向して下さる、至心に回向して下さる。ただお念仏もうしてその本願念仏をいただくということは、如来の荘厳としての「いのち」をいただくことであるわけです。