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功徳と荘厳 (5)

荘厳という言葉の辞書的な意味はお飾りですが、私たちの身の回りに「飾り」というのは満ちあふれています。そう思います。例でもあげればいいのかも知れないですが、例をあげるまでもないかとも思います。

お念仏もうす衆生とならせていただき、本願念仏の荘厳としての「いのち」をいただくならば、自身が阿弥陀さまのお浄土のお飾りにならせていただくのであって、ですからお飾りということは私が私の身を飾ったりすることではなくなるのです。思いますに、最近は男性でもお化粧をする人もあるようですので女性だけに限る話ではないのですが、必要以上にお化粧をしたり、アクセサリーをやたらと着けたりするのは、あれはつまり心持ちといいますか、気持ちがお浄土のお荘厳となるのとはまったく別の方向を向いているということではないでしょうか。

これは別の話にはなるのですが、如来が私となっていて下さる、これこそが法蔵菩薩さまの降誕であるというようなことをおっしゃった先達がおられまして、確かなといいますか、ご縁に依らない私があるのでなく、如来がいまこの私が「私」と言っている者になっていて下さるのであるということに思い至れば、そこに法蔵菩薩さまがこの私一人をすくうためにいよいよご苦労して下さるのであるというようにいただいておりますが、そうしますと、往生成仏は私となっていて下さる法蔵菩薩さまにあるのであって、決して「私」ではないということになるかと思います。

私たちは南無阿弥陀仏とお念仏もうしながらも、どうもご縁によらないような確かな私を仮設していて、その「私」が往生し成仏するのだと思っているのではないでしょうか。そういうことが自縄自縛というか、好んで自身をすくわれないようにする原因であるように思います。