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如来 (11)

命の誕生と共にあったのがお浄土の教え、本願念仏の教えであります。この本願念仏ということ、これは命の誕生と共にありながら実に長い間その本当の意義というものが明らかにされないまま、いわば疑網に覆蔽せられていたのですが、親鸞聖人にいたりましてその真実なる意義が明らかになりました。このことについてはすでにお話しさせていただいたのですが、繰り返しますと、如来が衆生に回向して下さるのが本願念仏であるということです。こういうことは親鸞聖人のお師匠にあたる法然上人も感得しておられて、その上で専修念仏ということをお示し下さったに違いないのですが、親鸞聖人は他力ということ、他力廻向ということをもってご自身が確認なさり、そのご確認が私たちに教えとして、いわば何故お念仏に依らなければならないのかということがより明らかになった教えとして伝えられたのです。

仏教というものはさまざまに分類されてきましたし、今も分類されていますが、そういう分類の一切はいわば学者さんのものでありまして、私たちがあえて分類するならば、仏教は二つしかないのです。これは頭で考える理屈を言うのですが、一つは私にはたらいて下さり、私をすくって下さる仏教であり、もう一つはそれ以外の仏教です。次には理屈でいうのでなく実際にはどういうことになるのかともうしますと、結局のところ仏教は一つしかないということになります。現に私というこの一人をすくうためにはたらいていて下さる本願念仏の教えがあるだけであり、それが仏教だということです。

一つ理屈を言いましたついでに喩えをもうしますと、北極点というのがありまして、私は行ったこともないのですが、ここでは360度どちらを向いても南ということになります。北の極点では西も東もなく、あるのは南だけです。本願念仏は私がどちらを向いていようと、阿弥陀さまに背を向けてばかりいようと、いつも私の正面を阿弥陀さまのお浄土にして下さるのであって、私がどこにいようと、南無しなさいよとはたらいて下さって、今私のいるその場所を北極点にして下さるのが本願念仏なのです。今私が阿弥陀さまに背を向けて褌一枚になって桶の水を身体に浴びせていても、間違いなく阿弥陀さまのお浄土に往生を遂げさせて下さる、その教えだけが仏教なのです。