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如来 (10)

また話が横道にそれるのですが、お釈迦さまが仏となられて感得されたご自身に始まるのでない仏教の歴史というものは、仏説無量寿経として後にまとめられたのですが、五十三仏の歴史などというのはおとぎ話と同じ物語だ、作り話だとおっしゃる方もあります。よくお考えいただきたいのは、物語というのはものを語るのが物語だということで、作り話というのは、私たちが嘘の話を作り上げるようなものであったなら時間の移り変わりに淘汰されて消え去るのであって、そうではなく、五十三仏の話としてしか語りようのない原型があって作られている話だということです。

命とその命の救済の歴史と、言葉にすればそういう言い方しかないのでしょうが、そんな言葉では言い表しきれないものが伝統として現にあり、その物語るところが物語となり、象徴などという言葉での表現の技巧では表しきれないところを仏の話として語られるのが仏説無量寿経の五十三仏の話であります。

私たちは仏教はお釈迦さまによって開かれたと、教科書でも読んで勉強でもしてそこに書いてある通りに思っていまして、それは確かにそうに違いはないのですが、仏教というものはそんな教科書に書かれているような形骸のようなものではありません。私たちは教科書に書いてあることはまったく疑うこともなく信用してしまいますが、歴史であるとか、人間であるとか、命であるとか、そういうことについては本当のことは教科書のようなものには書きようがないのです。

理屈をいいますと、100パーセントともうしますか、全部すべて仏教が開かれたのはお釈迦さまによるのであるとするならば、お釈迦さまの成道以前の衆生はまったく救われることもなく、何を証することもなく命を終えていったということになります。お釈迦さまの成道がだいたい2500年前、人類の誕生は何年ほど前ですか、お釈迦さまの成道以前の衆生の方が圧倒的に多数です。

教科書に名前のあがらない民衆ともうしますか、衆生の一人一人が、命のご縁をいただいて、生きて、救われていくことによって証明された仏による仏になる教えの歴史が仏教でありまして、科学的に証明されないこと、教科書にないことは作り話だ、嘘だと言うまえに、教科書に名前があがることなどまずないのが私たちですから、こういうことはしっかりと問い直し、よくよく考えて、思いを新たにすべきことなのではないかと思います。