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如来 (2)

お釈迦さまの説法を聞いた人、具体的にはコンダンニャが正覚を得たことを確認してご自身を「如来」とおっしゃったのですから、如来とは自ら得た正覚の内容を説くことによって、聞く人に正覚を得しめる人(仏)、あるいはその説法、あるいはその説法の内容という意味であると言えます。そういう意味合いを付け加えることができると思います。

そうしますと、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と親鸞聖人がおっしゃるのは、お釈迦さまが世に出られたゆえんはただ阿弥陀さまの本願の世界を説くためであったという一般的な解釈では収まりきらないということになるのではないでしょうか。

もちろん「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」という文章の解釈としては十分なのですが、お釈迦さまが世に出られたゆえんは、阿弥陀さまのご本願の生起本末を聞き、本願念仏をいただいて、お念仏もうすということによってあらゆる衆生に正覚を得てもらうためであるということがそこに込められてあるということが言えると思います。

自分の説法を聞いた人が正覚を得たことを確かめてご自身のことをはじめて「如来」とおっしゃったお釈迦さまが、この娑婆世界にまさしく如来としておいで下さったのは、五濁悪世に命のご縁をいただいた私たちが、仏説無量寿経にある阿弥陀仏のご本願の生起本末をお聞きして、つまり聞法して、本願念仏だけがすくわれる道であることを信知して、お念仏もうして、阿弥陀さまのいのちに帰らせていただくためであったということを、親鸞聖人はおっしゃっているのだと私はいただいているのです。