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円融

趣味で手芸をしている姉がうちのお寺で作品展のようなものを開催しました。いくつかのグループで手芸を教えたりしていますので、結構な数の人が朝から絶えることなく来られます。

生き甲斐というと大げさなのでしょうが、手芸を趣味にしている人は作品を作ることが大きな楽しみとなっているのでしょう。知り合いの中には退職なさってから油絵を描いておられる方もあり、盆栽などの園芸をたのしんでおられる方もあります。

手芸をしている人なら、たとえば布製の手提げのバックや人形などの作品やそれを作り出す技術などがその人に備わる荘厳となるのでしょう。一緒に手芸をする人たちもその人の荘厳と言えるでしょう。

人はそれぞれにその人に備わる何かを持ちます。備わるものが多くの人に好まれるものであることもあるでしょうし、多くの人に嫌われるものであることもあるでしょう。

結果的に、何かしらそういった趣味と同様に「教え」が扱われることがあるかと思います。「教え」が人に備わるものを生むものとなるときに、そういうことになるんだと思います。そういう「教え」があってもよいかとは思います。

本願念仏の「教え」は人に何かを備えさせる(あるいは具えさせる)、荘厳を生むものではないはずだと思うのですが、人が「教え」をその種のものにしてしまうことはあるように思います。

しかし、本願念仏は決して人に何かを備えさせる(あるいは具えさせる)、荘厳を生むのではありません。人をそのなかに摂め取る円融の功徳、万行の円備であります。円融ということがそれを表しています。